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森と林業と動物の本

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2013年1月

2013/01/31

なぜか、蔵王

なぜか?蔵王に行った。蔵王の山頂まで登ってきた。もちろんロープウェイでだけど。

これは、スギの植林地帯からカンバ、そしてブナ帯、高山帯に入ると針葉樹(アオモリトドマツ)へと移り変わる植生の視察である……なんて。

あ、もちろん観光ではなくて、仕事よ仕事(^o^)。

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おりしもひと冬に一度あるか、という青空。日頃の行いがよくわかる(^o^)。

標高1600メートルを越えると、この通り、樹氷のモンスターを見てきたよ。
樹氷はアオモリトドマツに湿った雪が吹きついて生まれた自然のゲージュツだ。非常に特殊な条件が重ならないと誕生しない。

ゴジラのような、いやもっと可愛いカンガルーのようでもある。こんなのが、何千何百、いや万を越して並んでいるかと思うと、感動もの。

山麓には硫黄の臭いがたちこめ、蕎麦も美味かったし、酒も……あ、もちろん仕事よ仕事。

2013/01/30

鼎談


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今日は山形市で鼎談という珍しい形。

林業、建築、環境(生物多様性)と近くて遠い専門の三人が話し合う。コーディネーターは私なんだけどね。

やってみると何とかなるもんだ。パネルディスカッションより人数が少ない分、話が噛み合いやすい。しかも専門家揃いたからね。

…でも、疲れた(^_^;)。

2013/01/29

北へ

今日はなぜか東京泊。

ところが週末からの疲れが出たか、不覚にも体調不良で倒れ込む。のどが痛いのは、風邪じゃなくてしゃべりすぎだろう。脳疲労をおかしたような症状だ。

ここは酒も飲まずに安静じゃ。

明日は、北へ旅立つ。探さないでください。

2013/01/28

選木は碁盤で学ぶ

昨日まで丹波を訪れていたのは、木材コーディネーター養成講座の講師としてだった。

地元関西圏だけでなく北海道や岩手からの受講生もいて、また身分も森林組合の職員から製材所、建築家、行政関係者まで幅広く、また多くの人が個人的に受講していることを知り、「学ぶ」ことへの熱心さに心打たれるものがあった。

そこで思い出したのは、先日の吉野の視察である。

清光林業の岡橋会長に案内していただく中で、間伐のやり方についても伺った。基本的には、山を預かる山守が行うのだが、間伐の選木法は、吉野林業は間伐にあり、といわれるほど重要なのだ。なんしろ1ヘクタール1万本と言われるほどの苗を植え、弱度間伐を幾度も(過去の例では林齢80年に達するまで15,6回したそうだ)繰り返しつつ、望む森に仕立てるのだから。

その理論はいくつもあり、劣勢間伐あり優勢間伐あり永代木施業あり。永代木施業は今流行り? の将来木施業とも少し違っていたりするし、実にきめ細やかな考え方から、山守が行ってきたようだ。

しかし、その選木法をどのように身につけるのか? そして学ぶのか?

すると面白いことを教えてくれた。

通常、山主によって山守は違う。同じ山主の山でも場所が違えば担当する山守も違うことも多い。だが、間伐する際には、担当の山に関係なく集まって行うのだそうだ。とくにベテランの親方の選木に中堅若手は同行する。そして選木法を見て覚える。ときに任せられて評価されたりする。ようはOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)。山守同士の勉強会みたいなものである。ベテランが若手を鍛えるのだ。

今なら別会社、ライバル会社の新人も含めてビジネスのイロハを教えるようなものだろう。

そういや落語界でも、師匠がやらない噺は、ほかの師匠のところに通って教わってもよいそうだ。お互いの弟子が行き来して勉強するのである。

同じことを吉野林業はやっていたのだ。とくに昔は、山から山へと選木して回ると自宅に帰れず、夜は一緒に旅館などに泊まる。すると碁盤に碁石を並べて選木の研究をしたという。

「こんなふうに木が並んでいたら、お前なら、どの木を選ぶ?」
「……これです。あ、いやまてよ、こちらの木にします」
「ほお、この木を寝かしても(伐っても)いいのか?」
「親方、オレなら、この木を……」
「おやおや、本気か? これまで何を見てきたんだ」

……なんて会話、碁盤を囲んであったのかもね(^o^)。

ビシバシきついこという親方もいただろうなあ。こうして鍛えられたからこそ、吉野の技術伝統は守られたのだ。

残念ながら、現在はめっきり間伐も減ったし、山守も個別に動くようになって教育機会も減ったそうだ。山守だって、伐った木を出荷して、その売値が自らの収入に直結するわけだから、今ほど材価が下落したら昔のように理想の森づくり的選木ばかりしていられないのが本音ではなかろうか。

しかし、本気で伝承方法を考えないと、体系化していない選木技術は消えてしまいかねない。かといってマニュアル化しても文書のような形で残しても伝わらないだろう。やはり、現場を歩いて直に聞かないと。。。

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中島彩さんも、熱心にメモ取っていたなあ。

 


私は手ぶらで震えていただけ……(^^;)。


そして、パッと見には、ライバル関係だったり異業種同士が集まり交わりつつ学ぶ機会も必要だろう。そして厳しくビシバシ評価されて、めげながらも頑張って身につけていくのだ。

あ、これは何も私が皆のプレゼンに対して厳しい講評を連発したことの言い訳じゃないよ(~_~;)。

2013/01/27

へとへと。。

今日は丹波で缶詰。雪景色に青空、朝焼けという日和にもかかわらず、朝から夕方まで部屋の中に籠もっていた。

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中島彩さんは、朝から別のところに出かけたが、正解。彼女にインドアは似合わない(~_~;)。

で、何をしたかといえば、17人の発表を聞き続けるというお仕事であった。講評をつけねばならないから、イネムリもできないよ(^^;)。

皆さんの森や林業や木にかける熱い想いは伝わったが、もう少し引いて俯瞰してもいいのに、とも思う。世間の森や林業や木に向ける(冷やかな)目を意識することもプレゼンには必要だ。

というわけで、8時間も聞いていると脳疲労を起こしてボンヤリして集中力を欠いてしまう。
その状態で、車を高速道路走らせるのは危険だ……。

そのため?奈良と京都と北海道の妙齢の女性が3人が同乗することに。車中が女子会になった(^^ゞ。イネムリ運転にはならなかったけど。。。
生駒に着いたが、皆さん、これから焼き肉食べに行くと。誘われたが、これ以上一緒だと精気が抜かれてしまうので遠慮したわ。。。。

2013/01/26

丹波にて


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今日は丹波に来ている。雪がちらつき、積もったら明日帰れなくなる…。

ま、シシ鍋食って楽しんでます。

で、横にいるのは、また中島彩さんなのだ(笑)。こう書くと色めき立つ人もいるだろうな(^_^;)。

2013/01/25

割り箸セット、再販売!

