乞う、ご期待?
本日、火急の仕事にて、お休みしますm(_ _)m。
ごの仕事は、10月ごろの出版につながります。乞う、ご期待(^o^)。
門脇仁: 広葉樹の国フランス: 「適地適木」から自然林業へ
知られざる森林大国、忘れられた林業先進国、フランス。広葉樹を主体とした特異な林業こそ、現代的である。日仏比較も行いつつ、その実像を追う。
田中 淳夫: 山林王
稀代の山林王・土倉庄三郎の一代記。自由民権運動を支え、全国のはげ山の緑化を進めた。また同志社や日本女子大学設立に尽力するなど近代日本の礎をつくった知られざる偉人を描く。
田中 淳夫: 盗伐 林業現場からの警鐘
21世紀になって盗伐が激増している。日本でも大規模で組織的に行われているのだ。そして司法は、まったく機能していない。地球的な環境破壊の実態を暴く。
田中 淳夫: 虚構の森
世にあふれる森林を巡る環境問題。そこで常識と思っていることは本当に信じていい? 地球上の森は減っているのか、緑のダムは存在するのか。る? 地球温暖化に生物多様性、SDGsに則しているのか? 異論から考えると別世界が見えてくる。
田中 淳夫: 獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち (イースト新書)
シカ、イノシシ、クマ、サル……獣害は、もはや抜き差しならない状態まで増加している。その被害額は1000億円以上?しかも大都市まで野生動物が出没するようになった。その原因と対策、そして今後を見据えていく。
田中 淳夫: 絶望の林業
補助金漬け、死傷者続出の林業現場、山を知らない山主と相次ぐ盗伐、不信感渦巻く業界間……日本の林業界で何が起きているのか?きれいごとでない林業の真実を暴く。
保持林業―木を伐りながら生き物を守る
保持林業とは新しい言葉だが、欧米を中心に世界で1億5000万ヘクタールの森で実践されている施業法だという。伐採後の生態系回復を早めるために行われるこの手法、もっと日本に知られてもよいのではないか。
田中 淳夫: 鹿と日本人―野生との共生1000年の知恵
奈良のシカは赤信号に止まる? 鹿せんべいをもらうとお辞儀する?カラスがシカの血を吸っている? 彼らを観察したら、獣害問題の解決の糸口も見えてくるはず。
山川 徹: カルピスをつくった男 三島海雲
カルピス創業者三島海雲の評伝。彼は内モンゴルで何を見たのか。何を感じたのか。その夢を乳酸菌飲料に結実させた足跡を追う。土倉家の面々も登場する。
田中 淳夫: 森は怪しいワンダーランド
森には、精霊に怪獣に謎の民族、古代の巨石文化が眠っている!そう信じて分け入れば遭難したり、似非科学に遭遇したり。超レアな体験から森を語ればこんなに面白い? 読めば、きっと森に行きたくなる!
村尾 行一: 森林業: ドイツの森と日本林業
林学の碩学とも言える村尾行一の林業論の集大成か?
ドイツ林業を歴史的に追いつつ比べることで浮かび上がる日本林業の大問題と抜本的な処方箋
田中 淳夫: 樹木葬という選択: 緑の埋葬で森になる
広がりつつある樹木葬。今や世界的な潮流となる「緑の埋葬」となる、森をつくり、森を守る樹木葬について全国ルポを行った。
田中 淳夫: 森と日本人の1500年 (平凡社新書)
日本の森の景観は、いかに造られたのか。今ある緑は、どんな経緯を経て生まれたのか。日本人は、どのように関わってきたか…。今ある景観は、ほとんどが戦後生まれだったのだ。今後必要なのは「美しさ」である!
田中 淳夫: 森林異変-日本の林業に未来はあるか (平凡社新書)
21世紀に入り、激動の変化を見せ始めた日本の林業。この変化を知らずして、日本林業を語るなかれ。果たして森にとって吉か凶か。そして「大林業」構想を提案する。
阿部 菜穂子: チェリー・イングラム――日本の桜を救ったイギリス人
もはや桜の故郷はイギリスだ! と感じさせる衝撃の書。ソメイヨシノ一色ではない多様な桜を守っているのは日本ではないのだ。そして日英交流史としても第一級のノンフィクションだろう。
田中 淳夫: ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実
ゴルフ場は自然破壊? それとも現代の里山? このテーマに再び取り組んで『ゴルフ場は自然がいっぱい』を大幅改訂して出版する電子書籍。
田中 淳夫: 森と近代日本を動かした男 ~山林王・土倉庄三郎の生涯
三井財閥に比肩する大富豪として、明治時代を動かし、森林の力によって近代国家を作り上げようと尽力した山林王・土倉庄三郎の生涯を追う。そこから明治時代の森林事情が浮かび上がるだろう。
田中 淳夫: 日本人が知っておきたい森林の新常識
森林ジャーナリズムの原点。森林や林業に関わる一般的な「常識」は本当に正しいのか、改めて問い直すと、新しい姿が広がるだろう。そして森と人の在り方が見えてくる。
日本の森を歩く会: カラー版 元気になる! 日本の森を歩こう (COLOR新書y)
森林散策ガイド本だが、第2部で7つの森を紹介。全体の4分の1くらいか。私が記すとルートガイドではなく、森の歴史と生態系をひもといた。
田中 淳夫: いま里山が必要な理由
名著『里山再生』(^o^)の内容を一新した改定増補版。単行本スタイルに変更し、美しくなった。里山を知るには、まずここから。
田中 淳夫: 森を歩く―森林セラピーへのいざない (角川SSC新書カラー版)
森林療法の成り立ちから始まり、森が人の心身を癒す仕組みを考察する。森の新たな可能性を紹介した決定版。 全国11カ所の森林セラピー基地のルポ付き。
田中 淳夫: 割り箸はもったいない?―食卓からみた森林問題 (ちくま新書)
割り箸を通して見えてくる日本と世界の森林。割り箸こそ、日本の林業の象徴だ!
