有名人とゆかりの地
高知から帰ると(高知でも、だけど)、山中伸弥氏のノーベル賞受賞で沸いていた。
マスコミには当の本人はもちろん、ゆかりのある人が続々と登場する。在籍する京都大学のほか、卒業した小学校、中高校大学の恩師に友人、単なる学生。単なる町の人・・・・(^^;)。
京都や大阪が注目されがちだが、山中氏は奈良も縁が深い。そもそも奈良市の小学校に通い、学園前に住んでいた。そして我が生駒市にある奈良先端科学技術大学院大学の助教授だったのである!
・・・・・・というように、有名人、とくに大きな業績を上げた人と同じ地域にいるということは、何かと話題になる。同じ町に住む。同じ小学校の出身。同じ県。同じ日本人。どこかで会っただけでも。そうしたことが、連帯感につながるのだ。他人の話ではなく、多少とも自分とつながりがあることで親近感も湧くし、話のネタにもある。だから盛り上がる。私だって「彼が助教授としていた頃に、あの大学訪ねたよ」とか「父親が経営していた町工場(の付近)でオレも生まれ育った」とか言える(笑)。
もちろん町おこしにも利用することもできる。あの人物の……した町、というだけで、興味を持つ人がいるからだ。実は、高知の町も、そこかしこに幕末の動乱で蠢いた人々の関係地がいっぱいあった(^^;)。
そこで思い出してほしい。
林業界の巨人といえば、土倉庄三郎でっしょ!! 近代奈良の偉人だしょ。明治時代に、もっとも有名な奈良人だったかもしれない。
彼は、吉野から明治という新社会を作るのに大きな貢献をしたのだ。
当時、林業は日本の基幹産業だったことを示し、国づくりに役立てたのだ。
そして、当時の奈良(大和)は、日本の中でも重きを置かれていたことを振り返るべきだ。一時期は「府」だったし、「自由民権運動の台所」と呼ばれ、国づくりを支えたのは吉野の林業家なのだ。
『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』をよろしく(^o^)。
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