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森と林業の本

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2013/02/25

「なにわの海の時空館」~菱垣廻船の木材~

なにわの海の時空館」に行ってきた。大阪市立海洋博物館のことである。

なったって、南港の海岸にある入り口から海底トンネルを抜けて、海上に建てられた4階建ての博物館にたどり着くという凝った構造。

そしてど真ん中に鎮座するのは、江戸時代の輸送船「菱垣廻船」。いわゆる千石船だ。もちろん復元したもの。言い換えると、この復元船を展示するための建物みたいなもの。

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4階、3階から見下ろせて、2階から船に乗れる。トンネルから昇る階段・エスカレーターから船底が見上げられる。

でも、全体を見渡す場所がないよ(;_;)。無理に建物の中に閉じ込めずに、ドームだったらよかったのに。

ここが、にわかに注目されたのは、3月10日で閉館するから。「文化が大嫌い」な橋下大阪市長によって、決まったのである。

ちなみに私は、以前より興味あったのだが、場所が場所で行きづらくてこれまで訪問したことはない。が、閉館するとなれば行かねばなりませんね。

というわけで、無理やり時間をつくって訪問したのだが、感想はというと「……閉館やむなしかなあ」。

だって、見るべきものは千石船しかない。そして、見せ方も、イマイチ。船は、意外に中は狭く、十分に見るべきものはない。ほかの展示は貧弱。その割には、莫大な経費のかかりそうな構造。観客もちらほら……。船オタクぽい人もいたが(~_~;)。

と、博物館の評価を記したいのではなくて、やっぱり木のことを語ろう。

この船、木造なのである。当たり前か。でも、何の木を使うだろうか。説明によると、やはりスギ、ヒノキ、マツ、そしてケヤキにカシであった

ただし、復元では中国マツを使ったという。これはコウヨウザンかもしれない。中国杉とも呼ぶが、材はマツに近いからだ。

またスギも弁甲杉と呼ぶものがある。これは宮崎のオビスギが代表だが、非常に早く生長させて年輪幅が広い。また軽い。そして安い。

カシは、舵。ヒノキは化粧用。

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こんな感じ。一般のスギ材と弁甲スギ材と。

年輪幅の差が凄い。おかげで軽くて加工しやすい、乾きやすいなど船材用に向いていたのだろう。

こんな展示もあった。

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帆柱の断面。このように集成していたのね。

接着剤は使わず、鉄のタガを締めつけていたようだが。

なかなか江戸時代の木材加工技術の勉強になったのであった。

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コメント

一昨年ここで「エルトゥールル号」展があり、初めて見に行きました。建物外観のインパクトに「うわーこんなにお金使っちゃって」と思いましたが、菱垣廻船を見たあとは、ここは、この船のために存続でよい、という考えに。
近世大阪の発展を支えた港と海運、というコンセプトは通ってて、悪くない。もちろん、展示がイマイチ生き生きしてないし、どうにかならないかと思う点もありましたが、それを「閉鎖」という形にしか結びつけられない行政というのは、あんまりではないかと思います。
もしWTCビルが耐震的にマトモな構造で、府庁移転が実現していれば、あのあたりの人通りも増えて、存続もあったかな?

私と反対だ(笑)。行くまでは「文化切り捨て」と思っていたけど、見たら「無駄遣い」と思った。

千石船は記念事業でつくったのだから、保存展示してほしいけど、あの建物はないなあ。逆に見にくいし。大坂の海運テーマも、歴史博物館の一部で十分。
建物壊さないと、船を出せないというのも……。

初めてコメントいたします。 宮本常一の「山に生きる人びと」に造船工事に参加する木挽たちが次第に山中に船材を求めて働き、鋸の発達に貢献したような記述がありました。わざわざ船材用に節の多い木を育てていたという記録もどこかで読みました。 住宅を初めとする建物は、資産の終着点ですが、船は稼ぐための道具です。構造的にも難しく、技術的にかなり高度で、失われつつある技術の一つだと惜しく思っています。 時空間は、まあ、無理があったと思います。 建築物としてはかなり高度なものなのですが、展示と合致していませんね。

船づくりの職人が鋸を発達させたというのは面白いですね。たしかに、かつて造船は木材の需要の大きな部分を占めていたようですから。

時空館に関しては、大坂の町が海運で発達したことを示したかったのなら,もっと別の展示を考えた方がいいですね。

木造船つながりで、もう一言失礼します。 東京の新木場のヨットハーバー脇に第五福竜丸記念館があります。私が驚いたのは30m140tのこの船が木造だったことです。 司馬遼太郎の「菜の花の沖」には江戸時代には造船技術は幕府によって発展を阻害されていたとの記述もありましたから、明治から戦後で西欧に追いつくほどの技術発展をして、戦後にあっけなくすたれてしまったようです。 木造の船は軽くて速いといいますが、技術的にもFRP造形にはかないませんから、復活はないでしょう。惜しい技術です。

私も、第五福竜丸の記念館思い出したんですよ。あれは、大きなドーム内にドンと置かれているので、全体がよく見渡せた。維持費も、そんなにかからないと思います。あの程度の展示館なら、残しておけるのに、と。

日本の木造船技術は、もう消えたでしょうね。時空館の菱垣廻船復元でも苦労して作られたようですが、とても今後は……。

もう消えたでしょうね、というのもさびしいので、もう一言

江戸から8代続くという船大工の名匠がいらっしゃいます。
有名な方ですのでご存じとは思いますが。
http://sanomagic.world.coocan.jp/

私にとって、とても興味深いと感じるのは、
佐野さんが選ぶ素材が樹齢500年のホンジュラス産のマホガニーで、
その材料がワシントン条約でもう輸入できないという事実です。
江戸から続き、江戸以降に熟達し、高い域に達した技術を持った職人の、
たどり着いた技術と素材が今、両方同時に失われようとしている。
逆に、今なら手に入るぎりぎりです。
木材について考えるとき、
私たちはいつでも歴史の中にいるのだと、差し迫って感じます。


マホガニー製の船ですか……。

今後の木造船は、むしろ丸木舟にもどるべきかもしれないなあ。
ロビンソン・クルーソーを読むと気、一人で舟を作るシーンがあって、巨大な木を伐採して、くり抜いて丸木舟にするんだけど、山の中から海に下ろせない……というオチ。笑っていいのか?

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