昨春行った、『割り箸はもったいない?』の直販。

http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2012/04/post-8875.html

おかげさまで、かなりの注文をいただけた。

なかでも大好評を博した? 割り箸セット

磐城高箸の制作した「三県復興 希望のかけ箸」とのセットである。これは福島県の磐城杉、宮城県の栗駒杉、岩手県の気仙杉の3種のスギでつくった割り箸で、1セット購入する度に各県に50円ずつ、150円が寄付されるもの。定価は500円。

提供された50セットは、無事売り切った。手元に残ったのは、事前に自分用に確保しておいた分だけである。

注文は、『割り箸はもったいない?』単体よりも、断然割り箸セットが多かった。割高なのに、あまりに好評なので、実は本より割り箸目当てなのね……と、拗ねたりして(笑)。

本の販売はまだ応じているが、割り箸セットに関しては品切れ状態である。

……が。

昨日、磐城高箸さんより、「希望のかけ箸」20セットが届いた。注文したわけではなく、ご好意である。

というわけで、割り箸セットの販売、再開します。『割り箸はもったいない?』は、まだそれなりに在庫がありますから(~_~;)。

なお、高橋さんより、義捐金分なしで、とただし書きがありました。

そこで定価は850円とします。ただ、振り込むには面倒な金額。これまで通りの1000円を振り込まれた方には、無理やり義捐金として送りつけます(⌒ー⌒)。また、磐城高箸の会社案内パンフを付けましょう。ただし、十分な数はないから、早いもの順で。

いや、これが、なかなか読ませるのよ。ドラマ仕立で。半分英語版で海外進出の意図もかいま見える。

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これが表紙。


タイトルは、見た通り「折れない」。

デザインもコピーも写真も秀逸だ。




実は、「希望のかけ箸」誕生秘話?も掲載されている。







 

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このように、続く。
カラー全12ページ。

ほかに商品カタログ的な小リーフレットもある。







 

もちろん、『割り箸はもったいない?』単体の販売もしています。と言っても、そんなに残りは多くないが。

2013/01/24

森林政策のグローバル化

NHK大河の『八重の桜』は、楽しみに見ている。

第1回目の始まりは、アメリカの南北戦争。そこで使われた武器が、幕末日本の戊辰戦争に流れ込んだことを示唆していて、世界と日本がつながっていることを示すとともに、同時代性を感じさせる秀逸な導入部だった。

明治維新を欧米から100年遅れの近代化と見る向きが多いが、実は、この時期欧米でも同じような変換期を迎えていた。アメリカは日本開国の主導権を取りながら、明治維新前後にはイギリスやフランスに遅れをとったのも、南北戦争が勃発したためである。
そしてプロシアがドイツ帝国に移り変わるのも、イタリアが統一されイタリア王国となったのも、みな同じ時期である。さらに普墺戦争や普仏戦争も起き、ハプスブルグ家のオーストリア・ハンガリー帝国が登場した。ほか、ロシアも農奴解放の変革期なら、清国は太平天国の大乱が相次いだ。

19世紀後半は、世界的な動乱期であり、時代が大きく切り替わろうとしていたのだ。

通信や交通手段が限られていた時代でも、意外や世界は同時性を持っていたのではないか。

現在は、さらに情報が瞬時に飛び交い、金融や貿易を通じて一国の出来事があっという間に世界に伝播する。
日本がバブル崩壊させたら世界的な不景気の時代になったし、今や世界中がデフレになり、その反動で借金まみれの経済事情である。一方で、環境問題が地球規模で注目された。そして、地球温暖化や生物多様性などがキーワードになってきた。

……というようなマクロな視点で、林業や森林問題を見ると、日本の問題も世界とつながっていることを感じる。まさにグローバル化。

たとえば森林・林業再生プランのように林業改革が打ち出されたのは,日本の林業が欧米より遅れているから……と思われるからだが、果してそうか。実は、各国が日本の眠れる木材資源に目をつけた結果かもしれない。欧米で林業機械の中古が余ったから、日本に送り込んだのかもしれない。

遅かれ早かれ起きたことなのだ。世界の潮流に乗っただけか……。

今後、日本の森林がどうなるか、林業がどの方向に進むかも世界的な動きを注視すれば、見えてくる部分もあるだろう。

たとえば木材需要は今後伸びるか縮むか。長伐期か短伐期のどちらに向かうか。機械化はどうなる? 天然更新の是非? 森林のような環境に関わるものは、とくにグローバル化が進んでいる。

日本の森林政策を決めるのは、実は世界情勢かもしれない。国内事情ばかりに縛られていると、世界の状況を見過ごして、大きな勘違いするかもよ。

2013/01/23

ドイツの森林をグーグルで覗く…

先日訪れたところて、偶然逢ったのが何年も前に取材した人。

ちょっと仕事内容は変わっていたが、林業界から足を洗うことなく、頑張っておられるようだ。
そしてドイツ林業の視察にも行ったとのこと。

そこで見てきたのは、農畜林複合経営。夏は林業をやっていない。トラクターも林業と農業と畜産の兼用である。これならコストも低くなる。小規模林家は、量を競う林業をやっていないのだ。これって、私の見てきたスイスと同じではないか。

「でもドイツには年産10万立米以上の製材所がたくさんある。そこでは年中製材を行っているわけで、その素材はどこから持ってくるか、フォレスターに聞いたところ……」

するとこんな答えが返ってきたそうだ。

「ドイツも奥地の森林地帯をグーグルアースで眺めたら、皆伐地がいっぱいあるよ」
そこでは年中、伐採を続けているそうだ。もちろん、得意の超大型林業機械が“活躍”しているのだろう。

こんなこと聞いたら、さっそく試したくなるなあ。(誰か、場所を特定してほしい。)

でも、皆伐地が広がっているのは、ドイツだけではなかろう。国境を越えることもむずかしくないだけに、おそらくオーストリアや北欧諸国……そしてポーランド、チェコ、スロバキア、ルーマニアなど旧東欧諸国も含まれているのだろう。大陸ゆえに広く素材を集めることができるから超大型製材所がいくつも稼働できるのだ。実際、50万100万立米を引く製材所は珍しくないと聞く。
そんなベースの生産量があるから、小規模な出材を上乗せで取り込むことも可能になる。

目先の施業方法を論じる前に、世界全体の木材需要と供給場所を考えれば、どこかで無理な伐採が行われているのは間違いない。数字のマジックを駆使して、生長量より伐採量が少ないから「持続的です」なんていうのはナンセンスだ。

林地の集約化。高性能林業機械の導入。システマティックな搬出。製材工場の大型化。……こうした動きを日本の林業だけの抱える問題点のつもりでいたら、どこかで落とし穴にはまりそうな気がする。もっと大きな動きが世界レベルで起きているはずなのだ。それを知って、目の前の施業方法を考えないといけない。

シンク・グローバリー、アクト・ローカリー…かな。

2013/01/22

山を持つ者持たない者、の役割

清光林業の岡橋氏に中島彩さんとともに吉野の山を案内していただいたことは、すでに記した。

実は、岡橋氏へ橋渡しをしてくれた谷林業の谷さんも同行していた。谷林業も吉野5大林家の一つで、1500ヘクタールほどの山を持つ。岡橋家とは縁戚関係もあり、現在は岡橋氏に作業道の入れ方などを学びながら、新時代の吉野林業を模索している。

