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森と林業の本

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2012/09/26

『十津川村大水害の記録』

連日の「お届きもの」だが……。

奈良県十津川村から『十津川村大水害の記録』が届いた。昨年9月2日~の紀伊半島大水害に関する記録である。1年目にして、こうした世間向きの報告を作ったことに感心する。

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A4版のカラーパンフレットみたいだが、いやはや、私も初めて見た写真が結構ある。頭では知ったつもりの被害も、こうして改めて見ると、新しい発見というか、想定していたものとは違う災害の姿が見えてくる。




橋や道路など交通路はもちろん、電話もテレビもインターネットも不通になったという点は、想定外の全電源喪失を起こしたどこかの施設と似た状況かもしれない。

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十津川中学校が、周りを水に取り囲まれるような事態になっていたことや、尾根筋の林道沿いに崩落が起きていること。深層崩壊の規模が幅950メートルにも達していたこと、高低差でも数百メートルあること、川に流れ込んだ土砂がいくつも重なり津波が発生していたこと……など。

こういう根こそぎ流し去るような災害を目の当たりにすると、森林の役割なんて小さなものだ、という気がしてしまう。



そして120年前、明治22年にも、同じような規模の大水害が十津川村を襲ったことを思い出させた。

私が土倉庄三郎について調べ執筆している最中にも、この明治の水害は登場する。庄三郎は、十津川水害に際して莫大な援助をしている。それも匿名だったため、記録に残るのは500円だけだが、実際はその数倍に上ると聞く。

今回、その役割を果たしたのは、新十津川町だろう。明治の災害後、多くの人が北海道に移住して開拓に従事し作ったのが、新十津川町である。その町が、今回は膨大な支援を行っている。金銭物資だけに留まらず、職員の派遣にも及ぶ。
実は新十津川町に、十津川村民の血を引く住民はそんなに多くないそうだが、歴史の記憶が引き継ぐのだろう。その意味でも、記録は大切だ。

ところで、この冊子の裏表紙には、こんなロゴとキャラクターが。

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ロゴはともかく、ゆるキャラ「郷士くん」は、2009年に作られたものだけど、「心身再生の郷」の幟は、なんだか意味深だね。

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コメント

お世話になります。とても良い記事ですね。

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