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2013年6月

2013/06/30

吉野最後のヒット商品?

まずは、写真を。先日訪れた吉野の製材所で撮ってきたもの。

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手元を見てほしい。

この板は、厚さ1ミリ以下である。つまりツキ板

この製材所はツキ板を製造しているのか……?

と思ったが、本来の製品は、集成材だった。

このツキ板を何にするのか。

もう気づいた人もいるだろう。そう、吉野の集成材は俗にいう化粧張りなのだ。ラミナと呼ぶ板(厚さ1~3センチ程度)を張り合わせるのが集成材だが、そのままでは張り合わせた断面が目立つ。そこでその上に吉野の無節・柾、しかも超細かな木目のツキ板を張り付けるのだ。

すると見た目は完全な吉野材の柱となる。少々目を凝らしても、その継ぎ目はわからない。だから無垢材に見える。いや、無垢材だと思って購入した人も多いだろう。

これは戦後生まれの吉野発の超優良商品だ。

昭和30年代になると、日本全国が住宅ブームに沸き、木材が足りずに高騰する中、外材輸入が解禁される。が、当時の日本人はやはり和室が必須だった。そして、どうせなら木目の美しい材を使った数寄屋建築に憧れたのである。

そのため、いよいよ吉野材の需要が高まり、価格も高騰するのだが、そこで登場したのが吉野材で化粧した外材の柱だ。見た目は吉野材そのもの。しかし、吉野材は薄くスライスしたツキ板だから、量的には少なくて済む。

数少ない銘木をツキ板にすれば、大量の吉野材風柱が製造でき、しかも価格は無垢材よりは安く供給できる。吉野の業者も儲かり、山主も希少な銘木を乱伐せずに済み、持ち家を求める施主も、比較的安く高級感のある和室を備えられるという有り難い商品なのだ。

おかげで大ヒットした。この時代、集成材といえば奈良だったのだ。

私は、吉野最後のヒット商品と呼んでいる(笑)。江戸・明治以降、多くのヒット商品を排出した吉野の木工業界だが、これが最後だった。

やがて数寄屋風は飽きられ、和室は減り、洋室の増加は大壁構法だから柱は見えなくなった。となると、無垢であろうと集成材であろうと、木肌が見えないのだから化粧張りをする必要はなくなる。かくして吉野の没落が始まるのだが……。
残念ながら、次のヒット商品が登場していない。

皮肉なことに、90年代以降の柱は、ツキ板を張らない外材の集成材管柱が主流となる。

でも、吉野にもまだ多少は生産していたようだ。化粧張りも貴重な技術だし、ぜひ残していただきたい。ちなみに心材はホワイトウッドだそうだ。

大壁構法によって廃れたが、化粧張り集成材は、今後復活できる潜在力はあると思う。

たとえば話題のCLT。これは典型的な集成材だ。柱ではなく面材で、接合が木目を交差させているだけである。もちろん、これを大壁構法のように表面にクロスなどで覆い、木肌が見えない構造材として使うならそれまでだ。
しかし、場所によってはそのまま木壁としてあらわしになる使い方も登場するのではないか。

その時こそ、化粧張りである。吉野材でなくてもよい。集成断面とは違った美しい木目を見せる用途を提案すれば、銘木も売れるし、化粧張りCLTそのものが高値をつけられる。ならば、山元価格も上げられるだろう。

CLTを推進するなら、この程度まで先読みして戦略練ってほしいな。

2013/06/29

林業遺産、公募!

昨日の川上村の会議で提案したことは……「吉野林業遺産」を選定しよう!
だった。

まあ、今「世界○○遺産」流行り。世界遺産と言えば、自然遺産と文化遺産が有名で、自然遺産に落ちた(落ちそうだった)富士山は、文化遺産に乗り換えてなんとか選定されたのは記憶に新しいが、ほかにもいろいろあるのだ。

思いつくたげでも、世界記憶遺産、世界農業遺産、産業遺産、近代化遺産……選定は、ユネスコばかりではないが、ようするに保護策の模様替えから観光振興を兼ねている……いや、もはや観光目当てが主目的かもしれない。
ちょっと、森林療法が森林セラピーに模様替えした様子に似ている。

そこで私も悪のりした。吉野林業遺産を選定するために、過去の林業技術などを調査することができる。遺産というからには、古いものになるから、やはり明治大正年間の林業が中心になるだろう。ならば、吉野は宝庫だ。

狙いは吉野地区の地域振興に役立てるとともに、林業へ世間の目を向けさせることだ。さらに裏の理由として、吉野の林業の痕跡探れば、否応なく土倉庄三郎関係が登場する。それを調査名目で訪ね歩くことができるだろう。

これは、実現させたいな。と企んでいたのである。

が、なんと! じぇじぇじぇ!!
 すでにあったのである。いや、髪の毛の差?で先を超されたのだ。

日本森林学会のホームページによると、

林業遺産の公募  を始めていた。

公募要項を引用しよう。

  一般社団法人日本森林学会では、2013(平成25)年度より、「林業遺産」候補の公募を開始致します。日本林業は、古より独自に編み出されたものであり、明治以降は西洋の思
想・技術も取り入れ、戦争の混乱期を経て今日に至るまで、地方の特徴を生かした発展を
遂げてきました。「林業遺産」は、具体的な対象の選定を通じて、こうした日本各地の林業
発展の歴史を、将来にわたって記憶・記録していくための試みです。積極的なご推薦をよ
ろしくお願い申し上げます。
●対象
林業遺産の選定対象は、景観、施設、跡地等、土地に結びついているものを原則としま
す。但し、林業に関する体系的な技術、特徴的な道具類、古文書・資料群等についても、
特段に重要性が認められるものは審査の対象とします。

分類も紹介すると……

●分類・形式
・林業景観(用材林、防災林、薪炭林、特用林産物生産林等の森林の利用に関する景観)
・林業発祥地(有名・独特な施業体系をもつ林業の発祥地)
・林業記念地(記念植樹、旧係争地等の森林利用に関するメルクマール的意味を持つ土地)
・林業跡地(施業跡地、土場・炭焼き等の利用跡地)
・搬出関連(森林軌道、林道、筏場、木馬道等。現存・跡地を含む)
・建造物(林業発展の歴史を示す建造物。現存・跡地を含む)
・技術体系(林産物加工技術、施業計画等)
・道具類(地域の林業発展を特徴づけるまとまった道具類)
・文書類(林業関連のまとまった古文書・近代資料等)

 

なんと、まあ。私に断りもなく(笑)。ヾ(- -;)

しかし、まだ選定が終わったわけではなく、公募もこれからである。締め切りは12月で、毎年5件程度を認定していくという。ただ推薦できるのは学会員だけである。

負けずに吉野独自の林業遺産に特化して行うか、あるいは今年中に選んで発表して先んじるか? 

