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2012/11/26

林学は森林学ではなくて林業学である。

タイトルを見て、のっけから何を言い出すのか、と思った人もいるだろう。

実は、タイトルの言葉は私の言葉ではない。

『改訂林政学』(塩谷勉著)という本の序説の冒頭にある言葉なのである。

たまたま私が学生時代に使っていた教科書を手にとって開いたところ、飛び込んできたのだ。この本は、昭和52年の発行だが、改訂版なので、初版は昭和48年に、執筆は47年に行われたものである。つまり、今から40年前の著作だ。

そこに「林学は森林学ではなくて林業学である」と記されている。

ここに原点があったか! 私は、森林学がしたくて大学の林学科に進学し、そこで林学は林業学であることに気づいて愕然としたのだ。その思いが、教科書に記されていたことに今頃気づいたという点に驚いた(笑)。

序説には、森林学ならば理学部のようなところで教育研究されてもよい、とある。林学は、あくまで林業の学問なのだ、と。

しかし林学の間口の広さにも触れてある。生物学、地質学、数学、物理、化学、土木、機械などの工学、経済、法律、社会、歴史、美学……と含まれていると説明する。

これも、私は気づいていた。当時、文学を除くすべての学問分野が含まれるんじゃないか、と言った記憶がある。ああ、そうか。だから私は文学者になれなかったんだ(^^;)。

しかし、これだけで終わらない。その後の緒論の冒頭には、「林政学とは」という定義が始まり、さらに森林の定義にさえ触れている。そこには森は「盛り」であり、林は「生やし」で平面的……なんて文学的?な解説が。森は形容詞で、林は名詞。森林とは、明治14年にフランスの法律を訳す過程で登場したらしい。つまり、森林という言葉は明治以降にしか使われないわけだ。

そのほか、いろいろ発見があった(^^;)のだが、冒頭にもどると、そもそもの林学の発生は、ドイツの官房学(カメラリズム)にある。官房学をどのような意味に取るかは難しいが、大雑把に言って行政学であり、その中心は財政学のようだ。つまり国家経営の方法論なのである。

だから国家財政をいかにして得るか、というところから林業が確立され、林学が登場するのだ。まさに林学は林業学なのであった。

その後、このテキストは重商主義や古典学派の自由主義、さらに歴史学派に、マルクスも登場して社会主義、修正資本主義……の解説まで進む。

これが林政学の教科書だよ\(^o^)/。学生時代には、理解できなかったし、うんざりしただろうな。ただテスト勉強用に赤い下線を引いたところだけを詰め込み覚えたのか。

だがパラパラと読み返して、40年前の古さが全然ない。当時から林業の危機的状況を訴えているし、そこに行政の果たす役割にも触れている。また歴史を積み上げて解説されると、今なら反発買いそうな林業の経済理論も納得してしまう。おそらく、その後も改訂版か、新たな林政学の本は出版されているとは思うが、この本でも十分という気がした。

昨今は、賛同するにしろ反発するにしろドイツ林業を振りかざすのが流行っているが、目先の技術や機械、それに社会制度を付け焼き刃的に取り上げるのではなく、どうせならドイツの林業と林学の発生から現代までの流れを勉強すべきではないかね。

そこには普遍的な林学の目的と、森林学も含んだ人と森林のつきあい方を考えるヒントが記されているように感じたよ。

Dsc_0324


テスト用に、付け焼き刃的に勉強したんだろうな~と思わせる赤鉛筆の線が、痛々しい(笑)。

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コメント

私は林政の修士課程を出ましたので、当然持っとりましたが、きちんと読んだかと言われれば。。。手元に置いておけば良かったです。。。

教科書は、学生時代に読むものではありません(^^;)。当時は試験勉強用だなあ。

でも、沢畑さんが林政学の修士だったとは……。

僕は森林科学科卒ですが、一つ上の学年は林学科と林工学科でした。

当時から「林学科」「林工学科」という科名は何となく古くさくもある一方、
どことなく響きがサムライ(?)っぽくて、先輩方も誇りをもっている印象でしたhappy01

林工学科というのがあったんですか。林学科の中に林業工学の講座があったのは覚えていますが……。
そういや林産学科もあったけど、今はほぼ消えたような。

森林科学科というと、森林学ぽくなりますね。これを進めたのは四手井綱英センセイらしいが。。。かつて林学の中心だった林政学は、その後隅に押しやられていった気がする。

速水林業は林業学と森林学を合体させようという試みかも知れないと思いつきました。 それこそ包括的な「林学」というものでしょう。

童話や昔話に描かれている「森林」を読み解いて、森林文化などを解析しておられる方が林学会(大学の林学科)におられましたが・・・文学と言えば「神去村」読みましたが、なかなか面白かったですね。ツッコミ処はあちこちあるにせよ (^^ゞ

最近、森林という言葉にどうもアレルギーが出てきてまして(すいません、森林ジャーナリスト田中さんのブログなんですが)、意図的に「山」という言葉を使ってしまっています。私は、森林学も林政学も林産も体系的には学んだことがなく、行き当たりばったりの情報を咀嚼しているだけなんですが・・・・・。
どうも、国策でいうところの森林という単語になにかを感じているのかもしれません。

もともと林学は、森林を利用しつつ森林を維持する学問として出発したわけですから(単なる収奪型の林業は、学がなくても昔からやっていた)、林学に忠実な林業を行えば、それは森林保全になるはずです。

ただ、近代になって森林保全と森林資源利用が分離……というか片面しか見ない人が増えてしまったことが問題があるのかもしれません。
当然「森林文化」も、林業とともに生まれたはずです。

ちなみに「神去」は文学ですが、現代の林業を描いたとは言えないですね(^^;)。

同じようなことを最近、木育と森林(環境)教育の関係で考えていました。川上の教育である森林教育に対して、川下についての教育が足りない、あるいは両者がつながっていない、ということで木育が出てきたわけですが・・。
「近代になって森林保全と森林資源利用が分離……というか片面しか見ない人が増えてしまった」というのは、私の立場からみてもその通りだなあ・・と思います。
まあ、自分のブログに書けって話ですけどね^^;

「生活に必要な」資材の原料が木材しかないわけではなくなってから40年とか50年とか経過していますし、ほかの素材の価格や使い勝手の技術が進んでいる時に、「あえて」木材を原材料とするものを選択してもらう時代なのでしょう。原材料が木材しかないといっても過言ではない時代ではない、価格的にも大量生産すれば安い原材料が豊富にあるのですから、木材が生活に密着しなくなっているのは当たり前で、意識として分離していくのは生活環もないから・・・・。そんなことをやっと感じるようになりました。まず以て、生活の中で使える、使いたくなる、それが当たり前の状況も作れないものかと、今更ながら考えます。あるいは、使った方が心地よいとか、気持ちいいとか、自慢できるとか、楽しいとか。

「木育」も、林業あって生まれたと言えますね。その意味では、 純粋な科学教育ではなく産業教育?
国産材振興と言って外材を敵視する人がいますが、実は本当の敵は非木材にあり、です。合成樹脂、金属など……。木材の価値はどこにあるのか見直しを求められているわけです。木育は、そこをフォローすべき位置にあるのでしょうね。

いっそのこと、あさださんのブログと合併しますか。今や、政党の合流・吸収ばやりだし(^^;)\(-_-メ;)。

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