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2012/12/03

化石燃料は江戸時代から

拙著では、幕末~明治の日本の山は、禿山だらけ……とよく記してきた。

実際、当時の図絵や写真には禿山ばかり、草原状態から砂漠化? と思えるような風景が描かれている。そして、その理由として薪など燃料用に木々の伐採が進んだからとされる。

当時は、日々の煮炊きから暖房などの需要はもちろん、産業用エネルギーもたいていが薪や木炭であった。たたら製鉄など金属の精錬のほか、窯業、製塩業などなど、熱エネルギーの大半が木質バイオマスから得ていたことは間違いない。

しかし、日本にも石炭や石油がわずかながら採取できることは知っているだろう。これら化石燃料は使われなかったのか?

ところが、某書に驚くべき記述を見つけた。

瀬戸内の製塩業では、江戸時代から石炭を使っていたというのだ。

瀬戸内海沿岸は、日本最大の製塩地帯である。海水を汲み上げ、入浜式の塩田で濃縮してから炊き上げて、塩に仕上げていた。ここでは1780年代より、燃料の大半を石炭に切り換えたと記述されている。

この石炭は、九州の筑豊地域から輸送されていたらしい。つまり、近隣にある「燃える石」をちょっと使ったというレベルではなく、完全に産業として化石燃料の供給から需要までつながっていたのだ。

化石燃料を使うことが産業革命の欠かせない要素としたら、日本でも18世紀後半より産業革命の萌芽が生まれていたと言えるかもしれない。

となると、製塩業のために瀬戸内の山は禿山になった、という通説は必ずしも正しくはないのか。いや、中国・四国地方には製塩のほか製陶や製糖などの燃料多用型産業があったのだから、そちらではどうだろう。石炭は使わなかったのか?

また越後地方では、江戸時代に石油を利用しなかったのか? 

いろいろ疑問が浮かぶ。

が、重要なのは、燃料用の薪炭が山の荒廃に直結するとは言えないことになるから、何が山から木々を奪ったのか、という点だ。

もちろん、産業用の石炭利用はごく一部で、大半の住民の煮炊きや暖房用エネルギーは、近くの山の薪炭に頼っていたのは間違いないだろう。とすると、産業用より民需が森林へのインパクトが大きかったのか。
それとも、農業などのための農地開拓や、肥料(緑肥)採取が重大なプレッシャーになったのか。

エネルギーに関する江戸時代の通説も見直さねばならないかもしれない。

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コメント

経済的観点からは、近場の山を伐り尽くしたので遠くから燃料を手に入れるようになった、というのが最も説得力あると思いますが、どうでしょうか

もちろん、そうでしょうね。
ただ、1800年には石炭へ転換していたのに、明治時代(1900年代)になっても禿山が続いていた(むしろ悪化した?)のは、製塩以外の別のプレッシャーがかかっていたと考えるべきだと思います。

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