無料ブログはココログ

本の紹介

« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »

2012年12月

2012/12/30

生き残り戦略

喪中に付き、新年の挨拶をご遠慮申し上げます。

年賀状も出しませんが、ここに多少の所感を記させていただきます。

今年は、公私ともに波瀾万丈でありました。
娘の進学と、それに伴って家を出たのに始まり、スイスの林業視察に参加させていただいたかと思うと、帰国後すぐに母が倒れてこの世を去りました。そうした雑務に追われる中、7年かけた土倉庄三郎研究をまとめて出版(『森と近代日本を動かした男』)にこぎつけました。そのほかにも様々な事象が我が身に降りかかり、はからずも「人生ってなんだっけ?」と考えるきっかけになりました。(大げさ)

2013年も、右往左往しつつ生き延びたいと思いますので、皆様、よろしくお願いします。

……ともあれ、何事も想定通り進まないのがこの世の習いらしい。

有為転変する世の中、生き残るには何が必要か。

ダーウィンは、「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」と記した(あるいは言った)とされている。これが本当かどうか証拠はないようだが、彼の進化論的にはもう一つ、多くの子孫をつくるものが種として継続できる、というテーゼもあるそうだ。

自ら変化して時代に適応して生き残るか、多種多様な次世代を用意して、そのうちどれかが適応することに期待をつなぐか。

考えて決めたら実行できるものではないけれど、こうした生き残り戦略を心の片隅において、新年を迎えよう。

2012/12/29

人の時間と樹木の時間

森林と人間の関係を考える際に、常に感じるのは、「人の時間」と「樹木の時間」である。

樹木の寿命は、確認されたもので最大5000年を超えている。それに比べて人は、せいぜい100年超。何より人の感覚は秒単位、分単位で動くが、樹木は年単位だ。

この差が、常にネックとなる。とくに近年は人のスピード(なかでも経済社会の変化速度)が増すばかり。だから樹木の時間で動く林業は、常に振り回されてしまう。

単純な話、50年前の高い材価に目が眩み多くの人は植林を進めたのだが、生長した今は材価が暴落している。工業製品なら、工場建設を含めても半年~数年で、なんとか経営者の先読み範囲に入るが(もっとも、最近の日の丸家電メーカーは、それを読み違えて大火傷を負った)、数十年先の社会経済なんて誰も読めるわけがない。

では、どのように対処するべきなのか。……その点についてはいくつかの考察があるのだが、今回は置いておく。

私が気になるのは、林業に携わっている多くの人も、「人の時間」と「樹木の時間」という違いがあることを、肌で感じているのか、本当に理解しているのか、という疑問である。

最近の林業政策や、それに携わる人々は、樹木の時間を無視して、人の都合を訴えているような気がしてならない。
よく口にされる持続的な林業という言葉も、空疎に聞こえる。単に数字で生長量はこれだけで、伐採量がそれ以下なら持続的……という理屈では、樹木の時間を感じているとは言えないだろう。

森林は、時間が育んで成立する。樹木は、木質部の生長だけでできているのではなく、生長の時間の中で微生物から土壌、空気、他の生き物との関係性……など環境全般を育んでいるのだ。

いかに品種改良しても、早生樹種を探し出しても、そうした樹木の時間の持つ世界は、人が代われるものではない。

何も、人間もゆっくり生きよう、という月並みなことを言いたいのではない。

時間を意識することで、人は樹木の時間に合わせていく覚悟を持つべきではないか、と思いついたのだ。人の都合に合わせようと森林をいじくり回してしまうのではなく、樹木の時間を人の生活の中に組み込めるような社会を作り出す可能性はないか。

……なんてことを、年末になって考えるのである。まあ、私も人の時間を半分以上を費やした気がするからね(^o^)。これを来年のテーマにしようかな。

2012/12/28

無駄に欲しくなる商品

もう世間は仕事納めに向かっているだろう。

私も長い仕事納め(2カ月くらい?)だったが、そろそろ年越しに切り換えたい。

で、久しぶりに大阪に出て、東急ハンズでウィンドウショッピング。

001






こんな箸を見かけた。正月用の柳箸だが、御神籤付き。

別に必要でもないが、籤で遊べるなら……と買わせてしまうかもしれない。





もっと、如実に感じたのは、これ。

002



おそうじ道具なのだが、それぞれがリスやらモモンガやら、ハリネズミ、そしてワニの口になっている。

もうこれだけで、必要もないのに買いたくなる(~_~;)。

今や、必要性や機能性、価格より、無駄に面白いことが商品に求められているのね。

まあ、趣味のオタクグッズや、お土産、記念品、賞品なんてものは、みんな無駄に買わせるものなんだけどね。

2012/12/27

アベノミクスって…森林・林業再生プランみたいなもの?

安部内閣が成立。

そこで話題になっているのが、アベノミクスこと、インフレターゲットによるデフレ脱却政策だ。
物価を上げる(インフレを意図的に引き起こす)ことを目標にする手法がうまく行くか、ハイパーインフレを招く恐れがあり危険すぎるのか、あちこちで侃侃諤諤。

私は必ずしも否定はしない。これまで20年もの間、デフレ対策をやって来て、それらはいわば漢方薬的に軟着陸を目指したが、どうにもうまく行っていない。そこで劇薬を投与(あるいは手術)しようという発想だろう。リスクがどれだけあるのかわからないが、検討するのはよい。実行は細心の注意を払いつつ慎重の上にも慎重にお願いしたいが……。

そもそもインフレターゲット論は、以前から経済政策に根強くあり、各国で実施されている。日本だって、たとえば小泉内閣発足時にも舛添氏(後、議員)が盛んに唱えていたことを覚えている。が、小泉首相は一顧だにせず実施されなかった。不良債権の処理を最優先課題として経済引き締め策をとる路線では、採用されなかったのだ。

が、今回はなりふりかまわず、一か八か、やってやろうといったところだろう。そこまで追い詰められたのかもしれないが……。

この政策を私も完全に理解したわけではないが、アベノミクスは、まず通貨の供給を増やすことを狙うわけだ。供給が増えれば、自然と需要も増えて景気がよくなり給料も上がる……あれ? この理屈はどこかに似たものがあったぞ。

そうだ、森林・林業再生プランだ!

糞詰まりの日本林業を打開するために、まず国産材を大量・安定的に供給する体制をつくる。そうしたら自然と外材と置き換わって需要が増え、林業現場は活性化し、森林も健全になるではないか……という考え方と同じ?

