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本の紹介

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2012年9月

2012/09/30

書評『森林の江戸学』

書評シリーズ? 第三弾は、

森林の江戸学 徳川林政史研究所編 東京堂出版刊

実は、3冊の中でもっとも早く購入していた。が、完全に全項目を読み切ったわけではないので書きそびれていた(~_~;)。
ただ、この手の本は、最初から最後まで通して読むというよりは、各分野を拾い読む方法でもよいのではないかと思う。

内容的には、概説編と基礎知識編に分かれており、とくに後者は、「日本の森林」「森林の保全と育成」「伐木と運材」「流通と市場」……「村の生活と森林」といったように項目別で、さらに細かく分かれ、筆者も各々違う。

気に入ったのは(気になったのは)、タイトルだ。(江戸の)森林学ではなく江戸学で、それを森林、主に林業から見る趣向である。これは、私が思案している「森林から見たニッポン」と同じ視点である。

ただ具体的には、江戸と言っても、町としての江戸はあまり出てこず、江戸時代の社会全般に触れているわけではない。やはり江戸時代の森林学なのかもしれない。実際、前書きには、「環境問題までも見据えた森林管理、活用の歴史」を描いたとある。

概説編で触れられるのは、やはり森林荒廃だ。いかに乱伐が山を荒らしたのか……。これは今回の3冊に共通する認識である。

江戸期の過伐による禿山化と、一転保護に向かう転換が描かれ、また伐採・運材の技術進歩も取り上げている。そして最後は、明治になってからの近代林政へとつながっていく。一方で、現代の林野庁が仕掛けた拡大造林策などにも触れている。

江戸時代の森林政策の変遷を、次のように語る。最初の百年は新しい国づくりの過程で、無秩序に乱伐し、次の100年で利用を抑制しつつ人工造林で資源を増やすことを試み、最後の100年で森林の保続と活用のバランスを考えた時期、と。

そして明治になると、また新しい国づくりを行うために乱伐……。これを援用すると、戦後日本も、新しい国づくりに林業は利用されたのかもしれない。そして、今またバブル崩壊後も……。

そこから浮かび上がるのは、江戸~明治にかけて歩んだ日本の森林の歴史を、今また繰り返しているのではないか、という姿だ。とくに明治維新後の中央集権的政策展開の危険性を示唆している。




ただ、不満もある。

編者は、尾張徳川家が創設した研究所であり、登場するのも木曽林業を中心とした中部から東北にかけての林業地が舞台である。だから、西日本や関東の林業地が手薄な印象を受ける。しかし、林業とは都会の需要と結びついたものであり、大坂・京都、そして江戸の町の巨大な木材需要を外しては、大きな錯誤を生み出さないか。
とくに発達した民間林業を抜きに、領主的林業を中心として論じるのはどうだろう。現在、伝統的林業地として名を残す地域は、民間林業が多いことを考えると片手落ちである。

また用材利用を中心に置いているため、薪などのエネルギー利用に関連した部分が弱い。木炭については多少後半で触れているが、圧倒的に需要があったのは、薪なのだから。

……とまあ、思うところはあるが、いつか第二弾を出してもらうことに期待しよう。歴史的視点から林業を見ることの大切さは伝わってくるよ。

2012/09/29

書評『森の「恵み」は幻想か」

昨日に続いて水文学の研究者による森の本。

森の「恵み」は幻想か  蔵治光一郎著  化学同人刊

著者は、東京大学大学院の愛知演習林勤務。平易に書かれてあるし、日本の森と水害の歴史から書き起こすなど、『森林飽和』とも似通ったところもあるが、内容はかなり専門的だ。全体に森と水の関係を主軸に論じている。

まず森の働きを「機能」(サービス、恵み)と「作用」(メカニズム、機構)に分けて、人間の都合という観点が入っているかどうかを分けている。そのうえで、最近の研究の知見を紹介し、水と森の関わりを説明している。

一般に(というか私が)よく話す、「森は水を溜めない」とか「水を消費する」「水と土壌」などの問題も、これによると極めて細かな条件によって違いがあり、どちらとも言えないというのが正解らしい。

興味深い研究成果を紹介すると、樹冠遮断作用についての研究がある。降雨のうち6%くらいは地面に到達する前に森林の樹冠(枝葉、樹皮など)に留まっている結果が出た。調査によっては20%に達したこともあるという。これらは、土壌に浸透する前に蒸発してしまうらしい。土壌だけを見て、森林の水源涵養を論じていたら、穴があるかもしれない。

そのほか、「緑のダム」など水に関する論点が多いが、木材産業やエネルギー面からも森林を論じている。

一つ一つの内容を吟味して読んでいると、結構難しいので疲れる(^^;)が、全体を通して感じるのは、人の都合で森林(自然)を見るな、ということかもしれない。

あとがきで「自然は人間にとって好都合な機能を備えている」は、おとぎ話だと記している。これは私も如実に感じることである。森林に限らず、自然崇拝カルトに近いものがあり、必ずしも自然に任せておけば万事うまく行く、なんてことはない。
水だけでなく、最近は、放射能までEM菌が分解?してくれるとか、特殊な土壌が吸着して無化してくれるなんて言説が飛び交っている。

そんな信仰を打ち破る理論武装にも使えるだろう。

2012/09/28

書評『森林飽和』

今更……と思いつつ、少し読み進めた本の紹介を行っていこう。

まずは森林飽和 国土の変貌を考える 太田猛彦著  NHKブックス

著者は、森林水文学や砂防工学の権威。日本森林学会などの会長を務め、林政審議会委員とか委員にも付いている。また現在はFSCジャパン議長。

本書が述べていることは、ひと言で言えば、古代より日本の森林は人為によって変化し続けたということ。とくに里山などは荒れ地そのものだし、海岸の景観などにも影響を与えてきた。明治期までは、日本は禿山だらけだったことも強調している。

ところが戦後は一転、日本の森林は回復してきた。それは林業の衰退とも絡んでいる。そして洪水など水害の減少や海岸の砂浜が姿を消していく理由の一つにもなる。また森林が水を溜めることはない、CO2を吸収することの誤解、などにも触れる。

……こうした論調は、私自身が繰り返し語ってきたことでもあり、さして意外感はない。(私が、太田教授など多くの研究者の成果を知って影響を受けたのである。念のため。)ただ、そのスケールは、想像以上に大きい。森林が日本の国土に与えてきた影響(プラスもマイナスも)は、森林地帯に限らず、様々な環境に広がる。

一方で、さすがは研究者。細部になるほど、と思わせる説明がある。

たとえば降水による表面浸食に関しては、木があるかないかよりも、地面に草が生えているか、落葉層があるかないか、ということが需要であること。木があっても、裸地だったら土壌はえぐられ流亡する。雨粒が裸地に衝突すると、土粒の隙間を埋めて水を吸い込みにくくするクラスト層を作るからである……。

もっと林業的に重要なのは、水害時の流木問題だろう。昨年の水害でも、流木が被害を大きくしたとして、その流木は切り捨て間伐のせいだ、という論が現れたが、それを一刀両断にする。

「流木は、森林が成長している証」「禿山から流木は出ない!」(^o^)。

流出している木の種類と量を調べたところ、上流の天然林(広葉樹)と人工林(植栽木)の面積割合と同じだったという。つまり、人工林だから、切り捨て間伐だから、流木が出るという証拠はないのである。はい、一件落着。

全体として治山・砂防から見た日本史的な面白さも含んでいて、オススメ。最後には、日本の森林政策への提言も書かれている。

※サイドバーに登録。本に興味が湧いたら、クリックして、詳しい内容をチェックしてほしい。

2012/09/27

不思議な写真~原六郎と内田政子と土倉庄三郎

このところ、土倉家の写真を整理しつつ、写っている内容を吟味している。

すると、不思議な一枚に出会った。

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一見、何の変哲もない集合写真。

座っている真ん中の老人が土倉庄三郎である。




どうやら家族写真らしいが、後ろの列の右が、庄三郎の次女・政子である。アメリカに留学経験もあるから 洋装なのはわかるが、帽子まで被って何かヘン。ちなみに後の外務大臣内田康哉と結婚して内田政子になっている。

そして後ろの真ん中が原六郎である。長州戦争から戊辰戦争まで官軍側として駆け抜けた維新の立役者であり、明治財界の大物だ。横浜正金銀行頭取にして、数々の企業を立ち上げた大金持ちでもある。なぜ彼が?

