不思議な写真~原六郎と内田政子と土倉庄三郎
このところ、土倉家の写真を整理しつつ、写っている内容を吟味している。
すると、不思議な一枚に出会った。
座っている真ん中の老人が土倉庄三郎である。
どうやら家族写真らしいが、後ろの列の右が、庄三郎の次女・政子である。アメリカに留学経験もあるから 洋装なのはわかるが、帽子まで被って何かヘン。ちなみに後の外務大臣内田康哉と結婚して内田政子になっている。
そして後ろの真ん中が原六郎である。長州戦争から戊辰戦争まで官軍側として駆け抜けた維新の立役者であり、明治財界の大物だ。横浜正金銀行頭取にして、数々の企業を立ち上げた大金持ちでもある。なぜ彼が?
実は庄三郎の長女・富子が、原六郎の元へ嫁いでいる。とすると、前列右の女性が富子かもしれない。が、後列左の男性は内田康哉ではない。前列左の女性もわからない。
それにしても、複層はバラバラ、表情もイマイチ変だ。六郎の視線はどこに向いているのか。(目が黒く抜けているのは、写真に落書きされたのではないかと思う。)
まさか合成ではないと思うが、これがどこで撮られたのか特定できたら、庄三郎と六郎が同じ紙面に写っている、結構貴重な写真になると思うな。
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大物の原六郎を差し置いて真ん中に座るとは、土倉庄三郎は凄い方ですね。
投稿: たかさん | 2012/09/29 09:31
原六郎は、庄三郎にとって娘婿。つまり義理の息子ですからね。
ただ、この写真の雰囲気は、なんか変だ(~_~;)。表情がバラバラに感じる。
投稿: 田中淳夫 | 2012/09/29 11:08
中尾と申します。原六郎の生家である佐中千年家に関わっています。
原家は佐中を出て行ったため、地元の情報はほとんどありません。情報がありましたらお教えください。本は予約しました。
投稿: nakao | 2012/10/08 10:50
中尾様
原六郎は、土倉庄三郎よりずっと有名ですよ。たしか日記も残されていたはずだし、原六郎伝も出ているんじゃなかったかな。東京の屋敷は、今は記念館かになっていると聞きました。
土倉家からすると、長女が嫁に行っている(六郎の再婚)ことで、その後土倉家が没落する過程で、何かと資金援助はしていたようです。
庄三郎が但馬に行った造林地も、六郎が引き取って、現在は日本土地山林株式会社の所有になっていたはず。それくらいしかわかりません。
投稿: 田中淳夫 | 2012/10/09 23:50
庄三郎が行った但馬造林地は元来進藤家もしくは原家所有地です。
六郎の求めに庄三郎が応じて植林したのではないでしょうか。
日本土地山林㈱は原家の資産管理会社として設立されました。今でも
活発に林業経営を行っています。
投稿: korowaso | 2014/02/09 21:09
進藤家の名前は初めて聞きました。ありがとうございます。
大日本土地山林に聞いたところ、庄三郎が植えた山は、すべて伐採してしまったとのことでした。残念。
投稿: 田中淳夫 | 2014/02/09 23:32
日本土地山林は昭和40年代 50年代には伐採と植林を推し進めていました。その時に伐られたかも。植林用苗木は指定母樹から採取した
実生苗もしくは挿し木苗を自社生産していました。もしかして庄三郎由来の吉野杉のDNAが残っているかも知れません。
伊香保造林について。場所は伊香保温泉の手前、グリーン牧場と伊香保カントリー。土地は日本土地山林の所有です。そこに杉の古木、大木があれば庄三郎の造林によるものです。
投稿: korowaso | 2014/02/15 12:18