すごく安直な比較か(^^;)。

だが、先んじて実施した森林・林業再生プランの結果は、かなり見えている。大量供給はできたが、需要の喚起が追いついていないのだ。それが材価暴落を招いた。いわばハイパーインフレ状態。そして森林自体も、量と低コストを目指す施業により荒れ気味である。

国産材需要を増やす政策としては、木材利用促進法のように公共事業に木材を多用させる方策を打ち出すほか、再生可能エネルギー固定価格買取制度のように、木質バイオマス発電の推進がある。

これって、ようするに税金で木材を使う、あるいは税金まがいの電力料金上乗せで未利用木材を使わせる方法だ。

日本経済全体で同じ理屈は、住宅のほか車や家電のエコポイント制度があった。だが、これらが需要の先食いを引き起し、エコポイントが終了した途端に販売不振に陥りメーカーを苦しめている。しかも売れているうちにすべきだった、次の販売戦略の展開(新商品開発など)を怠ったツケがずしりと回ってきた。
国の介入によって、巨大化したグローバル経済を思い通りに牽引するなんて思い上がりだったのかもしれない。

林業分野も、その裏返しが懸念される。税金で国産材を強引に買い取ったり価格を下げても、補助がなくなれば落ち込むだろう。本来は、国産材が買いたくなるように民間需要を喚起することではないか。

アベノミクスに期待したいのは、供給だけでなく需要喚起だが、それも国が作り出すのではなく、民間から引き出すような政策だ。規制緩和、起業推進、新分野開拓(研究等の後押し)などだろう。

失敗した?林業の轍を踏まないように……(~_~;)。

2012/12/26

樹木葬と墓地林業

今年も押し迫った。そして1年を振り返る企画がテレビなり新聞なり雑誌なりで行われている。なかでも、物故者の紹介は大きなテーマだ。

我が家も身内が亡くなったが、ほかにも知り合いで亡くなった人が多く出た。そんな年回りなのだろう。

我が家は、ありきたりの葬儀で済ませたが、墓を用意する過程で知ったのは、「永代供養」とい言っておきながら、実は30年で打ち切りということだ。延長料金(!)を払わないと、30年過ぎた墓は撤去されてしまう。

そして、生きているうちに撤去する例さえあるという。墓を守ってくれる子孫がいないので、代々の墓を処分して、自分は散骨など跡に残らない方法を選ぶのだそうだ。

そこで思いついたのが、樹木葬だ。墓石の代わりに樹木を植えるわけである。日本では岩手県一関市の寺院が発案して、里山保全をかねる形で展開されたと読んだ。そして新しい試みとして各地に広がった。やり方も、さまざまで散骨に近いものもあれば、木の壺に骨を入れて埋める方法もあるらしい。ただ管理のやり方には工夫がいる。間伐はどうするのか。枯死したら、困ったことになる。そしてあまりに大木に育ったら、それはそれで困る(^^;)。

ところで、樹木葬に近い形態は、世界中にある……というよりちゃんと制度化しているそうだ。

ドイツやスイスは結構進んでいるらしいが、とくに韓国は国が主導して樹木葬を広めたという。もともと韓国では儒教の影響からか土葬が多く、しかも結構な面積を費やしていた。それが森林破壊を生み出すまでになったというのだ。すでに国土に占める墓地面積は1%を超え、その墓地面積も一人当たりで住居の3~4倍も当てられていた。おかげで墓地不足も酷くなったのだ。

1990年代にキャンペーンが繰り広げられ、政府は火葬を奨励するようになったが、さらに樹木葬も推進した。埋葬で森林を壊されるのではなく、埋葬で森を作り出そうという発想だ。そのため制度も整備して、国有林も提供したらしい。

樹木葬林も誕生した。なかなか上手い方法だ。墓参りが森林散策になったりするし、山村と町の交流にもなる。そして一定のお金を地元に落とす。地域振興にもなるわけだ。もちろん森林保全にはもってこいだろう。簡単に「開発」を言い出す業者はいない(笑)。

日本でも、同じような発想で取り組んでいる例を知っているが、制度がイマイチ整備されていない。もっとシステマティックに仕立てると、機能すると思うのだが。

いっそのこと、森林葬を提案してみよう。植えた樹木に立木権を設定して、売買システムを作り上げる。間伐や太すぎて択伐する場合は、その分の木材に相当するものを提供する。途中で枯死した場合は、なにがしかの権利買い戻しを行う。また公園としての収益も計上する。一種の分収林である。

これで墓地林業を展開しよう……。ちょっと無理があるか。

2012/12/25

朝日記事「水源買われる」政治先行……

今日(25日)の朝日新聞朝刊2面に、「外資が森を……」記事が掲載された。

001

7段組だから、記事としてはかなり大きい。今年5月から取材を続けていたというから、時間と労力と経費をかけたのだろう。






見出しを追うと、

森林買収監視条例13道府県が制定・検討
「水源買われる」政治先行
外資を警戒取得ゼロでも
中国富裕層「投資や別荘」

この記事こそ、私が以前、取材を受けたとブログに記した記者のものである。12月4日

ただし、私の読んだ大阪本社版には、私は登場しない。記者は私のコメントを書いたということだったので、東京本社版なりほかの地方の掲載記事には載ったのかもしれない。

内容としては、北海道を初めとして4道県が監視条例を定め、9府県が検討をしているということが中心となっている。実際には外資の買収はほとんど確認されていないことや、販売を進めている業者の声として「目的は、資産の分散や別荘」と紹介し、水資源目的ではないことを示唆している。

が、一読して、中国が日本の森林を買収しているのか、怖いな…という印象を持つのではないか(あくまで大阪版の印象)。

ネットを見ると、この記事読んで、「中国の森林買収、なんとかしなくちゃ」といったつぶやきが多い(苦笑)。登場した議員の中には、「朝日も書いてくれた」と喜んでいるよ。

なかには自民党の高市早苗議員も登場している(今年4月の森林法改正の牽引者)のだが、その高市議員は、本日、自民党の政調会長に就任が決まっている。法案取りまとめの役職なのだから、今後もどんどんこの路線を押してきそうだ。

どうやら、私はますます少数派になりそうだな。ちなみに高市さん、私の選挙区なんだけど(^^;)。

2012/12/24

無印良品の木の使い方

001






写真は、東京・有楽町の「無印良品」店で見かけた木のインテリア。インテリアと言ってよいのかどうか……。

無印良品は、かなり木の内装が多いと前から感じていたが、この巨大店舗には子供の遊び場所が設けられていて、その一角は、見たように木の檻、もとい囲い(~_~;)がされてある。

ここまではいい。気になるのは、その中にある木製のヘンなもの。

椅子(ベンチ)? いや、そうではなさそうだ。モニュメントという代物でもない。

あるいは遊具か。実際、「使い方」は、こんな感じ。

004


幼児が気持ち良さそうに触っている。これで子供がおとなしくして店内を走り回ったりしなかったら、保護者も店員も有り難いだろう。

子供側の気持ちとしては、もしかして、ぬいぐるみ感覚かもしれない。木のぬいぐるみ! 