実は庄三郎の長女・富子が、原六郎の元へ嫁いでいる。とすると、前列右の女性が富子かもしれない。が、後列左の男性は内田康哉ではない。前列左の女性もわからない。

それにしても、複層はバラバラ、表情もイマイチ変だ。六郎の視線はどこに向いているのか。(目が黒く抜けているのは、写真に落書きされたのではないかと思う。)

まさか合成ではないと思うが、これがどこで撮られたのか特定できたら、庄三郎と六郎が同じ紙面に写っている、結構貴重な写真になると思うな。

2012/09/26

『十津川村大水害の記録』

連日の「お届きもの」だが……。

奈良県十津川村から『十津川村大水害の記録』が届いた。昨年9月2日~の紀伊半島大水害に関する記録である。1年目にして、こうした世間向きの報告を作ったことに感心する。

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A4版のカラーパンフレットみたいだが、いやはや、私も初めて見た写真が結構ある。頭では知ったつもりの被害も、こうして改めて見ると、新しい発見というか、想定していたものとは違う災害の姿が見えてくる。




橋や道路など交通路はもちろん、電話もテレビもインターネットも不通になったという点は、想定外の全電源喪失を起こしたどこかの施設と似た状況かもしれない。

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十津川中学校が、周りを水に取り囲まれるような事態になっていたことや、尾根筋の林道沿いに崩落が起きていること。深層崩壊の規模が幅950メートルにも達していたこと、高低差でも数百メートルあること、川に流れ込んだ土砂がいくつも重なり津波が発生していたこと……など。

こういう根こそぎ流し去るような災害を目の当たりにすると、森林の役割なんて小さなものだ、という気がしてしまう。



そして120年前、明治22年にも、同じような規模の大水害が十津川村を襲ったことを思い出させた。

私が土倉庄三郎について調べ執筆している最中にも、この明治の水害は登場する。庄三郎は、十津川水害に際して莫大な援助をしている。それも匿名だったため、記録に残るのは500円だけだが、実際はその数倍に上ると聞く。

今回、その役割を果たしたのは、新十津川町だろう。明治の災害後、多くの人が北海道に移住して開拓に従事し作ったのが、新十津川町である。その町が、今回は膨大な支援を行っている。金銭物資だけに留まらず、職員の派遣にも及ぶ。
実は新十津川町に、十津川村民の血を引く住民はそんなに多くないそうだが、歴史の記憶が引き継ぐのだろう。その意味でも、記録は大切だ。

ところで、この冊子の裏表紙には、こんなロゴとキャラクターが。

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ロゴはともかく、ゆるキャラ「郷士くん」は、2009年に作られたものだけど、「心身再生の郷」の幟は、なんだか意味深だね。

2012/09/25

「Rikejo」とは何?

私が一部執筆した「Rikejo」が届いた。

「Rikejo」とは何か。日本語で書くとリケジョ「理系女」、である。副題が「理系女子応援マガジン」とある。

つまり、進路に理系を選ぶ女子向きの会員制雑誌なのだ。読者層は高校生女子のほか、多少は大学生女子や研究職の女性も混じっているらしい。基本は、理系分野の受験や卒業を控えた女子学生だ。

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こんなシンプルな体裁。
講談社発行だが、会員誌だから、一般の目には触れないだろう。もっとも、私の娘も理系女子なのだが、全然この雑誌のことは知らないようだ。どこで知って会員になるんだ?

 

理系女子は少ないながらも昔からいたはずだが、彼女らをリケジョと呼ぶとは知らなんだ。最近かね。でも肉食女子、林業女子というような「~女子」スタイルが流行っている今、あえてさらに省略して「ジョ」である(笑)。

ちなみに内容は、受験案内はほとんどなく、文字通りリケジョの紹介と、彼女らも関係する理系の職や研究内容、さらにオシャレや料理コーナーまである。もちろん、そこにも「科学の視点」が入っているのだが……。読者モデルにはカワイイ子も多く、パラパラ眺めていると、なかなか萌える(笑)。振り返ると、私は昔から理系女子に弱いんだよね……。

ということはドーデモよく、今回18号では、森林科学を取り上げている。だからこそ、私の出番もあったわけだが、特集「森の声が聞こえる」は、全7ページ。

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見開きは、こんな感じ。なかなか、よくできている。

森林科学が、林業・木材産業を包含しつつ、環境ともつながっていることを示す。

かつて、森林の研究がしたければ、林学科しかなく、入ってみれば林学=林業学であったりする。理学部の生物学系でも、多くは形態学や生理学だったりした。生態学的な講座は狭く、森林を扱うのはさらに狭かった。それに比べたら、今は学問分野としては広がったものだと思う。もっとも、その分林業学は狭くなってきたが……。

私は、理系の人間には、「文系分野を知らずに理系を勉強するな」と釘を刺しているが、文系人間(大方の人々)には、理系的な発想や科学の基礎知識を身につけずに語る文系学問を「底が浅い」と罵倒している(笑)。

とくに森林科学は、微細な細胞や遺伝子のレベルから、種、群、生態系と地域全体まで捉えるし、加えて地理や歴史、そして人間社会、そして法律や経済も知らないと全体像を見誤る。

(未来の)森林研究者(♀)諸君! 健闘と活躍を祈る。

2012/09/24

スギの四方無地

昨夜、某林業家から聞いた話。

「スギの柱材取る18㎝径の価格が高騰している」。

なんでも立米7万円とか。。。

ええ? という感じ。その理由・条件は、「四方無地が採れるもの」である。

今更、四方無地が……。

説明するまでもないが、柱にした際に、四方どこにも節がない柱材を四方無地という。かつては超高価格の木材商品であった。銘木と呼ばれ、一本何十万円するケースもあった。

なんたって、住宅と言えば和風であり、そこには床の間をしつらえた畳の間があり襖で仕切ってあり……。そして部屋の真ん中にある柱は、どこから見ても節がないことを尊んだ。そのため林業地では競って枝打ちをした。

もともとスギは枝打ちをしない。せずとも密植していれば、下から枯れ落ちるし、そもそも節があってもなくてもスギ材の場合は気にしないことが多かった。だが、戦後の住宅ブームで、差別化を行うため、節が少ないほど、無節ほど高い値がついたのだ。そこで、スギの枝打ちが流行った時期がある。

しかし、それもバブル崩壊後は壊滅状態。景気が悪くて高い材を使わなくなったこともあるが、和風建築自体が減ったからだ。柱も襖がなくなれば壁に囲まれているから、四方は見えない。三方も減り二面だけしか表に出ない。

そして大壁構法となり、洋風住宅になると、柱自体がクロスで覆われ見えなくなった。

かくして、苦労して枝打ちしたのに、並材以下の値段しかつかなくなったはずだが……。

四方無地の柱が高くなった理由は、簡単であった。

いくら需要が縮んでも、多少はある。今も和風住宅は建つし、数寄屋造りを求める施主も多少はいる。そしてスギの柱を求める施主も極めて少ないながらいる。

が、スギで枝打ちした木など、ヒノキならともかく、もともとそんなに多くない。いくら求めても市場にないとなれば……。

かくして需給バランスが崩れたのだ。品不足になれば価格が上がるのである。

皮肉な話ではある。が、チキンレースのように、今までスギもていねいに育ててきた山主にとってはチャンス到来か。もっとも、スギだからと安値でたたいて購入して、その中から四方無地になる材を探し出して、うまく転売するのが一番儲かるo(^_-)O。

ニッチの中のニッチを狙ったビジネスも、あるかもしれない。ただし、情報が勝負だ。どんな材が希少価値で高くなっているか。どこで高く取引しているのか、肝心の材はどこにあるのか。みんな情報をつかんでいなかったら、チャンスは逃してしまう。しかも、高値取引は瞬間風速かもしれないから、すぐにブームは去るかもね。

2012/09/23

万燈会

昨夜は、地元の宝山寺の万燈会だった。

実家からの帰り、ふと思いついて寄ってみる。ほとんど終了間際であったので、何も催していず何ももらえず(^^;)、でも人の数が減っていたので、灯火を眺めるにはよかったかと思う。

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本堂の背後にある絶壁・般若窟は、ここに役の行者らが修行した場所とされ、宝山寺の出発点。ここに火が灯されると、なかなか風情がある。







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境内には、灯火の列。

お香の匂いと煙が立ち込める。





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奥の院への道行きも灯火の列。

ここが結界で、この上は幽の世界に入るとされるのだが……。

ちょっぴり疲れた心が癒される……?