田中 淳夫: 森林からのニッポン再生 (平凡社新書)
森林・林業・山村は一体だ! その真の姿を探り、新たな世界を描く
田中 淳夫: 日本の森はなぜ危機なのか―環境と経済の新林業レポート (平凡社新書)
かつての林業は木を売らなかった? 真実の日本林業の姿を紹介し、現状と未来を俯瞰した目からウロコの衝撃の書。
田中 淳夫: だれが日本の「森」を殺すのか
誰も知らなかった?日本の林業と林産業の世界を描いた渾身の1冊。
田中 淳夫: 田舎で起業! (平凡社新書)
田舎は起業ネタの宝庫だ! その成功と失敗の法則を探る、地域づくりのバイブル
田中 淳夫: 田舎で暮らす! (平凡社新書)
田舎暮らしは田舎づくり! そしてIターンを受け入れる側の極意を本音で語る
田中 淳夫: チモール―知られざる虐殺の島
知られなかった東チモールと日本の関わりと独立戦争
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本日、火急の仕事にて、お休みしますm(_ _)m。
ごの仕事は、10月ごろの出版につながります。乞う、ご期待(^o^)。
昨日は、真っ当な漆掻きの様子を紹介したから、今日はもっと裏側のダークな部分を(笑)。
そもそも漆とは何か。正式にはウルシノキから採取する樹液なのだが、成分はウルシオール。だが、ほかにラッコールやチチオールを成分とする「漆」も、東南アジアで産していて、多少は日本に入っている。
しかし、それ以前に現在の漆器の4分の3を占めるのが、ウレタン樹脂塗装だ。見た目はあまり違いがなく騙されがちだが、こちらは言うまでもなく合成樹脂。表面だけ漆を塗って、下地は合成樹脂という代物も少なくない。
そして4分の1の本来の漆を使った作品のうち98%は中国産漆だという。国産漆は、わずか2%しか生産されていない。
が、驚くのは、この先だ。
国産漆と言っても、その中身は決して100%ウルシノキの樹液とは言えないのだ。なぜなら業者が混ぜ物をしているから。漆掻き職人は、業者に売り、業者が漆芸職人に売るのだが、この間に何があるのだろうか……。
私の聞いた話によると、完全な国産漆はさらに少ないそうだ。たいてい中国産漆を混ぜる。次に伸びをよくしたり乾燥を早め固化を強める添加剤を入れる。さらに水や油で薄める。なかには水飴を入れて粘りを出したりもする。そして、色をつける。
最近は、流通が崩れて、直接産地に漆を買い付ける漆芸家もいるので、少しずつ本物の漆が出回ることもあるそうだが、こうした事情を知っている漆芸職人はあまりいないそうだ。
しかし肝心の漆の色が灰色になっていたりする。それでも気づかないのは漆芸家自身が、本物の漆を見ていないからだ。
本来の漆は半透明だし、匂いも少し甘いようなかぐわしい醤油のような香り。だが、中国産のものは、管理が悪く腐敗臭がするものも少なくない。日本と採取技術も違うし、もっとも質のよい漆は輸出しないともいう。
さらに、漆芸の職人と作家の間にもダークな闇がある。
漆を使った蒔絵などの作品は高値がつくが、そこに付く作家名が、本当の作者とは限らない。たいてい職人に発注している。通常はデザインを指定するものだが、なかにはまったくお任せで作らせて、それを買い取り自分の名で10倍の価格にして売るケースもある。
だから、たまにテレビ局が漆芸作家の取材で工房(と称する場所)を訪れても、その作家は実際の作業はできないそうだ。だって、まったく技術がないから。
……ま、こんな裏事情を、その現場の職人に聞いたのだから、間違いないでしょう。ああ、でも書いちゃったなあ。
漆を英語では、ジャパンというそうだ。本当に現在もそうなのか知らないが、かつて漆器などの作品が欧米で持て囃され、日本の漆芸技術の高さを象徴する話になった。しかし、今や材料から技術まで空洞化が進んでいるのだ。
※追伸
半透明なのがわかる。
ちょっと漆掻きを見に行ってきた。
今は、ウルシノキから樹液を採取する最盛期。いや、もう終盤かな。一応、10月まで続くそうだが。
樹皮を刃物で掻くと、じわりとにじみ出てくる樹液。これが漆だ。最初は白いが、だんだん透明になる。そして参加して黒くなっていく。そうなる前に、一滴ずつかき集める作業を続ける。
かつて全国に漆の産地があり、また紙漉きも行われていた。その土地を見ると、案外、伝統的な林業地と重なっていることに気づく。
たとえは吉野は林業ばかりが有名だが、実は今も和紙の里でもある。また、かつては吉野塗りという漆芸で知られていた。現在は完全に姿を消して、作品自体がほとんど残っていない有り様だが、非常にレベルが高かったと伝えられる。
左は徳島の漆、右が岩手の漆を塗ったもの。生地は同じ木の器だし、塗る技法や回数もまったく同じなのだが、風合いがまるで違う。色も違う。
漆は、栽培地域やその木の太さ(樹齢)、掻き手の技術、その年の天候、季節……などによって、まったく様子が変わるのだそうだ。
おそらく木材生産と紙漉き、漆にはつながりがあるのだろう。考えてみれば、スギやヒノキなどの高木の下にコウゾやミツマタなど和紙原料となる低木を植えることは、広く行われていた。また紙漉きに欠かせない大量の水は、豊富な河川の存在を示しており、筏流しによる木材搬送にもつながるのだろう。
漆は、直接のつながりは見えないが、山間部の作物としては手間要らずで育つし、漆は高く売れるから貴重な資源だろう。
が、明治以降、養蚕が入ってくる。日本の養蚕は昔からあったが、レベルは高くなかった。そこに西洋の養蚕技術が導入され、殖産興業で生糸生産が広がる。
養蚕はクワが欠かせない。すると、漆畑が桑畑に切り換えられていくのである。つまり、並立せずに、産業の移り変わりがあるわけだ。
こんな桑畑が、最盛期に、全国77万ヘクタールもあったという。日本の植生の何%かが、クワだったのだ。そこにコウゾ・ミツマタ、ウルシなどを加えたら、すごい面積だ。
そして、こんな風にカイコを育てるわけだ。
生糸生産には、意外と重要なのは、水である。繭からの糸繰りなどに大量の清浄な水を消費する産業だ。これも山里に向いていたのかもしれない。
森林資源、あるいは山村産業とは、木材生産に加えてコウゾ・ミツマタ、ウルシ、クワの栽培植物の盛衰を時間軸に捉えるべきかもしれない。
ニホンカワウソが絶滅危惧種から絶滅種に認定されたそうだ。
これまでカワウソを探していた人もいるから、忸怩たる思いかもしれない。ただ絶滅動物というのは何となくロマンがある……。
私は、かつてパプア・ニューギニアのニューブリテン島に未知生物を探しに行ったことがある。それも湖に棲むミゴーという巨大生物なのだ。
これまでの目撃談によると、ネッシーのような首長竜のようであり、モササザウルスのような魚竜のようでもあり。ようするに絶滅したとされる前世紀の巨大生物がいるかもしれなかったのだ。
場所は、ダカタウア湖。そこは火山の火口湖であった。ここに海を渡ってたどり着くと、カヌーで怪獣探しをしたのである。
その顛末は、『不思議の国のメラネシア』を読んでもらうとして、やっぱり未知生物とか絶滅した動物というのを探すのは、夢があるのだ。
オーストラリアには、古生代の樹木が発見されたというし、シーラカンスのような魚類も発見されているが、残念ながら陸上の動物では難しそうだ。そもそも新生代に噴火してできた火口湖に、中生代の動物が住み着くのは無理でしょ(笑)。
実際、その未知動物の正体はだいたい見当がついているのだが、誰か解明してください。
ちなみに、この探検時に湖に行くまでの間泊めてもらったのが、当時のパプア・ニューギニアの林業大臣であるルカス・ワカの家であった。当時、多少林業談義をした記憶がある。
私は、ダカタウア胡の自然が素晴らしいので、ぜひ国立公園にして残してほしいと「進言」したのだが、後に聞いたところ、この湖まで林道が延び、森林の伐採が行われたそうである。もう、湖の環境もすっかり変わっただろう。
私的にちょっと驚きのニュース。
『吉野林業全書』が復刻されることになった。発行元は、日本林業調査会。
http://www.j-fic.com/books/isbn978-4-88965-221-5.html
書 名:吉野林業全書 ―現代語訳付き―
監 修:土倉梅造
規格等:B5判 248頁 並製 ISBN978-4-88965-221-5
定 価:5,000円(消費税込み(本体価格4,762円)、送料無料)
発売日:2012年9月3日
『吉野林業全書』とは、明治期に吉野林業が持て囃され、全国に普及する過程で多くの吉野林業を紹介する本が発行されたが、その中でも決定版とも言える代物である。