ちなみに谷家の邸宅は、文久年間に宮大工が全国から銘木を集めて7年がかりで建てられた古民家。大黒柱が2本あって柾目のヒノキの1枚板襖、10メートルを越えるサクラ縁側、書院造りの床の間に狩野派の屏風絵、ナニガシ親王の扁額……。

もっとも、奈良ではこれほどの家でも、文化財指定にはならないのだけどね。。。

もちろん、大山主といっても、昔のような「旦那」の世界ではない。当主自らトラックを運転して材を運んだり、ユンボで道づくりをしている。厳しい林業事情の中で、山をあきらめずに維持するのは大変だろう。
でも、自分の山の将来の姿を自分で描くことができるのは、ちょっとうらやましい。

さて、こうした大山主の世界から吉野林業を学んだ帰り道。車の中で多少疲れた頭で彩さんと話すのは、やっぱり色気抜きの(~_~;)林業の話。

「大山主も厳しいけど、楽しそうでもある。さて、我々のようなサラリーマン家庭に生まれ育って、山を所有していない者が、森や林業に興味を持ったらどうしたらいい?」

考えてみれば、林業関係者でも自分の山を持つ者は少ない。被雇用者はもちろん、新規参入者なら地域にさえ縁がないケースが多いだろう。人数からすると、圧倒的に自分の山を持たない人が多いのではないだろうか。

それでも森が好き、林業が好きと思ったら、山主とは違ったつきあい方をすることになるだろう。

彩さんのような?現場にこだわる派は、自らの最適の舞台を広く探し出し根付くのかもしれない。私のような腰が落ち着かない派は、アチコチ歩き回って他者に「伝える」役割をめざすのかもしれないなあ。

2013/01/21

千差万別の林業地を知ること

昨日まで、ナカシマアヤさんが吉野に来ていたことは、本ブログを読んでいただいた通り。

実は、吉野だけではない。毎年冬はスキー場勤務だったが、今冬はお休みして、各地を歩いている。佐賀、大分、長野、そして吉野……まだまだ回る予定らしい。

単に5年間も林業にどっぷり使ってきたから今冬はお休み……というのではないのだ。実は歩いているのは皆林業地。プライベートに時間を割いてまで林業の勉強をしているのだ。

一体何のため? どんな心境の変化? 5年も経てば、中堅どころ。林業についても一家言出てくるころではないの。

その点を問い質す(いえ、おうかがいをたてます)と、

吉和(広島)の林業しか知らないでいいのか、と疑問を持った」という。たしかに吉和の山ならかなり覚えた。が、林業は地域によって千差万別。地元の林業だけしか知らずに林業を語ってよいのか、吉和でしか林業できない能力なのか……と思い出したそうである。

たしかに林業は、土地によって条件がガラリと変わる。一つ尾根を越えると、気象も地形も地質も違う。そしてバックグラウンドの経済や産業構造も違っている。
私も繰り返している。だから森林・林業再生プランを批判する際に口にするのは、全国画一的な政策の問題点だ。それもドイツの一地方の例を「成功例」としてピックアップして、それを日本全国に当てはめようという愚である。

だが、実はもう一つ私も気になっているのは、林業家自身の視野である。みんな地元の林業しか知らずに論じることが多い。成功例・失敗例はもちろん、時代もズレる。はっきり言って視野が狭いのだ。にもかかわらず、ほかの地方の林業について知る努力はあまりしていないのではないか。

たとえば吉野の林業家は、吉野林業については詳しく、また技術も図抜けて凄いのだが、その経験で全国を推し量ったら全国的な林政を語れない。同じことをほかの林業地の人にも言えるだろう。

だから「現場にこだわる」ことが「(自らの)体験にこだわる」ことになると危険だと思っている。個人の体験を普遍化してはいけない。
一方で、全国を広く薄く見て歩き、各地の林業事情を足して割って平均値にしたような政策を出すのも愚の骨頂であろう。

どうも、林業界では守旧派や改革派も、自らの編み出した方法が一番正しい、と思い込みの強い人が多い(^^;)。森林・林業再生プラン一辺倒も困るが、全面否定も危険だ。ドイツ林業を信奉するのも伝統にしがみつくのも、外から見ていると視野の狭さを感じる。

林業の視察もよくあるが、あまり参考にしようとしていない。むしろ「うちと条件が違うから参考にならない」と拒否材料になっている。

だから、ナカシマアヤさんの挑戦に期待する。

各地を見て、それぞれの地域のノウハウではなく、発想を学んでください。それを持ち帰って咀嚼すれば、自らの仕事に応用できるかできないか、捨取選択できるだろう。
そして、何かが見えてきたら教えてね。私は、それをパクって本を書く(~_~;)。

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吉野檜の木目から何を感じ取ったのか……。

奈良銘木協同組合の初市にて。

2013/01/20

元・土倉山を訪問

講演が開けて、今朝は喉がヒリヒリするのであった……。

本日は、清光林業の岡橋清元さんとお会いした。岡橋式の吉野林業を案内してもらうのが目的だが……実は私はおつきで、主役はナカシマアヤさん。

彼女が川上村にやって来て講演会に来訪した真の目的は、今日の吉野林業視察のためであった。「ま、せっかくだから前日の講演会にも顔出しといたるわ」とは口に出しては言わなかったが……(-.-)。

つまり私はアヤ嬢のおつきであったが、それでも下多古の山を一緒に案内していただき、雪の中で震えていたのだが、せっかくだからお願いした。

遠慮がちに、「土倉家の山だったところも見たいのですけど……」。

土倉家の山は、逼塞時に全山売り払われたが、その一部が周り回って岡橋家にも渡っている。たいていの山はすでに伐採されてしまったと聞くが、庄三郎存命時に植え育てた山も少しは残っているはず……。

そこで案内されたのは、大滝ダムのサイトのずっと上にある山である。

この辺りは所有が入り組んでいるのだが、かつて土倉家の山だったことはほぼ間違いない。

そして、たどり着いたのが、こんな山。

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だいたい林齢は130年。

つまり植林されたのは、1880年前後。この時期なら庄三郎は40歳ぐらいで、もっとも油の乗り切っていた時期。自由民権運動に走り回ったり、道路建設や山林開発などを積極的に行った頃ではないか。


その時分に植えた木が、このように大木になって文字通り林立している。

ちなみに、この林分の奥には、岡橋家の山でも最古最大木の林分がある。こちらは林齢 280年!

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この太さは、うなる。

しかも、こんな樹が100本くらいあるのだから……。

2013/01/19

大失敗!

川上村の土倉翁講演会、終了しました。30人越えを目安にしていたが、蓋を開けると、なんと170人越え!