ちょっと高野山を思い出した。お寺って、セラピーになるのだな。

2012/09/22

つくりたい森は……

昨日、速水さんの『日本林業を立て直す』を紹介する中で思い出したのだけど、林業大学校では、さまざまな森づくりの手法を紹介した。

一斉林複層林、針広混交林、法正林に恒続林

施業も、間伐一つとっても劣性木間伐、優勢木間伐、ついでに将来木施業。そして無間伐
また定量間伐として列状、群状、皆伐なら大規模皆伐、小規模皆伐。列状皆伐? それに択伐、傘伐。天然更新

一方、歴史編では、ヘクタールあたり1万本の密植から1000本以下の疎植まで。また京都という土地柄、伏状台杉のような株仕立(萌芽更新)による木材生産も触れた。

まあ、てんこ盛りだ(笑)。とくに系統立てたというより、「思いつき」に近い。つまり、このブログと同じ(⌒ー⌒)。

講義時間は二限に分けて3時間もあったが(のどか痛い……)、とても全部ていねいに説明仕切れないから、詳しい内容は常勤の先生方にお願いするとして、林業にはさまざまな手法があり、めざす森にもさまざまな形があることを知ってもらおうという魂胆だ。一般に思っている林業=針葉樹の一斉林だけではない。間伐も劣勢木を伐るだけでない……ということを示すのが目的である。

その上で、「どんな森づくりをしたい?」「どんな手法を使う?」という問いかけをした。最後には全員(と言っても20人ほどだが)に応えてもらった。

正直、半数近くが10代だし、強い意志を持って林業を目指した人ばかりではないだけに、目標とする森なんて、ピンと来なかっただろう。いや、社会人からの転進組も、いきなり初めて聞くようなさまざまな森を示されて、どれか選べと言っても、困ったかもしれない。むしろ、これを機会に考えてもらうのが目的だ。

だけどね。自分が好きな森、つくりたい森を頭に描かず、林業(ようするに森づくり)するのって危険だよ。目標を決めるから手法も決まるのだし、仮に諸条件(気候や地質などの環境や経済や災害まで)が邪魔しても、何か手立てはないかと考え、どこまで妥協するかとか、逃げ道や遠回りしつつ目標に近づく手法などが生まれるのではないか。

生徒の答の中では、意外と恒続林が多かった。美しい写真を見せたからだろう。ただ「儲かる林業」と応えた生徒も複数いたし、なかには法正林がいいという者もいた。

さあ、今後彼らは何を考えどんな勉強をするだろうか。

講義の帰り、京都市内で娘と合流、一緒に食事した。

あんまり芳しくない前期の成績の話を聞いて、「目の前の木を伐る前に、どんな森をつくりたいか考えてから伐るのか植えるのか考えろ」と、思わす授業の延長のようなお説教。珍しく、素直に聞いておったよ(^^;)。

2012/09/21

書評『日本林業を立て直す』

このところ、結構な量の森林林業関係の本を購入している。……のだが、読むのが追いつかない。

それでも、昨日の林業大学校への往復時間なども費やして、ようやく速水亨著の『日本林業を立て直す』(日本経済新聞社)を読み終えた。

すると、今日になって日本経済新聞社から『日本林業を立て直す』を贈呈されてきた(;´д`)。

も、もう少し早くしてよお……と、贅沢なことを書いてはいけません。感謝、感謝。

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そこで、速攻で紹介しよう。本当は、時間をかけて咀嚼すべきなのだが。。。

速水亨氏は、ご存じの方も多いだろうが、三重県の速水林業の総帥にして、日本林業経営者協会会長。林業界のオピニオンリーダーだ。何より、9代続く林家であり先進的な経営で知られ、国内初のFSCを初めとする新たな取り組みをいくつも行ってきた。

私が初めて会ったのは、何の取材だったか。1998年のISO14000やFSCについてかもしれない。ともかく、常に林業界の最新の情報を提供していただいたし、また俯瞰的な視点を与えてくれた。ともすれば目の前の森の中の1本の木ばかりを見てしまいがちな林業界にとって、鳥の目で地球上の森を見渡す広角な視界を持っている人である。

肝心の本だが、まさに彼の経験から通した林業観が満載。スタートがアラスカで、次は江戸時代から続く速水家。元は漁師だったらしい。海から山へ、である。そして日本の森林事情やヨーロッパの森にも話は飛ぶ。もちろん速水林業が取り組んできた試みの紹介もある。

現状に絞って見ると、森林林業再生プランには、期待しているらしい。が、その弱点・欠点も指摘している。育林に関した制度に穴があるうえ、養成にやっきになっているフォレスター制度も機能しないことを見越している。

そして小さな林家には「今の政府は、楽しみで林業やる人には補助金を出そうとしませんよ」と言いつつ、「楽しみのための」自伐林家を残したいと思うアンビバレンツ?な心情を吐露する。

現在起きている材価の値崩れには、さすがに困っている様子だが、基本的には量を意識した国の森林林業再生プランとは別に、地域のニッチな市場を大切にすべきであるとする。

いくつか新たな動きと共に現状を打破するための提案をしている。一つは、速水氏自身が立ち上げたフォレストック認定(わざと難しく解説すると、森林の多面的機能を内部経済化する仕組み^^;)制度もあるが、私は「違法伐採材の追放」に興味がある。

世界中には、違法伐採による木材が出回っている。一見、政府の証明書がついていても、まったく信頼できないものも多い。日本の輸入材の2割は、違法木材の可能性があるそうだ。

これを完全に追放し、海外にも持続的林業による木材を要求すれば、単に森林を守るだけでなく、安価な木材の追放にもなる。そして材価を引き上げることになるだろう。材価を持ち直しつつ、環境保全につながり、フェア・トレードを支援することにもなる。

ただし、日本の木材業界は反対するに違いない。安い外材が手に入らないだけでなく、国産材も通用しないからだ。

実は国産材も、現在付けられている「合法証明」は国際的には通用しないものだという。なぜなら木材業界が認証に参加しているからで、認証は第三者でなければならず、当事者の認証は意味を成さないのだ。また再造林しない林業地も問題となる。さらに言えば、単に法律違反でなければよいのか(脱法的な伐採も多い)。だから、まずは国内の改革から取り組まねばならないだろう。

それでも、やる価値はある。日本の林業界は世界的に見ても遅れている(欧米だけでなく、発展途上国よりも)が、挽回のチャンスが訪れるに違いない。

……なんてことを考えてしまった。森林について様々な思索を提起する書である。

なおサイドバーにもリンクしました。

2012/09/20

京都府立林業大学校の校長

今日は、京都府立林業大学校で講義の日だった。

もともと7月の予定が、私の都合でドタキャン。仕切り直して、ようやく開けたのである。

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京都府京丹後町和知。

ただし、この校舎は、現在耐震補強工事中で使っていないとか。隣のコンクリート打ちっぱなし造りの和知支所に事務所・教室はある。


 

そこで昼前に訪れて、お会いしたのが、校長先生である只木良也先生。本来出校日ではないというのに、わざわざ出てきてくださったのだ。先日の赤井先生に続いて、影響を受けた先生に会えるとは。感激。

只木先生の本はたくさん読ませていただいていて、私の著作でも使わせていただいたネタもあるからだ。研究者でありながら、その平易な語り口の著書は、「一般人と森林現場および研究者の橋渡しをする」という私の立ち位置・スタンスの先駆者である。

とはいえ、私の講義の最中に、その教室の後ろで聴かれたのでは、緊張します(^^;)。

ちなみに先生のHPを私も目を通しているが、これを作っているのはお孫さんの女子高校生だとか。しかも、現在お孫さんの一家は、ベトナムのハノイに赴任中。先生が執筆した記事を、ハノイ経由でアップしていたのだ。

http://shinrinzatsugaku.web.fc2.com/

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著書を頂戴した(^o^)。











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サインも頂戴した(^o^)。

2012/09/19

合自然と近自然と従自然

私の森林・林学観に多大な影響を与えた学者が二人いる。

一人は、村尾行一愛媛大学客員教授。知ったのは著書『山村のルネサンス』を読んでだが、焼畑理論から始まり林業のなんたるかを教えてくれた。そして、林政学的な面から衝撃を与えてくれた。

