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森と林業の本

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2013/01/06

土倉翁外伝3 ~庄三郎と金原明善

もう一人、土倉庄三郎と対比できる人物がいる。それが金原明善である。

本書(『森と近代日本を動かした男』)に記したが、こちらも大幅に割愛。これだけの人物を3ページ足らず触れただけで終わらせてしまったのも、痛恨である。

金原明善は、静岡県の天龍で植林を始め、現在に続く天龍林業の基礎を作ったとも言える。もともとは大地主で農業を行っていたし、造り酒屋と質屋、ようするに金融業を行い、明治になってからは横浜に会社を作って貿易もしていたが、後半生を天竜川の治水に賭けた。それも堤防を築くだけでなく、後半は治山に乗り出して上流部の植林を手がけた。

そこで土倉翁に学びに行き、彼を静岡に招聘している。庄三郎は、希有天龍だけでなく、静岡各地で講演を行ったようだ。この当たりの記録をもっと探したかったのだが……。

二人は、良く似ている。地方の名家の跡取りとして生まれ、その財産を元に事業拡大を図ったこと。その事業は、私財を投じつつも地域づくりにつながるものであったこと。養蚕も普及しているし、全国に植林指導も行っている。中央政界との人脈も深かったが、自ら政界には乗り出さず、しかし晩年は故郷の村長を勤めるなど、地元のために尽くしたこと……。

だが、事業に臨んで決定的に違う点がある。

それは土倉翁は、最後まで家業としてとりくんだが、明善は株式会社や財団法人を設立したことだ。また運輸会社や製材会社まで興している。

庄三郎は、林業とは家長(森林所有者)が利害を超えた眼で独善的に取り組む必要がある、と考えたのだろうか。それとも吉野の山深い世界で中生まれ育ち、封建的な感覚を最後まで捨て去れなかったのだろうか。

ただ、結果は出ている。家業ゆえ土倉家は逼塞したのである。長男鶴松が、無茶な借金をしているのを知りながら止めなかった。土倉家の秩序だけを考えて、後継者のやることに口をはさまなかった。しかし土倉家の没落で使用人も失職するし、森林自体も借金取りに抑えられ無茶に伐採されてしまった。社会的な影響に目を配られなかったのである。

金原家は、今も治水財団名義で1000ha以上の森林を所有し、事業を展開している。

現在の当主(理事長)は、コンサルタントから転進して?最新鋭の林業を展開中だ。そのやり方に、毀誉褒貶はあるが……。

また明治初年には土倉家と並んだ財産家だった三井家も、三井合名会社を立ち上げ(現在は三井物産)、4万4000haもの森林を保有している。

家政と事業を分離するかしなかったかが、明暗を分けたとも言えるだろう。

山林王と事業家、森づくりの才覚と事業の才能は、同一にあらず、ということか。

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コメント

田中翁?へ

これまた,私見ですが二人の生きていた地域の違いが事業の展開を変えていったのではないでしょうか?

奈良県人はどちらかというと保守的ですね。
一方尾張地方は、豊田佐吉もそうですが成功してもその分野にとどまらず事業を異分野にも展開していく素質があるのではないでしょうか?

単なる林業家で終わるのはなくて、ほかの分野に進出していった林業家は九州や他の地域にもいますから、やはりその人の人生観や価値観かもしれませんね。

田中さんも、単なる森林ジャーナリストで終わるのか、他の分野にも進出するかですが、恐らく森林ジャーナリストとして操を守るのでないかと思いますが,いかがですか?
新年早々、きわどい質問をしましたが、ご容赦くださいませ(笑)

私も翁扱いですか……。もうすぐ老人の域かも。。。

奈良が保守的なのは間違いないのですが、当時の奈良はわりと先進的だったのですけどね。
静岡は東海道に位置して、人の行き来が多いことも影響しているかもしれません。

私も転進したいですね。次は草原ジャーナリスト(^^;)。あるいは昔にもどって、探検家になりたい。
いやいや全然別の分野も考えよう。小説を書く? ポルノとかジュニア小説とか(笑)。取材しなくてよさそうだから。

私は滋賀県で木質バイオマスの利用を進めるNPO法人の会員です。滋賀県は琵琶湖を抱え、その水は下流域1.400万人の人たちの上水道源と成っています。滋賀県の河川はすべて琵琶湖に流れ込んでいます。琵琶湖をきれいにするには、産業廃棄物もさることながら、水源の森をきれいに管理することが重要です。

我々のNPOは、間伐のあり方の実験、木質ペレットストーブの普及活動、木質ペレットボイラー利用の足湯の作製、木質ペレットのガス化発電の実験等をやっています。足湯小屋や発電小屋もメンバーで間伐材の製材、かんながけ、溝彫り、建て前等全て自前でやりました。

間伐については、京大の農学部の元林業工学の名誉教授を顧問に迎え勉強しました。山林組合の管理している約3Haの山林をフィールドとして借受け実験しました。作業道を作る。これは建設業者のユンボでやってもらい約3m幅の道(土を固めただけ)を網の目の様に作りました。そこへ林内作業車(キュタビラー付きで、スチールウインチと3m位伸びるクレーン付き)を走らせ、チェーソーで切った長さ4mの玉きり丸太を林内作業車のウインチで10m近く引っ張り出し、林内作業車の後部に有る幅2.5m、長さ3mの箱型の荷台に20本位乗せ、スチールワイアでくくり付け山裾の土場まで運び出しました。作業道作りで2日、間伐で2日で終了出来ました。ユンボ、林内作業車、製材機、電動かんな等はレンタル料を払いました。

また里山整備の一環として、獣害対策に取り組んでいます。里山の山裾を奥行き50m位皆伐し、そこに牛を放牧し、生えて来る木々や山笹の芽を食べてもらうことで、イノシシ、鹿、猿等は田畑へ出なく成りました。牛も順調に育ちました。

木質ペレットガス化発電の実験機も全て手作りです。空気吹き込みファンや発電機は市販のガソリン仕様の自家発電機で、パイプ、弁等はホームセンターで買いました。空気流量計、ガス濃度分析計、タール濃度分析計を買う資金が無く、すべて勘ピューターです。おかげて、試行錯誤を長年続けようやく1kW弱の発電にこぎ着けられました。自慢出来るのは、木質ペレットに着火し十分高温にして、発電機の始動ひもで発電機を回しその電気ですぐ空気押し込みファンを回せることです。即ち、商用外部電源(送電線)が来ていない所でも自家発電が出来ると言うことです。

え~。
森林ポルノとか、森林ジュニア小説ですかあ。。。
新境地ですね。

いや、その、ポルノに森林付けなくていいんだけど(;^_^A。

じゃあ、童話。児童文学は憧れるなあ。森林童話じゃないよ。
むしろ老境小説なんて分野を開拓するか。


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