原書の発行は、明治31年。それを現代語訳をつけて復刻したのが昭和58年だが、長く絶版になっていた。それが、急に再版とは。
発行は9月3日だが、前日までにネットで申し込むと1000円お安くなるようで、早めに紹介しておく。
ちなみに、私はすでに所蔵しているよん。なかには、原書のコレクターもいるそうだ。
これが、原書の表紙。石版印刷だそうだ。
そこに並ぶ名前を見たら、山形有朋や品川弥二郎など錚々たる人物の推薦を受けている。そしてその一角に土倉庄三郎が校閲として名を連ねている。
文章のほか写真もあるが、目立つのは図版だ。豊富な絵柄で、林業技術が紹介されている。
左図は、ヒノキの枝打ちの様子。そのほか造林から始まり、育林、伐採、搬出、そして商品化や大阪の市場まで、細やかだ。どれほどの利益が上がるか具体的に書かれていて、当時の物価や山仕事の職人の生活をかいま見ることもできる。
右図は、川上村大滝の吉野川の曲がり鼻の地点を描いており、下の方には土倉屋敷が書き込まれている。これが、私の注目する理由である。
現代において、さすがに人力の搬出や商品化(主に製材のほか樽丸など)は、日本の林業史や民俗学的資料にはなっても、参考にはならないだろう。しかし、造林・育林技術からすると、非常に価値がある。
とくに、「質より量」の乱暴な林業がまかり通っている現場では、質を高めるこれらの技術が非常に価値を持つのではないか。
今後、伐採ばかりではなく、再び森づくりに注目が集まる時期が来る。決して、吉野の技術は、古びないはずだ。
ただ、一言。『吉野林業全書』を、実質、土倉庄三郎の著書として紹介する人がいる(この復刻版の前書きにもそう書かれている)が、それはうがちすぎだ。
この本の著者は、表紙に記されているとおり、森庄一郎である。彼も吉野の山主であり、吉野林業の技術に長けた一人である。彼は、各地に技術者として招聘されているから、決して単なるライター・編集者ではない。
ただ出版費用を土倉庄三郎が出しており、その際に庄三郎も眼を通して「校閲」したことは間違いあるまいが。
拙著も、これくらい息長く発行されたいなあ。もちろん、土倉庄三郎伝も。
あんまり注目されていないようなので、紹介がてらに。
先日、ロシアがWTOに加盟した。これが何を意味するか。
新聞報道などを見ていると、機械類の輸出や輸入に与える影響などを論じているものが多いが、実は大きく変わるのは木材である。
この件は、今年の春ごろにも触れた。
ロシアの木材関税は、現在25%。
しかし、WTOは貿易を促進するのが目的であり、関税を勝手に決められなくなる。そこで新たにロシアから輸出される丸太の関税(輸出税)が変更されている。
これまで25%だったヨーロッパトウヒとヨーロッパモミは13%に、ヨーロッパアカマツは15%になった。
http://www.rinya.maff.go.jp/j/press/boutai/pdf/120824-01.pdf
これで、材価はかなり安くなるだろう。しかもWTOお墨付きだから、今後勝手に変更される心配は少なくなった。円高に加えて税金も下がれば、ロシア材は復活するだろうか。北陸の製材業者は、沸き立っているかもしれない。
本日は、自治会主催の夏祭。
役員である私も、当然ながら参加……というより、実質仕切る側。
仕入れや会場設営、そしてせっせと炭に火をおこし、バーベキューの準備をした。ま、始めてしまえば、案外やりたがりがいて、さっと焼きそばや焼き鳥などはお任せして、私は飲みに回ったのであった(^o^)。
無事、閉幕。まだ明日の清掃が残っているが、ヘトヘト。
帰宅して、うたた寝してしまいました。もう寝る。
……最後にメールチェック。
お? お? お! 出版社からだ。
もしかしたら、今年中に本を出版することになるかもしれない。
これでいい夢見よう\(^o^)/。
8月(7/22~8/22)の電気使用量が届いた。
なんと! 前年同月比マイナス66,1%! 金額も年間を通して最低じゃないか\(^o^)/。
せっかくだから春からの電気使用量を調べると、
3月分は前年同月比-12,9%
4月分 -34,6%
5月分 -39,3%
6月分 -40,0%
7月分 -54,9%
これは、自慢したくなる数字ですなあ。4月からは家族が減ったこともあるが、原発再稼働の話が出てきて、本格的に節電し始めた時期である。
だいたい我が家の電気代は、世間と比べるとこれまでもかなり少なかった。アチコチで紹介される節電ノウハウのほとんどは普段から行っていて、今更の内容ばかりだった。その中で、6割以上のカットなんだから、スゴい(自画自賛)。
と言っても、たいしたことをしていないのだ。エアコンを使わなかった(7、8月)こと以外で目立つのは、電気ポットを外したぐらいか。あとは気づいたことをこまめに行う程度。
あとは通常どおりテレビをつけていたし、パソコンも立ち上げていた。当然、冷蔵庫や洗濯機、電子レンジなど家電を使う。電気炊飯器もアイロンも。
エアコンだって、昼間はどうせ仕事しない(^^;)からつけずに過ごし、夜つけようかと思ったが、意外と涼しくて夜はエアコン必要なかった。
もちろん、ソーラーも木質バイオマス・エネルギーも使っていないよ。
別に意地で無理な節電を行ったわけではない。原発が停止したら、ばんばんエアコンをかけるかもしれない(⌒ー⌒)。本末転倒か?
ちなみに、関西電力管内では、8月は11%の節電を達成したそうだ。目標(10%)以上である。原発2基を動かさなくても足りたことになる。そういや原発を稼働させてから、関西電力は火力発電を何基かストップさせた。ようするに、足りていたのである。
昨日は、ちょっと煮詰め切れないまま書いてしまった、現場論。
現場に通うことは大切だが、現場に通えばいいわけじゃない、という話を振ったつもりが、どうも迷いがあったようだ。問題は、現場に行って何を得たのか、何をしたのか、である。
いきなり脱線するが、菅直人首相(当時)が、震災時に現場に飛んで批判された。が、実は世界中の指導者は大災害があったら即現場に駆けつけることを誇りとしている。
私の記憶している限り、アメリカの歴代大統領はもちろん、ゴルバチョフもエリツィンもプーチンも皆そうである。胡錦濤とか台湾の李登輝とかも地震時には現地に駆けつけた記憶がある。まず現場を見て、陣頭指揮をとり、非常時に対応する、世間を勇気づける声明を発表する。そして人気を上げる(~_~;)というストーリー。
だから菅さんも駆けつけたまではよかったのだ。が、被災者や世界に向けての何の声明も発表せず、指揮はトンチンカンで現場介入……の有り様。リーダーになりきれない。それなら行かない方がよかった。政治家は、現場を見てきた、それを伝えた、だけで終わってはいけないのである。
閑話休題。
林業界に当てはめて言えば、現場を見ないで立案した政策はなっていない、と言われている。それは私もそう思う。
が、あえて言うが、現場の声をそのまま信用してはいけない。それは残念ながら偏った意見であることが多い。所詮は、その現場だけの意見だ。
「私は現場から声を上げている」と言う人がいるが、その人が見た現場は数少ない。一カ所か、せいぜい数カ所。それを多種多様な全国に当てはめて反対論をぶったり、「自分の方法こそが正しい」と叫ぶのは、結局現場を見ない立案とたいして変わらないのではないか。
かといって、現場を100カ所も1000カ所も見ることはできない。見ても、そこまで数多くなると、一つ一つの現場からすれば、上っ面を撫でただけに終わるだろう。
「私は、全国の林業現場を回りました」と自慢した人がいたが、肝心の政策の話はあまりに机上の空論であった。各地で、その方法じゃ無理だろうという点はあっただろうに、それを政策の中に取り込まない。いや、無理な部分は見ないことにしたのか、無理な理由を無理やり論破して満足してしまうのだろう。
同じ視察でも、目からウロコを落とすこともあれば、観光に終わることもある。アイデアを生み出すこともあれば、時間と金の無駄になることもある。
スイスのライン瀑布。巨大な滝を見に行ったのは、観光ではなく、視察なのである。これで滝の水の利用と、景観について勉強したのである。近自然工法についても考えたのである。
それは、まったくの事実である。
現場なんて一例にすぎない。かといって、現場を見ないのも困るし、逆に数をこなすことで薄めてしまっても意味がない。
なお執筆に関しては、多少のゆるさがある。政治・政策ほどに厳しい条件はつかず、描き方に選択の余地がある。
