無料ブログはココログ

森と林業の本

« 役物コテージ? | トップページ | 京都府立林業大学校の校長 »

2012/09/19

合自然と近自然と従自然

私の森林・林学観に多大な影響を与えた学者が二人いる。

一人は、村尾行一愛媛大学客員教授。知ったのは著書『山村のルネサンス』を読んでだが、焼畑理論から始まり林業のなんたるかを教えてくれた。そして、林政学的な面から衝撃を与えてくれた。

もう一人が、株式会社ハイトカルシャ会長の赤井龍男・元京都大学農学部演習林助教授。

こちらは、、『低コストな合自然的林業』(全林協)を読んだのだが、すぐに私は取材に行き、その後何回にもわたってお会いして薫陶を受けた。こちらは生物学的な面から森林と林業を詰めており、まさに目からウロコであった。

ここで赤井先生の唱える森林や林業の話をしだすと超長くなるので略すが、簡単に言えば、「森林はそんなにやわじゃない」と、人工林も無間伐で育つことを現場を何十年にもわたって追跡して証明している。そして、自然の生態系に近い森づくりをすることが、もっとも低コストであるとした。
この実践的な理論は、拙著にも繰り返し登場する。『日本の森はなぜ危機なのか』や『森林からのニッポン再生』などを参照していただきたい。

講演でも話した。すると会場からブーイングが出るのである(笑)。だって、間伐推進シンポジウムで、「間伐しなくてもいい」と話すのだから(⌒ー⌒)。

さて、17日は天川村から急ぎ帰宅すると、すぐに「元気な森づくりフィールド・フォーラム」に出かけた。

こちらのフォーラムは、生駒山の森づくりに関するもので、私が関わってきた研究会絡みである。そして基調講演を行うのは、次の二人。

従自然的な森の再生と成長」 赤井龍男(元京都大学農学部演習林助教授)
都市の背景としての森林」 中嶋節子(京都大学大学院人間・環境学研究科准教授)
なのである。

中嶋先生は、建築史が専門で、都市近郊の森の歴史と役割を語っていただいたのだが、そちらの話は別の機会に置くとして、なんたって赤井先生である。

1


会場となったアイアイホール。生駒山の森の中にあるホテル付属のホールで、大胆に自然を取り込んだ会場が素晴らしい。が、つい壇上より背後の森に目が向いてしまう(笑)。






2


赤井先生の講演。

私は久しぶりに再会したわけだが、よく覚えてくれていた。そして元気。なんと御年84歳である。が、今も全国の山を歩いているそうだ。







さて、ここでは講演内容とは全然別のことを(^o^)。

赤井龍男氏の著作『低コストな合自然的林業』には、タイトルに合自然という言葉を使っている。ところが、今回の講演タイトルは「従自然」なる言葉なのである。一方で、最近は「近自然」という言葉も広がっている。

そこで私は、先生に会って訪ねたのである。「この3つの言葉、どう違うんですか」

すると、もともとはドイツ語で合自然に相当する言葉があるのだそうだ。それをここで示すことができないのが悲しい(^^;)。 natürlich zusammen? なのかなあ。

なお近自然に対応する言葉もあるそうだ。natürlich nah?  ただし、現在はkinshizen と日本語をそのまま使っているという。なぜなら、近自然学を提唱したのが、スイス在住の日本人だからである(^o^)。

先生に聞いたのけど、覚えられなかった。ドイツ語にくわしい人いたら教えてくれ。

で、それを英語に訳そうとしたら、近自然はともかく、合自然を示す言葉がなかったという。それで仕方なく、自分で

according to nature と訳してみた。

この英語を使っているうちに、「合自然」よりはaccording to nature を直訳した自然に従う、「従自然」の方が本来の意味に適していると思ったので、最近は「従自然」を使っている……そうなのである。

