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森と林業の本

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2012/09/15

古事記と川上村

2年前、奈良は平城遷都1300年ということで、大々的にお祭もして盛り上がった。

で、今年は何を謳っているかご存じか。

古事記編纂1300年なのである。地味だけど、奈良県もコツコツやっているのよ。

この古事記の中で注目するのは、やはり神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)、これはまだ天皇に即位する前のお名前であるが、ようするに神武天皇の東征、つまり日向から大和を征服する話。

よく知られるが、大阪湾に上陸したものの、生駒山を越えようとして、生駒の豪族・長髄彦(ながすねひこ)(古事記では、那賀須泥毘古と表記され、また登美能那賀須泥毘古登美毘古とも称される)に破れて追い返される。その際、兄も討ち死にするなど、甚大な被害を被り、そこでと熊野まで大回りして北上し、吉野を抜けて大和盆地に入り、とうとう大和を征服した。この際も最後まで抵抗したのが長髄彦であるが、裏切りの計略によって討ち取られた。

とゆーわけで、生駒人である私からすると、神武天皇なんてよそ者の極悪非道の侵略者であり、長髄彦こそ最後まで抵抗した生駒の悲劇の英雄なのである。

が、その話は置いといて、ここでは吉野に関する話。

その際に、このようなシーンがある。

從其地幸行者、生尾人、自井出來。其井有光。爾問汝誰也、答曰僕者國神、名謂井氷鹿。此者吉野首等祖也。卽入其山之、亦遇生尾人。此人押分巖而出來。爾問汝者誰也、答曰僕者國神、名謂石押分之子。今聞天神御子幸行。故、參向耳。此者吉野國巢之祖。

これを現代語に訳しているところを探すと、このように表されていた。

そこからさらに進むと、尻尾がある人が井戸から出て来ました。
その井戸に光が有りました。そこで、
「そなたは誰か。」と尋ねると、
「私めは国つ神、名はイヒカと言います。」と答えました。
(これは吉野首らの祖である。)

そこでその山の中に入って行くと、また尻尾がある人に会いました。
この人は岩を押し分けて出て来ました。そこで、
「そなたは誰か。」と尋ねると、
「私めは国つ神、名はイワオシワクの子と言います。
今、天つ神の御子が来られたと聞いたので、御迎えに来ました。」と答えました。
(これは吉野の国巣の祖。)

有尾人がいたのだ!  ここでイヒカは井氷鹿と表記されるが、現在は井光。川上村に現在もある集落である。井戸というのは掘った穴ではなく窪地のことらしいが、尻尾があるという点が興味深い。

これは、何を意味するか。今は滅んだ幻の有尾人が生息していた、となると、ツチノコどころかイエティ(雪男)やサスカッチ(大足男・・・カナダの猿人)なみである。ボルネオにはオラン・ペンデクという有尾人がいると未知生物の世界では言われていたが……。

と先走ってしまう。が、常識的に考えれば、この集落の民が、何か尻に尾と見間違うものを付けていたのだろう。
そこで想像を膨らませると、今でも古い林業家の中には、尻に鹿の毛皮を垂らしていることがある。マタギなどでも見られるが、そのまま土の上に座ってもクッションになるし、水が染みてこないのだ。

これを尻尾に見誤った? つまり有尾人とは山の民、杣人を表しているのではないか。

もしかして、吉野の民、杣人に関する日本最初の記述かも。。。



……そんなことを考えてみても、面白いかも。

で、川上村では、古事記のフォーラムが開催される。演者は、古事記研究の第一人者である三浦佑之(立正大学教授・千葉大学名誉教授)
演題/「古事記にうつる源流の郷(くに)」

●開催日時:2012年10月21日(日)14:00-15:30(開場13:30)
●開催地:川上総合センターやまぶきホール(奈良県吉野郡川上村宮の平)
 近鉄大和上市駅より奈良交通バス湯盛温泉杉の湯行き終点下車、徒歩約5分/駐車場有
●参加費:無料(要申し込み)
●申し込み・お問い合わせ:
森と水の源流館
〒639-3553 奈良県吉野郡川上村宮の平
TEL 0746-52-0888 FAX 0746-52-0388
eメール morimizu@genryuu.or.jp ホームページ
http://www.genryuu.or.jp

http://blog.livedoor.jp/kawakamimura/archives/51962333.html

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コメント

遙か昔の学生時代、宮崎県北郷村(現美郷町)に調査と称して居候させていただいておりましたが、その時にご主人が「宮崎から神武天皇が出て行った時に、気の利いた人間を全部連れて行ったので、今の宮崎はなかなか良い人物が出て来ない」とおっしゃっていました。九州人から見ると、ヘッドハンドで有為の人材をごっそり流出させた極悪人でもあります。

北郷村は、正倉院があったところ?

自虐的ですなあ(笑)。むしろ九州が暴れ者の一族を追い出したんじゃないですか。大和はいい迷惑(^^;)。

考えたら、神武天皇は大和に行ったきりですから、征服というより移住ですか。

古事記に記されたこのえもいえぬ郷愁感…
奈良って本当にいいんですよねぇ。

日本のルーツともいえるこの独特の雰囲気は
山の神、森の神と人間がさまざまな対話をした記憶に基づいている。

八百万の神という価値観、地方地方で様々な形の林業の有りようが尊重されるという価値観…そういうストーリーを奈良から発信するというのはとても自然な流れに感じます。

 なんか島根県の安来市にある伊邪那美神の神陵地といわれる比婆山に10年ぐらい前行ったとき、三井関係の会社が山をがりがりと削っていて、悲惨な状態になっていたことを古事記関連で思い出しました。

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