「スイス」という思想~決められない政治
近頃、日本の政治をとらえて口にされるフレーズは、「決められない政治」だろう。
大事な局面で決断ができず、ずるずる先延ばしばかり。改革の声は常に反対に合うが声の大きな反対にはすぐ右往左往、想定される将来の重大事より目先の利益をとり、結果的に事態を悪化させる……。
そこでリーダーシップのある首長が求められ、「決める政治家」が持て囃されるのだが、一見「決められる政治家」は、単に異論をぶった切るだけ。あるいは新しい世間の流れは目に入らず昔の価値観を視野狭窄的に見つめて、原発再稼働させ、増税路線を走るだけ……。
このままだと手続きを踏まずに「決断」するだけの政治家が台頭するだろう。だがそれは、民主主義の否定になってしまいかねない。
で、スイスなのだが、こちらは基本的に直接民主制である。先に書いた通り、連邦政府より州や市町村に大きな権限があり、それらの決定も市民に直接かけられる。
聞いたところ、小さな町だと、まだ市民会議的なこともするが、今は投票が増えているそうだ。だいたい年に4回は投票があるらしい。しかも1度にいくつもの議決が含まれる。村のことを決める投票に、州や政府の政策の賛否や選挙も一緒に行う。だから投票で決める議決そのものは毎年10を越すくらいかもしれない。
ちなみに投票率は低くて(20%前後?)、通常の議題に対して市民の関心はそんなに高くないらしいが、重要な議題になれば、参加できるシステムは確保されている。
しかも、投票では対立する議案の両方が否決されることも少なくないという。たとえば原発推進も原発停止も、両方が否決されてしまう。一体、どっちなんだ! という事態になることも珍しくないそうだ。
まさに「決められない政治」なのである。
道路一本作るにも、民間がビルを建てるのも、周辺住民の賛成多数を得なければならないとしたら……日本ではどうなるだろう。
だが、日本と決定的に違うのは、両方が否決されたら、必ず双方で妥協が行われ、新たな案が出されて、時間をかけても落ち着くところに落ち着くことだ。4車線の高速道路が否定されたら、2車線の道路にする、という具合に。
時間をかけて、徹底的に議論されて、落としどころを探るわけだ。何より決まれば市民自ら選んだという実感を持って施策は実行されるだろう。「決める政治家」が強引にひっぱり、不満を内包させたまま実行させる(結果としてサボタージュも生むし、首長が変われば事態はひっくり返る)日本とは「決められない」点は同じでも、内容が大違い。
世界はグローバル化が叫ばれ、スピードこそが重要とされる時代になってきたが、こんな手間隙の価格政治システムでスイスは生き残れるだろうか? いや、市民が決めることが生き残る要としているのかもしれない。
ドラッカーは、マネジメントこそが、自由と尊厳を守る唯一の方策だと語っている。
「成果をあげる責任あるマネジメントこそ全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手立てである」
そう、手間をかけて、すぐ決められずに時間がかかるが、そこに全体主義・中央集権を拒否してきたスイス人の誇りが隠されている……と思う。そういえば、ドラッカーはスイスの隣のオーストリア出身だった。
ところでスイスのフォレスターは、公務員である。預かっている森林をうまく経営し、そこから利潤を上げる使命があるが、それで自らの給料は増えるわけではない。ならば手を抜くか? いや、もし経営が不振で反感を買えば、市民の突き上げをくらって失職するのである。まさに直接民主制によって公務員も雇用されている。決して、安穏としていられない。
だから「よい森林づくり」に邁進し、所有者に利益をもたらすように工夫し、そして住民に納得してもらえるように説明する……コミュニケーションが重要となる。
市民側に選ぶ権利さえ担保されていれば、すぐに「決められない政治」は、存外悪くないかもしれない。。。
全然関係ないけど、写真はたしかチューリッヒの「レーニンのカフェ」。
亡命していたレーニンは、ここのカフェによく通っていたとか。
……そんなレーニンに近づいた日本陸軍の明石元二郎大佐は、彼に資金を提供してロシアに革命を起こさせようとする。その額は、今の貨幣価値で総額400億円ともいう。折しも日露戦争が始まろうとしていた。。。
日本が国家の浮沈をかけた外交を展開していた時代もあったのだ。
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