一つの現場に耽溺?して、その様子を微に入り細に入り描くノンフィクションがある。一方で、数多くの現場を連続して描くことで、何らかの共通項を導き出そうとする作品もある。前者は、微細に描く筆力がいるうえに、広がりが弱く普遍性を持たせるのに苦労する。後者は共通項の筋の通し方に細心の注意がいる。しかも個別の事例が薄くなるリスクがある。
私は、どちらかと言うと後者タイプだな。だが、中途半端(~_~;)。この論考も中途半端。
まあ、珍しく2日に渡って同じテーマについて考えながら書いたから、多少は次の糧にしよう。
シリアで戦場ジャーナリストの山本美香さんが銃撃されて亡くなった。連日、このニュースが報道されている。おかげでシリア情勢に日本人の目が向くことになったのは、山本さんとしては最後の仕事の成果だろう。
新聞記事や報道番組では、なぜ戦場に赴くのか、ということが何回も取り上げられていた。危険な戦場には行かないことになっているテレビ局や新聞社の記者が論じるのは、ちょっと白々しいが……。
とはいえ、取材者は、常に現場に向かうのが基本である。現場を見て、真実を報道する、ことになっている。ちょっとありきたりでクサイ。
もちろん、私は戦場に行ったことはない。
ただ、一歩手前の東チモールには、足を向けた。1986年のことである。当時、東チモールはポルトガルの植民地だったが、本国の政変を受けて独立準備を進めていた。そこにインドネシアが侵攻して併合したのである。東チモールの政治組織フレテリンは、ゲリラ戦で抵抗を続けていた。その占領に伴う死者は、一節によると15万人とも言われた。
しかし、情報封鎖が強く、ほとんど内情がもれてこない。また日本を始めとするマスコミも、興味を示そうとしていなかった。
だから、どんな現場か知るために潜入しようと思ったのである。だが外国人立入禁止だし、ジャーナリストも何人か捕まって、インドネシア軍に処刑されていた。それだけに、結構悲壮感を持っていたのであるが……その顛末は、拙著『チモール 知られざる虐殺の島』 をお読みいただきたいが、少し明かすと、二度に渡って軍人に見つかって追い払われた。だが逮捕されないように手練手管を尽くしつつ、撮影フィルムを取り上げられる時に、真新しいフィルムとすり替えて渡したり、よく知らないインドネシア語でとうとうと演説ぶったり、なかなかスリリングであった(^o^)。
ここで、なぜ危険な現場に行きたがるのか、という問いに対する私の解答は、知らないことを知りたいから、ということになる。チモールに行く前にソロモン・ニューギニアで怪獣のような未知動物と幻の大洞窟を探しに行ったのと理由は同じだ。
もっとも私は、闇雲に現場へ出よう、という取材、もしくは研究は感心しない。出ても、知らない部分を知ることもできず、未知の部分の発見さえできず、わからない部分を知ろうともしないのなら、現場に出ても仕方がない。
目の前に未知の事象があっても、それに気づかぬ感性とか、新しい事実を知ったのに素直に受け入れず、自らの見解を修正するどころか既成の枠組にはめ込もうとするのなら、現場に出ても無駄ではないか、と思う。
私は現場に通っているから、と自慢されても、その結果唱える意見が正しいとは限らない。
現場に通った回数を競うよりも、通うのはその半分でもいいから、残りは考え分析する時間も必要だ。
現場に出るために、自らの感受性を高めるとともに心の柔軟性を育てておきたい。
大学の卒論は、森林動物をやりたくて大井川上流部の井川地区に通った。
本当はサルかカモシカなと大物動物をやりたかったのだが、とても1年で手を出せる代物ではないことを数度通って痛感。間に合わないのでノネズミになったのだが……。
最近は、シカが大繁殖して植生が破壊されるほどになっているらしい。今なら、シカを目撃するのは簡単で、卒論にできたかもしれない。
ところで『森林の江戸学』を読んでいたら、かの紀伊国屋文左衛門(通称・紀文)の行った井川地域の森林破壊について載っていた。
紀文と言えば、紀州からミカンを江戸に運び、さらに火事で焼けた江戸の町を再興するための木材販売で財を成した商人として有名だ。そして散財して破産したことも。。。もっとも破産したのは3代目で、当の本人は裕福なまま過ごしたとも聞く。
いずれにしても、木材商人だったわけだが、当然、紀州材を江戸に売っているのだと思っていた。ところが、御用材の調達では、紀州ばかりではなかったらしい。
とくに元禄5~9年と10~14年には、駿河と遠州の国境周辺の大井川上流部に目をつけた。
この時は伐採搬出に地元民を使わず、他から人をつれてきたため、利益は地元に還元されなかったという。しかも地域の森林事情を知らないよそ者が手を出せば、持続的利用なんて考えないのは今も同じ。手当たり次第に伐採してしまったのだそうだ。
おかげで井川山は荒れ放題……詳しい事情はわからないが、紀文は森林破壊者でもあったのだ。
当時から、請負の山仕事があったとか、林業労働者を他所からつれて来れたこととか、興味深い点はいろいろあるが、紀文の長者伝説の陰に、こんな逸話もあったのか。
江戸時代がエコロジカルとは、とても言えないね。
昨日は、日本には各地にさまざまな林業技術がある、と書いたが、今度は反対のことも書きたくなった(~_~;)。
林業史に触れると、篤林家と言われる人が、一生懸命に各地の山を歩いて技術習得に挑んでいる。また時の政権も、優秀な林業技術を見つけ出し、それを全国的に採用しようと努力してきた。
で、ことごとく、というか、ほとんど失敗していることに気づいたのであった\(-.-)/。オテアゲ
そもそも日本は江戸時代初期から各種の農書が発行されてきている。その中には林業に関して触れている箇所も多く、日本人はハウツウ本というか技術書が好きなんだと感じさせられる。が、残念ながら、あまり普及していないのである。
私が驚いたのは、間伐という作業さえつい最近まで普及していない。終戦後の占領軍GHQの産業調査の中でも、日本では間伐をする林業地が少ないことを指摘しているほどだ。
もちろん間伐技術は、古くからあった。吉野しかり北山しかり。が、普及していないのである。しかも戦後は、林業の伝統のない地域にも造林が進んだため、まったく知識として間伐を知らないまま人工林を作った地域も少なくない。
「間伐」という見かけだけの技術を伝えても、なかなか採用されないし、採用しても効果が出ないから見捨てられたのだろう。
それだけではない。
江戸幕府は、九州の挿し木苗方式の植林方法を全国に伝えようと企てたことがあったが、これも失敗。
明治初期にも、ドイツ式の優良種子を選抜して各地に導入する試みも大失敗。
また一斉造林・皆伐式を導入したら、山が荒れ果ててしまった。
実は、吉野林業を全国に広める動きも民間レベルで広がった(土倉庄三郎が旗振り役だった)が、これも吉野の技術者、もしくは吉野に学んだ技術者が長く指導したところ以外、ほとんど失敗。吉野式も特殊すぎて、真似られる地域は少なかったのだ。
戦後は、林野庁による大造林政策・拡大造林政策が取られたが、大面積皆伐や画一的な造林地がどうなったかは、言うまでもない。
択伐施業しかり、天然更新しかり。そして、そして今、またもやどこぞから技術やシステムを導入して全国に押しつけ、失敗を積み重ねようとしている……。
結局、一つの成功例に目をつけて、それを全国に応用しようとすると失敗するのだ。その成功した理由をじっくり調査して、それを他の地域に適用できるかどうか、適用するにはどんな手法を取るべきか、そうした研究抜きに持ち込むから失敗するのだろう。技術の根底にある精神を読み取らずに真似ても無駄なわけだ。
それを担当するのが林学であるはずなのだが……まあ、現実はお察しのとおり。
一つ言えるのは、林業ほど中央集権的な画一政策が適合しない産業系はないということだろう。すべて土地の風土に合った独自の技術と理念を築かないといけない。
ならば、日本の林学が今すべきことは、海外から成功事例をつまみ食いすることではなく、各地の過去の古文書を読んで、その土地で試みられた技術を発掘し、その成功・失敗を検証することかもしれないなあ。
たまたま見ていた林業の本。
そこの写真に「ヒノキの天然更新」と書かれていた。木曽である。
そういやそうだ。木曽檜は、天然更新で択伐施業を行っているのだった。
正確に言えば、350年ほど前に木曽檜はほとんど伐られてしまった。その後、尾張藩が植林を試みるが、うまくいかない。薄い土壌とクマザサの多い土地に、植林は向いていないのだ。そこで択伐と天然更新に切り替えるのだった。おかげで木曽檜は復活する。