もう一人が、株式会社ハイトカルシャ会長の赤井龍男・元京都大学農学部演習林助教授。

こちらは、、『低コストな合自然的林業』(全林協)を読んだのだが、すぐに私は取材に行き、その後何回にもわたってお会いして薫陶を受けた。こちらは生物学的な面から森林と林業を詰めており、まさに目からウロコであった。

ここで赤井先生の唱える森林や林業の話をしだすと超長くなるので略すが、簡単に言えば、「森林はそんなにやわじゃない」と、人工林も無間伐で育つことを現場を何十年にもわたって追跡して証明している。そして、自然の生態系に近い森づくりをすることが、もっとも低コストであるとした。
この実践的な理論は、拙著にも繰り返し登場する。『日本の森はなぜ危機なのか』や『森林からのニッポン再生』などを参照していただきたい。

講演でも話した。すると会場からブーイングが出るのである(笑)。だって、間伐推進シンポジウムで、「間伐しなくてもいい」と話すのだから(⌒ー⌒)。

さて、17日は天川村から急ぎ帰宅すると、すぐに「元気な森づくりフィールド・フォーラム」に出かけた。

こちらのフォーラムは、生駒山の森づくりに関するもので、私が関わってきた研究会絡みである。そして基調講演を行うのは、次の二人。

従自然的な森の再生と成長」 赤井龍男(元京都大学農学部演習林助教授)
都市の背景としての森林」 中嶋節子(京都大学大学院人間・環境学研究科准教授)
なのである。

中嶋先生は、建築史が専門で、都市近郊の森の歴史と役割を語っていただいたのだが、そちらの話は別の機会に置くとして、なんたって赤井先生である。

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会場となったアイアイホール。生駒山の森の中にあるホテル付属のホールで、大胆に自然を取り込んだ会場が素晴らしい。が、つい壇上より背後の森に目が向いてしまう(笑)。






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赤井先生の講演。

私は久しぶりに再会したわけだが、よく覚えてくれていた。そして元気。なんと御年84歳である。が、今も全国の山を歩いているそうだ。







さて、ここでは講演内容とは全然別のことを(^o^)。

赤井龍男氏の著作『低コストな合自然的林業』には、タイトルに合自然という言葉を使っている。ところが、今回の講演タイトルは「従自然」なる言葉なのである。一方で、最近は「近自然」という言葉も広がっている。

そこで私は、先生に会って訪ねたのである。「この3つの言葉、どう違うんですか」

すると、もともとはドイツ語で合自然に相当する言葉があるのだそうだ。それをここで示すことができないのが悲しい(^^;)。 natürlich zusammen? なのかなあ。

なお近自然に対応する言葉もあるそうだ。natürlich nah?  ただし、現在はkinshizen と日本語をそのまま使っているという。なぜなら、近自然学を提唱したのが、スイス在住の日本人だからである(^o^)。

先生に聞いたのけど、覚えられなかった。ドイツ語にくわしい人いたら教えてくれ。

で、それを英語に訳そうとしたら、近自然はともかく、合自然を示す言葉がなかったという。それで仕方なく、自分で

according to nature と訳してみた。

この英語を使っているうちに、「合自然」よりはaccording to nature を直訳した自然に従う、「従自然」の方が本来の意味に適していると思ったので、最近は「従自然」を使っている……そうなのである。

意味を正確に示す日本語を作る過程って、こうしたもんかもね(^^;)。明治時代にも、こうした模索を行いながら、新たな日本語がたくさん作られたのだろう。

さて、これらの言葉、どれが本当に根付くかは今後次第だろう。

どれが日本的感覚でしっくり来るかなあ。あるいはもっとキャッチになりそうな言葉を紡ぎだすか。

もっとも、その前に「合自然」「近自然」「従自然」の内容をよく理解しておかねばならないね。

2012/09/18

役物コテージ?

まだ続くか、天川村の話。

ここでは、キャンプ場に泊まった。と言っても、コテージである。それがスゴいのだ。何がスゴいって、このコテージ、役物で建てられているのだ!

……いや、見た目はフツーの簡素なコテージなんだけどね。オートキャンプ用に車を止めるスペースもあって、前にバーベキュー用のテーブルとイス。そしてロフト付きの室内で、詰めれば10人は寝られる。が、とくに立派な造りではない。

しかし、この写真を見てくれ。

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写真は、コテージ前のテーブルをどけた状態だが、広い縁側と庇があるのが特徴。雨でも活動できるスグレモノ。

しかし、この庇を支える柱は。梁は。

わからない?



拡大してみよう。

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どうだ。柱は磨き丸太。それも節を強調した出節と呼ぶ珍重される役物だ。(単に、枝打ちをしなかった間伐材だって。)

そして注目は梁だ。絞り丸太である。丸太表面が縮緬のようにデコボコになったのが特徴。突然変異で生まれた奇形ではあるが、それを珍重する時代があった。その苗は、通常の苗より数倍もしたと聞かされている。だから、スギの若木の幹に人工的にデコボコを付ける技術まで発達したのである。

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どちらも、時代が時代なら、1本10万円20万円という値がついた。ときに100万円を越えるケースさえあった。かつては数寄屋造り、床の間用材として引っ張りだこだったのだ。
それを使ったコテージだよ。

いかに高級なキャンプ場だったかわかるだろう(笑)。

まあ、組み合わせ(組木とかいうレベルではない)のところが、いかにも手づくり感のある乱暴な掘り方、おそらくチェンソーで削った代物であるが。

実際は、せっかくの役物用に育てたスギも、太りスギると価値が下がる。床の間需要がなくなった今、まったくと言ってよいほど売れない。ただでさえ売れない磨き丸太なのに、いよいよ使い道がなくて、キャンプ場の手づくりコテージの材料に回されたのだろう。

まあ、こんな用途でも使わないよりマシだが、そろそろあぶれている役物の新しい使い道を模索した方がよいよ。とくに絞り丸太のような木肌のものは、製材とデザイン次第でいろいろ使えるよ。いっそ、デコボコの表皮を剥いでパネルに張りつけ壁板にしたっていい。

2012/09/17

割り箸の無人販売所

昨日訪れていた天川村は、奈良県吉野郡とはいえ、吉野林業地とは少しズレている。

一般的なルートで言えば、大淀町から吉野川を渡って下市町に入り、そこから山を越えて黒滝村をかすって、天川村に入る。

下市町というのは、割り箸の発祥の地であり産地である。吉野町がヒノキ割り箸が多いのに対して、こちらではスギ割り箸を作っている。

そこで見かけた無人販売所。

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なんと、割り箸を売っているのだ。

上が300円、とあるのは高級スギ箸。100本入りかな?

下の200円は、ヒノキ箸である。

さすが、割り箸まで無人販売か!

そういや、何年も前に割り箸の取材で訪れているのに、下市や吉野町では、割り箸を買えなかった。一般人が割り箸を購入できる店がないのである。せっかくの産地なのに、小売りしていなかったのだ。

この無人販売所が、その悩みを解決する?

