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森と林業の本

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2012/11/06

長崎にある“吉野の森”を作った人

せっかくだから、昨日の続きのような、ちがうような話。

長崎県の島原半島に、鍋島林業という林業会社がある。その名の通り、かつての肥前藩主・鍋島家の持つ山林を預かっている。長崎県と佐賀県は、かつて同じ県だったし、肥前も島原半島を含んでいた。そして鍋島家の所有だった。

ここで見た森が、美しい。

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大木が林立している。当時、樹齢150年くらいと聴いたが、生長がいいから、結構な太さだ。九州では希有な人工林だろう。

施業的には、傘伐という言い方もする、優良樹を残して周りを伐って残した木を育てる、いわば「将来木施業」みたいなもの。残した木を母樹として、種子が育つのを期待するという点では、天然更新的でもある。

一見して、吉野の森を連想した。

すると案内した人が、この森は、戦前、東京大学のなんとかというエラい先生が指導してつくったそうですという。

それって? 本多静六ではないか。

本多静六は、各地の名家の山林を指導して回ったことで知られる。そこで鍋島家の求めに応じて、森づくりを指導したのだろう。傘伐は、ヨーロッパでよく行われていたから、それを取り入れたのかもしれない。一方で、当時は吉野の森が模範とされていたから、それを意識したとも思える。

本多に吉野林業を教えたのは土倉庄三郎なのだから、ここは土倉式造林法の片鱗が残る森ということになる。

戦中戦後、木材不足の中で多くの森は皆伐されてしまったが、こうしたところにわずかながらも戦前のより良き指導を活かした森が残されているのだ。

今に残る本多静六のつくった人工林というのは、意外と知られてないが、長崎で見るのもいいだろう。

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コメント

水俣から割と近い所に、こんな森があるとは知りませんでした。次の機会に、ぜひ行ってみますね。私の育てている広葉樹林も、数十年後に森林ジャーナリスト(多分その頃でも日本に数人だろう)にこういう形で紹介されたいです。

「分収造林の跡地に広葉樹林を作った男」として後世に残るかもしれませんよ。

ところで、明日から熊本、八代市にお邪魔します。沢畑さんのお膝元というか、足指の先くらいですかね。九州カーボンオフセット協議会……でしたっけ。。。林業機械展もあるそうですよ。

傘伐という言葉は初めて聞きましたが、おそらくshelter treesが該当する概念だと思います。ドイツではこういった施業は見かけませんでしたが、スウェーデン南部ではしばしば見受けられます。ただし、その下に天然更新もしくは植樹を行って更新を行う(regeneration)ための手法としてですが。残した大樹をさらに大きくする、というよりは、次のローテーションを順調に行うために残す、という役割の方が大きいようです。いずれにせよ、日本に帰国の折にはぜひ訪ねてみたい場所の一つです。

八代! 車で1時間くらいのすぐ近くではありませんか。

検索したけど、イベントが見つかりません。。。講演もなさいますか? もう少し詳しく教えて下さいませ。私はだめでも助手Mくらいは派遣したいところです。田中さんとしてはそっちの方がいいと思いますが。。。

傘伐という言葉、ヨーロッパの林学用語の訳語だと思うのだけど、原語はなんでしょうかね。意味は、ご指摘のとおりの「shelter trees」でよいと思います。完全に皆伐せずに、少し残すイメージでしょうか。

そういや、上記の八代の研修会では、フィンランドの人々が来られていて、アチラの林業事情を聞かせてもらいました。

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