ともあれ、曲線の木の塊である。近くで見ても継ぎ目が見えなかったが、まさか無垢なのだろうか。だったら、巨木の材を使わねばなるまい。うまく集成しているのかな。

木製品を、触覚を大事にして作った品である。

もう一つ、私が感じるのは、形だ。木材は基本的に細長いものと思い込んでいる。それは樹木の幹から得るものだから当たり前なのだが、それがデザインを固定しがちではないか。
鉄やコンクリートなら、自由自在な形を生み出せるのに、木造になると、ある種決まりきったデザインになってしまう。

しかし今の技術では、もっと幅広い形が可能だ。たとえば木製の塊、つまり巨大なキュービックを作ることは難しくない。

仮に縦横高さが1メートルの立方体を作ったらどうか。そんな素材を、建築家やデザイナーに示したら、途端に彼らの想像力を刺激して、あっと驚く設計や形状の商品を創造してくれるんじゃないかなあ。

2012/12/23

講演『近代林業のパイオニア・土倉翁の足跡』

とうとう、完成したチラシが届く。

001


通常、私は自分の顔が写っている写真はブログで紹介しないのだが、このチラシに目伏せを入れると、かなり怪しくなるので、そのままアップ(~_~;)。

ちなみにいくつかバージョンがあって、微妙にデザインが違っていたりする。

ともあれ、参加者募集中である。

また、講演後にホテル杉の湯で出版記念会を開く予定。

ともあれ、もう1か月を切っているのだなあ。私は、先にタイトルを決めて、それに合わせて内容を決める主義?なので、これから考えないといけない。

パワーポイントを使うか使わないかも考えないとなあ。

ビジュアルがあると、観客がイネムリしないという利点がある(^^;)のだが、なんかセミナーみたいになってしまう。だいたい土倉翁の故郷で開くのだから、地元の映像を使っても仕方ないだろう。

もっとも、土倉翁の事蹟ばかりでなく、林業関係にも広げたいと思っているのだが、それをどのように含めるか……結構悩む。

ま、正月迎えてからでいっか。。

2012/12/22

新発見!洋装の庄三郎写真

アルバム、第2弾。

10




洋装の土倉庄三郎である。(真ん中)

ほかにも、同じ服装の写真はあるから、同じ写真館で撮影したのだろうが、このように男3人で写っているものは、今まで知らなかった。

新発見?ではなかろうか。

ただ、両側の二人が誰かはわからない。庄三郎の顔は比較的若く、左右の男もそんなに年格好が違わないので、弟の平三郎と喜三郎かもしれない。

ただ、コートのような洋服の着こなしは、お世辞にもうまいと言えない(笑)。また左右のポーズのとり方もヘン。これは写真師が悪いのだろう。

庄三郎のマスクは、なかなか甘い面。和装の時の厳しい顔つきと違う。照れているのか?

ほかにもひとりで帽子を持って立っているものや、和服の女性の写真もあるのだが、もしかして奥さんのおじゆうさんかもしれない。まだまだ未解明の部分がいっぱい。

2012/12/21

発見? 新島襄と八重の写真

003


写真は、同志社女子大の史料室でもらった「新島八重と同志社」という冊子に掲載されている漫画の「マンガで読む八重物語」。

描いたのは、同志社大学の漫画研究会。

う~む。このキャラクター、というか絵づらは、まさに漫研らしさ爆発だ(笑)。

ところで、先日、土倉家の資料を借り受けた。たまたま押し入れの天袋に入っていたのを発見したそうだ。書類や手紙類もあって、貴重な文献なのだが、ここで紹介したいのは、ボロボロのアルバムである。

その最初の見開きページには、おそらく明治天皇と后の写真。

ところが、次のページを繰ると(実は、分解しそうなので1枚ずつはがようにせねばならぬ)、どこかで見た顔が。

007

まず、こちら。この髭のお顔は……新島襄じゃない?

    
 

 

 




   

   

006_4





そして、こちらは……もう、新島八重でしょ!




    

   




そのほか、新発見の土倉庄三郎の写真もあるのだが、とりあえずポピュラーなお二人を先に紹介した。その後は、ほぼ家族写真なんだが、その前に天皇陛下と並んで、このお二人の写真を入れていることに、土倉家と新島家のつながりを感じる。

2012/12/20

書評『森と近代日本を動かした男』共同配信第1弾!

『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』の書評が新聞に載った。

2



これは、信濃毎日新聞12月16日の書評欄。

う~ん、総選挙当日か。影が薄かったかも(~_~;)。

ちなみに、この記事は、共同通信の配信だそうである。
つまり、同じ記事が、今後(すでに?)各地の地方新聞に載る可能性はあるということだ。






まあ、書評というよりは新刊紹介だが、とにかく第1弾。感謝しよう。

ちなみに、隣が大久保利通とは。どちらも明治を駆け抜けた人物である。どうせなら、拙著の紹介にも板垣退助とか新島八重に触れてくれたら、同時代の人物だったことが伝わりやすかったのになあ。

2012/12/19

同志社女子大学の新島八重展

同志社女子大学の新島八重展
写真は同志社女子大学のジェームス館。ちょっとUFO も写っているが…。

所用があり京都まで行く。せっかくだから時間を見つけて、新島八重展を見ようーと同志社女子大学に寄った。ここのジェームス館一階の史料室で「新島八重と同志社女学校」を開いている。

が、駐車場がないのですよ。たから路地に路上駐車。捕まる前にと走って10分程度で見てきた(^_^;)。

私は八重にも興味があるものの、今回の目的は土倉家と関係ある展示があるかどうか。
そして見つけたのは、土倉龍次郎と亀三郎とともに写った八重の写真であった。

もっとも、資料に八重のマンガがあったりと、後で楽しめたのであった。

2012/12/18

戦いの跡~低炭素まちづくり法

今日は、日帰りで東京。

参議院議員会館で会議、というか聞き取り。なかなか有意義であったが、それはともかく、せっかく訪れたのだからと、知り合いの参議院議員に会いに行った。民主党所属である。

お久しぶり、と挨拶するより、つい「さんさんたる結果ですね」と言ってしまった(^^;)。

実際、大変だったよう。民主党候補は、出身地の森林組合が推薦書を出さない有様だったという。これまでの付き合い投げ捨てて、勝ち馬に乗りたがるのね。

ただ、野党になる前にできたこともあると聞いた。

議員が大臣だった時期に手がけた「低炭素まちづくり法」を8月に可決させ、12月4日、つまり総選挙の公示日に施行したそうだ。町の構造・システム全体を低炭素にしようというもので、詳しくは国交省のサイトでも検索して調べてほしいが、そこには家づくりも木造推進が入っている。

地味ながら、少しずつ進めた部分もあるのね。

ちなみに、私がこの議員を訪ねた理由は、『森と近代日本を動かした男』を贈呈するためである。吉野は、議員の故郷であるから。

「これから暇になるから、読めるよ」だって(^^;)。

2012/12/17

オルタナティブな6次産業化は?

最近、農林水産業で流行りなのが、6次産業化

ようするにこれら1次産業は、それだけでは利益の出ない構造になっている。素材提供だけでは価格が釣り合わないのだ。その理由はさておき、そこで加工の2次産業、販売サービスの3次産業を加えて、6次産業にしようという試み。

単純に考えれば、生産者が自ら加工や販売もしなさい、という過労死しそうな話なんだけど(^^;)、何も全部一人で抱え込まずに各業界を連携させることも重要となっている。

が、そこでふと思いついた。

何も素材(1次生産物)の加工や販売と組むだけが、6次産業化だろうか

まったく関係ない業界同士が組むことは不可能か。単に異業種が何かプラスを考えた連携をめざすのではなく(もちろん、できるならしてもいいけど)、まったく違う業種があえて無意味にタッグを組むことは不可能だろうか、と思うのだ。いわば現在の縦連携ではなく、横連携

たとえば林業会社が、鉄鋼メーカーと組む。電気工事会社なんてのもいい。ほかにも農業とオフィス機器、漁業とアパレルとか。

事業にまったくつながりがなくてもよい。ただ、社員の流動や交流を行う。できれば資本提携もしてしまう。山で木を伐っている人が、ある時は店頭で服を売るとか(^^;)。

いや、無理に仕事をクロスオーバーさせなくてもいいのだ。ただ、普段は家電作っている社員が、「我が社はどこそこに山を持って林業もやってるんだぞ」と思うことが面白くないか。