結果論だが、択伐で日射量を調整することで、ヒノキ林の下から生えて遷移を勧めるアスナロの生長を抑えることができる。それがヒノキの生育も助けたのだろう。
日本では、択伐は難しい、天然更新は無理、という一方的な見方は、歴史が修正してくれる。
それはともかく、日本各地にはさまざまな施業法がある。気候、地形、土壌。風土の多彩さが多彩な林業技術を生み出したのだろう。
本当は、それらの技術を拾い上げるだけで、多彩…というより多くの山の多くの複雑な条件で林業を行うことに幅広く対応できるはずだと思うのだが。
残念ながら、その多彩な技術は体系だてたり後継者を養成するシステムには発展させられなかった。職人芸に留まり、見て覚えろ盗んで覚えろ体験して覚えろ、あるいは秘伝という次元に陥り広がらなかったのだ。
吉野だ京の北山だ尾鷲だ智頭、山武……といった有名どころ以外では、施業技術が地域で共有されて根付くことは意外と少なく、山主ごとに違ったりする。
だから日本の林業は事業ではなく、家業ではないかと思ってしまう。
ついでに言えば、家業の秘伝(^o^)の技術を体系化して、世間に多彩な技術を伝え、山の条件にあった施業法を指導するのも林学の仕事だと思う。だが、それをさぼってきた、というより、むしろ多様性をつぶし技術の画一化に邁進してきたのも、日本の林学の姿だなあ。
「ロビンソン・クルーソー」。「15少年漂流記」。漫画なら「ガボテン島」なんかも好きだったな。あるいはアフリカを探検したリビングストンやアンコールワットを発見したアンリ・ムーオなどのノンフィクション。
これらの共通点は、南洋のジャングルが舞台であること。だから私も南洋のジャングルに分け入るのが夢だったのだ。何があるかわからない、ごたごた詰まっている感が好き。その正体は、今なら「生物多様性」ということなのか。
そして初めて実現したのが、大学生のときに訪れたボルネオだった。
その後も幾度となくボルネオは訪問したが、だんだんジャングルに入るワクワク感より森林問題に目を配るようになった。でもジャングルの魅力は理屈じゃないだろう。
と、思っていたところに現れたのが、二村 聡氏だ(笑)。
以前、「バイオマス発電なんて」にコメントをつけてくださった二村・ニムラ・ジェネティック・ソリューションズ社長である。東京のセミナーにも来ていただいたが、彼の書いた記事が、日経ビジネスオンラインに掲載されている。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120727/235047/?mlt
そこで自らを名乗っているのが、「生物多様性至上主義者」という言葉(^o^)。
詳しくは読んでもらえばよいが、「経済政策」や「国家安全保障政策」よりも「生物多様性の保全」を重要と考える、「狂信者」なのだそうだ。地球温暖化や異常気象も、CO2の増大よりも森林の減少が原因ではないか、とする。
まあ、私も至上主義とまでは言わないが、生物多様性優先主義者なので(^o^)、なかなか納得できる。実はCO2の排出削減よりも、吸収量を増やすこと(森林の増大など)の方が簡単だと思うし、また温暖化してしまってからの対策の方が焦眉の急ではないか、と密かに思っている。密か、というのは、主張するほど理論武装していないからである(~_~;)。
そういや、すっかり影が薄くなったが、2年前の2010年は、国際生物多様性年であり、名古屋でCOP10会議が開かれたのであった。そして愛知議定書、名古屋ターゲットも決められたのである。ところが、いまだに批准したのは2カ国のみ。日本もまだ様子眺めではなかったか。
いまや震災の記憶さえ薄れがちだが、その前年のことも忘れないようにしたい。それに生物多様性がとくに高い熱帯のジャングルは、人と森林や林業の関係を考える際の基本と思う。
ついでに言えば、森に持つロマンの原点でもある(^-^)。
最近、FITもあって木質バイオマス発電に動きが急だ。
それについての考察は別として、前々から言っているように、なぜバイオマス「発電」なのか、ということについて考えてみた。なぜ熱利用ではなく、発電を求めるのか(FIT自体が、発電用のエネルギーを前提にしている)。
発電を推進する記事が目立つが、答の一つとして日経ビジネスオンラインの「バイオマス発電は林業再生の切り札」という記事にある。
「バイオマスの熱利用や地域の循環的な利用ができれば、もちろん望ましいが、まだこれから検討される段階であり、インフラ整備も必要となる。一方、電力はネットワークが整備されており、コストはともかく事業体制を整えやすい。」
それはそうだろう。しかし、それ以前より熱利用に対する熱意のなさを感じるのだ。
私なりの考察として、まず日本は基本的に温暖て、熱利用の期間が短いことがあるだろう。暖房がいるのは関東以南なら12月~3月の4か月くらいだ。温水も、大きな施設でなければ、あまり大量に使わない。
もっとも、ならば東北や北海道なら可能性があるわけだ。半年以上は暖房がいる地域はおそらく少なくない。
ここでは、別の心理的なことを考えてみた。
それは私がNPOの行ったバイオマスの研究実験プロジェクトに参加した経験で感じたことだ。
そのプロジェクトは、薪を燃やして温水をつくりつつ(つまりボイラー)、スターリングエンジンによる発電をもくろんだものだ。もちろんスターリングエンジン自体が未完成の技術ではあるが、そこに挑戦することに夢を感じたのである。
実際、スタートする際に、なぜ発電なのか、スターリングエンジンなのか、という議論じみたこともあったのだが、そこでは「熱利用だけでは夢がない」ことが語られた。NPOとして挑戦するのだから、新しいことに取り組みたいわけである。もちろん補助金を使うのではあるが。
この心理、それなりに理解できるが、実は行政マンも同じことを考えているような気がした。
NPOなら実験で済むが、自治体は税金を使うゆえ実用性を重んじるべきだと思うのだが、むしろ反対の作用が働いている。税金だから実験的に使ってもいいや、というような。
議会を通すにも、新しさが求められるのかもしれないが、担当者が、(使うのは税金だし)派手なことをやりたいと思っているような雰囲気が感じられる。温水だけなら、パッとしないので、自分の業績にならないし、予算を通しにくい…。
私が自治体のバイオマス計画に触れると、どう見ても赤字間違いなしのバイオマス発電計画が目白押しなのである。不思議と、普段は臆病な上に臆病に前例を重んじるのに、こういうときは夢をおいかけるのだ。
しかし担当者は数年でいなくなるが、赤字はずっと続く。夢ばかりでは困る。
こんなところは、もっと臆病に、保守的で硬い計画であってほしい。
ちなみに、奈良県は調査だけして実用化を保留した。ここでは新しもの嫌いの保守的な風土がプラスに働いたのかもしれない。
古いパソコンを立ち上げる機会があった。ブラウザを開くと、「お気に入り」に懐かしいブログが入っていた。
「森田稲子のブログ」である。
以前、このブログでも紹介したが、森田さんは第1プランニングセンターの経営者であり、会員誌「日本の森林を考える」の発行人でもあった。たしか若いころは全林協に勤めて林業に触れて、その後もずっと林業界に心を寄せてきた人だった。
彼女は、2009年12月に亡くなっている。独り身だったため、倒れた際に発見が遅れたことが致命的だったらしい。そして遺品も処分されたと聞いた。関わった人から伝え聞いたのである。
が、ブログはまだ残されている。内容は私との議論も含めて、森林林業に関することが詰まっている。
ブログは、本人が消さないと残されるんだなあ、と改めて感じた。こうした更新が止まったプログをサーバーの判断で削除することはあるのだろうか。その場合も、何か基準はあるのか。
私が、このブログや森田さんに触れた主な記事。
http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2008/12/post-1aaf.html
http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2012/04/post-241e.html
私が急死した場合、残るのは著作のほかに、このブログかもしれないなあ。ああ、裏ブログもあるが。私の文章は、書籍や雑誌記事とブログで、あまりに違いすぎる、と指摘されたことがあるが、こちらも人格(の一部)なのよ。でも、こんな遺産残して大丈夫やろか。
ブログは一過性、というのが私の立場であり、だからこそ書き飛ばしているのだが、それを残していいのか・・・・。
盂蘭盆会にふさわしい話だったかな?