しかも用意した本(主催者側と私個人)35冊が開演前30分に売り切れ。終了後に販売できない事態に。
ああ、最大の失敗だ。あと30冊は用意すべきだった。

しかも私は、ほとんど村民だろうという推測を元にノーネクタイ。ところがスタッフも皆ネクタイ姿なのだ。
村長も来てくださり挨拶されるし、いやはやもう調子が狂ってしまった。

おかげで少々上がり気味(^_^;)。出だしから予定した話題を飛ばしてしまった。…要するに枕なしに、本題に入ってしまったのだけど。

さらに壇上から客席の写真を撮る計画も忘れてしまった。だから、この記事にも写真はないのだよ。

というわけで、失敗続きで終わり、宴会へ。多くがお世話になった人ばかりなのだが、話ばかりしていて食べていられなかった。

で、ホテルでは温泉浸かって、女将のいるフロントをバーカウンターのようにして、うだうだと話し込んでいたのであった。
            

2013/01/18

御神籤が当たると……

遅ればせながら参拝した。

やっぱり初参拝は、地元の宝山寺でしょ!

で、恒例の御神籤を引く。番号は77番。

これは何と引き換えられるのか。と楽しみにすると、「凶」だった。。。。

なんか、ここで引く御神籤は凶や大凶が多いような気がする。何年か前にも引いた記憶が。。

と思って調べると、2年前の正月だった。
http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2011/01/post-7c01.html

結構シビアなのだね。しかし、今年は各所に手を合わせ、お賽銭もせっせとばらまいて、もとい奉納させていただいたのに、この仕打ち。

で、昨日は奈良の大神(おおみわ)神社にお参り。

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この独特の鳥居をくぐって、三輪山の御神体に手を合わせ、もちろん賽銭も惜しむことなく。。。

さらに大蛇が潜むといわれる大杉に手をかざしてパワーをもらい……。

そして、満を持して引いた御神籤。

番号は、なんと1番であった。そして引き換えたのは「大吉」。\(^o^)/

やった、今年は当たり年か。。。)^o^(

とニコニコ帰途に着いたら、車の後ろから追突された(-.-)。これも当たりかよ。。

2013/01/17

土倉翁の講演会に●さんが参加!

前々から告知しているように、明後日、19日(土)に奈良県川上村で土倉翁の講演会を開催する。

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日 時 : 平成25年1月19日(土)14:00開演 

場 所 : やまぶきホール(宮の平)

講 師: 田中淳夫(森林ジャーナリスト) 

※参加費無料

【問い合わせ先】
NPO法人芳水塾(事務局)TEL0746-53-2021


山吹ホール13時半開場、14時スタートである。
場所はhttp://www.vill.kawakami.nara.jp/n/yb-fl003.htm

ここでは、土倉庄三郎の一般に知られている事蹟に加えて謎の部分を紹介。果たして本当か探りたいと思う。また初公開の写真もある。

一方で、単に土倉翁の足跡に留まらず、彼が「近代林業のパイオニア」である所以と、現在の吉野林業についても考察する。

なお、『森と近代日本を動かした男』ほかの著作も展示即売。

そして注目すべきは、この講演会に、安田林業の中島彩さんが来席することが決定しました! 

全国ナカシマアヤ・ファンの皆さん、この講演に参加すると、もれなく彩さんと握手できます、多分(笑)。並んで記念撮影もOKです、多分。彼女目当ての参加も、私はいっこうにかまいません。。。

乞う、ご期待です。

2013/01/16

カーチャー・デックスター報告~米軍政下の林業調査

1951年から10年間分の「林業技術」誌の贈呈を受けた。

貴重な林業の歴史的資料である。黄ばんだ雑誌の山を見ると、有り難くて、自然と笑顔になる(^o^)(^o^)(^o^)。

何分、膨大な分量だから、どんな記事があるのかチェックするだけでも大変。目次を眺めるだけで、時間がすぎていく。

その中で、今のところ目についたのが「日本における民有針葉樹林の経営」(連合軍総司令部天然資源局基本調査第43号)であった。

GHQは、日本を占領中に、各産業についても詳しい調査を行い、問題点を洗い出し改革案をまとめていたのだ。いわばコンサルタント! 単に占領政策を有利にするとか、戦後処理のためというよりは、いわば豊かな国を自らの手で作り上げたい理想主義的な意思があったのかもしれない。当時の日本からすれば至れり尽くせり、である。もちろん、植民地経営的ではあるが。。。

調査を手がけたのは、ジョセフ・C・カーチャーアルバート・K・デックスター。どちらも人工林経営では国際的に有名な人だという。とくにカーチャーは占領下のドイツで林業部長に就任して調査も行っている。

実は、この報告書、私は以前から存在は知っていて探していたのだ。戦前の日本の林業地を外部の目がどう評価したか知りたかったからだ。それが、翻訳されて「林業技術」に掲載されていたとは。

さて、詳しい内容はとても紹介できないが、「勧告」として記されている項目の中から、気になるものをいくつかピックアップしてみよう。

「直ちに森林を保護生産の基礎に置く」

「日本の固有事情に合致するように改変背せずして、ドイツ林業の方式を盲目的に採用することを止める」

「より早期からより強く、より回数を多く間伐を繰り返す」

「主伐実行前に成林を確実ならしめるところの群状択伐作業を採用」

「1町歩以上の所有者が有する民有林における用材伐採を国が監督すること」

この中でも、ドイツ林業に関する部分は面白い。

日本の林業は、他のいずれの国よりもドイツ林業の影響を強く受けているとして、それを「盲目的に採用するのは不適当である」とかなり厳しく指摘している。気象も地形も違うヨーロッパと同じように日本の林地を取り扱うべきではない、というのだ。

そして一斉皆伐は、ドイツでも急峻地形のババリアルプス地方ではやっていない、郡状択伐にしている、日本でも、一斉皆伐は不適とする。地域ごとに適正な方法を選ぶべきだ……。

今の日本林業政策を担っている人に読ませたい内容だ。少なくても戦後60年間、日本の林政は何も学ばなかったのか? せっかくコンサルティングしてくれたのに。。。

2013/01/15

そこそこの思想~再びカジュアルウッドについて

量の林業を突っ走っている日本の林業・林産業。

そこで「いや、これからは質だ。森づくりも、木材利用も、質を重視すへきだ」なんて言っていると、反論として現れるのが「木材の質を求めたら、昔の役物に行ってしまう。そんなもの今の世の中売れないし、量も出ない。山は、木が余っているのだ」。

そうではないのだ。質のいい木材とは、役物・銘木ではない。珍奇な木肌や木目を売り物にするわけではなく、やたら細かな年輪幅や無節とか、大径木でもない。もちろん超高価な品にもならない。だから森づくりに、かつてのような農作業的・超労働集約な作業も求めない。

ただ、きっちりと森(樹木)が健全に育つ条件を維持してやるだけだ。

そこで、浮かんだのが「そこそこ」という言葉。

品質も価格も、「そこそこいい」を追求すべきではないか。言い換えると、安くはないけど高すぎない、誰も真似のできないような出来を求めるのではなく丁寧で上質な品質。天才作家の作品ではなく、練達の職人が手がけた工芸品のような木材。