ちなみにこの小屋の屋根や側面に、缶ビールを伸ばして張っているのが、手づくりぽくていいなあ。

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2012/09/16

川遊び

川遊び
あんまり暑いので、天川村に川遊び?に来た。若い女の子と泳いでご機嫌?と思いきや、遭難、いや溺れる騒ぎになり、でもなんとか救出。
残暑厳しいおりの夏の終わりであった。

2012/09/15

古事記と川上村

2年前、奈良は平城遷都1300年ということで、大々的にお祭もして盛り上がった。

で、今年は何を謳っているかご存じか。

古事記編纂1300年なのである。地味だけど、奈良県もコツコツやっているのよ。

この古事記の中で注目するのは、やはり神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)、これはまだ天皇に即位する前のお名前であるが、ようするに神武天皇の東征、つまり日向から大和を征服する話。

よく知られるが、大阪湾に上陸したものの、生駒山を越えようとして、生駒の豪族・長髄彦(ながすねひこ)(古事記では、那賀須泥毘古と表記され、また登美能那賀須泥毘古登美毘古とも称される)に破れて追い返される。その際、兄も討ち死にするなど、甚大な被害を被り、そこでと熊野まで大回りして北上し、吉野を抜けて大和盆地に入り、とうとう大和を征服した。この際も最後まで抵抗したのが長髄彦であるが、裏切りの計略によって討ち取られた。

とゆーわけで、生駒人である私からすると、神武天皇なんてよそ者の極悪非道の侵略者であり、長髄彦こそ最後まで抵抗した生駒の悲劇の英雄なのである。

が、その話は置いといて、ここでは吉野に関する話。

その際に、このようなシーンがある。

從其地幸行者、生尾人、自井出來。其井有光。爾問汝誰也、答曰僕者國神、名謂井氷鹿。此者吉野首等祖也。卽入其山之、亦遇生尾人。此人押分巖而出來。爾問汝者誰也、答曰僕者國神、名謂石押分之子。今聞天神御子幸行。故、參向耳。此者吉野國巢之祖。

これを現代語に訳しているところを探すと、このように表されていた。

そこからさらに進むと、尻尾がある人が井戸から出て来ました。
その井戸に光が有りました。そこで、
「そなたは誰か。」と尋ねると、
「私めは国つ神、名はイヒカと言います。」と答えました。
(これは吉野首らの祖である。)

そこでその山の中に入って行くと、また尻尾がある人に会いました。
この人は岩を押し分けて出て来ました。そこで、
「そなたは誰か。」と尋ねると、
「私めは国つ神、名はイワオシワクの子と言います。
今、天つ神の御子が来られたと聞いたので、御迎えに来ました。」と答えました。
(これは吉野の国巣の祖。)

有尾人がいたのだ!  ここでイヒカは井氷鹿と表記されるが、現在は井光。川上村に現在もある集落である。井戸というのは掘った穴ではなく窪地のことらしいが、尻尾があるという点が興味深い。

これは、何を意味するか。今は滅んだ幻の有尾人が生息していた、となると、ツチノコどころかイエティ(雪男)やサスカッチ(大足男・・・カナダの猿人)なみである。ボルネオにはオラン・ペンデクという有尾人がいると未知生物の世界では言われていたが……。

と先走ってしまう。が、常識的に考えれば、この集落の民が、何か尻に尾と見間違うものを付けていたのだろう。
そこで想像を膨らませると、今でも古い林業家の中には、尻に鹿の毛皮を垂らしていることがある。マタギなどでも見られるが、そのまま土の上に座ってもクッションになるし、水が染みてこないのだ。

これを尻尾に見誤った? つまり有尾人とは山の民、杣人を表しているのではないか。

もしかして、吉野の民、杣人に関する日本最初の記述かも。。。



……そんなことを考えてみても、面白いかも。

で、川上村では、古事記のフォーラムが開催される。演者は、古事記研究の第一人者である三浦佑之(立正大学教授・千葉大学名誉教授)
演題/「古事記にうつる源流の郷(くに)」

●開催日時:2012年10月21日(日)14:00-15:30(開場13:30)
●開催地:川上総合センターやまぶきホール(奈良県吉野郡川上村宮の平)
 近鉄大和上市駅より奈良交通バス湯盛温泉杉の湯行き終点下車、徒歩約5分/駐車場有
●参加費:無料(要申し込み)
●申し込み・お問い合わせ:
森と水の源流館
〒639-3553 奈良県吉野郡川上村宮の平
TEL 0746-52-0888 FAX 0746-52-0388
eメール morimizu@genryuu.or.jp ホームページ
http://www.genryuu.or.jp

http://blog.livedoor.jp/kawakamimura/archives/51962333.html

2012/09/14

都市林で林業を

土倉庄三郎の業績の一つに、奈良公園改良計画がある。

現在の奈良公園が設立されて、その維持管理と改良計画に庄三郎も参画したのだ。

奈良公園とは、県庁街に隣接……というより県庁がその中に取り込まれているようなものだが、その面積は500ヘクタールを越え、神社仏閣とその背後の山々も含まれる。春日山原始林のほか、若草山はもちろん、花山、芳山など広大な広さ。もちろん日本一である。

そして明治の奈良県は、公園内の材木を伐り出し、その収益で公園を維持管理しようと考えた。それに対して国や世間が反対した。伐採しては景観を破壊する、と主張したのである。そこで、庄三郎だけでなく、林業家や学者を交えた委員会をつくって、今後の管理の仕方を考えようとした。この当たり、現在でも役所が取りそうな手法だし、伐採に対する考え方の対立も今とよく似ている。

結果的に庄三郎らは現地調査し、荒れた部分に植林を行い、ここに吉野林業の見本林を作るとした。「人が乱伐というところがそうでなかったり、美しいというところが実は荒れていたりした」なんて報告書には載っている。
そこを改良して、100年生の人工林に仕立てようとしたのだ。そして222ヘクタールに植林を施した。そして毎年収入が得られるような計画をつくり上げたのだが……。

その森のほとんどは現在伐採されて、その後植林されることなく、雑木林-天然林にもどされている。

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春日山原始林。「原始林ぽさ」を売り物にしてはいるが、状態がよいとはとても言えない。生物多様性も、そんなに高くないだろう。
また人もあまり入らず、公園としての機能も中途半端。



 

都市に隣接した森林公園で林業を行うというと、今でも、林業家でも、え? と驚くだろう。公園はあくまで景観が第一であり、維持管理費を捻出するために木を伐るなんて、と専門家もいう。

実は生駒山にある大阪府立公園でも、その維持と管理を巡る会議で、学者は「(維持経費は)府が出すべきだ」と一刀両断(笑)。出ないから、なんとか利益を上げられるよう伐採木を薪にして売るとか提案しているのに……。

だが、世界の趨勢としては、都市林で林業を行うのは当たり前である。とくにヨーロッパでは、大都市近郊に1000ヘクタールから5000ヘクタールくらいの森林公園があるところが普通だ。ウィーンの森は有名だが、フランクフルト、ケルン、チューリッヒにアムステルダムにストックホルム……。こんな公園からすると、奈良公園なんか小さい(^^;)。

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チューリッヒ市内の公園。全部人工的に作られた森だが、景観に配慮するだけでなく、木材生産もしている。





 

そして、そこでは林業をやっているという。木材を伐り出して、販売する。その利益を公園を運営する助けとするのだ。言い換えると、市街地・住宅街のすぐ側で、林業を行っていて、みんなの目に止まるわけだ。

実は、都市林の林業は木材生産だけが目的ではない。むしろ景観を守るための伐採でもある。大木ばかりを重視せず、森林生態系を考え、樹齢のバランスや後継樹を育てるため、生物多様性を増やすための効果も大きな目的だ。

林業関係者にも、美しい景観をつくるための「剪定」的な伐採能力が必要とされる。

もし、奈良公園に庄三郎の描いた吉野式の美林を作り上げ、目の前で林業を展開していたら。教育効果は大きかっただろう。市民に林業を理解してもらうだけでなく、林業家にも景観重視の考え方や、多様性を作り出す管理法の研究・勉強になったに違いない。
もちろん、奈良を訪ねる数多くの観光客にもアピールできる。

奈良県人は新しいことが苦手?100年前に庄三郎が手がけたことの再現だ。極めて保守的だろう?