世間はお盆入りしたのだろうか……。
今夏は生駒山も散歩しない(遭難しない)し、街も歩かない、庭もほったらかし。もちろん仕事だって、最小限。すっかりやる気のない日々を送っている。
だって、エアコンつけていないし。という言い訳も用意したおかげかもしれん。
だから今週はブログもお休みしようと思ったが……。あれ、たまたま繰っていたサイトにチラリと目に止まった言葉。
「地球温暖化対策のための税」。
http://www.env.go.jp/policy/tax/plans/2011/about.pdf
へえ。知っていた? 今年10月から施行するらしい。
で、中身はというと、全化石燃料にに対してCO2排出量に応じた税率を上乗せするというのだ。つまり、石油、石炭、天然ガスなどである。
これって、環境税とか炭素税と呼んできたものと同じではないか。日本で施行が決まっていたなんて、知らなかった。これまで話題に上がっても、常に潰されてきたのに。
肝心の税率だが、施行時は、289円/CO2トンからスタートし、3年半かけて段階的に引上げていくという。家計に対しては、3年半後で月額100円程度の値上げになるという。ただし、今の消費のままなら、である。節電・省エネが進めば、どのように影響が出るのかわからない。
税収は、平年で2623億円になるというから、そこそこよい財源になるだろう。FITと並んで、こんな政策が静かに(笑)進んでいたのか。
これは、もちろん環境省の所管だが、当然、再生可能エネルギーには課税されないわけだから、木質バイオマス関係のエネルギー利用にも追い風になるだろう。それなのに、あまり農林関係者は知らないのではないか。
庶民にとっては、増税と感じるか。それともエネルギー・シフトが始まったと感じるか。
先のセミナーで出席者からもらったDVDを見た。
これは、森林の集約化のための新しい営業ツールを紹介するもの。名付けて「スピリット オブ フォレスター」。フォレスターの魂、というわけだ。
内容は、まず日吉町森林組合の森林プランのような用紙を以て森林所有者のところに営業をかける職員が登場。いろいろ説明するが、
「(現況の)写真は小さいのが1枚だけか。これじゃわからんのう」と文句を言われ、
「字も小さくて読めないよ」と突っ込まれ、
「A材B材C材? それって何? 間伐と利用間伐はどう違うの」と専門用語にクレーム。
そして「ほかの案はないの? 一種類だけ示してオーケーしてくれと言われてもねえ……」とあっさり却下。
これを繰り返した営業マンは、がっくりしたのであった。
そこで登場する新しい営業スタイル。ネクタイ締めた男とスーツの女性が組になり、いかにも都会風営業スタイル。そして取り出すのはiPad。
タブレット(iPad)の画面で説明するのだ。
もちろん所有者の森林の現況も何枚もの写真で示し、地図でも確認。そして間伐率30%なら、伐った後はこんな姿になる! というサンプル画像も映し出す。さらに5年後の姿も。
それでは手取りが6万円にしかならないと所有者が不満の場合、伐採する木を劣性木だけでなく、太めも混ぜましょうかと……画面で数値を変えると、あっという間に計算されて手取り8万円にできます、というわけだ。さらに仮契約さえ、画面上にサインしてOK。
なるほど、iPadは、こうした営業ツールになるわけね。そして、こんなアプリも作られて売り出し中ということか。
しかし、実際のアプリには現況なりサンプルなり、結構事前調査やデータの準備に力を入れなくてはならないし、営業トークやプレゼン力自体も鍛えないといけないだろうな。つまり、使いこなす地力を身につける必要がある。今の森林組合には、そこが足りないのではないか。
フォレスターの魂は、森林コミュニケーション力にあり、である。
日本より欧米で売れそうだ(^o^)。
もっとも、林業関係者が当たり前に、この程度のツールを扱えないと本来はいけないのだが。
このところ毎晩、生駒山には花火が上がっている。
生駒山上遊園地で上げているものだろう。ポン、ポン、ポンという音とともに、わずかに打ち上げ花火の上の広がった部分が見える。なかなか優雅だ。
昨年は、花火一つ、焚火一つにセシウムが話題になっていた。京都の五山の送り火の薪騒動もあったっけ。
なんだか、みんな忘れたみたいになっているけれど、林野庁の調査報告が出ている。
http://www.rinya.maff.go.jp/j/press/mokusan/120809_1.html
大雑把にまとめると、
1、森林内の空間線量率が高いほど、樹皮や幹材の放射性セシウム濃度が高くなる傾向
2、スギでは、放射性セシウム濃度の平均的な比率は、樹皮:幹材=約1:0,04
3、放射性セシウムの分布割合は、樹皮:幹材=約7:3
ということかなあ。内容的には、極めて当たり前の結果だ。樹木の芯部までセシウムが移行するのは、まだまだ時間がかかるし、その絶対量も、極めて少ないだろう。
別の研究では、森林からの沢水にはセシウムが流出していないことも確認されていた。
そういや、環境省が、「森林全体の除染は不要」と発表し、反発を招いている。たしかに森林全体となると土壌や落葉層が問題になるのだが、除染は不要というより可能なのか? というべきかもしれない。
ともあれ、忘れず注視しておくことが大切だよ。なかには、「なかったことにしたい」人もいるようだけど。
出版社の人と最近の森林林業関係の話題を話し合った。
雑談である。が、今後の出版の方向性を考える意味もある。編集者は、基本的にこの業界の素人だから、一般人が何に関心を示すかの指標にもなる。
で、出されたのがTPP。なんだっけ、環太平洋経済連携協定……もう、忘れてしまっている。最近は、多少は野田総理が前向き発言をしたとかで取り上げられた気もするが、ほとんど政治課題にも上がっていないような気がする。
しかし、TPPは少なくても林業界にとってはほとんど関係ない世界である。だいたい関税のかかっている木材商品が少ない。
で、「今問題なのはTPPよりFITでしょ」と返事した。
FITとは、再生可能エネルギー全量固定価格買い取り制度である。
木質バイオマスの買い取り価格が異常に高い。とくに未利用材(林地残材)の価格が、業者の希望価格より高く設定されている。最近の木材価格の下落で、もはやC材やB材どころか、A材よりも高くある可能性だってある。つまり建材に回すよりチップにして燃やしてしまった方が儲かる、というわけだ。
そう思っていたら、2012年度経済財政白書に「買取り価格の妥当性の検証が必要だ」 と記されている、という報道を目にした。
え、え、え。7月にスタートしたばかりなのに、なんと政府の白書に疑問符がつけられたのだ。それもバイオマスだけではない。ソーラーや風力だって高すぎるという。
ドイツのFITは、あまりに高く設定しすぎて、このほど破綻?したと伝えられる。その価格とは、風力発電が約11円。ところが日本が決めた価格は22円。太陽光発電の価格は、ドイツはメガソーラー21.5円、家庭用は29円と分けている。ところが日本では分離せず、40円 (消費税込みで42円)。
そして木質バイオマスは、日本が32円ほどに対して9円である。
これは、やっぱりわざとFITを破綻に追い込んで、最後は原発に戻そうとする陰謀か?
