無料ブログはココログ

本の紹介

« 見えぬ「未来の芽」 | トップページ | 北海道の「森を育む割り箸です。」 »

2012/09/07

林業・家業論

またもや、先の講演会の際の話。

後半で、スイス林業を紹介して、その発想を「大きく儲からないけど、長く生き残ることを意識した林業」と評した。持続性や近自然的ゆえの低コスト、そして量より品質重視な商品づくり……という意味だ。

が、終わってからの皆さんの反応。

儲からないのは困りますなあ」。

正直だ(~_~;)。たしかに講演の聴者は、大半が木材産業系の経営者だけに利益を上げることは至上命題である。さもなければ会社の経営が傾くし、自らの地位もアブナイだろう、多分。
ただ、持続的であることは長いスパンで儲けることを意味するのであって、一時的に利益を上げても、将来を失うのなら総利益はどちらが多くなるのか。

ここで思い出したのは、林業・家業論である。林業は、事業ではなく家業である、というもの。

と言っても、唱えているのは私なのだが。(⌒~⌒ι)

森林のような生長-循環するスパンが長く、一代では納まらない対象を扱う産業は、担当者も長い目を持たねばならない。しかし、企業では担当者が往々にして入れ代わる。数年10数年同じ森を担当しても、自分が手がけた森の1サイクルを追うことはできない。また資金の循環や利潤の追求を考えると、50年100年周期の事業なんて、考えづらい。

本来は国家のような組織、つまり国有林公有林が、長い目を持って森林を経営してほしいのたが、実のところ民間企業より早く公務員が入れ代わり、しかも自らの任期以降は気にしないことが慣行となってしまっている。

結局、かろうじて機能しているのは、代々林業を受け継いでいる林家しかないのではないか……と感じるのだ。お親から子へ、財産として山林を引き継ぎ、林業を営むような林家である。そんな家の当主は、人生のほぼ丸ごとを林業に関わることになる。
もっとも、小規模で常に森に関わらない家では林業技術を磨けないだろうから、ある程度の規模で日常的に林業を継続している林家ということになる。そうした立場で、100年200年も続いている林家は非常に少ない。

たとえば9代続く三重の速水林業、岐阜の中原林業、そして吉野のいくつかの林家などがモデルになりうる。速水林業は、いまだ法人化していないと聞く。

とはいえ、家業にも欠点はある。基本は血筋で引き継ぐにしても、後継者が林業に興味を持つか、知識や技術を習得するか、という点があやふやだ。どんなに教育しても、父親に反抗する娘はいる……いや、我が家のことではないよ(~_~;)。今の世の中、血筋だけで宿命を感じて家業を継いでくれるわけではない。
一昔前なら、ぼんくら息子には継がさず、優秀な人物を婿取りして養子にするなどの手法があったのだが、これも今の世の中には馴染まないね。さらに、林家の番頭に当たる山守の血筋も、衰退してしまっている。この継承のシステムが明確でない点が、一抹の不安である。

ただ、一方で家業である林業を企業経営化した山主もいる。

単純に自家山林の経営を仕立てた法人に任せるだけでなく、社是・社訓として森林経営をゆだねるケースだ。

内実は知らないが、たとえば住友家、三井家などのように、明治時代に取得・育成した森林は、その後住友林業や三井物産などの企業にゆだね、目先の利潤を意識せずに維持されるケースが該当する。
おそらく、そんな会社にだって「儲からないなら処分してしまえ」と時の経営者が考えた時期もあると思うのだが、それは社是に背くことになる。そこで本業から資金を融通しつつ森林経営を続けてきた。本業を営む経営陣も、それをよしとした。

おかげでサラリーマンであっても、長時間のスパンで経営を考えられる条件が整い、森林の情報や技術の伝承も行えた……のではないか。

いわば本家(創業家族?)の森林を維持しつづける意識を、サラリーマン経営陣が継いだ形だ。もちろん、それだって、本業に余裕がある証拠なのだが……。

家業というのは、個人か法人かで決まるのではなく、長期に渡って経営する意志を保ち、それを引き継ぐ人物を選定できるかどうかだろう。しかも、その長期保有の意志は、経営者だけでなく、社員にまで広まっていなければならない。さもないと、経営環境が悪化すると、必ず横やりが入る。

その意志を保つ仕掛けが何か……と悩むのだが、その中には森林経営に誇りが持てる、ロマンを感じる、組織の精神的バックボーンになり得る歴史を共有する……などの要素があるのではないか、と考える。

ただ本業が傾いたら、さすがに野放図に森林保有を続けるのは無理なわけで、少なくても林業部門は、赤字を出さない程度の経営努力は必要だろうなあ。

ともあれ、スイス的林業は家業にあり(笑)。家業的森林経営を行える体制を築かねば、細く長く持続的に森林を維持できないのではないか……なんて、考えてしまった。

« 見えぬ「未来の芽」 | トップページ | 北海道の「森を育む割り箸です。」 »

林業・林産業」カテゴリの記事

コメント

 先日仕事で、吉野の土倉庄三郎と並び、明治維新志士・社会事業家のパトロンであった、紀州の濱口梧陵の末裔である『東濱植林株式会社』の山林に行ってきました。架線集材で皆伐した山に植林し育林するために、わざわざ四万十式作業道を開設している現場です。(うちの組合が補助金申請等を代行したので、作業道延長の測量です。)
 結局、あれができるのは「由緒ある家業を絶やすわけにはいかない」という精神と、東濱口家の本業であるヤマサ醤油・ヒゲタ醤油の余剰利益という資金があるからで。
 持続的林業経営には、『汲めども尽きぬ精神的・物的なフロー投入が両者とも必要』という、あまり現実に見たくないような高いハードルを見せつけられた気がしました。
 現場に来られた番頭さん(専務だったかな)に、「君はなんで林業に就いたの?」と訪ねられたので、なんやかんや経緯を話すと、「要するに、君は山が好きだということだね。それは大切だ。一番大切だ、うむ。」と言っておられたのが印象的でした。
(ついでに、その山は少し松林が残っているので「ここは整備すれば松茸山にできますよ。地元の古老に聞けば昔は採れたということですしウダウダ」言っておりましたら、「やりたければ、君が好きにしていいよ(笑)」と言われたので、また自分の好きにできるフィールドが広がってラッキー)

本業に余裕があるかないかにしろ、たいした利益も出ないのに山を持ち続けて、さらに手を加え続けるには強固な意志が必要です。それを、もっとも維持しやすいのが、「家業」なのかも。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/36391/55599386

この記事へのトラックバック一覧です: 林業・家業論:

« 見えぬ「未来の芽」 | トップページ | 北海道の「森を育む割り箸です。」 »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

森と林業と田舎