実は、現在の消費市場でコアな利益を上げられるのは、この「そこそこいい」商品である。
安売り競争に参加するような品物は、仮に売れても利益が極めて低い。だから薄利多売の数の勝負になってしまう。一方で超高級品は、利益率は高くても大量に売れないから、利益総量は大きくない。

が、そこそこよいものは、利益率が高くて量も「そこそこ」出る

たとえばペンが必要だとして、安売りで50円のものは書き心地が悪いから人気が出ない。そこそこ書き心地のよい200円のペンを買う。ここが売れ筋だ。その程度の贅沢はする。が、いくら書き心地が最高でも1000円のものは滅多に買わない。このような選択の仕方をするのが、不景気とは言っても、成熟した消費社会の日本人である。

この法則が、木材にも当てはまるのではないか……。

と、ここまで考えて、すでに本ブログで同じようなことを書いていたことを思い出した(~_~;)。

カジュアルウッドという言葉まで、提案していた。

吉野割り箸は、末端レベルで1膳10円~20円するが、それを5~6円にしたら売れた話もある。中国産の1膳1~2円の割り箸よりかなり高いが、高級さを売り物にして10円以上になった既製品よりはるかに安いから……という話題も提供していた。

もう一度、量と品質を見直すべきだろう。しかも木材は情操素材だ。人々の感性を刺激することが大切だ。

結婚式場の飾りつけで、安いからと言って、枯れかけたパンジーやカーネーションを500本1000本と並べても、誰も美しいとは言わない。逆に見すぼらしくなるだろう。かといって、高級なランやバラを1輪だけでも映えない。
しかし品質のよい色とりどりなカーネーションを、100本活けたら会場は引き立つのではないか。

……こんな観点から、カジュアルウッドの木製品が登場することを期待している。

2013/01/14

薪はもったいない?

今日は、朝から雪。なかなか冷える。となると、やはりストーブに頼るわけだが……。

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ここで考えたいのは、薪ストーブ。いや、薪燃料。

16日に、日本薪協会の設立大会が開かれるそうだ。これは、基本的に薪ストーブや薪ボイラーに供給する薪に関した活動をするのだろう。まだ活動内容は、よくわからないが。。。

各地で薪ストーブの見直しが進んでいる。先の森林総研の報告会でも、薪ストーブの普及に関する研究がなされていた。

かねがね木質バイオマスに関する疑問を呈して、木質バイオマス発電など愚の骨頂、熱利用だって、木質ペレット推進などについては、日本三大林業愚策の一つだと発言して各所から反発を食らってきた私である。

しかし、まともに考えればわかるはず。1~3割程度の発電効率では木質(エネルギー)の無駄遣いだし、燃料化も加工すればするほど熱量が失われるからである。ペレットのように木粉にしてまた固めるなんて、馬鹿げているだろう。また遠くに移動させるのも輸送エネルギーを考えれば再生可能エネルギーという自慢の意味が薄れる。

その中で、かろうじて見込みのあるのは薪利用だとも言ってきた。薪は加工度が低く、しかも一般的に利用は地場であるから、輸送距離が短い。何より炎を楽しめれば、情操面の利点がある。

だから今般の薪に対する世間の注目は、私がいかに先見の明を持っていたか示しているわけである( ̄^ ̄)。エヘン

が、流行れば、それが本当に正しいのかと茶々を入れたくなるのが、私の悪い癖(^o^)。

そこで、改めて薪利用に関する疑問を振り返ってみた。

ここでは薪の流通ルートが整備されていずに調達が大変とか、価格がどうかとか扱い方が難しく点火しづらいとか、あるいは本気で薪需要が膨らんだら山が荒れるかも……なんて従来のイチャモンは付けない。

ただ薪、つまり木質燃料の持つ熱量が低いのは、如何ともしがたい事実なのだ。いくら加工度が低くても、元から内包しているエネルギー量は、全乾でも石油系燃料の約半分しかないとされる。つまり同じ重量があっても、熱は半分しか発生しないわけだ。実際はどうしても水分を含むから、もっと低いだろう。そしてかさばる。保管のための空間を多用する。

これはコストだけでなく、生産・運搬から保管や燃焼までエネルギーと空間と時間の効率が悪くて、多くのロスを生み出しやすいことを意味する。決して、燃料として優れているわけではないのだ。

……にもかかわらず、薪ストープ礼讃者は、薪のすばらしさを訴える。とくに不可解なのは、「薪の方が部屋が温まる」というのである。

よく温まる? なかなか冷めない? 暖房に止まらず、さらに薪で沸かした風呂や調理まで一般のガスなどより心地よいという体感報告。なぜだ?

単に、石油系燃料より大量に燃料を消費しているだけではないのか。石油の2倍以上燃やして、ようやく同等の熱量が発生し、3倍くらい燃やして「薪は温かい」と言っているのかもしれないよ。
もしかして、「薪はもったいない?」(あっ、このタイトルで本書こうかな。)

木質バイオマスはガンガン使っていいんだよ、と認める(開き直る?)のなら納得だが、そうでなく「だって、使ってみたら本当にそうなんだ、薪は燃料として優れているのだ」と言い張るのなら、その効果はどこから生まれるのか、研究してほしい。もし証明されなかったら、過大主張(広告)だ(笑)。それとも、「薪には樹木の生命を取り込んだ神秘の力が宿っている」というか。

結局、薪燃料がほかの燃料より優れている点は、情操面に限られるのではないか。もし効率のよさが証明できたり保温効果などが理論的に説明できるのなら、それこそ薪利用に弾みをつけられるだろうけどね。

以上、こうした問題点の指摘は、決して私が薪ストーブを所持していないからではないよ(⌒ー⌒)。

2013/01/13

檜皮と奉納金

今年は、まだ初詣はしていない、というか自粛しているのだけど……。

Photo

写真は、京都・下鴨神社の授与所(ようするに、お土産物売り場?)で見かけた式年遷宮のための奉納金を納めたときの印。檜皮の束であった。

3000円と1000円の2種類。

檜皮をこの値段と思うとべらぼうだが、神社の奉納金のお印と思うと、ありがたく感じるもの。

この神社、各所に木や林や森に関した聖域があるけど、すべからく木とは聖性を備えているものなのかもしれない。

……そろそろ正月も開けたし、お参りするか。

2013/01/12

京都アバンティの書店の書棚にあったのは

JR京都駅前の京都アバンティ。この中にあるアバンティフックセンターは、わりとお気に入りの書店だ。私の感性に合う本が多く取り揃えられている。

そこで偵察に訪れた。

やはり、まず探してチェックするのは『森と近代日本を動かした男 山林王・土倉庄三郎の生涯』でしょう。奈良県内の書店では、まだ一度も見かけていないのだが……。

まず農林業・生物系の書棚へ。

すると!