と思っていたら、今晩のテレビのニュースでは、アメリカで日本がTPPに加盟することに反対する報告書が出たという……。TPPはアメリカの陰謀だという主張はどうなった。
どんどん混沌としてくるなあ。
最近疲れ気味で思考力が停滞気味なのだが、間違ってもTPPやFITに関する本は書かないよ。
たまたま、日本森林学会誌に掲載されていた論文「過去からの警告~1947年GHQフォレスターによる国有林やの未来予想~」(太田伊久雄・愛媛大学農学部)を読んだ。
いや、これが面白い(^^;)。内容は、日本の官僚行政の問題点を鋭く突いている。
太平洋戦争後、アメリカを中心とする占領軍総司令部(GHQ)は、日本の各産業の細部を調査している。林業も例外ではない。そこに送り込まれた一人が、アメリカのフォレスターであるリチャード・ヴァーネイ海軍中尉である。
そこで彼が見てきたものを、後に論文としてまとめている(「日本における林務官の地位」1947年)のだが、一種のルポと言ってよい。それを取り上げて、日本の戦後林政を振り返るというのが、この論文の趣旨である。
ヴァーネイは、山林局(現在の林野庁)の熊本営林局を訪ねた様子から記している。その日、そこでは林務官の選考試験(口頭試問)が行われていた。出席者は、二人の副森林局長。一人は技術者上がり。林学について深い知識と経験がある。また多くの部下から慕われている。もう一人は財務・経理担当で、東京帝大法学部出身の高級官僚。林学が専門ではなく、ヨーロッパ留学経験者。
……というような陣容で試験が始まるのだが、そこは省略して、ようするに日本の官僚組織には、技官と事務官がいることを紹介しつつ、彼らの将来歩む道を解説する。
言いたいことは、技官には出世の壁があること。そして組織を牛耳るのは、林業を知らない事務官であることが語られる。
「東京にある山林局本庁の長官は、帝国大学法学部出身で林学の教育もなく知識もほとんどない高級官僚である」。そして課長や営林局長クラスも大半が法学出身者で占められていると記す。
「あの法学出身官僚達は、能力以上の地位に就いています。彼らはあんまり勉強はしていません。何故なら、政府内の出世競争でうまく立ち回る術を身につけるのに忙しいからです。それゆえ、彼らには技術的知識はほとんどゼロで、官僚答弁だけが上手なのです」なんて、告白まで載せられているぞ。
アメリカでは、フォレスター出身者以外が森林局長官になることはありえなかったから、よほど奇異に感じたのだろう。
そして、「高級官僚グループの存在は、日本の民主化進展を阻害する最大の要因であると占領当局者はみている」
なんか、時代の差を感じない(笑)。これは昨年書かれた論文かな、なんて。ただ、実際に考えさせられるのは、ヴァーネイ論文引用後なのである。
ヴァーネイ論文の発表後、GHQの圧力なのか、山林局長官に技官出身者が選ばれ始めたのだ。そして、代々の林野庁長官は技官出身者が任命されるようになる。
実は、戦後の林野庁は、技官の牙城とされていた。つい最近まで技官出身者がトップに就くことが続いていたからだ。アメリカのフォレスターが望んだ状況になったのだ。
で、ここからは、本論文の執筆者太田氏の意見だが、「国有林野行政は、半世紀を経て、世界の先進諸国の中では例を見ないほどの失敗といわざるを得ない状況を招来してしまっている」。これは国有林が見るも無残に荒れてしまったことを指しているのだろう。
なぜ、森林事情や林務に長けた技官がトップ中枢を占めたのに、こんな事態になったのか。
それを、技官出身の中枢が、かつての高級官僚と同様に、特権的な階級を形成し「封建的な」システムを組織の中に再び構築してしまったからだ、とする。
一応、周辺事情を鑑みれば、戦後の木材不足の中で国有林の木を伐るよう政府マスコミ上げての圧力があったことと、国有林は独立採算制になり、木材バブル期には一般財源に貸し出すほど利益を上げていたことも堕落する理由になるだろう。一方で労働争議の多発や赤字対策に技官が対応せざるを得なく、本来の理想を掲げられなくなった。
ヴァーネイ氏は、「フォレスターが森林を管理する限りにおいて、国有林の荒廃が進むはずがない」と思っていたらしい。が、日本では違ったのである。
ちなみに、現在の林野庁では、いつのまにやら技官ではなく再び事務官がトップになるのが当たり前になった。最近では局長、部長クラスも……。もはや技官に任せておけなくなった、ということかもしれない。
林学に詳しい人がトップでも林政が失敗したというのは、日本という国の林学教育や森林政策に、どこか重大な欠陥があったから……と太田氏は記す。
私は、林学出身者か、法学出身者のどちらがいいという次元ではないと思う。結局は、どんな出身の人材でも重要なのは、目をどこに向けているか、なんだろうね。
本気で日本の国土を守る気概はあるのか。森を愛しているか、林業が好きか、山里の民をリスペクトしているか。出世と森林と、天秤にかけて、さあ、どちらを選ぶ……。
それらが欠けていたら、技官であろうと事務官であろうと、林学知識があろうと経験豊富であろうと、決してよい結果は生まないだろう。形ばかりの制度は、形骸化するだろう。
さて、東京ではセミナーに「も」出席していた(笑)。
「誰が日本の森を救うのか2012」in東京である。会場は、神田の街、と言っても、古本屋街から離れたJRの駅近く。
参加者は、約80人でほぼ満席。なかには、懐かしの顔もあって、何年かぶりに会う人も。またブログのコメント欄やツイッターで知り合った人もいる。
なんとパンダやシカやオジゾー様もいた。シカの顔が出たのは、勇気ある。今後はみんなこうであってほしい。カブリモノすることにホコリを持たなきゃ(^o^)。
肝心のセミナーは、私が先に講演したわけだが、そのためのパワポを作る際、興に乗って? 膨大な量になってしまった。全部で73枚。通常なら、これを使って話せば2時間はかかる。が、主催者は「50分で」という(;_;)。
では、削るか。しかし、後半のスイス林業については残したいな。だって、せっかくのスイス視察なのに、どこにも発表舞台がないから。
でも前半(日本の林業事情・分析)を圧縮すると、本来の意図が舌足らずになる。
……というわけで選んだのは、「早口でしゃべること」であった(⌒ー⌒)。
もともと私は、話しだすとだんだんと早口になる傾向があるが、今回は意図的に初っぱなから早口。その後もどんどんスピードアップ。次々と画面を繰っていく。多分、聴衆は、画面を追いかけるのも大変だったろう。
そのため文字で記した部分は先にレジュメ替わりに印刷して配布してもらい、写真でたっぷり見てもらうことにした。
結果的には、やはり50分で収まらず10分近くオーバーしたように思うが(演題の目の前に、巨大なタイマーが残り時間を刻んでいるのだよ)、まあまあ、最期まで行き着けた。
早口でどんどん繰るという前提で気をつけたのは、話の流れである。何しろ情報を反芻する間を与えられない。考え込まれたら、多分ついてこなくなる。
どのようにストーリーを転がすか、が重要であった。
まず、日本人の森に対する意識の変遷(戦後編)を示して、「国産材を使えば、森を救うことになりますか」という投げかけをする。
次に、日本の林政史(明治以降)を示して、ドイツやスイスなど外国から取り入れた林業・林学理論と日本の動きを示す。その上で、現在の森林・林業再生プランを位置づける。
そして、今の林政・林業に足りないもの、欠陥を指摘する……という流れにした。
その解決法として、「質の林業」を提起した上で、スイス林業を事例として示す。
う~ん、完璧だ(笑)。
これは講演だけでなく文章もそうだが、理解してもらうためには、話し方が巧い、よい表現をする、たとえ話を入れる、ときに笑いを取る……などの技術はあればあった方がよいが、もっとも重要なのはストーリー・話の流れだと思っている。今回は帰納法で行くか、演繹的手法か、いきなり話を飛ばしたように見えて、また元の話題にもどってこれるか……個々の情報をつなぐことによって、人は理解するのだと思うのだ。
実際にどこまで理解してもらえたかはわからないが、今回の講演のテーマは、林業や木材業界から消費者までバラバラの関係者を「つなぐ」「コーディネートする」ことだから、講演内容もつながなくちゃね(^o^)。
先週末、金、土曜日と東京に行ってきた。
で、何をしてきたかと言うと……。
金曜日と言えば、やっぱ、脱原発デモでしょ!