まあ、張り合う必要はないのだけど。便乗してもいいけど、庄三郎の事績が選ばれるとは限らないよなあ……。

追伸

書き上げてアップしてから思い出したのだけど、本ブログにも「林業遺産」というアイデアをすでに紹介していた。

調べると、2011年6月16日だ。
http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2011/06/post-eb2a.html

アイデア(だけ)は、私の方が早いぞ(笑)。

2013/06/28

土倉の森

またもや吉野の川上村に行く。

今回は、きっちり会議だけでとんぼ返り。

……では、寂しいので、ちょっと寄ったのが、大滝ダムである。ようやく完成したものの、私は時間がなくてちゃんと見学していなかった。

まあ、今日も時間がなく(^^;)、寄ったのも日暮れ汝のて、たいして見ていないのだが。

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これがダムサイトから下流を眺める。通常時は、こんな脇から放水しているとは知らなかった。発電のためかな。

下流に小さく見えるのが、大滝の集落である。

ここから見えるということは、集落からもダムが見えるということで、もし土倉屋敷が今もあったら、そこからダムを眺めることができるということだろう。

土倉庄三郎が眺めたら、なんというだろうか……。筏が流せん、と怒るかもしれない(^^;)。
もっとも、ダムを利用した別のアイデアを出すかもね。

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これが、ダムサイトの上にある展望台。

今回は時間もなく、登っていない。

が、この展望台のさらに上、その奥の森こそ、土倉の森であることは、意外と知られていない。

もちろん、現在の所有者は違っているが、土倉庄三郎が生前に植えた森なのだ。また吉野林業の視察者を、庄三郎自らが案内して説明につかった森もある。

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だいたい、こんな感じ。これでも林齢 は100年以上あるらしい。



ここに見学コースをつくりたいなあ、というのが現在の野望(笑)。

2013/06/27

「神宮の森」はニーズからの商品づくり

今年は、伊勢神宮の式年遷宮の年。つまり20年に一度の新築した社殿へお引っ越し。1300年以上続く伝統だ。

……そのことを古雑誌に目を通していて気づいた。いや20年前の雑誌なんだけどね(^^;)。

そこに要した木が1万1635本だという。その多くが木曾の国有林であることは知られているが、本来は神宮の森「神宮宮域林」から調達すべきものだ。しかし、これまで神宮の森は木を伐りすぎて、鎌倉中期以降は、宮域林を離れた。使えるものがなくなっていたわけだ。

だが今回から、神宮の森から間伐された木が使われることは、ちょっと話題になっている。

大正12年にから再び遷宮に使える木を育てることを目標に計画を策定し、造林してきたからである。しかも針広混交林施業を推進した。その木が育ってきたのである。

考えてみれば、この神宮の森は、80年後から遷宮のため、つまり外宮、内宮、別宮、そして末社まで125の社殿をつくるための材料を生産するのが目的だった。いわば、先に需要があった。今風に言えば、ニーズに基づいて木材を生産する森なのである。

これって、森林経営的には非常に明快だ。使い道というニーズに合わせて、そのために必要な形状(樹種や太さ、長さまで。さらに節のあるなし、色つやなども条件に入るかもしれない)に仕立てていくのだから。

今流行りの「将来来施業」も、こうした「将来のニーズ」がわかっていると施業しやすいだろう。

だからニーズに合わせて森づくりを行い、求められる木材という商品を提供することができる。

……しかし、こんな森は例外中の例外だ。宗教という時を越える存在があるからこそ、可能なのだ。一般の木材が、何十年先にどんな使われ方をしているのか、林業家が想像するのはむずかしい。
変化の乏しい江戸時代までなら数十年先の需要を読んで森づくりをしても、さほどニーズを外さないで済むかもしれなかった。しかし、生き馬の目を抜くようなスピード経済社会になってしまった現在、80年先の需要どころか10年20年先でも社会情勢や科学技術がとうなっているか見当つかない。

20年で直径30センチになる木(ラジアータパインやアカシア、ユーカリなど)でも、育った頃に計画通りの需要に供給できるかどうかわからない世の中なのだ。

しかし森づくりは数十年から100年以上かかる。つまりニーズからの森づくりは、それこそ絵に描いた餅になりかねないのではないか?

将来木施業は、ヨーロッパで流行っているようだが、本当に生産された木材は、スタート時点のニーズ(目標とした需要)どおりに使われているのだろうか。結構、想定外の需要に供給しているような気がする。

結局、樹木の時間と人間の時間は違うのだから、ニーズという人間の都合に合わせることに無理があるように思うのだ。神宮のような特殊な世界を除くと、樹木の都合(シーズに人間側が合わせて、木材を利用しなければしようがないのだ。

2013/06/26

CLTは林業界に何をもたらすか

近頃、木材業界で注目を集めているCLT(クロス・ラミナ・ティンバー)。

林野庁も国交省も、日本に導入して木材業の一大革命を、という勢いだ。一部の製材業者も日本CLT協会を設立したとか。なんだか期待の星☆という雰囲気だが……。

ようするに集成材の一種なのだが、張り合わせる板(ラミナ)の繊維方向を90度ずつずらせることで、縦横に強いマテリアルになる。私は、集成材というより合板に近いと思っている。ただ単板(ベニヤ)ではなく、少し厚めの板(ラミナ)を張り合わせてつくるパネルと考えた方がイメージに近いと思う。

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こんな感じ。5層以上にした分厚いパネルである。

写真は、外材だが……。

ヨーロッパでは大流行りで、CLTを使えば5階建て、10階建てのビルも建てられる(すでに建てている)と大はしゃぎだ。しかも材料を選ばない。辺材心材、節あり、なんでもあり。木材利用の歩留りも上がるだろう。もちろん建築資材としても、コンクリートより軽いし加工は楽だし……といろいろ利点はあるらしい。

これを日本に導入して、できればスギ材でもつくれば、国産材の大きな需要を生み出すぞ、というわけだ。ただし、今のところ建築基準法を適用できるようにするとか、JAS認定にするとか、いろいろ課題はある。が、国ののめり込み具合を見ると、遠からずクリアするだろう。

……で、本当にCLTは、アカルイ希望なのか。

建築関係者、そして木材業界の一部の製材関係者は期待するだろう。新世代の構法が広がるかもしれない。しかし、林業関係者にも「これで木材需要が伸びる」と期待する声があるのは理解できない。

落ち着いて考えてもらいたい。CLTの価格はいくらなのか。その原材料としての木材価格はどの程度なのか。そのことに頭を巡らせずに期待する林業関係者は、ちょっと甘すぎる。

もちろん、日本製はまだつくられていないが、作り方や材料の性質を考えれば、合板と似たりよったりの材料で間に合う。つまり価格も合板用のB材価格。これで山に還元できる?

CLTのセミナーでイタリアの関係者の発言らしいが、立米単価2万円にできる、と言ったそうだ。驚異の安さだが、これを材料価格にすると? この当たりの計算は疎いのだが、だいたい10分の1くらいではないか。

つまり1立米2000円! 高くても3000円行くとは思えない。

これでは製紙チップ価格並?

とても、これで出荷する林業家がいるとは思えないが、国産材を使うこからと高くしたら、外国製が入ってくるだけだ。だから、常に国際価格に連動する。

つまり、林業界には何のメリットもない。それどころか価格暴落を誘う可能性大だ。

それだけではない。構造材としてCLTを使った建物は、その上から外装・内装とも化粧する。それが石膏ボードかクロスか新建材か知らないが、少なくても木肌は見えなくなるだろう。それでは木材使用感もあるまい。

しかも建築に大工はいらず、組立式になる。クレーンさえあればOK。大工消滅を後押ししてくれる。いや大工が少ないからCLTを使うのか、CLTを使うから大工が減るのか……。

これで、いいの? と森側からの視点で考える。

2013/06/25

Y!ニュース「広がるか、樹木葬」

ヤフーニュース(個人)に、「広がるか、樹木葬」を執筆しました。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakaatsuo/20130625-00025966/

樹木葬のほか、樹恩葬や、緑の埋葬などと言いますが、最近の流行りのようであり、実はもっとも始源的な埋葬の方法ではないかと思います。

もともと仏教では、屍をそのまま放置するものだったと言いますし、腐敗する遺体を眺めて行う修行もあったそうです。そういや鳥葬なんてのもあったなあ(笑)。

2013/06/24

岩食む樹

生駒山中に、鶴林寺というお寺がある。

今は、鬼取という集落内に本殿や庫裏などはあるが、元は(江戸時代)、もっと山を登った奥、山頂に近い懸崖の地にあった。今は、旧鶴林寺として拝殿ほかいくつかの施設が残されている。

もともとこのお寺は役の行者と関係が深く、鬼取という地名も役の行者が前鬼、後鬼をつかまえたことに由来する。その途中には、巨岩がゴロゴロしていて、そこに梵字(サンスクリット文字)が刻まれていたりする。

