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森と林業の本

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2012/09/10

100年前の台湾の図絵

興味を持つ人がどれだけいるか疑問だが、貴重な写真をお借りした。

約100年前の台湾の絵である。

土倉庄三郎の次男龍次郎は、1895年12月に台湾に渡り、事業を展開した。この年は、日清戦争が終わって、日本か台湾を領有し始めた年だから、日本人としてはもっとも早い時期に台湾の山岳地帯を調査したことになる。

だから私は、龍次郎を最初期の台湾探検家と位置づけているのだが、現在は台湾の水力発電の創業者であり、樟脳事業の創始者でもある。そして、やはり育成林業の父でもある。

台北の南部、亀山という山間部に事務所を構えて、1万ヘクタールもの山林を借地して造林したのだ。台湾では、植林して育てて収穫する林業は、おそらく最初の試みだろう。

亀山の植林事務所はクスノキで建てられ、まるで城郭のようだったそうだが、敷地内には物品交換所が設けられており、高砂族(台湾先住民)と交易を行うほか、川と池があり、その向こうに苗畑があったそうだ。
苗畑の広さは15万ヘクタールにもなり、スギ苗150万本、ヒノキ50万本、ケヤキ70万本、さらに熱帯の樹木105種類1000本の苗とキリの苗も1万本も生産した……。この数字をそのまま信じてもいいのかどうかわからないが、その図の画像をいただいた。

059

  

その土倉事務所の図である。

よく見ると、丸太の積み上げた土場もあるし、なんと汽車が走っている。もっとも、動力がない(^o^)。










そして、もう一つ。

056


これは、台湾で発行された書物の挿絵らしいが、「土倉造林地中」と書かれているから、土倉龍次郎の借地した山の作業風景なのだろう。

こんな木材運搬法を取っていたのだろうか。


 
  
 

台湾林業と日本の関わりを調べてみたいと思う、今日この頃。日本の林業に飽きた?  いえいえ、そんなことは……(~_~;)。

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土倉家の人々」カテゴリの記事

コメント

日本での遭難に飽きたので、
台湾で遭難しようとしているのですね。

次回の本は、「台湾遭難記」。。

そうなんです(~_~;)。世界中で遭難して、本を書こうと……。

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