伐採、即自然破壊という短絡思考をうち破るとともに、伐採したら材積いくらで、どれだけ儲かるか、だけを頭に描く林業でもなくなる。そして、人が森に手を加えることの誇りを醸成したように思える。

現在の奈良公園、もう一度、改良計画作らないかな。シカのいる芝生ばかりではつまらない。壮大な森林造成計画も組み込み、森林環境教育と林業の場を作ると、奈良は世界に発信できるよ。

2012/09/13

ものづくりと森づくり

このところ、ものづくりの危機が巷間騒がれている。

ようするに日本得意の家電が売れなくなり、シャープやソニーなど軒並み経営危機に陥っているからだが、もっと広く、日本伝統のものづくり全体の将来が心配されている。

いわゆる職人芸的な能力が地盤沈下しているのだ。一方で、日本の町工場や中小企業には、こんなスゴい技術を持っているんだぞ、という特集もよく行われているのだが……。

だが、よく考えると、現在のものづくりで足を引っ張っているのは、生産技術というよりは、売れる商品づくりのイメージやアイデアが枯渇しているためではあるまいか

どんなに高性能の車をつくろうが家電をつくろうが、売れなくては話にならない。いわゆる「ガラパゴス化」してしまって、従来の消費者だった国内向けに作っているだけでは、グローバル化の現在、海外勢に呑まれてしまう。

そして商品づくりとは、結局、消費者のニーズを拾えるか、消費者がどこにいるのか、を見つけることだ。それも消費者本人も気づかないような潜在的なニーズを発見して、うまく提供することができるか、ということに尽きる。ドラッガー的に言えば「顧客とは誰か?」

ニーズを探ろうとマーケティングはするが、それはアンケートや統計だったりして、作り手の皮膚感覚に欠ける。言い換えると、ものづくりはアイデアである。職人芸とは、指先の技術ではなく、発想なのだろう。

ここで、ものづくりと一字違い(^o^)の森づくり。

今、森づくりが危機だとすれば、植林や育林が足りない、伐採や搬出技術が遅れている……という次元ではないのではないか。そんな小手先の技術や労働態勢をいじっても、森づくりの根幹から離れているように思う。

ようは、どんな森をつくりたいのか、求められているのか、という顧客(国民)ニーズを掴めず、さらに将来を見据えたアイデアが欠けている。50年後、100年後にどんな森にしたいかというイメージがあれば、そのために今すべきことを導き出せる。

極端に言えば、50年後にどんな森をつくるか、どんな林業を行いたいか考える。
広葉樹材が売れる、売りたいと考えたのなら、今から広葉樹の苗を植えなくてはならないし、その育て方も工夫がいる。あるいは生物多様性を売り物にするのなら、様々な樹種を生やさねばなるまい。しかし、収入が落ちるから、50年後までの間に金になる薬草を林床に植えてみるか……と頭をひねる。

逆に漫然と林業振興のために今何をしようかと考えると、目先の荒れた森を間伐しよう、低コストにするため作業道つくるか。そして跡地にスギでも植えておくか……といった先を見ない行動になる。行政側からすると、不況で困っているのなら補助金ばらまくか、となるだろう。
その場はしのげるが、将来が見えない。

ものづくりの危機と森づくりの危機は、同根である。

2012/09/12

銅像の変遷

吉野の川上村大滝に土倉庄三郎の銅像があることは、これまでも触れたと思うのだが、その銅像は3代目である。

初代は死の翌年に作られ、現在の川上小学校の敷地に建てられた。が、太平洋戦争末期、金属供出令によって、取り外されてしまった。戦後、村人は銅像奪還を目論んで、大阪のくず鉄業者を回ったが見つからなかった、という逸話がある。

そこで50回忌に当たる1967年に再建された。写真をモデルに、当時はまだ生前の庄三郎を知っている人がいたので修正を加えつつ完成させたという。

が、それも施工が悪かったらしく、足元から腐食してしまった。そこで上半身だけを残して取り外し、現在の3代目銅像を建立した……ということだ。3代目建造時は、生きた庄三郎を知る人は一人もいない。

3代目は現在、土倉屋敷跡に立つが、2代目は林業資料館の入り口に胸像として安置されている。

問題は、初代だ。どんな銅像だったかわからない。やはり、初代こそ顔つきなど本物に一番近いはずだと思うのだが……。

ところが、初代の銅像の写真を手に入れたのである。と言っても、全身像なので顔は小さいが,あえて拡大してみた。

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初代庄三郎像。



2代目、3代目も紹介する。

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これが、2代目。





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3代目。こちらも全身立像の顔の部分を拡大。



なんか、違う(~_~;)。初代は少しだけふくよかな気がする。

せっかくだから、肖像写真も。

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これが、もっともはっきりした肖像写真。




でも、若いころ(と言っても40代だが)の洋装の写真を見ると、甘いマスクに長身で映画俳優みたい。にこやかな表情で妻と手を組んでいて、カッコいい。私は、そちらの方が好きだな。

2012/09/11

豪農・上田家の内実

本日訪れたのは、吉野町竜門の上田家

ここは、かつて豪農として知られ、竜門の庄屋も務めたお家柄。実は、奈良の歴史文化財関係ではちょっと知られた存在。というのも、上田家文書というものが存在するからだ。

上田家には、代々の人物が記録魔だったそうで、細かなメモが大量に残されているからだ。古くは天保の時代から数々の証書類からメモ書き、さらに明治の新聞まで残されている。古代史ばかりの奈良ではなく、近現代史における奈良(の、とくに農村部)を描くのに欠かせない資料として文化財指定も受けた。

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この蔵に、上田家文書は眠っている。蔵自体が築400年という代物で、漏電で火災になったら大変と、今も電気さえ引いていない。





ところで、豪農とか庄屋と言えば、さぞかし大金持ちだったろうと想像するが、当主の話によると反対らしい。大変な貧乏をして、しかも借金まみれだったという。

なぜなら、庄屋になると、幕府などの使者を受け入れたり、また集落のイベントや事件がある旅に出費を強いられるからだ。多少の田畑を多く持っていても追いつかないほどの支出があり、しかも体面を守るためにしなければならない贅沢も多いのである。

そのため山やら田畑などのほか家宝の骨董・家具のほか、庭の石、燈籠まで売り飛ばし、最後は幕府の使者を受け入れるために建てた豪華な離れまで売却した。明治になって必要なくなったからだろう。それでも間に合わず、土倉家に莫大な借金をした。本当は明治維新の時に踏み倒せばいいのに(~_~;)、マジメにコツコツ返し続け、返済が終わったのは大正年間だという。

だから当主は、「うちは、土倉家より先に没落した」と自慢する(^o^)。でも、今も家を残しているのだから、ある意味生き抜いたのだ。

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これが当時の家の梁。築200年以上だそうだ。今は使っていないが、わずか10年前まで住んでいたのである。


曲がった木(おそらくマツ)を梁にするのは、粘りがあって振動に強いから……なんて後世の建築家などはいうのだが、実は材料はみんな自分の山の木を使うものだから、木を選べなかったのである。そこで寸法が梁向きの木が、曲がったものしかなければ、それを使うしかない。
曲がっていても梁に利用するため、屋根の構造・木組みも工夫しながら、建てたというわけだ。

でも、今となっては曲がった梁が財産。意匠としても素晴らしい。紙屑扱いで借金のカタに売り飛ばせなかったメモ書き文書類も、今となっては明治の農村を語る資料として貴重な財産となっている。

何が財産になるか、なんて、後世の人が決めるのかもしれないよ。

2012/09/10

100年前の台湾の図絵

興味を持つ人がどれだけいるか疑問だが、貴重な写真をお借りした。

約100年前の台湾の絵である。

土倉庄三郎の次男龍次郎は、1895年12月に台湾に渡り、事業を展開した。この年は、日清戦争が終わって、日本か台湾を領有し始めた年だから、日本人としてはもっとも早い時期に台湾の山岳地帯を調査したことになる。

だから私は、龍次郎を最初期の台湾探検家と位置づけているのだが、現在は台湾の水力発電の創業者であり、樟脳事業の創始者でもある。そして、やはり育成林業の父でもある。

台北の南部、亀山という山間部に事務所を構えて、1万ヘクタールもの山林を借地して造林したのだ。台湾では、植林して育てて収穫する林業は、おそらく最初の試みだろう。

亀山の植林事務所はクスノキで建てられ、まるで城郭のようだったそうだが、敷地内には物品交換所が設けられており、高砂族(台湾先住民)と交易を行うほか、川と池があり、その向こうに苗畑があったそうだ。
苗畑の広さは15万ヘクタールにもなり、スギ苗150万本、ヒノキ50万本、ケヤキ70万本、さらに熱帯の樹木105種類1000本の苗とキリの苗も1万本も生産した……。この数字をそのまま信じてもいいのかどうかわからないが、その図の画像をいただいた。

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その土倉事務所の図である。

よく見ると、丸太の積み上げた土場もあるし、なんと汽車が走っている。もっとも、動力がない(^o^)。










そして、もう一つ。

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これは、台湾で発行された書物の挿絵らしいが、「土倉造林地中」と書かれているから、土倉龍次郎の借地した山の作業風景なのだろう。

こんな木材運搬法を取っていたのだろうか。


 
  
 