Miri_033

なんと、今も平積みしているではないか。

出版から三カ月近く経ち、当初は置いていた書店でも引き上げ気味なのに、この扱い。

大感激である。しかも後2冊だから、結構売れたのかな。

それだけではない。この書棚の本をチェックしていた人が、この写真の撮影時に手に取ったのは、『日本人が知っておきたい森林の新常識』であった!

……しばらく立ち読みしたものの、買わなかったが(笑)。

いやあ、いい本屋さんですね(^o^)。

2013/01/11

今日はお休み

今日は、朝から体調を崩して、身動きならなんだ。

て、コタツムリ状態を続けています。ちょうど「コクリコ坂から」も見られた。

以前、映画館で見た感想を記した が、そこでは昭和30年代の横浜の緑にこだわってしまったので、今日はゆっくり物語世界へ。

明日までにすっきりしないとなあ。

2013/01/10

人はいかに堕落するか……(^o^)

先日、某者と一杯。

で、雑談の中で出たのが、人はいかに堕落するかであった(⌒ー⌒)。

政治家・官僚、そして公的機関や大学など研究者にも、なかには勘違いでエラクなったと思っている人がいる。権力や肩書、あるいは職務上の立場を利用して傲慢な発言を続けたり、権力や利権のあるところにうまく立ち回るため変節する人も出る。さらに金に絡んで詐欺マガイ、脅迫マガイの行為をする人も……。

実は、私が見聞きしたケースに結構ある。それこそ○○センセイと呼ばれてどんどん傲慢になっていき、最後は金目当てか名誉目当てか、人が変わる。

この時は、実名あるいはほとんど特定できそうなトークの数々(笑)。一時左遷されたがもどってきたり、天下りした途端にふんぞりかえるとか、業務上の審査権限なとを持った途端にタカリを始めるとか。自分の研究が評価されてチヤホヤされているうちに、変わる。役職に就いたことで変わる。

ダレソレセンセイは、飲み会の支払いを全部某県庁に回した? 自分を立てなかった所員に怒り狂った……ああ、情けない。

やっぱり立場上得た、自分の権限による全能感に陶酔するんだろうな。さらに最初はあったかもしれない使命感とか職務上の誇りよりも、金、金、金に溺れる。

この時は酒の席のネタにして盛り上がったわけだが、ふと自分は思い上がっていない?

私も、講演などするおかげで「センセイ」と呼ばれる機会は増えた。

当初は「やめてくれ」と言っていたが、だんだんとセンセイを否定するのも面倒になって、今ではそれを受け入れて、「センセイ」と呼ばれると「ハイ」とにこやかに返事(^o^)。でも、小心者なので、内面ドキドキ。

昔は、よた話で偉くなったら「高飛車になるんだ」と言っていたが、実際周りから持ち上げられたら、それに対応するのは案外むずかしいものだ。

だが、「センセイと呼ばれるほどバカじゃなし」という言葉もあるとおり、マジに受け取るほど私も純真じゃない。なかには、明らかに私と反対意見を表明しながら「センセイ、センセイ」と呼ぶ人もいる(笑)。

だから、言葉で持ち上げられても勘違いすることはないと、(自分では)信じている。が、

「お金積まれたら、わかりませんね」

記事1本書いたり講演1回やって、100万円、200万円と積まれたら、勘違いするかも。そしてあっさり転ぶかも。絶対に拒否できるか自信がない。

……まあ、その手を多用してきたのが、電力会社なわけだが。高額のギャラで有名だった。

実は、3・11の数カ月前に、私のところに関西電力のイベント出演依頼があったのだが、そこで「原発に賛成か反対か」問われた。私は、極めて正直に答えて、あっさりボツになったことがある。

その時のギャラの額は聞かなかったが、惜しいことをした(笑)。いちいち踏み絵を踏ませるようなことをせずに黙って(高額ギャラを)払ってくれたら、なし崩しにひよったかもなあ。3・11後も、「原発再稼働は必要だ」と言ったかもしれない。

誰か、私が堕落するか、試しませんか。3桁のギャラを提示してみてください(^o^)。

2013/01/09

伐採の前後に……

本日は、久しぶりにチェンソーを持つ。

毎年、この季節になると、伐採に勤しむことになっている。目的は、シイタケ栽培用の原木調達。つまりホダ木の元である。

毎年2本ずつとささやかな量なのだが、だんだん適木が少なくなってくる。というより、重要なのは場所だ。じんりきだから、伐採より運ぶのが大変なこと、そしてチェンソーを使うだけに、音が響いてもいい場所。生駒山は、結構どこでも人がいるから、伐採していたら覗きに来られて、下手すると文句をつけられかねないのだ。

幸い、人家から離れつつ、車を寄せられる場所で、しかも急斜面の上の方に適したコナラを見つける。これなら伐採してそのまま下に転がせば、車のそばに落ちるだろう……。

チェンソーの使い方を忘れてしまったような……ま、それでも伐採そのものは簡単だったが、案の定、かかり木(;_;)。下向きに倒すと、広がった枝が、必ずとなりの木に引っかかるのだねえ。

結局、刻みつつ転がして落としていく。

伐ってみると、意外と根元は太く重い。あんまり長くすると、運ぶのに青息吐息だ。昨年みたいに「肩上げ曳き出し」で運び出す。そうしたら、車のそばで犬の散歩に来た女性にばったりと。。。。なんか、ばつが悪いぜ。

実に木材の収穫とは、伐る前にどの木を伐るか木と場所の選定であり、伐り方よりも倒し方であり、さらに運び出す手間であることを実感する。単に木の太さ長さだけでなく、出しやすさとかコストだけでもなく、最近は、他人の目まで意識しなくてはならん。

しかも、車に積んだら家に運び込まなくてはならない(これまた住宅地内なので、他人の目が気になる)し、庭まで運んだら置き場所に困るし、その後の菌駒打ちの準備もいるし、さらに木屑だらけの車の掃除が必要となる。そうそう、チェンソーの手入れもやらねば。。。。最後の方は切れ味悪くなっていたよ。

なんで、こんなことをやっているのか。伐る前にあれこれ考えたり、伐ることそのものはそこそこ楽しいが、その後にやることは、そんなに楽しくない。

「好きでない」ことをしなければならないのに行うのは、その前の「好き」なことの比重が高いからか。

ま、これが趣味の鉄則だなあ。

2013/01/08

限界集落の森林管理と入会権

本日は、森林総研関西支所の業務報告会へオブザーバー出席。

ようするに研究発表会である。各人の研究内容を伝える会議だ。

実に幅広いテーマで、自らの興味と求められる研究内容と。6時間の長丁場だけに聞くだけでヘトヘト(^^;)。が、面白いものも多かった。

アリの獲物を奪って、地域のファウナやフローラ(動物層・植物層)を探れないか、という発想は冗談ぽいながらファーブル昆虫記なみの観察で笑えて楽しい。こんなところから発見できる真実もあるのではないか。

が、ちょっと気になったのは「限界集落における持続可能な森林管理のあり方」。これは、共有林や入会権を、放棄林に生かそうという発想だったようだ。

私も、共有林を持つ集落が限界化して住民が減れば、自然と集約化につながらないか、という思いを持っていた。集落を出た人は、共有林の権利を失うからである。入会権も、消滅する。最後に残った人が森林の権利を一手に持てば、何らかの展開が期待できる。あるいは、そうはさせじと集落に人が残るか?