考えてみれば、昔から山を経営するのは造り酒屋とか油問屋とか豆腐屋が多かったと聞く。(本当かどうか知らないよ。)また林業で設けた金で不動産業とか、銀行、百貨店業界に進出した山主もいる。ケンタッキーフライドチキンも、最初の日本進出時は、山主が引き受けたんじゃなかったかな。

今は立場が逆転して、トヨタ自動車が山林を持ち出したし、サントリーとか食品会社も手がけている。古くは商社も持っている。それはCSRもあるだろうが、必ずしもそうではなく、会社組織としての資産分散だったり、間接的ながら本業と森林につながりを持てたり。CO2の吸収源もいいが、何より持つことに意義があるとか。

もちろん、山で儲かればよいが、そうでなくても総体としての山林部門を持つことで、本業や社員教育、福祉にも役立つ。あるいは新規事業のヒントとか研究の場に使える……と考えているのだろう。

そんな巨大企業でなくても、中小企業間で横連携の6次産業化は不可能ではないと思うなあ。100万円200万円を山に投資する程度なら、個人商店でも可能だろう。もちろん林業家も、八百屋に出資するとか。いくら林業は儲からないと言っても、その程度は可能なはず。

そして、そうした異業種連携が、次の新規事業を生み出すかもしれないよ。森の風景にインスパイヤされたデザイナーが斬新な服をデザインするとか。林業家が八百屋で売る作物を焼畑で栽培するとかね(笑)。

2012/12/16

奈良新聞に載った新島八重の記事

奈良新聞12月12日の紙面に次のようなエッセイが掲載された。

Photo






読めばわかるが、本ブログでも紹介した同志社女子大学の展示会に触れつつ、新島八重と土倉家の娘さんたち、そして土倉庄三郎と新島襄の関わりを、拙著『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』から引用しつつ紹介している。

まず、新島襄が川上村の土倉屋敷を訪ねたエピソード。

次に死期を悟った新島襄が、妻・八重の身の上を案じて、庄三郎に植林を頼んで、その収益を八重の生活費に当てるよう企てたこと。後日を託せるのは、庄三郎しかいなかったのだろう。




ところで奈良新聞の記事は、完全に確認したわけではないが、、初めて拙著に触れた記事ではないか。

ありがたい。

……ぜひとも本文記事や、書評欄でも取り上げてほしいものである(~_~;)。

ちなみに筆者の渡邉さんは、元NHKのアナウンサーだったはず。なぜか明日香村で飛鳥藍染織館という蕎麦のお店?を開いていた(このほど閉店)。私も入ったことがあるのだが、そこで店主との雑談……のはずが、取材されているような状態になった記憶がある(~_~;)。

ともあれ、拙著を取り上げていただいて感謝。

また、文中に登場するNPO法人芳水塾の松ちゃんというのは、来年1月19日に川上村で出版記念会&講演会を主催してくださっている人物である。

2012/12/15

明治期の林野行政組織の転変

土倉庄三郎つながりであるが、明治初期の政策、とくに林政の展開を調べた。

すると、凄まじい転変が浮かび上がってきた。

もともと明治政府が林政に取り組んだ起源をどこにするかは難しいのだが、これまで幕藩体制下では場と幕府は勘定奉行に、各地の藩では各々に任されていた政策を中央集権化しようとしていた。

そこで慶応4年1月に三職七科が設けられるのだが、その翌月2月には三職八局に改組され、さらに閏4月に太政官制にして七官が置かれる。

そして翌明治2年7月に6省が生まれる(民部、大蔵、外務、刑部、宮内、兵部)が、その中で山林関係の職務は民部省の地理司に属した。

しかし翌年8月に民部省は大蔵省と合併し、翌3年7月に再分離。翌4年7月に民部省は廃止。5年1月に大蔵省に11寮を設け、山林の管轄は大蔵省勧農寮に属する。しかし10月には租税寮に移される。

こんな過程を追うだけで頭が痛くなる。でも、まだまだ続くのだよ。

明治6年に内務省が新設。地理寮が再び誕生してそこに森林課が置かれたらしい。これが始めての独立した林野行政の部署かな。また「森林」なる言葉も登場したことになる。

その後、いったん消えて、また山林課として復活。

明治10年に地理局となり、官林を管轄。さらに明治12年、地理局から山林局が独立。

ここに現在の林野庁に連なる部署が誕生したことになる。

その後も転変を繰り返すが、昭和22年に林野局となり、24年に林野庁と発展的改組。ちなみにこれは連合国占領下に行われたわけだな。

いやはや。単に名前や組織上の配置が変わったという以上に、政府の政策的位置づけの変化が、明治維新より12年間続いたわけである。山林が大蔵省に属した場合は財産として扱い、内務省などでは産業の一環となる。ここには井上馨と大久保利通の対立なども絡んでいるようだ。

実は、林野行政だけでなく、明治初期の行政は朝令暮改が当たり前。たとえば廃仏毀釈を勧めたり、神仏分離令を出したり、国民の名前から官職由来名の禁止(兵衛、右衛門、左衛門、大夫など)したり、かなり思いつきの政策のオンパレード。

が、マズいと思うとすぐ取っ替える。当時の人々はたまらんだろうが、過ちを改むること、はばかるなかれ、か? 君子豹変す、ともいう(笑)。

が、混乱を招きつつも、なんとか施政10年を過ぎたころから落ち着きだす。明治政府とは、行政の素人が試行錯誤しつつ、新時代をつくるためにドタバタした存在だったのだろう。明治維新とは革命であり、簡単に落ち着いた世の中を作り出せたわけではなかった。

もちろん、その試行錯誤の間に貴重な寺院や仏像が壊されたり、幕藩時代の規制が破棄されたために森林や大木が伐られてしまうなど被害も大きい。しかし、試行錯誤の上に築けた新世界もあった。新政府が慣れてくるまで辛抱強く待つ時代だった。庶民も、朝令暮改に振り回されながらも、うまく立ち回ったのだろう。

考えたら、今の世の中、あまりに結果を早く求めすぎる。それが首相を取っかえ引っかえしたり、強いヒーローを求めるなど迷走を進めてしまった。でもそれは、国に期待(いや、依存?)している裏返しではないか。

これまで、景気対策や文教施策など、将来への布石を打ったものの、当時の首班は非難されて退陣し、その後の反対勢力の時代に花開くケースが多々あった。一気に変えようと思わず、小さな改革を時間をかけて大きくする一点突破・全面展開の発想と覚悟がいるだろう。

