「見えない税金」としてのFITと花粉症
日本には「見えない税金」がたくさんある、と唱えたのは、たしか大前研一だったように記憶している(かなり古い。おそらく30年くらい前)。つまり一般に納税する金以外に、この世の商品やサービスの金額に上乗せされいる経費のことである。
たとえば複雑で厳しすぎる規制によって無駄にかかる経費とか、競争させないための高止まり価格とか、官僚の天下りが生み出す無駄な人件費とか、不当な接待費など会社が吸う甘い汁とか……。だから電気代などエネルギーやチャンスロスの損害をかぶせた商品価格、そして通信費などが世界標準より高くなっており、それは国民に見えない税金を払わせているようなものである、という理屈である。
つまり、あまりいい意味ではない。
そんな言葉を思い出したのは、FIT(再生エネルギー全量買取制度)による電力料金への転化である。
バイオマスの未利用木材を例に見れば、たしか33,6円/kwhとかなり高い金額を設定している。これは通常なら引き合わない山から搬出する経費やバイオマス発電所の建設費を電気代に上乗せすることを元に計算されたからだ。
この価格が妥当かどうかはさておき、目に見える徴税と支払われる補助金の関係とは違って、電気代に含まれることで見えないように徴収し、見えないように林業家に助成される金だ。国も財政が痛まない。
もちろん、再生可能エネルギーを普及させるという大命題の元に設計された制度であり、「見えない税金」だから全ていけないというわけではない。
そもそも「見えない税金」を撤廃すると、意外や経済が縮む面もある。接待費削減で冷え込む歓楽街もあれば、無駄がないゆえのぎすぎすした人間関係になったり、緊急時に対応できる「遊び部分」の消失も考えられる。「働かないアリに意義はある」のだ。
ところで花粉症の季節もそろそろ終わりに近づいたかと思うが、花粉症がもたらす国民の支出は年間4000~5000億円と推計されるそうだ。主な林業収益である素材生産額が約2200億円だというから、その巨大さがわかる。
そこで、花粉症支出は「見えない税金」かも、と考えたのである。単純に不必要な負の経費と考えるか、花粉症によって医療研究が進んだ面もあるし、医療医薬品、グッズ類の経済に貢献したとも言える。花粉症経済が成り立っているかもしれないのだ。
同時に、補助金出しても間伐してスギを減らせ、という林業家向きの助成を生み出している面も結構大きい。また林業無関心層を否応なく日本の山へ振り向かせる効果も大きな目で見れば少なくない。みんながみんなスギを嫌うのではなく、山にスギがたくさん生えている理由を考えた人も結構いると思う。
なぜ、FITは歓迎されるのに、花粉症経済は歓迎されないのか?
花粉症は、人生への投資である! 花粉症になったら喜んで医療費を払え! と主張したら、袋たたきに逢うかもね(⌒ー⌒)。
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