が、調査した秋田県の阿仁では、集落を出ても権利を保持したがる人が多いのだそうだ。かといって作業を行うわけではなく、いわば先祖の作った森の権利を手放さない、言い換えると個人の所有権の要求である。裁判になると、現在の法制度では集落側が負ける可能性もあって、無碍に断れないらしい。

この共有林は、金になる木を生産するという事情もあるのだろうが、入会権の理念はもう昔のものか。とても限界集落の共同管理につながりそうにない。

私は、集約化さえしておけば、森林にいつか次のチャンスが巡ってくると信じているが、入会権を処理できないようだと、将来は暗いなあ。

ともあれ、研究から浮かび上がるのは世間の一面。それを日社会に活かせるかどうか。日本には政府系だけでなく、自治体や大学など研究機関はやまほどあるのだから、無駄にはしてほしくない。

2013/01/07

土倉翁外伝4 ~探検家・龍次郎

土倉庄三郎を取り巻く一族の中で、私が一番興味を惹かれたのは、次男・龍次郎である。

彼については、『山林王・土倉庄三郎の生涯』 の中でも比較的多く触れたが、彼は実業家として傑出していたし、林業への思いも強かった。本来なら、彼が土倉家の山林を継ぐべきだったと思う。

同志社に学ぶ過程で新島襄の薫陶を受け、彼が21歳でアメリカへ渡ったことに影響を受けて、自らも海外をめざす。そして台湾で山林経営を企て、また発電事業や樟脳事業を展開。が、本家の苦境に財産をすべて売却する……。その後、カーネーション栽培に活路を見出し、またカルピスの誕生にも関わっている。

だが、私が本音のところ興味を持ったのは、そうした事蹟よりも、日清戦争直後、日本が台湾を領有したばかりの時期に現地に渡ったことである。日本の領有に対して現地では抵抗運動が展開されていたし、山間部には高砂族と呼んだ先住民族が割拠していた。

そこに探検に入り台湾山岳部を縦断したのである。これは、当時としてはとてつもない行為であったはずだ。にもかかわらず、日本の探検史上に、まず彼の名前は出てこない。

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探検中らしい。

台湾山岳部を行く探検隊だとされる写真。中には先住民らしき顔ぶれもある。

左から2番目の人物が龍次郎だろうか。十分にわからない。

つまり土倉龍次郎は、「知られざる探検家」であり、「忘れられた探検家」なのである。

しかも、この探検にガイドとして参加した尾形正基という男が登場する。彼は、清国領だった時代の台湾に潜入して国情を偵察していた男なのである。彼の素性がよくわからないが、彼も「知られざる探検家」なのである。

私は、自分のホームページに「知られざる探検家列伝 」のコーナーを設けているように、あまり知られていない探検行為を行った人物を発掘するのを趣味としている(今は中座してしまっているが……)。

だから土倉龍次郎や尾形についてもう少し調べて、このコーナーにぜひ取り上げたいと思っている。

2013/01/06

土倉翁外伝3 ~庄三郎と金原明善

もう一人、土倉庄三郎と対比できる人物がいる。それが金原明善である。

本書(『森と近代日本を動かした男』)に記したが、こちらも大幅に割愛。これだけの人物を3ページ足らず触れただけで終わらせてしまったのも、痛恨である。

金原明善は、静岡県の天龍で植林を始め、現在に続く天龍林業の基礎を作ったとも言える。もともとは大地主で農業を行っていたし、造り酒屋と質屋、ようするに金融業を行い、明治になってからは横浜に会社を作って貿易もしていたが、後半生を天竜川の治水に賭けた。それも堤防を築くだけでなく、後半は治山に乗り出して上流部の植林を手がけた。

そこで土倉翁に学びに行き、彼を静岡に招聘している。庄三郎は、希有天龍だけでなく、静岡各地で講演を行ったようだ。この当たりの記録をもっと探したかったのだが……。

二人は、良く似ている。地方の名家の跡取りとして生まれ、その財産を元に事業拡大を図ったこと。その事業は、私財を投じつつも地域づくりにつながるものであったこと。養蚕も普及しているし、全国に植林指導も行っている。中央政界との人脈も深かったが、自ら政界には乗り出さず、しかし晩年は故郷の村長を勤めるなど、地元のために尽くしたこと……。

だが、事業に臨んで決定的に違う点がある。

それは土倉翁は、最後まで家業としてとりくんだが、明善は株式会社や財団法人を設立したことだ。また運輸会社や製材会社まで興している。

庄三郎は、林業とは家長(森林所有者)が利害を超えた眼で独善的に取り組む必要がある、と考えたのだろうか。それとも吉野の山深い世界で中生まれ育ち、封建的な感覚を最後まで捨て去れなかったのだろうか。

ただ、結果は出ている。家業ゆえ土倉家は逼塞したのである。長男鶴松が、無茶な借金をしているのを知りながら止めなかった。土倉家の秩序だけを考えて、後継者のやることに口をはさまなかった。しかし土倉家の没落で使用人も失職するし、森林自体も借金取りに抑えられ無茶に伐採されてしまった。社会的な影響に目を配られなかったのである。

金原家は、今も治水財団名義で1000ha以上の森林を所有し、事業を展開している。

現在の当主(理事長)は、コンサルタントから転進して?最新鋭の林業を展開中だ。そのやり方に、毀誉褒貶はあるが……。

また明治初年には土倉家と並んだ財産家だった三井家も、三井合名会社を立ち上げ(現在は三井物産)、4万4000haもの森林を保有している。

家政と事業を分離するかしなかったかが、明暗を分けたとも言えるだろう。

山林王と事業家、森づくりの才覚と事業の才能は、同一にあらず、ということか。

2013/01/05

土倉翁外伝2 ~庄三郎と本多静六

『森と近代日本を動かした男』には、土倉翁と並んで、本多静六がよく登場することに気がついているだろうか(もちろん、既読の方です)。

もともとの構想では、明治という時代を舞台に林業界で活躍した土倉庄三郎と本多静六を対比することを考えていた。

二人は、同時代に同じ林業絡みの世界にいたにも関わらず、非常に対象的な人生を歩んだ。真逆と言ってもよい。大金持ちの跡取りと貧困家庭。実業としての林業と学問としての林学。吉野から動かなかった土倉と、ドイツ留学を果たした本多。しかし、末路は没落した土倉家に対して、本多家は財産家に成り上がり大山林主になった。

それでいて、二人は仲が良かったようだ。そして二人とも林業の普及に力を尽くした。
似た思想を持ち、お互いの知識と技術を交換し合った。いや、本多の唱える林業論には、土倉翁の意見と重なるところが多く、ドイツ林学はともかく、日本の林業の部分は、土倉翁の意見を真似たとさえ感じる。