散歩がてら、そこを訪れた。

修験っぽい神秘さが漂っていたが、気になったのは境内にある木だ。

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岩を飲み込むように伸びているのだ。

結構な大木だから、長い年月をかけて岩を包み込んだのだろう。

それも一本だけではない。



気がつくと何本もある。

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これはカエデの巨木だが、これまた岩を食んでいる。

また巨大な藤蔓がとぐろを巻いていたり、樹木の凶暴さを感じる。

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周辺にはいくつもあり、岩のひび割れから生長して、岩を割ったものや、岩肌を這うように樹が生長したもの。

ちょっと数えきれなかったが、その姿が禍々しくなった。

 

境内から出ると、石垣だけが残る棚田の廃地もあるが、その石垣だって。

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かつての棚田は、竹林になってしまい、もはや人の手がはいらぬようになっていたが、その石垣を突き抜ける樹木も、なにやら怪しさを漂わせる。







岩と樹に誘われるように森の中へ……足を向けて行きかけた。道は消え、岩がごろごろした一帯にとげのある草木が生い茂る。その奥に何があるのか。。。

が、ふと我に返ってもどる。ここで遭難はなりませぬ。だって、半袖で草木をかき分けるのは危険すぎたのさ。ちゃんと、判断力は残っていたのよ。

2013/06/23

製材品の分類

昨日訪ねたところの一つが、吉野中央木材。

ここの倉庫には、さまざまな製材品が積んである。

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見てください。

木口には、紙に手書きで、その製品の情報が記されてある。長さや厚さなどの寸法はもちろんだが、傷やら色やら節の位置に数……などの情報が記号も含めて記してある。

もう部外者には、何がなんだかわからない(^^;)。

でも、1本1本違うデータを持つ木材というのは大切だ。

もともと吉野では、1本ごとに銘木として売ることが多くて、このような状態になったのだろうが、効率は悪い。今風ではないだろう。とくに手書きだし……。なんでも、ノートに写し取るそうだが……。
しかし、同時にほかの製材所と比べて、圧倒的な強みでもある。真似できないもんなあ。材個別のデータがないことが、日本の製材市場の弱点だ。もっとも、この手書きメモの情報には、含水率とかヤング率のようなデータはなさそうだ。

ただ、ときどき、どこにどんな製材品が在庫しているのかわからなくなって、売りそびれるとも言っていた(>_<)。

以前、この在庫管理をICタグを使ってできないか実験することになり、私も少し関係してお手伝いもしていたのだが、それを手がけた某大手総合商社の一部門の勝手な都合で雲散霧消した。

せめてデータをパソコンに入れて、検索かけられるようにしたら……と素人考えでは思うのだが。

2013/06/22

吉野山の電信柱

今日は、また吉野へ。川上村にも行ったが、吉野町にも。

そして、吉野山周辺を回った。製材所もそれなりに興味深いが、やっぱり吉野山である。

ここには、見応えたっぷりな木造物がいくつもある。

たとえば、金峰山寺蔵王堂。国宝だ。

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東大寺の大仏殿の次に大きな木造建築物とされている。(近年できた大極殿は別として。)

この蔵王堂の木材も面白いのだが、実は、もっと面白いものがあった。

仏像? 旅館のイスとテーブル? いやいや、木製ガードレール? 

それらもいい。しかし。

それは……。

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木製電信柱だ!!

見よ、この雄姿。

イマドキ、木製の電信柱なんて、滅多に見かけないぞ。

この年代かかった柱。あまりに多くの電線が取り付けられ、さらに街灯まで設置。

見事じゃないか。ケナゲじゃないか。

立てて何年が経過しているだろうか。かつてはスギの丸太の需要として非常に有望な用途だ ったのだが、いまやコンクリートに取って代わられた。

が、こんなところに残されていたとは(泣)。

国宝とは言わん。吉野登録文化財に指定できないか。きっと、木製電信柱を見たいというマニアが全国から集まってくるぞ。全国に残されたこの希少文化財を探して、木製電信柱フォーラムを開催しよう。ミス木製電信柱が選ばれてアイドル・デビューするかもしれない。きっと感動を呼び、全国ツアーが催され、「クールジャパン」の象徴となるだろう! (ないない)

じぇじぇじぇ! 

2013/06/21

直根とポット苗

朝日新聞(6月19日)に、「防災林 植え方に警鐘」という記事があった。

デジタルでは、こちら。
http://www.asahi.com/eco/articles/TKY201306190357.html

会員にならないと、全文読めないけどね(^^;)。

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こちらが紙面。

ちょっと上が切れてしまった。が、文章はそのまま。

ここは科学面というのだろうか。




ようは、山寺元信州大学教授による、直根を切った苗を植えても、防災に役立たないという提言である。防災林だけでなく、一般の林業的な造林でも、直根を切った苗では土砂崩れ防止に役立ちにくい。

直根を伐らないポット苗は、根が巻くからダメ。森林総研で、根の巻かないコンテナ苗の研究をしているが……。

読んでいて、なんか同じような内容を、私も書いたことがあるよな、それも最近……という気がして考えた。

ああ、そうだ、この記事の筆者から問い合わせのメールが来て、それにメールで応えたのだった(笑)。私も、山寺氏は知らなかったが、この直根問題は聞いていた。ブロック苗というのも登場しているんだ。

最近、地味~ながら、植樹に使う苗のことがニュースが流れるようになった気がする。そしてコンテナ苗の件も。茨城県で実験的な植樹が行われたとか、宮崎県の研究とか……。

現在は、伐採と木づかいばかりに眼を向けられがちな林業事情だが、そろそろ植林・森づくりを気にする動きも現れたかな、と思えばよい傾向かもしれない。

今後、林業に限らず緑化や都市環境において、改めて「森づくり」が大きな課題になるというのが、私の予想だ。ところが、完全天然更新に切り換えるわけでもないのに、植林技術や育苗が非常に遅れている。
さらに植え付け後のもっとも大切な時期の育林方法が、まだ確立していない。昔風の人海戦術的な下刈り・徐伐の育林では追いつかないのは目に見えているのに……。

研究現場、奮起せよ。

2013/06/20

女性誌のお仕事

相変わらず、古雑誌の整理を続けている。

処分する前に、自分が執筆したページだけは切り取って保存しようと思うのだが、これがまた大変。どこのページかわからなくなることもしばし。読んでも、これ、オレの文章?とか思ったりして。

なかでも面白いのが女性誌。

こう見えても、ちょくちょく女性誌にも書いていたのだよ。とくに『Hanako West』では、一時期常連ライターだった。『Hanako』は今もある女性誌だが、もともとは首都圏だけのリージョナル週刊マガジンとして発行し、内容もグルメやファッション系のお店などに特化した雑誌だった。

これがヒットして、関西版の『Hanako West』が発行されたのだが、もとはこの雑誌が関西に進出することを、私が取材する立場だった(^^;)。それが、フリーになって、お仕事もらえるようになったのだから、世の中、有為転変。

もっとも関西版は、月刊だったし、内容ももう少し幅広く扱った。

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こんなカラフルな雑誌だった。

私が参加するころはバブルが弾けた後だったが、まだまだバブリーな香りのするテイスト(笑)。

おかげで経費がふんだんに使えたなあ。

もっとも、私が担当するのは、基本的に読み物記事。「チョット真面目なHanako関西文化研究室」というコーナーをよく担当した。ルポページである。ときに「駅弁研究」だったり、「結婚式場事情」だったり、「イマドキの野菜」だったり。しかし「新聞を読んでいるか」なんて真面目な特集も。

なかなか女性誌に書く文章を鍛えられた気がする。

……しかし、今見ると、モデルの女性たちが……いや、カワイイ子らばっかりなんだけど……ファッションが違う……。私なんぞ、その世界に疎いのだが、それでも人目見て「ダサッ」と思うほど、今とは感覚が違う。

そんな意味でも、勉強になります(笑)。

考えたら 、ほかにも「クロワッサン」とか「とらばーゆ」とか、いろいろ女性誌は単発で手がけているのだよ。

ちなみに、最近も女性誌の仕事をした。もっとも、こちらはお手伝い程度。執筆というより、情報提供か。

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今月発売の「クレア」7月号

表紙見たらわかるとおり、森特集。

読むというより眺めると、なかなか楽しい。

まだ書店にあるはずだから、手に取ってください。

私も、これを機に女性目線の森林について考えたよ。
男の喜ぶ森と、女の求める森は違うのだ。こうした意識を持つだけでも大切である。つい、業界目線になりがちだが、一般人の発想を意識するには、まず異性から、かな?

