二つの墓の謎
今日は、ちょっとクイズ。
奈良県川上村大滝の龍泉寺の横手には墓地があるが、その一角に土倉家の人々の墓が集められている。
私は、かつて墓石を確認してまわったのだが、この二つの墓石に注目した。
俗名 土倉庄三郎 橘正信
とあり、享年66歳と読める。
明治3年に亡くなっている。
ところが、その隣にある墓には、このように記されている。
俗名 土倉庄三郎 享年78歳
亡くなったのは、大正6年である。
さて、これをどう解釈する?
ヒントとしては、没年からも確認したのだが、上記は庄三郎の父・庄右衛門の墓と考えて間違いなさそうだ。そして下記は、庄三郎本人の墓と考えられる。
では、なぜ父・庄右衛門の墓石に「土倉庄三郎」と彫られているのか?
これは以前から謎であり、私も悩まされた。
そのうえに行き着いた結論は、拙著『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』に記したからお読みください(^o^)。
それが正解と断言できるわけではなく、推測だとしか言えない。しかし、調べている過程で、明治維新で政権交代した際の混乱ぶり、いや、浅慮の政令や告知が相次いだ状況が浮かび上がった。
今なら歴史上の一コマとして笑える無茶ぶりだが、当時は大変だったろう。素人が権力を握ると、熟慮するより思いつきの政策を振りかざしたくなるものなのだろう。
だって、深く考えない思いつきをすぐに実行するのはスピーディで面白いし、何より楽だからね。それは、「思いつきブログ」を書いていても思う(笑)。
……と、3年前の政権交代から始まったドタバタぶりを、解散総選挙が決まった翌日に振り返ってしまった(⌒ー⌒)。
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以前、安倍晋三事務所の秘書さんと林業のお話をさせていただき、
その後、田中さんの御著書をプレゼントさせていただいたことがあります。
少し気が早いですが、新政権の林業政策に期待しましょう。
投稿: 島崎三歩 | 2012/11/15 13:04
コメントがついていることに気づかず、失礼しました。
安倍氏が前回総理だったときは、「美しい森林づくり」を謳って、ようは間伐補助金をジャブジャブ注ぎ込んだので、森林組合などの改革意欲が急速にしぼんだのを覚えています。
彼の経済政策は、金融緩和だから、ちょっと心配だなあ。
投稿: 田中淳夫 | 2012/11/28 22:38