台湾林業と日本の関わりを調べてみたいと思う、今日この頃。日本の林業に飽きた?  いえいえ、そんなことは……(~_~;)。

2012/09/09

総木曽檜づくり

今日は、名古屋に講演のため日帰り。

今回の特色は、何といっても会場だろう。鶴舞公園内にある鶴々亭という純和風建築の平屋で行うものだったからだ。床の間もある和室で行ったのである。みんな正座&胡座(^o^)。また離れの茶室もある。

と言っても、それぐらいでは驚かない。驚いたのは、その家の素材で総檜づくりであり、その檜は木曽檜であったこと。なんとまあ、豪華である。なんでも、昔の名古屋博覧会開催時に、名古屋の木材組合が建てたものらしい。

実際は、かなり古ぼけていた(~_~;)のだが、つくりは凝っている。

だから話すときも、つい目の前にある磨き丸太を例に取ったりしてしまう。ある意味、目の前に見本があるようなものだ。

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といいつつ、肝心の鶴々亭の写真を撮らず、門のところに寝そべる猫を撮影してしまった。。。。

2012/09/08

北海道の「森を育む割り箸です。」

北海道より、割り箸が届いた。

これは先の講演とは何の関係もなく、株式会社北海道アルバイト情報社から贈られてきた品。ありがとうございますm(_._)m。

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50膳入りと5膳入りの紙箱割り箸セットである。

割り箸は、下川製箸のつくるシラカバ元禄箸。このシラカバはFSC認証を受けているそうだ。

 
 

森を育む割り箸です。」というのがキャッチコピーらしい。サブキャッチが、「北海道の森林と、使う人にやさしい割り箸です。
さらにボディコピーによると、割り箸のリサイクルも行っているらしい。と言っても、王子製紙に持ち込むだけだが。

情報社は、2006年より木づかい運動に賛同して北海道材を利用する運動を展開していたが、今回は割り箸セットを作成して、イベントなどに配布していくという。
売り物ではないみたいだが、案外「マイ割り箸」用に需要があるのではないか。
 

まず紙箱なのがいい。私は、割り箸を入れる吉野杉製木箱を持っているが、結構かさばるので常に持ち歩けない。とくに夏のような軽装時には困る。また吉野杉箸のような高級品は、ちょっとラーメン屋や牛丼屋では使いにくい(~_~;)。

実は、昨日は外出して2度も外食したのに、どちらも樹脂箸だった。そんな時に限って、割り箸を持参していなかったりする(;_;)。片方は割り箸を出してもらったが、用意していない店もあった。頻繁に外食する場合は、こんな紙箱・元禄箸の方が実際に使いやすいだろう


 

それにしても皆さん、頑張っているなあ。国産割り箸は、深く、静かに拡散しているのだ。

そういえば、講演でも割り箸について触れたっけ。かつての割り箸王国・北海道に、もう一度奮起してもらいたい。

2012/09/07

林業・家業論

またもや、先の講演会の際の話。

後半で、スイス林業を紹介して、その発想を「大きく儲からないけど、長く生き残ることを意識した林業」と評した。持続性や近自然的ゆえの低コスト、そして量より品質重視な商品づくり……という意味だ。

が、終わってからの皆さんの反応。

儲からないのは困りますなあ」。

正直だ(~_~;)。たしかに講演の聴者は、大半が木材産業系の経営者だけに利益を上げることは至上命題である。さもなければ会社の経営が傾くし、自らの地位もアブナイだろう、多分。
ただ、持続的であることは長いスパンで儲けることを意味するのであって、一時的に利益を上げても、将来を失うのなら総利益はどちらが多くなるのか。

ここで思い出したのは、林業・家業論である。林業は、事業ではなく家業である、というもの。

と言っても、唱えているのは私なのだが。(⌒~⌒ι)

森林のような生長-循環するスパンが長く、一代では納まらない対象を扱う産業は、担当者も長い目を持たねばならない。しかし、企業では担当者が往々にして入れ代わる。数年10数年同じ森を担当しても、自分が手がけた森の1サイクルを追うことはできない。また資金の循環や利潤の追求を考えると、50年100年周期の事業なんて、考えづらい。

本来は国家のような組織、つまり国有林公有林が、長い目を持って森林を経営してほしいのたが、実のところ民間企業より早く公務員が入れ代わり、しかも自らの任期以降は気にしないことが慣行となってしまっている。

結局、かろうじて機能しているのは、代々林業を受け継いでいる林家しかないのではないか……と感じるのだ。お親から子へ、財産として山林を引き継ぎ、林業を営むような林家である。そんな家の当主は、人生のほぼ丸ごとを林業に関わることになる。
もっとも、小規模で常に森に関わらない家では林業技術を磨けないだろうから、ある程度の規模で日常的に林業を継続している林家ということになる。そうした立場で、100年200年も続いている林家は非常に少ない。

たとえば9代続く三重の速水林業、岐阜の中原林業、そして吉野のいくつかの林家などがモデルになりうる。速水林業は、いまだ法人化していないと聞く。

とはいえ、家業にも欠点はある。基本は血筋で引き継ぐにしても、後継者が林業に興味を持つか、知識や技術を習得するか、という点があやふやだ。どんなに教育しても、父親に反抗する娘はいる……いや、我が家のことではないよ(~_~;)。今の世の中、血筋だけで宿命を感じて家業を継いでくれるわけではない。
一昔前なら、ぼんくら息子には継がさず、優秀な人物を婿取りして養子にするなどの手法があったのだが、これも今の世の中には馴染まないね。さらに、林家の番頭に当たる山守の血筋も、衰退してしまっている。この継承のシステムが明確でない点が、一抹の不安である。

ただ、一方で家業である林業を企業経営化した山主もいる。

単純に自家山林の経営を仕立てた法人に任せるだけでなく、社是・社訓として森林経営をゆだねるケースだ。

内実は知らないが、たとえば住友家、三井家などのように、明治時代に取得・育成した森林は、その後住友林業や三井物産などの企業にゆだね、目先の利潤を意識せずに維持されるケースが該当する。
おそらく、そんな会社にだって「儲からないなら処分してしまえ」と時の経営者が考えた時期もあると思うのだが、それは社是に背くことになる。そこで本業から資金を融通しつつ森林経営を続けてきた。本業を営む経営陣も、それをよしとした。

おかげでサラリーマンであっても、長時間のスパンで経営を考えられる条件が整い、森林の情報や技術の伝承も行えた……のではないか。

いわば本家(創業家族?)の森林を維持しつづける意識を、サラリーマン経営陣が継いだ形だ。もちろん、それだって、本業に余裕がある証拠なのだが……。

家業というのは、個人か法人かで決まるのではなく、長期に渡って経営する意志を保ち、それを引き継ぐ人物を選定できるかどうかだろう。しかも、その長期保有の意志は、経営者だけでなく、社員にまで広まっていなければならない。さもないと、経営環境が悪化すると、必ず横やりが入る。

その意志を保つ仕掛けが何か……と悩むのだが、その中には森林経営に誇りが持てる、ロマンを感じる、組織の精神的バックボーンになり得る歴史を共有する……などの要素があるのではないか、と考える。

ただ本業が傾いたら、さすがに野放図に森林保有を続けるのは無理なわけで、少なくても林業部門は、赤字を出さない程度の経営努力は必要だろうなあ。

ともあれ、スイス的林業は家業にあり(笑)。家業的森林経営を行える体制を築かねば、細く長く持続的に森林を維持できないのではないか……なんて、考えてしまった。

2012/09/06

見えぬ「未来の芽」

先日の札幌の講演を、ブログで記していただいた。

http://www.iesu.co.jp/ghs/weblog/article/20120905161558.html

こんな内容でした(@_@)。筆者は、北海道住宅新聞社の記者なので、うまくまとめていただいた。ちなみに私の地元の国会議員に取材したことがあるという。そういや、アノ議員も、林業や住宅問題に取り組んでいたっけ。

せっかくだから、私の講演後の印象も。

終了後、関係者と囲む会(ようするに飲み会ですな)があったのだが、やはりここでもいろいろ議論となった。そして建設業界と木質建材業界の情報や問題点や内幕も。

なかなか勉強になったが、どうしても問題は、政府の無駄な規制や、押しどころを間違ったトンチンカンな補助金など政策になりがち。一つ一つはそのとおりだと感じるのだが、しかし今どうするか、という点で行き詰まる。