2013/06/19

ヤフー!ニュースに「山仕事の新潮流は木登り?」

ヤフー!ニュース(個人)に、「山仕事の新潮流は木登り? アーボリカルチャーと特殊伐採」を書きました。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakaatsuo/20130619-00025775/

まあ、以前書いた内容のリライトですが(^^;)。

林業再生だ、山村復活だと大きなことをいう前に、まずは山仕事を担っている自分たちで新しい仕事をつくろうよ、という心意気は大切だろう。まずは、山で生活できる基盤づくりが重要なのだから。

そのためにも、特殊伐採やアーボリカルチャーの技術を身につけ、積極的に世間に打って出る姿勢は、もしかしたら草の根の林業再生につながっているかもしれない。

天下国家、産業振興だ地域社会を論じる前に、まず隗より始めよ、かな?

2013/06/18

告知「誰が日本の森を救うのか2013」

そろそろ、告知しないと怒られるので(^^;)。……誰に?

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NPO法人サウンドウッズの開催するこのセミナー。

同団体が主宰する木材コーディネーター養成講座の前座のセミナーです。

もう3回目でしょうか。

初回は大阪だけで、私が担当。

昨年は、私が東京で、赤堀さんが大阪でしたが、今年は二人とも大阪。プラス能口・木材コーディネーターの親分。

名古屋は違うので、間違えないように。こちらは、現役の木材コーディネーターが勢ぞろいする企画。

ちなみに今年は、東京では開かれない。

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今年は、気が楽だ。

きっと赤堀さんが、業界最新情報、あるいは裏情報とか今後の見通しなどをしゃべってくれる(に違いない)。

だから私は、そんな浮世から離れて(^^;)、遠い夢の森林世界について語ろう\(^o^)/。

「遭難散歩」の魅力とか、「甲賀忍者は木挽き職人?」とか。

いっそのこと、歴史物語はどうか。邪馬台国から始まり、飛鳥と奈良の都、さらに平安遷都へと続く古代史ロマン。その時、林業はいかに振る舞ったのか?

あるいは、街角で見かけたカワイイ木のグッズ特集……とか。ちょっと気持ち悪い?

ただし、今回の話す時間は、一人40分である。昨年は50分だった。それでも短すぎるので、高速(早口)講演を行ったのに、それより短くなるとは。。。今年は3倍速だ!

昨年の報告
http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2012/08/post-6b02.html

そうだ、幻の拙著『だれが日本の「森」を殺すのか』を持参しよう。あと2冊しかない貴重品。森は、殺されたり救われたり、人の勝手で大変なのだよ、と。

2013/06/17

ヤマチャと栽培茶

ここで公にするが、私はコーヒーを好まない。いや、はっきり言って嫌いだ。

仕事がら訪問先で出されると口をつけざるを得なくなるわけだが、1杯だけならまだしもお代わりをしてくれるところがあったり、1日に何件も訪問してその度にコーヒーを出されると、もう大変。無理に飲むと吐き気がする。いや、はっきり言って吐く。吐いたことがある。

で、もって愛飲するのはお茶である。緑茶は当然だが、紅茶を好む。できれば渋みの効いたミルクティがいい。ただしアミノ酸や重炭酸でマッピングされたお茶は困るが。覚えておいてくれたまえ。

あ……そんな話をするのではなかった。お茶はお茶でも、その素になるチャノキの話である。

先日の甲賀の行き帰りは、京都府和束町を抜けて行った。この和束は、宇治茶の本場だ。もちろん、あのアミノ酸なんぞを添加していない緑茶もあるはずだ。宇治茶みんなが、味をごまかしているのてはないと信じたい……が、まだ後遺症として、宇治茶は当分毛嫌いしてしまいそうだ。

ああ、そんな話を書くつもりではなかった。

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ちょうど新茶の摘み取り(刈り取り)を終えた直後だったようだ。手前と奥の茶畑を比べると面白い。

この辺りは、何番茶まで刈り取るのだろうか。

まあ、何番茶でもアミノ酸で味をつけるのだから、同じだろうが。

あああ、またその話。そんな話をするつもりはないのだ。

この地域の茶畑の特徴は、山間にあることだろう。バックが森林である。これが日照などを変えて、チャノキの生育にも微妙な影響を与える。緑茶はタンニンの生成を少なくなるように育てるわけだが。

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ここには、べにふうきの看板がある。

ベニフウキは、本来は紅茶用の品種として開発された。タンニンが多いアッサム種系である。

最近は、このベニフウキを緑茶に仕立てると、渋いが花粉症に効くと言われて人気らしい。

日本にとって、チャノキは外来種である。中国雲南省が原産とされているが、かなり古く伝来したらしい。おそらく奈良時代以前から持ち込まれていた。

そして栽培が始まったのだが、面白いのは照葉樹なのに暗がりは苦手なこと。つまり照葉樹林の中では育たない。林縁部や畔で育てたらしい。自給用であるとともに、町に売りに行く商品として重要だったという。

それがいつしか自生して増えていった。そして山里に行くとチャノキはごく普通にあるようになった。とくに焼畑をすると、跡地にすぐチャノキが生えてくるそうだ。こんなチャノキをヤマチャと呼ぶ。焼畑の栽培品目の一つである。

森に覆われると育たないのに山に増えたのは、山の木が常に人によって伐られてきたからだろう。森は常に明るくされた。つまり林業や里山の生業と密接に関わっていることになる。

明治以降は、茶の商品化が進んだ。実は生糸より茶の方が、当初は大きな輸出産品だったのである。そこで栽培もどんどん広がった。山里と言えば、茶畑風景が当たり前になった。

だが、戦後は木材価格が高騰して、スギやヒノキを育てる方が金になると思えたため、茶畑の中にもスギの苗が植えられるようになって、気がつけばスギ林に。こうしてヤマチャの風景は消えていったと思われる。

代わって、農地にチャノキを栽培することが増えた。自生するヤマチャではなく、ちゃんと人が手を加えて育てる栽培チャである。こうして生産規模の拡大が進んだのだろう。

でも、ヤマチャの風景も捨てがたいものがある。残念ながら、いまや山の手入れが行われなくなり暗い森が増えたことも、ヤマチャが消えていった理由の一つだろう。だから、日本には太くて高いチャノキは存在しない。

それても一時期、日本の植生の中に茶畑が大きな面積を占めていたことも忘れないでおこう。

2013/06/16

割り箸になる?割り箸による?かまぼこ板

週末は、たまりにたまった古い資料のお片づけ。

涙を呑んで捨てる雑誌群。

でも、たまには楽しめるネタも発見できます。

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こんな記事を見つけた。

これは今は亡き「日経ECO21」という環境雑誌。2011年発行だが、何月号かわからなくなった。

いずれにしても、環境にちなんだ、こんなコーナー。

一応、木材関係の商品を紹介しているのだけど、やっぱり注目は、
箸板かまぼこでしょ!

かまぼこ板さえ、使い捨てだからもったいない、という声が上がったことがあるが、実は端材の有効利用であることに間違いない。そして、それは割り箸と一緒。

しかし、割り箸を4膳並べて、かまぼこ板とはねえ。。。

果たして今も販売しているのだろうか。2本入りで1500円とは、ちと高いような……。

それに、使っているのは竹割り箸だというのは引っかかるなあ。どうせ中国製だ。
文章も、「竹製のため、洗って何度でも使うことが可能」というのも、おかしい。どんな割り箸だって、洗えば何度か使えるだろう。

ま、アイデア商品ではある。しかし、売れてるのかな?

