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森と林業の本

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2012/09/12

銅像の変遷

吉野の川上村大滝に土倉庄三郎の銅像があることは、これまでも触れたと思うのだが、その銅像は3代目である。

初代は死の翌年に作られ、現在の川上小学校の敷地に建てられた。が、太平洋戦争末期、金属供出令によって、取り外されてしまった。戦後、村人は銅像奪還を目論んで、大阪のくず鉄業者を回ったが見つからなかった、という逸話がある。

そこで50回忌に当たる1967年に再建された。写真をモデルに、当時はまだ生前の庄三郎を知っている人がいたので修正を加えつつ完成させたという。

が、それも施工が悪かったらしく、足元から腐食してしまった。そこで上半身だけを残して取り外し、現在の3代目銅像を建立した……ということだ。3代目建造時は、生きた庄三郎を知る人は一人もいない。

3代目は現在、土倉屋敷跡に立つが、2代目は林業資料館の入り口に胸像として安置されている。

問題は、初代だ。どんな銅像だったかわからない。やはり、初代こそ顔つきなど本物に一番近いはずだと思うのだが……。

ところが、初代の銅像の写真を手に入れたのである。と言っても、全身像なので顔は小さいが,あえて拡大してみた。

Photo


初代庄三郎像。



2代目、3代目も紹介する。

Photo_2



これが、2代目。





Photo_3



3代目。こちらも全身立像の顔の部分を拡大。



なんか、違う(~_~;)。初代は少しだけふくよかな気がする。

せっかくだから、肖像写真も。

1


これが、もっともはっきりした肖像写真。




でも、若いころ(と言っても40代だが)の洋装の写真を見ると、甘いマスクに長身で映画俳優みたい。にこやかな表情で妻と手を組んでいて、カッコいい。私は、そちらの方が好きだな。

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