お上の都合など聞き流して、自らの活きる道を考えたいと思う、総選挙前日である。

2012/12/14

林業文献センター

今回の東京行きでは、こんなところに寄っていた。

Dsc_0350



大日本山林会の林業文献センター。

大日本山林会といえば、日本最古の林業団体にして、土倉庄三郎とも関わりの深い世界である。

そこが持つ「林業文献センター」は、元王子製紙の会長だった小林氏の蔵書を元に設立されたもの。現在も、寄贈図書を中心に林業関係の文献を収集している。

存在は知っていたが、なかなか寄れなかった。が、今回は宿泊先がわりと近くだったこともあり、前々から探していた資料を求めて訪問。


ところが、開いていなかった(~_~;)。いや、担当者が風邪でお休みなのであった。

そこで大日本山林会の方にお願いして開けてもらう。

いやはや、入るなり圧倒された。

Dsc_0349

膨大な文献が詰まっている。

手書きの資料もある。

最近のものは少ないが、森林や林業、その周辺の文献がこれほど揃っているところは、ほかにないだろう。

私の求めていた本なども、あっさり発見。おかげで100枚以上もコピーさせていただく。(有料)

また会員になることも勧められた。優遇措置もいろいろあるそうだ。また会報「山林」も送られてくる。

研究者にとっては宝の山である。ここでどんな凄いデータを見つけることができるか……。

ちなみに私の本はないようだから、まとめて献本しようかな(^o^)。




2012/12/13

量の林業、質の林業

11日に東京で出席していたのは、国交省の「木の家づくりから林業再生を考える委員会」だった。これは公開で、マスコミ取材も受け入れていたから、内容を私が紹介してもよいだろう。

毎回、テーマごとに関係者を呼んで話を聞くというスタイルだ。今回の内容は、国産材の輸出と、川上から川下まで連携して6次産業化させた木の家づくりだった。
もっとも、私は「その他」として最後に意見陳述しただけ。そのタイトルは「木の価値は見た目が9割」であった。

重きを置いていたテーマは6次産業化の方だろう。各地の取組6事例が発表された。これらは、多くは山の木と街の建築を結ぶ試みだ。いわば木材需要の隙間狙いである。両者の顔の見える関係を築き、量は少なくても質の高い木の家を提供する。利益率も高める……という発想だろう。私の意見も、量を追っても山村側は救われない、利益率を高める木材需要(内装・外装材)を創出することである。

が、委員側の反応は意外な? いや、想定通り? のものだった。

つまり、量を出さなきゃダメ! というものである。そして人口減や非木材素材の増加などから縮んでいる需要を再び伸ばすために、木材を輸出するほか、鉄筋コンクリートに取って代わる素材(CLTをイメージしているよう)にして、新たな木材需要を生み出すべき、というのだ。

スギ材価が8000円を割り込むことを嘆く声には、「その価格はコンクリートより安いんだから、コンクリート建築から木造建築に換えるチャンス」と捉える。

そこで気づいた。委員の多くは大手製材・集成材メーカーの経営者であり、学者である。木材価格が安くなることは、むしろ歓迎なのだ。学者も、マクロの視点から日本の山にだぶついている木材量を頭に、総体としての需要創出方法に眼を向けている。

が、それで山村は救われるのか? 森林・林業再生プランが、量の林業を追求しているのに乗っかっているだけではないか? コンクリートより安い材価を固定してもいいのか?

まさに「林業栄えて、山村滅びる」状況を黙認せよ、ということになりかねないのではないか。

ここで量の林業と、質の林業のどちらを重視するのか、と問えば「どちらも大事です。バランスを取りながら進めていかねばならない」と答えれば、お利口さんのコメントになるのだが、私はそれに与しない。

もちろん両者それぞれに問題点がある。小さな地域を囲い込んで小さな消費を生み出しても十分な木材は捌けず、結果として山への還元額もしれている。しょせんは隙間事業。地産はともかく地消は無理なのだ。外に打って(売って)出る気概がないと。
そもそも各取組が補助金抜きで事業を成り立たせているならよいが、実態はそうではない。行政の援助・肩代わりが少なからずある。その点では本物のビジネスと呼べないだろう。

が、安くなった材価を利用して量を捌いても、山に何かもたらされるだろうか。統計的数字で、これほど木材自給率が伸びた、間伐面積が増えて森林が健全になった、経済効果は何千億円にもなった……と自慢されても、現実の山は荒れ果て、山村を壊滅させてしまって何が残る。薄い利益も途中でどこかに消えてしまうのだろう。
だいたい木材をコンクリートの代用となる素材に仕立て、人の目に何の感慨も与えない木の使い方をしても「木の文化」なんか生まれない

これは、量から攻めたら質は後からついてくるというマクロな日本林業の視点と、小さな質を積み上げて生活の場の維持し、ミクロな地域集合体としての国を描く視点の対立かもしれない。

……余談だが、一応出席していた林野庁の人、何もしゃべらないんだよね。振られても「勉強になりました」で逃げる。これでいいの? どちらに与するの? お仕事しようよ。

2012/12/12

農水省の食堂

農水省の食堂
今日は林野庁訪問。といっても小さな会議に列席するだけなのだが、せっかくだから農水省の食堂で昼食にした。

入ったのは寿司屋。といってもセルフサービスなのだが、肝心の箸を取ろうとしたら、樹脂箸しかなかった。

仮にも寿司だぜ。もちろん割り箸を要求する。が、ないというのだ。ファミレスでも要求すれば割り箸をそなえているものなのに。

皆川・現農水次官さん。林野庁長官時代の約束(あったのか?)は、まだ果たせていませんよ。

むかついて、嫌み言って店を出た。

2012/12/11

東京の夜

東京の夜

今日明日は、東京。霞が関辺りをぶらついている。

参加した会議等の様子はまた改めて考察したいと思うが、一つの会議の人数が多いなあ、というのが第一印象。
これでは、なかなか議論がしにくい。

それと、夜が明るい。電飾だらけ。昨年の節電はどこに行ったんだ。電気あまっているのかね。こんな町にいたら、地方の感覚鈍るのもさもありなん、だ。

Dsc_0335

2012/12/10

土倉翁講演会!

 

私は、奥ゆかしいものだから、あんまり自分の書いた雑誌記事や講演会の告知はしない。書籍は別、というより書籍こそが本分と思っているので、こちらは度々紹介してきたが、得意でもない講演会の告知なんて恥ずかしいじゃないか。

……と書きつつ、今回は告知します(笑)。

森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯 』出版記念!

地元も地元、奈良県川上村での開催が決まりました。

「近代林業のパイオニア・土倉翁の足跡」

日時:1月19日(土) 午後1時30分開場 午後2時開演
場所:奈良県吉野郡川上村迫 やまぶきホール
無料
主催:NPO法人 芳水塾
お問い合わせ先:芳水塾・松本(0746-53-2021)

やまぶきホールは、昨年の育樹祭関連イベントでも壇上に立ったが、山村にこれだけのホール作っていいの? 的な立派なホールだ。300人くらい入るのかなあ。
ここに30人しか入らないと、かなり寂しいので(~_~;)、ぜひ多くの皆さんの来訪をお待ちしていますm(_._)m。

タイトルどおり、土倉庄三郎の足跡を追うだけでなく、彼が明治という社会、そして林業界に及ぼした影響について語りたい。それは、日本の伝統的林業が近代林業に脱皮する過程に何が起きたかを示すことになると思う。

実は、この話は拙著でもっとも書きたかったにもかかわらず、紙数の関係で大幅に削った部分なのである。当初の原稿を半分の分量に削ぎ落とす中で、泣き泣き外した。(もっとも、出版が決まってから、10枚ほど加筆して押し込んだ(⌒ー⌒)。おかげでコストがアップしたと編集者に言われたぜ)

土倉翁に興味ある人、吉野林業に興味ある人、明治林政史に興味ある人、ぜひご参加を。

まだ1か月以上あるから、今から計画練ろうね(~_~;)。ちなみに、終了後は、ホテル杉の湯 の温泉につかります(^O^)。翌日は、吉野杉ツアーを行おうと思う。可能なら、土倉庄三郎が植えた山を訪ねたい。(雪がなければ……。)

委細は今後、お伝えします。

2012/12/09

鎮守の森は、林業地だった?