業界上げて頑張って法律改正や政策変更を訴えても、そう簡単に実現しないのは言うまでもない。しかし、不景気風は待ったなしで吹き荒れている。需要も縮まる。

我が道を進む覚悟で、新しい木材利用を模索するとか、付加価値の高い商品開発を行うとか、未来の芽はないのだろうか……

上記ブログでも紹介されている「里山フローリング」も、まだ一部の人向きの注目商品に留まっているようだが、通常のルートではたしかにそうなるだろう。抜本的な新しい販売戦略が必要なのかもしれない。

ただ、日本第3位の山主の管理会社の人と知り合った。この会社の山林は、土倉庄三郎と関わりがあるのですよ……というような話をしたら、関心を示された。

こちらでは天然更新などにも取り組んでいるという。利益は出ないけど、資産価値を高める森づくりを行っている。
もっとも「美しい森を作ることで、世間の評価を高めて、株価も上げられませんか」と言ってみたら、「株価を上げるならチリの鉱山を購入した方がマシ」と言われてしまった(~_~;)。

次は、その山林を見学してみたいなあ。桃航空のチケットで安く北海道に行けるなら可能かも(笑)。

2012/09/05

シラカバの名刺

スイスを訪れた際、フォレスターの案内で訪れた山は、崩壊地だった。そこにシラカバを植えてていた。もちろん土壌流出の防止のためである。

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崩壊地に立つフォレスターの背後に生えているのがシラカバ。



ところが、フォレスターは、ここに植えた木のほとんどが商品となって利用できると説明したので、私は「シラカバは何に使えるのか」と聞いた。私には、割り箸(~_~;)やチップぐらいしか、シラカバ材の利用法が思いつかなかったからだ。ほかに爪楊枝アイスクリームの棒なんてのもある。情報としては合板にも使っているとも聞いていたが、あまり品質の高いもののイメージがない。

が、答は「うまく育てると銘木になる」だったので仰天した。シラカバは、水分が多いし柔かい材質だから、建材には難しいはず。だがシラカバの銘木かあ~。(ただ通常のシラカバは、やはりチップのようだったが。)



 

さて、昨日まで訪れていた札幌では、「無駄なく木材を利用する林業」を提言したのだが、終わってから名刺交換した一人は、「シラカバのツキ板で作った名刺」を差し出した。空知単板工業株式会社の取締役である。

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これは、名刺の裏側の一部を拡大したもの。シラカバ材の木目を見てほしい。(名刺としては、3枚のツキ板の間に和紙を挟み込んで張り合わせている。)

 




なかなか、よい感じではないか。シラカバもこうすると銘木ぽくなる。白くて肌理が細かいから、紙の代わりに向いているかもしれない。

残念ながら、材料はロシアのシラカバらしい。北海道にもシラカバはいくらでも生えているが、こうした用途に向いた太さと品質のものは少ないとか。まあ、その点は残念だが、シラカバ材も高級材になる、付加価値を高められるということを証明したわけだ。

これまで欠点が目立って利用が少なかった素材を、技術を充分に活かして高品質のものをつくることができるようになっている。願わくば、価格が高くてもたくさん売れる人気商品を開発してほしい。

2012/09/04

史上最大の木造飛行艇

史上最大の木造飛行艇
北海道遠征、あと少しで終了。
それにしても新千歳空港の大空ミュージアムは、オタクぽい。

2012/09/02

皆川林野庁長官退任

今朝の新聞によると、皆川芳嗣・林野庁長官が退任するようだ。

と言っても、農林水産省事務次官に“栄転”だが。

本ブログでも紹介したが、今年5月にアポなしで林野庁を訪ねて皆川長官に面会したことがある。http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2012/05/post-5d1f.html

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その際は、国産割り箸問題を話したので、「次は割り箸サミットを開いて、長官を呼ぼう(嫌がるかも)」という声もあったのだが。
ついでに言えば、同じ日本の森林・林業をテーマにしているライター赤堀楠雄氏、浜田久美子氏とともに3人でシンポジウムを開催して、パネラーとして呼ぼう(嫌がるかも)という声もあった。

呼べるの? という声に対しては、「もらった名刺に直通の電話番号があるから直接申し込めば大丈夫♡」と根拠なく自信満々な人もいたっけ。たしかにシンポジウムには積極的に出席されているようであった。

ただし、就任して2年たつから、そろそろ異動ではないか、という想定もしていた。なかには「民主党が天下り禁止を打ち出したので、当分動かないでしょ」と思っている人もいたのだが、“栄転”という手があったか(笑)。

もともと農水省出身だし、コメ行政が専門ということだから、古巣にいい形でもどるということなんだが、林野行政はどうなるのかなあ。農水省の事務次官は、林務も包含するのだろうか。

  
実は、私は林野庁の人とあまり進んで名刺交換をしようと思わない。だって、これまで交換した途端に異動し、その名刺の意味がなくなることを繰り返したから。そして次に会って名刺をまた交換すると、別の肩書になって一からのつきあいになる。私の名刺なんか、デザインを変えることはあっても20年来同じ肩書だぞ。

あ、違うか、最初は単に「writer」としていたか。あんまり森林林業に縛られたくなかったし。そもそも肩書は、周りがつけてくれることが多いのだが、秘境ライターや安楽椅子探検家、田舎暮らし研究家、林業ライター、最近では割り箸評論家もあった(^o^)。

じゃあ、私もこれを機会に肩書変えようかな。森林ノンフィクション作家。森林評論家。森林思索家。ああ、森林に縛られてはいけない。範囲を広くと言ってもネイチャー・ジャーナリストでは普通すぎでつまらない。森・林の次は木にするか。木ジャーナリスト。わけわかんない。何がいいか、募集します(笑)。

閑話休題。

日本の官僚機構の最大の欠点は、その頻繁な配置転換にあると思う。どんな思いを持っていても、どんな能力を備えていても、2、3年で何か事を成すことはできない。またやる気も削ぐだろう。
ゼネラリストを養成するといいながら、実は縦割り組織だから、過去の部署の経験も活かしにくい。本人も事を急いで(2年くらいで)成果を出したがるか、あるいは何もせずに大過なくすごしたがるか。2年でいいのは、しぶしぶ引き受けた町内会長くらいにしてほしい。

林野庁は、とくに森林という長時間けて変化する対象を扱う官庁なんだから、なんとかならないものかね。

2012/09/01

てんてこまい

てんてこまいの一日。

朝から自治会の役員会議。先日の夏祭の総括は、見事な赤字であった(~_~;)。こりゃ、まずいぜ。今後の行事の見直しが課題となった。私は、会計だが、金銭を扱う才能はこれっぽっちもないらしく、帳簿もマジメにつけていないが、この処理大変だなあ。

そこへ「自主防災組織づくり」が持ち込まれた。考えたら今日は防災の日であったが、「防災組織を作っていない自治会はここくらいです」と脅される。

そりゃわかっているのだが、そもそも100世帯もなく、その多くが高齢家庭。一人住まいも多い。その反面、入れ代わりも少なくない。自治会役員のなり手がいないほどの弱小自治会なのである。しょうがなくなった私のような役員は、みな仕事を持っている。

実は、私が前回役員をやった数年前も同じ話が持ち込まれて、それなりに調べたり検討はしたのだが、組織をつくる負担が大きくて、とてもできないという結論になったのであった。
が、東日本大震災を受けて、行政側も結構プレッシャーをかけてくる(>_<)。せっかく祭が済んで、当分はゆっくりできると思ったのに……。

実は明日が法事の四十九日で、その準備もある。午後は、それに走り回ることに。花を用意したり、満中陰揃えたり。実家の掃除に近所の挨拶。足りないものの買い出し。そこに相続関係の書類も関係してくる。

そして今日が、10月出版予定の原稿の事実上の締め切り。元原稿は書き上げていたが、最後の推敲加筆である。満足できる出来ではないが、原稿をとりあえず出版社に送る。このあとは初校で手を入れるしか仕方がないだろう。

まだ終わらない。明後日、つまり3日から北海道なので、その準備も必要なのだ。どうせ、明日は余裕がないだろうから。ああ、札幌は涼しいことを願うよ。

郵便物もいろいろあるが、返信が必要なものはどこに行ったっけ。

なんか、デスクが書類というか、紙の束で埋まっていく……。

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森と林業と田舎