2013/06/15

フジやクズの蔓も使いよう

週末は森や木から離れた戯れ言を……と先週は甲賀忍者関連?を記したが、またもや週末になった。

でもって、まだ甲賀。

ここで見たのは、忍者や紫香楽宮だけではない( ̄^ ̄)。

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何をしているかというと、クズの蔓を集めているのだ。それも伸び盛りの柔かい蔓を。

クズの根から取った葛粉は、葛湯などで知られる上質のデンプンだ。漢方薬の原料にもなり、葛根湯などもあるね。

が、蔓は生長力旺盛な在来植物で、海外では猛威を奮う外来植物にリストアップされるほどだ。とにかく荒れ地に非常な勢いで伸びて覆ってしまう。

それでいて、手にすると意外と柔らかく、すぐ折れる、切れる。だから、利用価値などないと思っていた。

ところが、クズ蔓細工というのがあったのだ。

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これは水口資料館に展示されていた逸品。一般に水口細工と呼ばれている。

クズの蔓で編まれているのだ。実に細かい仕上がりだ。

しかも、手慰みの自家用道具ではなく、商品として大量に生産・販売されていたらしい。

正確に言えば、クズの蔓だけでなく、アオツヅラフジの蔓を縦糸に使う。

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アオツヅラフジは、あまり聞かないが、さほど珍しい種ではなく、山野によくある蔓植物だ。ツヅラフジ科である。

蔓は細くて、しかも有毒植物。

これも利用できたんだねえ。

なお籠のふちどりしているのは、シュロの葉だそうだ。

フジ蔓と聞けば、いわゆる青紫の花を咲かせるフジ(ヤマフジ)を思い出す。こちらはマメ科植物なので、全然違うものだが、堅固な蔓が伸びて、リースやバスケットなどが編まれることが多く、なんとなく利用価値あり、という気がする。ほかにもアケビとかブドウの蔓とか、いろいろ使えそうな蔓植物はある。
しかし、クズにアオツヅラフジの蔓なんて、緑化用ならともかく利用価値があるとは思わなかった。

しかも、見た通り繊細。だから、お土産物などに喜ばれて、商品化できたのだろう。

でも、水口細工。戦後急速に生産が途切れて、もはや作り方もわからないそうだ。伝わるのは材料がクズの蔓であることだけで、相棒がアオツヅラフジであることも近年までわかっていなかった。意外や、誰も伝承していないのだ。

だから保存会が蔓の採取や繊維を取り出す加工の仕方、そして編み方まで試行錯誤しながら復興しようとしている。

ともあれ、これも資源だ。今再び同じものを生産して商品化するのは難しいだろうけど、また何か利用法を模索できないものか。。。

2013/06/14

書きました。Y! 個人ニュース~森林は、水を消費する

甲賀忍者話は、一服。

【Yahoo! 個人ニュース】に掻きました。

「森林は、水を消費する」

このテーマは、長くからやっている。『「森を守れ」は森を殺す!』の執筆の際にも、この森と水野関係テーマが大きく引っかかっていた。

まあ、昔のまま繰り返しているのではなく、常に新しい切り口や情報を入れるように努力しているのだけど。

今回は、「樹冠遮断作用」を紹介したことかなあ。

ただ、異論が多い学術的なテーマだけに、扱うのは面倒ではあるのだけどね。

2013/06/13

甲賀は木挽きの故郷?

甲賀は忍者のふるさと、さらに幻の都、と煽ってきたが、もう一つ、木工のふるさとの可能性にも触れておこう。ようやく、このブログらしきテーマになった(笑)。

そもそも甲賀地方、つまり近江国の琵琶湖東岸地域は、飛鳥・奈良時代には木材供給地だった。平城京の大極殿を初めとする宮殿や東大寺など寺院建築を支えた大径木材は、たいてい近江から調達された。

正倉院文書によると、甲賀は杣(木材供給地)であり甲賀山作所が設けられたそうだ。ほかにも田上杣とか玉滝杣など山から木材を切り出し、ここで製材などして川を流されたらしい。

琵琶湖を経由したのか、瀬田川、淀川、木津川と輸送して、最後は奈良坂を越え平城京に運ばれたのだろう。

だから、甲賀こそ組織だった林業発祥の地と言えるかもしれないし、製材技術も発達させたのだろう。

が、甲賀杣を初め、主だった杣はみな木材資源が枯渇して、消滅する。その後は貴族の荘園となり農業に転換するのだが……意外とその後も木工に縁をつなぐ。

たとえば木地師の里とされる永源寺町(現・東近江市)は、甲賀市の隣。ここには第55代文徳天皇の第一皇子である惟喬親王は皇位継承に破れて隠遁し、やがてろくろによる木工を始めたとされる。

そして甲賀市の水口には、檜皮師が多く、木挽き職人も多くいたという。
さらに、水口は前引き鋸(縦引き鋸)の生産地として知られていたのだ。

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水口の資料館にあった檜皮師の記録。

近年まで現役がいたらしい。

今は、どうだろうか。丹波や和歌山では聞くが、滋賀にいるとは聞かない。

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こちらは、木挽きの道具。

ようするに木工道具だ。種類も豊富だったようである。

そういや、「甲賀流忍術屋敷」にも、大鋸が飾られていた。忍者は、木挽き職人でもあった……のか?

日本に横引き鋸は古くからあり、木を切り倒すのに使われたが、その丸太を縦に切って板などに製材する縦引き鋸は、なぜかなかなか登場しない。中国では漢代に誕生しているから、日本にも伝わったはずだが。。。
今のところ一番古いのが室町時代後期の絵図にある。それまでは、丸太を楔で割って、その後やりがんななどで削っていたらしい。この方法では効率が悪く、丸太から1、2枚しか板は取れない。

これはスギやヒノキなど縦に割りやすい針葉樹材が多く手に入ったゆえだろう。極めて贅沢な?いや資源の無駄遣い的な木材利用だったわけだ。さすがに中世に入って資源が底をついて、ようやく縦引き鋸が発明?再認識されたのだろう。

いずれにしても戦国から江戸時代にかけて縦引き鋸が普及していったのだが、幕末頃から水口で、この鋸の生産が興隆し、明治時代には全国的に有名になった。

同じく檜皮師も、この甲賀地方で育ち、各地に出かけたらしい。地元には、それほど木材資源は残っていなかっただろうに、なぜ木工職人や道具が発達したのだろうか。

街道筋で来訪者が多かったことや、複雑な地形で小村落が林立したことが関係しているだろうか。

甲賀、いまだ謎深し。

2013/06/12

紫香楽宮跡にて

甲賀市にあるのは、忍者だけではない。

そもそも甲賀市は5つの町が合併したのだが、そのうちの一つが信楽町。そう、タヌキの置物で知られる信楽焼きの本場である。信楽は陶土が豊富で、今も各地の焼き物産地でつくられている陶器の多くが信楽の土で作られているのだ。

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陶器屋の店頭には、こんな巨大タヌキがゴロゴロ。

でも、これは陶器製かなあ。

セメント製かもしれない(笑)。





が、もう一つ忘れてはいけないのが、かつてこの地に都が築かれかけたこと。

そう、紫香楽宮だ。実は、奈良時代と呼ばれる70年ほどのうち、途中に聖武天皇は奈良の都を捨てて各所を点々としている。その一つが信楽であり、ここに都を移す宣言もしたりして、さらにこの地に大仏を築く詔まで出している。