日本で、もっとも多様性が高く、原生状態が保たれている森として注目されるのは、鎮守の森である。

ごく一部の無人島や高山などの手つかずの森は別として、神社の境内に広がる社叢は、土地の気候や土質などに適した、いわゆる「潜在自然植生」(笑)で、非常に多彩な植物が存在しているとされる。そして原生的な生態系だと。

Photo


写真は、生駒大社の鎮守の森。



なかなか立派な照葉樹が育ち、「潜在植生」ぽい。

が、パラパラ見ていた本に、昭和10年の「社寺林の現況」という農林省山林局(今の林野庁)お調査結果が記されていた。

それによると、全国177万3730余の社寺を調べたところ、関東地方はスギやヒノキ、マツが代表的樹種で、信越地方はそこにカラマツやケヤキが混じる。東海、近畿、中国地方もスギやヒノキ、マツで、少し照葉樹が混ざる。四国と九州はカシ、シイ、クスノキ、それにマツ。

全体としては、スギとヒノキの単純林が多かったのだそうだ。

おいおい、「潜在自然植生」はどこへ行った(~_~;)。照葉樹は全然目立たないじゃないか。多様性の高い森とは言い難い。地域に則した樹種とはいえ、あきらかに木材需要に応える木が育っている。おそらく人の手で植えたのだろう。

もともと神社は神の依代として植樹はしていたわけだし、その際に役に立つ木を選ぶのは当たり前かもしれない。また、近隣住民が入って、落ち葉などを採取することも許していたのではないか。

ようするに、昔は社寺林と言えども手を一切入れない不伐の森ではなく、伐ったり植えたりしていたのだろう。

すると、社寺林こそが、都市林業の形態を体現していたのではないか。集落の中、あるいは近郊にあって、里人と深くつきあっていた森林地域だからだ。
ほとんどの社寺林は1ヘクタール未満の小さな空間だったが、そこから日常的に薪や落ち葉を採取したり、ときに木材も得ていたのかもしれない。

2012/12/08

バイオマス白書2012~バイオマスはナタデココである論

「バイオマス白書2012」が届いた。ダイジェスト版だが。

なお白書といっても、政府の官報ではなく、NPO法人バイオマス産業社会ネットワーク(BIN)のまとめたものだ。

2009年に国内で利用されたバイオマスエネルギーは、石油換算で454万キロリットルで、エネルギー総供給量の0,81%だそうだ。(政府のエネルギー白書)
民間の「自然エネルギー白書2012」では、2010年度末のバイオマス発電の累計は、325,5万キロワット。その後の伸びを含めても、日本のバイオマスエネルギーは小さい。今やブームで大いに盛り上がっているように見えてもこの程度。

さて、今回の白書の「はじめに」が意味深。「バイオマスはカーボンニュートラルか」として、バイオマスエネルギー利用がCO2削減に役立つとする、現在のバイオマスブームの根幹に疑問を呈しているのだ。

そもそもバイオマスエネルギー利用とは熱が主流で、発電はオマケなのだが、FITを巡る動きでは、そのこと自体が吹っ飛んでしまった議論が行われている。

そしてカーボンニュートラルの理論は、京都議定書で設けられた一定の条件を想定したものにすぎない。利用したバイオマスと同量が回復するのが前提だが、必ずしもそうではないし、生産や採取、運搬、加工などの過程で、化石燃料もかなり使われる。そのほか、バイオマス利用が生態系の改変につながって、それが生態系サービス(いわゆる公益的機能)も失われたり劣化する可能性も少なくない、とある。ちなみに執筆者は、泊みゆきBIN理事長。

……こんなこと書かれたら、絶句してしまうバイオマスエネルギー推進者もいるだろう(笑)。

実は、私の回りでもバイオマス関係の情報が最近飛び交い始めた。

各地のバイオマス発電計画の動向はもちろん、以前紹介した「森から日本を変える委員会」でも、議論のネタになっている。(ちなみに、この委員会は民主党の森林林業調査会の一環として設けられたはずだが、なんと民主党は運営費を出さなかったそうだ。ということは、党派色はなくなった?)

いずれにしろ問題点が指摘され始めたのだ。やがてブレーキがかかるだろう。このまま無茶な推進にならないことを願う。

ブームになった時には、その行き着く先を見つめないといけないが、そろそろバイオマスも落ち目かもしれないね。

でも、バイオマス好きの人も落胆するなかれ。私はバイオマスブームも、ナタデココのようになればいいと思っている。???と思うかもしれないが、皆さん、ナタデココは知っていますね。

一時期、デザートブームの中で一世を風靡した食材だ。ヤシの実の汁を発酵させて固形化したフィリピンの食べ物である。大いに流行って、すぐに覚めてしまった。しかし、私は今も好きだ。そして、流行は去ったが、今もそこそこ売っている。ヨーグルトに入ったりフルーツ缶詰に含まれたり、単品でも袋入りで並んでいることを知っているだろうか。

ブームの前は、ほとんど誰も知らなかった。そしてブームが去っても、まだ一部に愛好家が残っていて、ブーム時のような量ではないが売れている。それで充分ではないか。ゼロからスタートして、多少ともプラスになったのだから。

バイオマスエネルギーも、この調子で、薪ストーブや薪ボイラーなどが普及して、そこそこ広がればいい。

ちなみに、ティラミスパンナコッタもあったなあ~。

2012/12/07

総選挙後の林業政策は……

総選挙だ。その結果、大きく政府与党の枠組が変わるのは避けられない状況である。

そこで、選挙後の森林林業政策がどのように変わるか考えねばならなくなった。

とはいえ、選挙結果によって枠組がどのように組まれるのか、少なくても16日未明まで読めない。とりあえず今できることは、各党の選挙公約をチェックすることぐらいだろう。

でも、なんか億劫だなあ~。と思っていたら、ちゃんと調べてくれたサイトがあった。

林業ニュース2012年12月衆議院選挙 主要各党 選挙公約の林業部分比較

ありがたい。主要8党が登場している。

これを見て、各党の政策を点検しよう。

まず一読して、感じるのが、民主党の公約が貧弱なこと。前回の力の入れ方とは雲泥の差だ。わずかに農林水産業の6次産業化に触れているだけだが、これだって手垢がついたような主張。新味はない。

一方、自民党は力を入れている。再生可能エネルギーの大々的な展開を訴えている点を読むと、この党は脱原発に熱心だったんだっけ? と思ってしまうほどだ(苦笑)。

具体的な林業政策には、切り捨て間伐の復活?取れるような一文があるが、全国画一的な政策の見直しを進めるという。
さらに「緑の雇用森林組合の充実強化、外国資本等などによる森林買収を防止するための森林所有者の明確化を図ります。」とあるが、最後の項目は笑ってしまう。

ほかに並ぶのは、
森林・山村維持の直接支払い制度の創設
木材価格安定対策の強化
木質バイオマスの利用促進
災害に強い森づくり
違法伐採対策の強力な取り組み
放射性物質に汚染された森林における林業対策


どれも取ってつけた感は否めないが、さすがに林業通の議員が多いだけあって、目配りは聞いている。ただ一つ一つの内容はともかく、通してみればバラマキと言われても仕方がないし、あきらかに前自民党政権下の政策をなぞっているだけではないか。

公明党は、エネルギー政策に偏り、多少とも新味を出そうとしたのが、「木づかいカーボンストック減税」で国産材の需要を拡大することだけ。内容は単なる住宅減税と何が違うの? 木造なら減税? 