ちょうど行く用事があったからではあるが、参加したいと思ったのは、今の日本が動く、動こうとしている現場をやはり見ておきたかったこと。スイスで感じた直接民主主義の片鱗を日本でも感じることができるかという気持ちもあった。そして、もう一つは日本人が負うべき福島に対する負債を多少とも私も背負うことを表明するつもりで。ちなみに、マスコミで盛り上がってきたから、というわけではない。私は、これまでも静かに大阪の関西電力前のデモにも参加している。
暑い日差しの中、そして猛烈な警備で締め出される中、結局、官邸前に近づくことはできなかったが、ひたすら歩き回り、眼に納めてきた光景の中で、いろいろ考えることができた。
スイスの製材複合施設を訪れたときのこと。
案内してくださった工場の人が、雑談で日本の森林について聞かれた。向こうにとっては、日本は工業国であり、あわよくばスイスの木材および木材商品を輸入してくれると思ったようだ。
ところが答は、森林率は7割に迫り、使い切れぬほどの樹木が育っていることだった。すると彼らの反応は「おお、宝の山を抱えているのか!」
なんたって、スイスの森林率は30%前後だ。しかも十分な木材生産が成されているとは言えない。本当は夏でも冬でも安定して木材を出してほしいのに、全然出てこない……のだから。
だが、日本の林業の苦境を聞くと、「なぜ?」である。スイスにも日本と同じような産業構造の変化はあったが、構造改革して現在にいたっているのに、日本ではどうして旧態依然なのか。
誰も応えないので、仕方なしに私が「補助金が出たからだ」と応えた。「苦しいときに補助金で支えたから、改革しなくてもよくなった」。
こう言うと、納得してくれた(笑)。
ところで、明治政府は、江戸時代からの産業構造を早く脱却するために、外国人を多く雇った。いわゆるお雇い外国人である。有名なところては、「少年よ、大志を抱け」のクラーク博士とか、砂防に尽くしたデ・レーケ、温泉博士として知られるベルツ、そのほか軍人とか、牧師で教育者は数多い。
実は林業界にも幾人かのお雇い外国人がいる。マイル。グラスマン。ホフマン。。。。
現在も、林業改革をしようと、多くの外国人フォレスターが招聘されている。が、所詮は数カ月しか滞在していないんだよね。そして全国を回って、その場で日本の林業現場を見ては「アドバイス」をする。
しかし、山の環境も歴史も違うのに、そんなその場限りでいいのか?
実は、主にドイツ式とやらのフォレスターに「アドバイス」されて、憤激している人はたくさんいる。私のところにもチクリ・メールが来る(^^;)。そりゃそうだ。欧米の経験をそのまま日本に適応するな、と言いたくもなるだろう。
こんな短期間ではなく(それも半端ではない経費をかけて)のではなく、はっきり1年2年と日本(できれば同じ地域)に滞在させて、がっつり日本の森林、日本の自然環境、日本の林業の歴史を学んでから、アドバイスさせたらどうだ。そして、技術ではなく、思想を教えてもらうべきだろう。研修受けるのは、現場の人ばかりではなく、トップの為政者・行政者・経営者であるべきだ。そして、その思想に基づいて、新しい日本式の林業を模索すべきではないのか……。
なんでも現場、現場というのではなく、林業の根幹を貫く思想を学び、それを日本の現場に融合させていくのが為政者・経営者の役割だろう。そうしたら、経済状況から林業が苦境にあったとき、安易な補助金投入なんて手段は取らなかったのてはないか。
なんか、改革方法を現場に丸投げ(それも欧米フォレスター任せ)するのは、仕事から逃げているような気がする。
今週末、8月4日は、地元・生駒の「どんどこまつり」であった。
私は、東京のセミナーに出るため欠席せざるを得ないが、実は毎年模擬店を出している。もうかれこれ10年以上になる。
売るのは、最初の頃はフランクフルトに焼き鳥、綿菓子もあったし、飲料も扱った。近年は、もっとも楽で利益率の高いフライドポテトに定着している。
もちろん、私個人ではない。当時は娘の学童保育関係であったし、今は当時の保護者の有志だ。今では私も手抜きになって、ほとんど実務は任せきり。わずかにフライドポテトを揚げることと、客の呼び込みくらいである。これだって技術もいるし、猛烈な熱気の中で行うのは大変。今年は、それもしないわけだが。
だが、最初はまなじりを決しての出店であった。なにしろ、ここで利益を上げなければ学童保育所で始めた延長保育制度が崩壊しかねなかったからだ。私が仕掛けて立ち上げたこの制度、最初は何の補助金もなく、自主運営。赤字がかさんでいたのを、この模擬店の利益で払拭しようという勝負の場であった。
当然、いかに利益を上げるか、販売戦略を練る。
ところが伏兵があった。いかなる素材を使おうと、市が販売価格を一律に指定してきたのだ。同じ品目で模擬店に価格差があってはいけないという、役所ならではの発想。私は、かなり大きく上等なフランクフルト・ソーセージを準備していたのに、価格がほかのスーパーで仕入れた安物と同じにされては利益が出ない。かなり焦った。
……結果は、圧勝であった。早い時間に全部売り切ったのだ。そこで、なんと売れずに困っていた知り合いの店の焼き鳥(冷凍の串)を買い取り、それをこちらで焼いて販売するという作戦に出た。詳細は省略するが、みんなの協力により、売り切って見せた。保護者も子供らも必死になった総力戦だった。祭の終末には一気に串の数を増やして、売れ残りを一掃。全部売り切った。翌日のない祭で、在庫を抱えるわけにはいかない。
そして赤字を埋めるに足りる利益を上げたのである。
……こんな思い出話(自慢話か?)をするのは、現在の木材価格の下落から連想したからである。
価格設定の上限を決められている中で販売する、利益を出すには、ものすごい知恵と努力が必要なことを身をもって知ったのだ。
これまで国産材が売れないのは、価格が高いから・・・と言い訳されてきた。実は高いのは役物だけで、一般材は外材より安かったわけだが、それに目をつぶってきた。
しかし、価格は十分に安いと指摘されると、今度は安定供給できないから、と来た。さらに乾燥させていないことも問題として、売れない理由付けになった。
そこで新生産システムなどで、大量に安定供給できる仕組みを税金注ぎ込んで作った。乾燥もさせた。
外材と価格を拮抗させ、安定供給、安定品質を達成した、さあ、これで国産材は売れるぞ、と考えたわけだ。だが、国産材の需要は伸びない。しかし、どんどん伐採されて市場に出てくる。伐出経費は補助金で賄うから、業者は赤字にはならないからだ。結果、丸太がだぶついて価格が暴落する……こんな有り様だ。
祭の模擬店で、フランクフルトの値段を同じにしたら、どの店も同じように売れる……と考えたのと発想は似ているかもしれない。いや、条件が同じなら、国産材を買ってくれるに違いない、と消費者の愛国心に期待したのかもしれないが、甘かった。
やっぱり売るためには、プラスαが必要なんだな。売る努力という。
今は、運営ノウハウをため込んだから、楽しむための店だ。最小限の労力で儲ける体制が確立している。そもそも儲ける必要もない。利益も打ち上げ費用になる。
今年は私は参加できないが、娘(とその友人)らを送り込むことに成功。彼らに働かせて、私は打ち上げだけに参加しよう(⌒ー⌒)。
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