だから、こんな遺跡があるのだよ。

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これこそ、紫香楽宮跡

ただ礎石がお寺の配置らしく、宮殿ではなく大仏を建立しようとした甲賀寺跡だとされる。

それにしては狭いので、異論もあるのだが……。

まだ゛発掘調査は緒についたばかりで、全容はわからない。

とにかく、紫香楽宮跡を歩き回って堪能してきた。

ああ、ここに都が本格的に移されたら、今の奈良はなかったよなあ。大仏もなければ平城京跡も見る影なかっただろう。かなり見すぼらしくなる。

が、紫香楽宮は建設途上で捨てられ、結局、平城京にもどることになる。大仏も作り直しである。

この遷都の順番を追うと、ややこしくなる。

聖武天皇は藤原京に生まれ育ち、その後平城京に遷都し、次に京都南部(奈良市北部)の山城地方に改めて都建設を始める。それが恭仁京だ。

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こちらでも、大仏を建立しようとしている。

そして、幾度も火災などに襲われて断念した。




その後都を大阪の難波宮に移したりもしたのだが、その間の多くを紫香楽宮で過ごしていたのである。

紫香楽宮は正式の遷都ではなかったとされるが、実質的に天皇が住んで政務を司っていたのだから都だろう。

結局、5年ばかりの間に4回?も遷都したことになる。

それにしても、点々と都を変えては建設ばかりしていたのだから、莫大な国富を費やし、当然資源も浪費したことになる。なかでも木材資源の消費は激しかっただろう。信楽周辺の巨木の山々は丸裸にされたのだ。銅など金属資源も莫大な量を使ったに違いない。
都となると、大建築物がいくつも建てられた上に、大仏である。財政を傾け、過酷な政治となったのではないか。

つまり、これら3つの都の変遷を見て歩くことこそが、古代日本のブラックツーリズム、つまり歴史の暗黒面に焦点を当てる観光のスタートである。

私は,1日で平城京から恭仁京をへて紫香楽宮を歩いたことになるなあ。

2013/06/11

忍術屋敷の板襖

滋賀県甲賀市に行っていた。実は2日連続である。

甲賀と言えば……やっぱ、忍者でしょ! 伊賀と並ぶ忍者発祥の地にして、甲賀流忍術伝承の地ですぞ。

そこで「甲賀流忍術屋敷」に行ってきました。

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ここは甲賀忍者53家の筆頭、望月家の母屋で、元禄時代に建てられた本家本元の忍術屋敷。つまり300年以上経つ建築物だ。

現存している忍術屋敷は、ほぼここだけ。ほかの忍術屋敷は、ここの仕掛けを参考に再建されたものが多い。

いやあ、楽しかった\(^o^)/。大の男一人での見学は、私だけだったかもしれないが、ワクワクしっぱなし。本当に、こんな仕掛けがあるのね。。。と喜んでいた。

また2階の隠し部屋に関しては、土倉屋敷を連想した。土倉屋敷の主人の間(庄三郎の座敷)の押し入れの奥には隠し階段があり、そこから隠し2階部屋につながるのだ。そして、中からは見えるのに外からは見えない窓があったという……。

それと似た仕掛けが、この屋敷にもあったのだ。

……が、ここでは、もう一つ注目どころを紹介しよう。

こちらの奥は、主人の間。

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何せ、忍者の頭領だけに敵も多かったのだろう。

常に襲われることを念頭に、この奥の部屋には仕掛けがいっぱい。逃げ出す隠し通路だけでも3つ。さらにどんでん返しに落とし穴まである。

が、その前に、この部屋に侵入するためには、この戸襖を開けねばならない。

見たところ、フツーの板製の襖だが……。

これ、開けようとすると重いのだ。なんたって、ヒノキの1枚板。厚さセンチはある。通常の襖なら、紙を貼るか板でも薄くて軽くしてあるが、重くして簡単には開かないようにしてあるのだ。

だから、そっと侵入するのは不可能。両手で押さないと動かない。しかも分厚いから、ふすま越しに槍を刺すのも無理。楯にもなっているわけだ。
ただ、そんなに重そうに見えないような装飾もされてあって……。凝っているなあ。

にんにん!  と叫びたくなるのであった。

2013/06/10

石の壁の装飾

土日限定で、森や木から離れた話題に触れたが、このまま脱線を続けようかな、と。

先日訪れた、大阪の「綿業会館(日本綿業倶楽部)」ビル。これは昭和初期に建てられたイタリアンルネサンス様式の傑作である。

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扉を開くと、ど~んと広がる玄関ホール。

巨大シャンデリアがぶら下がる。

基本は石と鉄の建物である。

天井の高さが違う部屋をうまく組み合わせて作られた構造は、少しラビリンス的。そこかしこに螺旋階段や鉄の装飾されたエレベーター、微細なグラディーションを描く彩色タイル、華麗なタペストリー……などなど見どころがいっぱい。分厚い木製の壁板や柱もあったのだが、今日は木材のことに触れない(^^;)。

しかし、私が目を引きつけられたのは、地下の食堂の壁である。

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大理石の壁。傷や色にブレのないこの石は、なかなか手に入らない逸品である。

この素性を探るだけでも面白そう。

そこにさりげなく模様が描かれる。

これを拡大すると……。

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螺鈿細工のごとく、色ガラスがはめ込まれてあった。

1枚ずつ形が微妙に違う細片を埋め込んである。

細かな手作業であろう。

素材としての石は、「冷たい」印象をもたれて、それこそ森と木のマニア(オタク)からは、木の魅力を語る際の対象事例に扱われやすい。が、このような装飾によって、石は温かみを持ち熱をにじみ出す。手仕事の魅力であろう。
質の高さを見せつけることで、石というマテリアルの価値を引き上げるのだ。

2013/06/09

宇治茶の味の素?

終末だから、昨日に続いて、森とも木とも関係ない話。

うちの実家のお茶は美味しいと評判である。お客さんに出したら、いつもほめられる。私も、美味しいと思う。口に含むと、甘みが広がる。

実は、宇治のお茶屋さんから直接のお取り寄せ。結構いい値段もする。

が、見てしまった。何気なく、ラベルを……。

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原材料のところに

緑茶(国産)
調味料(アミノ酸等)
重炭酸アンモニウム




1行目はよしとして、2行目3行目はなんだ?

ちなみに、ラベルに販売者の名前も写っていることに気づいたが、隠すことはあるまい。合法的にやっているのだから。ついでに「宇治茶」と聞いていたが、住所は宇治市ではなかったな。城陽市は、宇治市の隣だが、宇治茶の範囲にいれるのかどうか、業界の慣習もあるので私には判断できない。

そして、ちょうど送って来ていただいた今年の新茶。静岡のものだが、そこには、緑茶としか書いていない。

こちらは、ちょっと渋みが強い。と言っても、この宇治茶に比べれば、だが。

美味しい素は添加されたアミノ酸の味だったのか。これが味の素か! て、シャレにもならん。

ぜひ、お茶の添加物について、全国の緑茶マニアの皆さん(と書いても、一人狙い撃ちだな^^;)に教えてもらいたい。。。

2013/06/08

YKI48総選挙?

たまたまテレビをつけてザッピングしていたら、AKB48総選挙なる番組がやっていた。

なんか、番狂わせ?があったらしい。その最高潮の盛り上がりの際にチャンネルを合わせてしまったらしい。思わず、見てしまう(~_~;)。

が、今日は昼間に見てしまったからなあ……YKI48総選挙

何?これ。

イヤ、実は大阪歴史博物館で「幽霊妖怪画大全集」という展覧会を催していて、そこで行われていたのが、これ。

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わかるかなぁ~?