共産党は、抽象論が多い印象はあるものの、文章がこなれている。
目立つのは反TPPと木材産業を絡めていることと、
わが国の森林は、亜熱帯から亜寒帯まで分布し、気候条件も違い、急峻な地形が多いなど地域の生育環境も多様です。」とある。これは地域ごとに政策の独自性を認めるという意味だろうか。また
路網づくりでは、生態系や環境保全に配慮した技術の確立と地域の実態に即した生産基盤整備ができる助成制度にします。また、日本の森林にあった林業機械の開発を国の責任ですすめます。

森林所有者に再造林できる価格を保障する、なども目を引いたかな。でも、そのための具体的政策は見えない。

社民党は、森林・林業再生プランを推進、だとさ。

みんなの党、維新の会、未来の党は、とくに内容のある政策を打ち出していない。

正直言って、林業政策の違いが目立たないため、投票先を決める手立てにはならないし、選挙後の予想をするにしても、ほとんど新味がない。もはや新しいアイデアは出ない状況なのだろうな。

2012/12/06

新たな出版活動

昨日は、町に出たら、店舗の木質物について観察マーケティングしている、と大層なことを書いたが、実は観察するのは木質物だけではない。

当然のように書店を覗き、自分の本を探す(~_~;)。

今なら、当然『森と近代日本を動かした男』を探す。

昨日も大阪に出たからには本屋を覗くが……ない。

先日は奈良で再び探すが見つからず、また検索してみる……。

2


これによると「僅少」とあるが、どこの棚でも見つけることはできなかった。検索画面をよく見ると、「店員に尋ねろ」とあるが、さすがにその勇気は湧かなかった……。

尋ねて、存在しなかったらショックだろうから。。。

ところで、別の出版活動もしている。

と言っても、私の出版ではない。土倉庄三郎について調べるスタート時点でお世話になり、いろいろ人物も紹介してくださった人である。

その人物は、元大学教授の御年92歳。しかし矍鑠として元気で、もともと生物学者であったが、定年後は郷土史に取り組んできた。今もパソコンを操り日々調べごとをしては執筆し、それを印刷して自ら冊子も作っている。ぼけ防止だというが、なんの、その内容は相当含蓄が深い。自然科学的な目と、歴史や民俗に向ける目と知識が半端ではない。

その老学者に『森と近代日本を動かした男』を贈呈すると、これまでまとめた原稿を出版できないかと頼まれた。

さっそく目を通すと、なかなか面白いし、資料的価値も高いものだった。江戸時代の地誌を元に解題したもので、当時の山岳部の様子がありありとわかる。植生や動物も描かれているし、山村の風俗も活写している。

そこで恩返しではないが、出版への橋渡しを引き受けた。

さて、どうなりますやら。

2012/12/05

店舗の木質をマーケティングする

002


写真は、新装なった大阪の阪急百貨店うめだ本店の入っている梅田阪急ビルオフィスタワーの展望台(15階)。

こんなベンチ? が並んでいる。なんだか、日本全国スギダラケ倶楽部で発表された作品群を思い出す。

大断面集成材を使用しているが、絶妙なカーブを描いて、高さの違うベンチとなっている。またがって座る人もいる。

最近、こんな木材の使い方が目につくようになってきた。

私は、ちょっと繁華街に出ると、わりとウィンドウショッピングをする。デパートや専門店を覗いて回るし、扱う商品やディスプレイ、内装までチェックする。

ついでに店員の態度やお勧め口上もチェック。ほかの客の注目する点もチェック。

こうしたことで、世間のトレンドを計れるし、何が流行っているか売れ筋か、見えてくるものがある。……というと、まるでマーケッターの真似事みたいだが、ある意味マーケティングをしているのかもしれない、趣味で。

もちろんチェック項目の大半は、木材・木質物がどのように使われているか、だ。

ただし、一般の木材関係者の期待している建築や、せいぜい家具のレベルではない。

ここ数年の傾向で言えば、明らかに木装が増えてきた。店舗デザイン、インテリア、商品素材、ディスプレイ素材。みんな木材が増えている。それも、かなりの規模だ。あきらかにトレンドは木に傾いてきた。

単なる建材ではなく、世相に染み込むように木材が使われているのだ。

商業ビルのほとんどがコンクリート製だろうが、その内装には木材がいっぱいだ。壁材とかフローリングのような既成の素材ではない。むしろ、何気なく壁に板をランダムに打ちつけていたり、パーティーションが木製だったり、商品を置く台に丸太の木口円盤を使っていたり、まったく脈絡なく枝葉や丸太、薪を積み上げていたり。

今や木材を使った店舗のデザインやディスプレイは、「カッコいい」レベルに達している。

ただし、今のところこのようなデザインを行えるのは少数の意識の高いデザイナーであり、商店街レベルではない。あくまでお洒落な店の中に置かれている。
おそらく、デザインに使う木材の調達には苦労しているだろう。デザイン用に使える丸太とか薪とか枝葉を仕入れられる問屋はまだまだ少ないからだ。もしかしたら特注かもしれない。そして、おそらく多くの素材は外材製だ。

このことに気づいている人は木材関係者の間にどれほどいるだろうか。店舗デザイン素材という潜在的な、しかし莫大な需要が隠れていることに。

木材を、国産材を使ってくれ、と叫びつつ、今までとおりの角材と板材を出荷しているだけではないだろうか。もちろん一人の業者が扱っても、デザイン・ユーザーにはなかなか届かない。しかし、放置すれば隠れた需要はしぼむか、外国製に流れてしまう。

2012/12/04

誰も損をしない構図~「外資が森を」

本日は、某新聞社の記者が、「外資が日本の森を買い占め、水資源を狙っている」問題について取材に来た。

この件を取材して回ったが、まともに外国人が森を買っているケースは見つからなかったし、水を狙っているという根拠も発見できなかったという。誰もが明確な証拠を持たないのに、言説だけが一人歩きする不思議。その中でようやく行き当たったのが私だったという。

この問題で、表に出て真正面から否定しているのは私だけらしい。考えてみたら、これは恐ろしいことである。証拠もないのに、マスコミが情報を広げ、議員が動き、それを規制する目的の法律や条例が次々と作られていく……。そして異論さえ出ない。

そこで、生駒山を案内しながら、持論を展開した。と言っても、内容はここ数年間、折に触れて本ブログで書いてきたことをまとめたようなものである。だから紹介する必要はないだろう。