意味を正確に示す日本語を作る過程って、こうしたもんかもね(^^;)。明治時代にも、こうした模索を行いながら、新たな日本語がたくさん作られたのだろう。

さて、これらの言葉、どれが本当に根付くかは今後次第だろう。

どれが日本的感覚でしっくり来るかなあ。あるいはもっとキャッチになりそうな言葉を紡ぎだすか。

もっとも、その前に「合自然」「近自然」「従自然」の内容をよく理解しておかねばならないね。

« 役物コテージ? | トップページ | 京都府立林業大学校の校長 »

森林学・モノローグ」カテゴリの記事

コメント

「近自然」をkinshizenとして広めた人、ということですね。

はい、山脇さんです。彼は、来月の朝日地球環境フォーラムに出席するそうですよ。

過日、FSC認証森林のサイトモニタリングに行ったのですが、モニタリングする対象林のそばに、50年間無間伐(わかっている限りで=もしかしたら無間伐かもしれません)の多分80年生ぐらいのスギの人工林の山がありました。3反歩ぐらいだと思いますが、一通り歩いてきました。
植栽木は完全に優劣がついていて、風が強い日は枯れ木が倒れるかもしれないなあと思いました。下層はカシの木が中層を形成していました。表土は安定しているようでした。樹冠は3割ほど、斜面下側が発達している(当たり前ですが)ようでした。
一緒に行った、隣の所有者の方からは、「全部の山がこうなるとは思えないし、間伐をしていく山も当然ある。近い場所と遠い場所では人手のいれ方も違うし・・・・」、「建材を考えると、径級をそろえたくなっちゃうんだよなあ」なんて話も出ました。ああ、県の職員の方とか一緒に行ってもらえばよかった、って思いました。

いつもながら、本筋とはずれた書き込みですみません。
(いや、ちゃんと読んではいるんですよ、
 いつも「ふむふむ」「なるほど」と、いう感じです)

間伐推進フォーラムでのくだり、
高校時代のことを思い出しました。
「自分探し」が売りの母校に講演にやってきたのは、
「自分探しなんてありえない」が持論の
養老孟司先生。
生徒は聴けない講演会でしたが、
おそらく、ご自分のお考えを話されたのだと思います。
どのような場であれ、考えをころころ変えるのは、
本来の姿ではないですよね。

アイアイホール、やはりこれも母校の高校の体育館を
思い出しました。
体育館のステージの奥は、ガラス張りになっていて、
外は並木だったんです。
大体いつもカーテンが開けられていて、
気持ちのいい体育館でした。都心の割には。
能や歌舞伎の舞台も、背景は松ですしね。
舞台に木があるのって、素敵ですよね。

森は、まさに一カ所一カ所ずつ条件によって違うのでしょうね。
でも、無間伐でも育つ(可能性がある)ことを示す例として、貴重だと野もいます。あまりに現在は、「人工林は間伐しないと育たない」という杓子定義な考え方が強すぎる。

養老先生なら言いそうなこと(笑)。みんな、反論できない。
私なら、反発あるだろうなあ。

それにしても、母校の体育館、素敵な造りじゃないですか。そんな設計してある学校もあるんだ。

そうなんです。
バブル期の終わりに、湯水のようにお金を使って建てたので、
デザイン性に凝ることができたみたいです。
開校当時は見学者が絶えなかったそうで。

もしご興味あれば、見学もできるかと。
「晴海総合高校」です。

日本庭園もあります。

バブルの産物でしたか(^^;)。
でも、たしかにバブル期だからできた代物というのは結構あって、案外貴重な遺産となるかもしれません。

私は若輩者ですが、林業観で影響を受けた方は、富村(周)さんと太田(猛)教授です。木材関係だと、海杉さんとシバモク。
総括だと、田中さんと赤堀さん。
現場では、うちの森林組合の杉山(明)さんと杉山(嘉さ)ん、的場さん。

時々顔を思い出しては自戒をします。

すいません唐突な質問ですが、赤井さんにはお子さんっているのでしょうか?

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 合自然と近自然と従自然:

« 役物コテージ? | トップページ | 京都府立林業大学校の校長 »

September 2024
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

森と筆者の関連リンク先