妖怪(幽霊含む)の人気投票である。

明日が最終日だから、もう結果発表がされているはずだったのだが、私が見たときは1位が公表されていなかった……。

なんか、番狂わせ?があったようだ。

詳しくは、こちら。

http://yurei-yokai-osaka.com/?page_id=13

ちゃんと1位も載っている。

結構満員だったが、幽霊画、妖怪画と言っても円山応挙や河鍋暁斎など、超大家の作品が多数見られるのだ。

しかし、展示もノリノリで、一体これ誰が書いたの?というような説明文が多い。

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いいよなあ。これ。

2013/06/07

細島港のC材

和紙の話が続いたが、現代の製紙業界にもどる。

先日の宮崎県諸塚村からの帰り、ちょっと寄り道して日向市の細島港に寄ってみた。

この港には、以前訪れたことがある。それは、国産材の中国輸出の現場に立ち会うためだった。貨物船に宮崎や大分のスギ丸太が積まれていく光景は壮観だった。

これから日本の林業にも新しい時代が始まるかと予感させられたのだが……。残念ながら、中国への国産材の輸出はあまり広がらなかった。とはいえ、今も細々と各地で断続的に行われているはずである。

加えて中国木材(これは日本の会社ね^^ゞ)の製材工場が細島に建設されるという計画を聞いたことがあったので、現状はどんなものかと眺めに行ったのである。

が、岸壁で見たのは、こんな光景だった。

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最初は、細いスギ材も見かけたのだが、どうも外材も混ざっている。いや、外材の方が多いかな。

しかも、どう見てもC材。つまりチップ用だろう。

この隣では、チップの山もあった。そこは重機が走っていたので近付けなかったが。

どうやらこの岸壁、製紙会社向きの木材を扱っているらしい。

むしろ、こちらの方が主流かな。改めて、日本の製紙のうちチップから作るパルプの7割が外材であることを思い出した。

でも……この材、かつて中国に輸出していた木と似ている(^^;)。当時は、「中国は、曲がった丸太でも買ってくれる」ことを売り物にしていた……というより、期待していたのだ。安い人件費で、曲がったり細い丸太を手間隙かけて製材してくれる、と。

結果としては、クレームの嵐。中国だって曲がり材は嫌だったのだ。そのほかにもクレームが続出して、さらに政治的思惑も絡んで、なかなか輸出は成功しなかった。

そんなことを思い出した、細島港だった。

2013/06/06

丹後和紙の世界をのぞく

昨日は、「全国和紙展」で、各地の和紙の特徴が全然わからない……とクサしたが、今日はその一つ、丹後和紙の里に行ってきた。京都府福知山市大江町である。

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里と言っても、田中製紙工業所の一軒が残っているだけだが……。

現在は親子4人で経営しており、5代続く製紙業である。

ここの特徴は、なんと言っても材料のコウゾをすべて地元で栽培しているところ。
多少まぜることのあるミツマタとガンピは仕入れているが、ガンピも同じ丹波の山産である。(ガンピは栽培できず、自生しているものを採取する。)

和紙といえども、いまや材料の多くは外国産が当たり前の世界だけに、これは希有なことなのだ。

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さっそく、コウゾの栽培畑を見に行くと、かなり育っていた。

もう10年以上育っては刈り取り、また萌芽を育て、を繰り返しているが、1年で3~4メートルにも育つという。

寒いところで育てると、繊維は短めになるが、それがきめの細かい和紙になるそうだ。

今年からは、品薄だったトロロアオイの栽培もスタート。いよいよ自給の度合いを増している。

そして、話を聞いていると、実に面白い。なんだ、こんなに特徴があって、また職人としてもいろいろ工夫していることがわかる。

ちなみに現在の売りは民芸用紙であり、これは全国的な和紙の傾向だが、ここでは、こんな作品もある。

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コウゾの繊維をほとんどほぐしたり切ることなく長いまま漉いたもので、非常に漉きづらくむずかしいが、繊維が浮きでて和紙の味を如実に出している。

多くの作家の作品に使われている。

ほかにもカラー印刷できる和紙とか、和紙も進化していることがわかる。

なぜ、こんなにある和紙の魅力を「和紙展」では各店が主張しないのか、(百貨店側が)主張させないのか。それゆえ、和紙業界は衰退しつつあるのではないか。責任は重大である。

そして、ここではまだ書けない仰天の和紙業界の秘密も聞いたのだが……それは今しばらく胸に秘めておこう。

2013/06/05

和紙展にて

昨日に続いて、最近、「紙」に凝っている証拠。

近鉄百貨店上本町店で開いていた「全国和紙展」を覗きに行く。今日が最終日だったが、全国の11の和紙産地から出展。それに和紙を使った作品を作っている4店。

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百貨店内で撮影するのは、本来御法度なんだけど。まあ、看板だけ。これくらい許して(^^)



せっかくだから出展者を羅列すると、

月山和紙
若狭和紙
丹後和紙
吉野宇陀紙
因州和紙(鳥取)
出雲民芸紙
石州和紙(島根)
樫西和紙(岡山)
阿波和紙
土佐和紙
越中和紙

それに作家の和紙絵画、くじゃく玉、帽子・服、きりえうちわ……である。

ここで正直な感想を書く。

区別がつかねえ。。。どこの和紙がどんな特徴があるのか皆目わからない。

説明書きを読もうと思っても、ほとんど説明がない。かろうじてパンフレットがあったのは石州和紙だけ。阿波和紙のところでもらったのは、阿波和紙伝統産業会館のもの。ほかに数店、現場にパネルを張り出しているところがあったけど……。最終日だから品切れなのか、もともとないのか。

これは、ちょっと残念である。全国の和紙の産地ごとの違いを見たくて訪れたのだが。
見た目も区別がつかないので、触って回ったが、やはりわからん。つるつる、ごわごわ、でこぼこ……いろいろあるが、みんな和紙です(^o^)。せめて使い道を記してほしかった。
材料も、コウゾ、ミツマタ、ガンピを使っています、とあるだけ。そして漉きにはトロロアオイを使っていること。

実は、その材料も中国産が多いはずだけど。配合の割合とかは、あまり強調していなかった。

結局、差を出すのは工房の商品としてだけである。染色したり、表面に水滴をつけるなど変化をつけたり。名刺用の寸法にしたり。つまり地域差ではない。

手漉き和紙は、機械化を拒否して大量生産の道を閉ざしたまま、新たな用途を十分に提案せずに洋紙に主役を譲り渡した。その結果、特殊化を進めて、いまや嗜好品的扱いに絞っている。

それはいい。そんな道もあるだろうけど、ならば「こんな使い方があるんだ」「こんな特徴を活かして、誰か作品づくりをしませんか」と主張してほしかったなあ。

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和紙の服。和紙職人の作業着だそう。

2013/06/04

Y!ニュース に製紙業の話を

紙は森を壊すのか。それとも救うのか - Y!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakaatsuo/20130605-00025451/

最近、製紙のお勉強も始めた。そんなもって、こんな記事書きました。

意外と製紙については知らないことが多い。もともとの洋紙の材料は木ではなかったという。何かと言えば……ボロ布。これがいつしか木質に化けるんだなあ。

ちなみに、和紙の取材をする仕事が来た。不思議なものだ。

東京には「紙の博物館」もあるそう。行ってみたいなあ。

2013/06/03

丹生川上神社下社の巨杉

話を吉野にもどす。

6月1日は、下市町にある丹生川上神社下社の例大祭だった。そこに参列したわけだが……。祭りに関しては省略するが、驚いたのは列席者が500人を越し、しかも帳簿を見ると高知だったり岐阜だったり神奈川、兵庫……とかなり遠方から参列している。観光バスも来ていた。

なぜ驚いたかというと、この神社の祭り、決してそんなに有名ではなく、最近までローカルで質素に執り行っていたからだ。神社そのものは、古事記にも登場するような古い格式を誇る神社で、たしかに価値はあるのだが、古社名刹の多い奈良では目立たなかった。

それが3、4年前から急に賑やかになった。どうやら宮司が変わったことがあるらしい。
どのような広報活動をしたのか知らないが、急に注目されたわけである。そして最近では上社、中社、下社の3社巡りも企画したりしている。

おかげで地元の人も駐車場の案内やら焚き出し(弁当などを配ってくれる)やら大変らしい。でも、全国区になり来訪者が増えるのは歓迎だろう。

奈良って、売り出すのが下手な県民性だけど、その気になれば、まだまだ売り出すネタはいくらでも眠っているのね。

おそらく参拝者の魅力は、例祭後に拝殿の奥の急な階段を登り、本殿まで行かせてくれることだろう。我々もなんとか登らせていただいた。ただ、あまりの人数増加のためか本殿入りさせてもらえるのは崇敬会の会員だけだったが……。

ちなみに丹生川上神社の上社(川上村)、中社(東吉野村)、下社(下市町)と3つあるのは、記紀に記載にある神社がどれか特定できず、明治時代に3つも候補が出てきたことによる。下社が一番最初に認定されたが、発掘調査によると上社が一番古く飛鳥時代より祭事が行われていたらしい。昔から3立していたわけではなく、もめないように全部認定したのである。

