ソロモンの民がカーゴカルトに陥ったわけ
本日午前、ソロモン諸島でマグニチュード8クラスの大地震が起きた。
日本への津波の襲来が心配されてテレビニュースを賑わせたが、私の心配はもちろんソロモンの民である。現在のソロモン諸島では、住民の多くが海際に住んでいる。街・集落もたいてい海に面してある。
すでにいくつかの集落が津波に流され、死者も出ているようだ。
私が初めてソロモン諸島を訪ねたのは、もう30年も前になる。島から島へと放浪し、ときに病に倒れ、嵐の海を運ばれて死にかけたり、火山に登ったり、巨大洞窟に潜ったり、幻の怪獣を探したり。そして残留日本兵を求めてジャングルでキャンプしたり。
というようなことはドーデモよく、すでに当時からソロモンの民(民族としては80以上あったように記憶する)は、ほとんど海岸べたに住んでいた。元からの海洋民族もいるにはいたが、実は大半がそうでもない。
一応説明しておくと、ソロモン諸島の島々は、ボリネシアやミクロネシアに多い珊瑚礁の島ではなく、ほとんど火山島で結構険しい山がある。面積もそこそこあって森も深い。
そしてソロモンの住民も、本来は山の民だったのである。漁労よりも焼畑を営む農耕民だった。
それが住まいを海近くに下ろしたのは、植民地にしたイギリスの政策(というより命令か)だったらしい。彼らの多くは首狩り族?で、部族戦争が多かったから争いをさせないためと言われる。しかし、本音は、山の中では管理しにくいからだろう。
結果的に、舟で海に出て漁をするようになり、交易(というより、植民地政府の命令による商品作物の栽培と文明の利器の交換)に勤しむようになる。
結果的に自給自足経済は崩れ、今やカーゴカルトと呼ばれる「神様がカーゴ(文明の利器)を持って来てくれる」という援助付けの信仰に陥った。その底流には、自己努力で文明社会に追いつくのは無理だし大変だから、あっさり援助に頼っちゃう精神の荒廃がある。
だが、彼らの証言によると、山の上、森の中の方が暮らしやすかったという。そもそも焼畑なとの農地は山の中にあったし、斜面は風があって涼しかった。それが湿気を飛ばして病気にならずにすんだ。食い物にも困らなかった。さらに今回のような津波の心配も、山に住む理由だったのかもしれない。
そういや、日本でも縄文弥生時代の集落跡は、高台に多いそうだ。東日本大震災の被災地移転問題でも、高台に遺跡があることが指摘されている。また山村のお年寄りの中には、山の斜面の方が生活しやすいという声もある。
海端に強制移住させられた住民は、畑は遠いし、暑さにやられたり、平地はマラリアが猖獗を極めていることもあり、バタバタ人か死んだそうだ。
現在のソロモンは、国のインフラや機関を海辺につくってしまい、海の交通網も重要で、海端から離れられないのだろうが、カーゴ(先進国の国際援助)を求めやすいことも理由かもしれない。
かつては当たり前だった山の上、森の中の生活を平地・水辺に移したことが、民族の文化や精神までも変えたのかもしれないなあ。それは、日本も同じ。そう、カーゴカルトもね。
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