皆伐と択伐はどこがちがうのか
昨日の続き。と言っても、昨日の群状間伐とした写真は、国有林の皆伐地の間違いだということなので、書きにくくなったのだが……(-.-)。とりあえず、写真は差し替えた。
実は、私は皆伐を必ずしも悪いとは思っていない。大面積皆伐は論外だが、小規模皆伐は施業法の一つとして重要なのではないか、と思っている。
この場合の小規模とする面積はどれくらいなのか、科学的に説明することは私にはできないが、感覚的にはせいぜい1~3ヘクタールぐらいではないか。つまり、群状皆伐?の1区画面積ぐらいなら悪くないように感じる。これも科学的ではなく、感覚(^^;)
というのは、生態系を考えるうえで、皆伐地に相当するような非樹林地は重要だからだ。森林も重要だが、草原も大切で、それらがモザイク状に存在した方が、環境の多様性が増える。伐採跡地が草原になることで、生息できる生物種もいるだろう。草原を餌場としてシカが増えては困るという点もあるのが。
たとえば、スキー場も、ある意味帯状に皆伐した林地と酷似している。そしてスキールートは、積雪のあるシーズン以外は草が生えており、ここに結構重要な草本類や昆虫が存在して、貴重な生態系が生まれている。日本の国土には、過去多くの草原植生があったが、近年消えかけている。その中でスキー場や伐採跡地は、かろうじて草原が保たれる場所でもあるのだ。
日本の草原生態系を確保するためにも、皆伐施業を、なんていうと怒られるだろうか。
もちろん、経営的にもまとまった量の木材を出せる、コストダウンになる、という利点もある。再造林もしやすいだろう。その点では、林業経営とも合致しているはずだ。
ただし施業法としては、小規模皆伐地がモザイク状に入る割合は厳密に考えないといけないだろう。林地全体の何%まで伐採地となってもよいのか。また伐採頻度は何年に一度くらいか。そして跡地を再造林するのか天然更新に任せるのか。次世代の樹種は何か。細やかな知見と技術が必要となる。
しかし技術としての群状択伐や帯状択伐は昔からあり、さらに今や死語になった?画伐とか漸伐なんて施業法もあった。いずれもいわゆる皆伐ではないが、小規模にまとまった伐採を行う。
さらに跡地を活かせば複層林施業にもつながる。小規模皆伐地に造林したら、林齢 のちがった林地が混ざるし、そこに広葉樹などの天然林が育てば混交林となる。皆伐から近自然の森を作り出すことも可能だろう。
だから群状間伐ではなく、群状皆伐として行うべきではないか……(と、昨日の記事に続けるつもりだったのだが、写真を間違えたので困ったなあ)。
このように皆伐と択伐の違い(境目)は、実は曖昧で、それぞれ林地の事情によって規模や回数が変わり、言葉の定義は別として、現場で施業を実行する段階では厳密に区別しなくてもよいように思う。(言葉によって、補助金が出る出ないというのはむなしい。。。)
そういや、岐阜の中原林業では、あえて皆伐施業をやっているそうだ。
中原林業全体としては、林齢の違う林区をいろいろ設けて「法正林」化していくそうだが、その一環で皆伐もしている。それは皆伐技術(伐採・搬出と造林)の伝承のためなのだそうである。
そんな、柔軟な施業法の選択と、細やかな技術が普及することに期待したい。
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