土倉翁は本多に吉野林業の現場を教え、また本多は、土倉翁の死後、彼を顕彰する大磨崖碑を作ったのである。

この対比こそが、人生の彩だと思ったのだが……残念ながら紙数が膨らみすぎた。結果的に、本多に関する部分を大幅にカットせざるを得なくなった。

ところで、気になる点がある。

世間的には、土倉庄三郎より本多静六の方がよっぽど有名である。また彼自身も膨大な著作があり、自叙伝も執筆している。

にもかかわらず、そこに土倉庄三郎に関する記述がほとんどないのだ。とくに自叙伝には、まったく登場しない。

わずかに明治の中頃の日本の林業事情を説明する中で、いかに日本が遅れているかと説明しつつ、「わずかに大和の吉野と紀州の尾鷲の一部に、やや完全に近い林業が営まれていると記し、吉野に土倉庄三郎がいることに触れているだけである。そっけないと言える。土倉翁の名を出すのを避けていた気配さえ漂う。

ただ隠そうとしたり絶縁していたわけではない。林業関係の資料には土倉翁と本多の名前は並んでよく出るし、なにより大磨崖碑の建設に私財を投じている。また磨崖碑の建設に関する記録には、いかに自分が土倉翁に世話になったかを記し、自ら吉野の造林法とドイツの造林学を合わせて、日本の造林学を打ち立てたことを表明している。

しかし、功なり名を挙げた晩年、自ら学んだ恩ある人の影を消し去ろうとしたのか? 本多林学論は、みな自分が生み出し築いたことにしたくなったのか。実は本多自身も、自らの性格は嫉妬深くて他者を陥れ自分が目立とうとしたがるところがある旨、書いている(笑)。

結局、理由はわからない。もしかして、土倉家が逼塞したことから、世間に土倉庄三郎のことを触れるのを憚る雰囲気があったのかもしれない。

もっとも、土倉翁がそのことを気にしたとは思えない。決して自らの業績を表に出したがらず、「陰徳を積む」を心がけていたからである。

2013/01/04

土倉翁外伝1 ~庄三郎と八重

新春の始まりは、ちょっと土倉庄三郎の周辺に目を向けたい。いわば「外伝」を記そう。

『森と近代日本を動かした男』を執筆する際に困ったのは、土倉庄三郎の肉声を伝える資料がきわめて乏しいことだ。

日記が見つかったわけではないし、彼の直接執筆した(もしくは聞き取った)と確認できる文章は、第3回内国博覧会への出品説明書ぐらいであった。出版に深く関わった『吉野林業全書』や『林政意見』も、当然彼の意見は含んでいるが、直接の言葉ではない。また、それらの内容は、林業の技術的説明に近く、あまり本人の心情が伝わって来なかった。

一方、世間に流布している土倉庄三郎の情報は、ほぼ『評伝土倉庄三郎』の引写し、さらに孫引きであることがわかってくる。実質、土倉翁の文献は、これしかないからである。

『評伝土倉庄三郎』は、身内の執筆だけに最重要文献であるのは確かなのだが、元の情報源が示されないうえに間違いも目立ち、また解釈に疑問符の付くものも少なくない。一つ一つ裏を取らないと扱えなかった。

土倉家の縁戚の証言も、時代が離れすぎていて、庄三郎の息子娘たち(さらに孫)の情報はあったが、庄三郎自身のことは伝聞である。

実は後に、いくつかの講演録が見つかり、それがもっとも肉声に近く、非常に貴重な情報満載だったのだが、当初は手がかりもなく難渋した。

そこで取り組んだことは、庄三郎と交わった人々の記録から彼の行動や発言を抽出することである。また交わった人物の姿から土倉翁が共感した部分を類推することであった。実は、彼らの方が、よほど資料が豊富であった。

……その作業は、明治の数々の人物像を知ることにつながった。

板垣退助に始まり、樽井藤吉、桜井徳太郎、金玉均、影山英子などなど自由民権運動の闘士たち。さらに本因坊秀栄、成瀬仁蔵、新島襄……。そして新島襄の妻として、八重を知ることになる。その生い立ちや歩みに仰天、こんな女性が明治時代にいたんだ! と一時期、新島襄よりも興味津々、夢中になった(^o^)。

庄三郎と八重の接点はあまり見つからなかったが、幼少の息子も娘もほとんどが同志社に進学しているだけに、八重の世話になっているのは間違いない。事実、八重と龍次郎、亀三郎、あるいは3女4女5女の糸、小糸、末子と写っている写真もある。
また鶴松の教育はむずかしい、と嘆いた新島襄が八重に当てた手紙も残る。

そして何より新島襄は、病弱で永くはない自分の命を慮って、自分の死後、八重の生活を頼むという手紙を庄三郎に出しているのである。そのため、マッチの軸となる木を今から植えてほしいと頼んでいる。
この手紙を、新島の書簡集で詠んだ時は、キマしたね(^o^)。あきらかに庄三郎は、八重を意識していたはずだ。そして新島襄は彼を頼りにしていたのである。

2013/01/03

めざせ、森林ジャーナリズム

新年を迎えて、人並みに抱負を語ろうとしたが、何も浮かばない(~_~;)。

せいぜい今年も「渾身の1冊」を出版したいなあ、という毎年変わらぬ希望。年々環境は厳しくなるが……。

では、テーマは何か。気分的には、そろそろ林業論を脇に置いて、森林論に広げたいと思っている。どうも、最近は目先の林業(の政策)を評することを求められがちだが、それは本来私の役割ではないように感じるのだ。

「森林ジャーナリスト」を名乗っているのは、森林に関わることを広く扱いたいからであり、現在の林業事情を追いかけるのなら、すでにある「林業ジャーナリスト」「林政ジャーナリスト」などを肩書にすればよかったのである。その方がお仲間も多いようだし。(林政ジャーナリストの会もある)

しかし、それでは「日本唯一の森林ジャーナリストにして、日本一の森林ジャーナリスト」を名乗れなくなるのよ。

森林ジャーナリズムとは何か。ということを論じだすと長くなるし、まだ定めかねている面もあるのだが、とりあえず森林という存在を人との関係性から論じたいと思っている。つまり、林業はその中に包含される一部分にすぎない。そこにあまり拘泥すると、全体像を見誤る気がする。

これは直感である。しかし、林業関係者と議論すると、その点に引っ掛かりを感じることが少なくなかった。

世間の私に対する需要は「林業論」の方が多そう(-_-)だから、これは厳しい選択かもしれないが、年末に本ブログで「樹木の時間」について触れて、「目先の事情で動いては駄目」と論じたばかりである。

ここは、あくまで「森林ジャーナリズム」の確立を目標にすべきかもしれない。確立する前に干上がるかもしれないけれど……(;´д`)。

とはいえ、「歯を食いしばって」というのは私に似合わないので、「もっとしなやかに、もっとしたたかに」(往年の名画みたい)ほどほどに取り組みますか。

ああ、書いているうちに、人並みの「年頭所感」になってきたよ。

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