ただ、私の意見だけでなく、彼が取材の中で出てきた事実や蠢く人々の状況から「なぜ、こんなヘンな事態が展開され、何年たってもモグラたたきのように消えないのか」という点に、興味が湧いた。

すると浮かび上がってきたのは、「誰も損をしない構図」であった。

最初に騒ぎたてて、レポート書いた輩からすると、自らの影響力を世間に示し、本を売って講演して……と儲かる商売と化している。

それを真に受けたか利用しようとするのは政治家たち。ナショナリズムを煽るのは、ヘタな公約より簡単で責任を負わずに済む。有権者たちに利益をもたらさずに勇ましさだけで集票が期待できる。総選挙が告示されたが、ナショナリズムが大手を振っている中に、外資が森を買っていると叫ぶ候補者も少なくない。。

林野官僚からすると、無駄な仕事を増やしやがって……という恨み節は聞こえてくるものの、結果的に調査費なんぞの予算が取れたり、林野行政という地味な分野に世間の注目を集められて、案外満更でもない様子。

そして、「外資が狙っている」噂をばらまいて、一山当てようと蠢く山林ブローカーたち。

山主だって「外資に売られたくなかったら買い取ってくれ」と国や自治体にかみついたり、金満家に高く売りつけるチャンスを狙っている。

もちろん森林組合だって、これをネタに「ちゃんと管理するためには……」と補助金の増額を訴えている。

騒いでいる市民から議員まで、実際のところ、自分たちの腹は痛まず、威勢のよい外資(中国)批判を声高に叫んでストレス解消。マスコミは、センセーショナルな記事を書いて部数が伸びれば万歳だし、しょせん書きっぱなし。

正直言って、誰も損をしない。マトモな頭を持っている人は、水資源狙いで日本の森を外国人が買うことはありえないことを知っている(実は、煽っている中心部にいる人ほどわかっているはずだ)。が、良心のかけらもなく、煽ることに意義がある。

そうか。皆が損をしないから続けていられるのだ。そして、皆がなにがしかの利益を得られているのだ。これでは、間違っていると薄々感じても、誰も止めない、いや煽る。
本当は、高く売りつけられた上に、いわれのない非難を浴びせられる中国人などが怒り、損をしているように思うが、別に日本国内の批判なんて痛くもかゆくもない。実は彼らだって投資感覚で土地を購入しているのだから、リスクを背負いつつ一攫千金狙いでもある。

あああ、損をしているのは、私だけかもしれない。本ブログでこの問題を否定し笑い物にしているだけだが、これで結構仕事を失っているよ(;_;)。

2012/12/03

化石燃料は江戸時代から

拙著では、幕末~明治の日本の山は、禿山だらけ……とよく記してきた。

実際、当時の図絵や写真には禿山ばかり、草原状態から砂漠化? と思えるような風景が描かれている。そして、その理由として薪など燃料用に木々の伐採が進んだからとされる。

当時は、日々の煮炊きから暖房などの需要はもちろん、産業用エネルギーもたいていが薪や木炭であった。たたら製鉄など金属の精錬のほか、窯業、製塩業などなど、熱エネルギーの大半が木質バイオマスから得ていたことは間違いない。

しかし、日本にも石炭や石油がわずかながら採取できることは知っているだろう。これら化石燃料は使われなかったのか?

ところが、某書に驚くべき記述を見つけた。

瀬戸内の製塩業では、江戸時代から石炭を使っていたというのだ。

瀬戸内海沿岸は、日本最大の製塩地帯である。海水を汲み上げ、入浜式の塩田で濃縮してから炊き上げて、塩に仕上げていた。ここでは1780年代より、燃料の大半を石炭に切り換えたと記述されている。

この石炭は、九州の筑豊地域から輸送されていたらしい。つまり、近隣にある「燃える石」をちょっと使ったというレベルではなく、完全に産業として化石燃料の供給から需要までつながっていたのだ。

化石燃料を使うことが産業革命の欠かせない要素としたら、日本でも18世紀後半より産業革命の萌芽が生まれていたと言えるかもしれない。

となると、製塩業のために瀬戸内の山は禿山になった、という通説は必ずしも正しくはないのか。いや、中国・四国地方には製塩のほか製陶や製糖などの燃料多用型産業があったのだから、そちらではどうだろう。石炭は使わなかったのか?

また越後地方では、江戸時代に石油を利用しなかったのか? 

いろいろ疑問が浮かぶ。

が、重要なのは、燃料用の薪炭が山の荒廃に直結するとは言えないことになるから、何が山から木々を奪ったのか、という点だ。

もちろん、産業用の石炭利用はごく一部で、大半の住民の煮炊きや暖房用エネルギーは、近くの山の薪炭に頼っていたのは間違いないだろう。とすると、産業用より民需が森林へのインパクトが大きかったのか。
それとも、農業などのための農地開拓や、肥料(緑肥)採取が重大なプレッシャーになったのか。

エネルギーに関する江戸時代の通説も見直さねばならないかもしれない。

2012/12/02

紅葉の林床に……in 奈良女子大

奈良女子大を訪問した。と言っても、当然ながら目的は女子大生を眺めることではなく、シンポジウムを覗きに行ったのである。

女子大の正門を入ると、両側に庭が広がっている。

2


林床に紅葉が移っていた。

が。何かある。

白い容器。




近づくと、こんな感じ。

4


なんだ。リタートラップであった。

リターとは、落葉落枝のことだが、これを集める仕掛けである。

校庭を使って、樹木の物質循環とかの研究を行っているのだろう。





昔、林学ではよくやった。私は外れていたが、樹木のリターは森林の有機物生産量(今風に言えば、バイオマスか)の計測は重要課題だったのである。

周りに小さな柵があるのは、もしかして、シカがトラップを倒したり(中の落ち葉を)食べたりしないためかな。

ここに、周りの落ち葉を集めて、ドサッと投げ込むいたずらをしてはいけない、よ。

2012/12/01

「主伐」という言葉は誤訳?

このところ、林業の伐採に関する言葉をいろいろ扱ったが、その中に登場しなかった「主伐」について考えてみよう。

そもそも「主伐」とは何か。文字通りに捉えれば、主なる伐採であり、育てた人工林を全部伐採して大きな収入を得ることを意味しているように思える。

が、主伐に該当する英語は、ファイナル・カッティングである。つまり最後の伐採。主なる伐採ではないのだ。本来なら最終伐採、終伐とでも記すべきだろう。ウが抜け落ちてたんだね。

考えてみれば、植林からじゅんじゅんに間伐を進めて、最後に残った木を全部伐採する作業なのである。では、間伐材と終伐材のどちらが収入が多いか、決めつけできるだろうか。

もしかしたら間伐材の方が収益を上げる場合もあるのではないか

そう考えると、「主伐」の「主」という漢字を使うことが、無意識に施業に上下関係を付けるよう助長してしまうのかもしれない。経営上大切なのは主伐だと思い込んだり、間伐は利益が出ないもので切り捨てでもかまわないと決めつけたり……。

終伐なら、単に林業サイクルの最後の伐採を指すだけになり、誤解しなくてもよい。

これが択伐などで複層林施業などを思い浮かべたら、全部伐採する(皆伐)ことはしないわけだから、終伐は存在しない。常に抜き伐りで木材を得て収入にする。

« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »

2017年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  

森と林業と田舎