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森と林業の本

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2013/03/24

大滝ダムに思う

結構大きく報道されているように思うが、奈良県吉野郡川上村の大滝ダムが、昨日より稼働した。すでに水は溜められていたのだから、稼働、という言葉はおかしいが、正式に完工、オープンしたということである。

計画から50年をかけての完成である。さまざまな思いを持つ人がいるだろう。

ここでは、ダムの是非や反対運動と建設に関することをなぞろうとは思わない。ただ、計画が登場した頃の村の人口は8000人ほどだったが、いまや1500人まで減少している。その減少の多くの要素にダムは関係しているだろう。

私にとっても思い出深い。

そもそも私が初めて川上村を訪れたのは、たしか1988年。大滝ダム着工に際して建てられた村営ホテル杉の湯のプレオープンである。私は、マスコミ向きのレビューに招待されたのである。(ちなみにオーブン時のホテル支配人は、現在の川上村村長・栗山氏。)ついでに言えば、この当時の人口は4000人程度だったと記憶する。

私は、仕事として川上村を訪れ、そのときに初めて川上村が吉野林業の中心地であることに気づいたのだ。同時に、土倉翁の造林記念磨崖碑を見、土倉翁の銅像を目にしたのである。

もっとも、そのとき、どれほど意識したといえるかどうか……。

ともあれ、この出会いがきっかけで、私は林業を勉強し直そう(大学時代の勉強はまったくレベルが低かったから、これが事実上始めての勉強意欲か?)と思った時に、川上村に通うようになったのである。そして毎月、大阪から通って、林業体験をさせてもらった。朝6時集合はきつかったなあ……。家を出るのは午前4時だよ。。。

もちろん観光地としての取材も幾度となくしたし、また洞窟探検目的もあった(川上村は洞窟がいっぱい!)し、単なる観光もあったかな。何かと川上村に通い続けた。そして大滝ダムの工事進捗状況を20年以上も見続けたわけである。

そのあげく?に書き上げたのが『「森を守れ」は森を殺す!』で、今に至る……。

その意味でも、大滝ダムは私にとってエポックな存在である。このダムがなけれは、私のライター人生、どうなってたんだろうなあ。

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森林学・モノローグ」カテゴリの記事

コメント

私がこのダムに関わったのはたぶん1990年ぐらいだと思います

地すべりを断層と言い張った某木っ端やくにん(笑)
今どーしてるんだろ?


本来の完成は何年も前なのに、水漏れ・地滑りを起こしましたからねえ。
おかげで一つ集落が消えて、人口もそれで減った……。

当時の担当者はどこかに「栄転」して知らぬ存ぜぬ、でしょうね(-.-)。
もう、リタイヤしているかな? たっぷり退職金を受け取って……。

全国各地の山間地で,
「ダムは出来たが、人はいなくなった」現象が起きているようですね。

100年後,200年後には、ダムも崩壊して、人もいなくなるのかな?


「ダムで栄えた村はない」と昔から言われますが、それに挑戦する、と川上村は言っているんだけど……。

ダムは、人がいなくなっても残るんじゃないかなあ。土砂で埋まってしまうだろうけど。その時のダムサイトは断崖絶壁となって、滝が登場する。秘境ぽくていいか(笑)。。

政権が変わり、またあのトンネル事故の反省から

行きすぎた公共事業批判が見直されました。

「コンクリートは本来、命を守るためのもの」

ということがきちんと理解されるようになりました。


それ自体は喜ばしいことですが、一方

長良川河口堰や有明海干拓水門、そして全国に数千あるダムの一部は

は、今の時点でもやはり無駄でしょう。

無駄無駄無駄アアアア!

↑上のコメントは島崎三歩でした。

 大変失礼しました。

コンクリートに限らず、人が手を入れることに反対する声はアチコチに怒りますね。

「今のままでいい」というけれど、その「今」だって変化を重ねているし、何十年か前に人が手を加えたものだったりするのですが。。。

何を無駄とするのか、手を加えて残すべきもの、作るべきもの、の基準がまだまだあやふやです。

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