いずれも巨木のある神社だ。

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下社は、独特の造り。拝殿から山を駆け上る75段の階段がつづく。

拝殿よりの急階段を右手より見る。奥に見える本殿の中に2本の巨木が見えるだろうか。

これは幹回り5・5メートルと5・8メートルあるというご神木である。

ほかにも境内には、ケヤキなどの巨木が林立している。

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階段の両側にも巨杉が並んでいる。これらの木を取り込んで階段を作っているのが素晴らしい。

ここに登らせてくれるのも素晴らしい。

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詳しくは、この札を読んでくれ。

2013/06/02

書評「間違いだらけの日本林業」

一部では話題騒然?の「間違いだらけの日本林業」(村尾行一著)

もちろん私も発売を知ると、予約してすぐ手に入れた。もっとも、時間をかけて読んだので今頃になったが…。

タイトルどおり、日本林業を林政からも施業技術からも科学的知見からも、バッタバッタと切り捨てている。毒舌満載という感じだ。でも、ご本人自身の毒舌に比べれば、文章にしたことでちょっとは薄まったかな。世間的には、これぐらいにしてほしい(^^;)。

具体的な「間違い」の部分は、とても紹介しきれるものではないので、目次だけでも眺めて想像してほしい。魅力的な小見出しがいっぱいあるだろう。

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序の巻から始まり、5の巻まである。



詳しくは、http://www.j-fic.com/books/isbn978-4-88965-229-1.html

前半は、自身の(勉学の)歩みを振り返りつつ、林学の現場、林政の現場、そしてドイツ林業の現実を叩きつける。それにしても列状間伐や切り捨て間伐、林地肥培など、突っ込みドコロ満載の政策が決定する現場に立ち会っていたことに驚く。

全体として、非常に納得。知らないことだけでなく、知っていた、学んでいたのに忘れがちだった事実を改めて突きつけられた面もある。眼からウロコというが、暗闇の中に一筋の光明! 謎は解けた!と叫びたくなる。

実は私も、現在ちょうど日本の森林史、林政史、そしてドイツの歴史まで遡って勉強中なのだが、各テキストを追い掛けるだけでは腑に落ちないところや、ミッシングリングのような欠けた部分がある。それを、本書を読んで一気に納得、そういう意味だったのかと理解を深めた。

もちろん、これまでの日本林業の常識に囚われている人(学者、官僚、林業家)には、とてつもない話のオンパレードで、ほとんど自己否定されたようになるだろうから、猛烈な反発があるのでないかと思う。が、理路整然と書かれているため、反発しても反論は難しいのではないか。

日本の林業改革をドイツに学ぼうという動きが強まっているたため、最近はドイツ林業と日本の林業を比較したように語られることが増えたり、書かれた本が出ている(もっとも、極めて狭い林業界の話だが)。
しかし、私にはイマイチ違和感があった。現代のドイツだけを見て都合よくつまみ食いをしたかのよう。数百年にさかのぼる林学発祥と発展の歴史に目をつぶっている。だから木に竹を接ぐかのような「日本に合わねえ」感が漂っていた。ガラス細工のような、危うさの漂うご都合主義。もっとはっきり言えば、ドイツの話を振りかざした説明に下品さを感じてしまっていた。

本書に関してそれがないのは、奥行きが違うというか、教養の差ではないか。本書には村尾氏の博覧強記的な林業像が根幹にあるから、ドイツの話が日本にもガッツリはまり込むのである。そして、やはり村尾氏の林業に対する愛だな……。

しかし、心をまっさらに内容と向き合わないと、視察に言っても、目の前の事実をスルーしてしまう連中と同じになってしまうだろう。向き合い、その上で反論するなら言葉をかみしめないと。だから読むのに時間がかかるのだ。

決論的には、林業に定番施業はなく、いまやフリースタイル林業が主流なのだそうだ。
そのためには高水準の人材なくして不可能という点から、ドイツの林業教育制度に関して結構詳しく記している。しかし読んでいると、絶望的になる。日本にそんな人材を育てる機関はないし、今から養成することもほとんど不可能と感じられるから。
現在進めている日本のフォレスター養成の内容なんて、ドイツの制度に比べると幼稚園レベルである。現場にいたっては、まったく受け入れる素地がないように思えてしまう。つまり、日本で真っ当な林業を営むことは(一部の篤林家や篤林会社の森を除くと)無理なのか……。

この点に関しては、また論考しよう。

さて、まるごと受け入れるのは悔しいので(^^;)、私なりの多少の反論・異論を。

まず「森林の公益的機能」という欺瞞を突こうとするあまり、地球温暖化と二酸化炭素主因説を否定しているが、これは筆の滑りだろう。この手の論争は、IPCCを中心に専門家が膨大なデータを元に侃々諤々やっており、門外漢が口を出すレベルではなくなっている。とくに参考文献に武田邦彦や広瀬隆らの著作を並べられると腰が砕ける。

(ちなみに私も、昨今の地球温暖化問題には異議を持つが、それは科学的な面ではなく、政治面や地球史的な視点でのことである。)

林業に関する面の反論・異論としては、「日本で最高の林業地」として京都の山国林業(主に京北町)を指摘している点。
私も、一時山国林業を調べたことがあるのだが、私の印象としては、この地の林業は戦前までは粗放林業であった。もともと伏状更新頼みで、多少の植林をしても、幕末の頃の植栽本数は500本/haくらいである。材質も高いとは言えず、市場の評判はイマイチであった。戦後は全国画一的な技術の林業地になったが、そんな場所の林業を「生産技術が高い」というのは解せない。(近自然的林業だと評価するならわかるが。)

ただ、山国林業が、隣接した京の都に農林産物を供給する場であったため、非常に商品開発力があり、農林複合経営をしていたのは間違いない。その点を捉えると、日本最高水準かもしれない。
なお、私は山国林業を、日本最古の持続的林業地と呼んでいる。

次に吉野林業に関する批判・否定に関して。密植と年輪幅の関係などを否定している点は、植物学的な問題なので理解している。また長伐期・多間伐施業に関しては、私も感じていたとおりで大いに賛同する。

が、『吉野林業全書』に関する点は、ちょっと誤解がある。まず実質的著者を土倉庄三郎として、表面上は3番番頭の森庄一郎としている。この点は「評伝 土倉庄三郎」(土倉祥子著)に記されたままの引用なのだろうが、森が土倉家の番頭だった証拠はない。

もともと森庄一郎は、山主であり土倉家と並ぶ木材総代であった時期もある。その後山を土倉家に売却したようだが、一方で北村家の山守をしていた。また全国を歩いて林業指導もしている。つまり、本人も吉野林業の指導者としての自負を持っていたようだ。

吉野林業全書の出版費用は土倉家が出しているし、庄三郎も校閲に名を連ねているのだから内容に関して口を出しただろうが、著者はやはり森庄一郎である。とくに和歌山に流送後の木材の流通や利用などは、庄三郎より森庄一郎の方が詳しそうである。だから、土倉庄三郎が『吉野林業全書』を出したことを前提に考えるべきではない。
ただ、日本全国で吉野林業が有名になったことに『全書』が果たした役割は大きい。

ちなみに私は日本最高の林業としては、「明治~昭和30年頃までの」吉野林業だと確信している。なぜなら、この頃の吉野は、まさに山に育った木々、草すべてを商品化していたからだ。間伐は植栽7年目から行い、伐採した木は全部利用した。切り捨てなんてバカなことをしていなかったのである。さらに製材時に出る端材も商品化に燃える。林床にコウゾ、ミツマタなどを育てて和紙をつくり、里にはウルシもあって漆器も作られた。徹底的な土地と資源の利用である。

無駄を出さない。これこそ、林業であろう。間伐こそが林業の技であり、商品化のアイデアこそが林業の極意である。本書でも指摘している里山林業こそが、ここに展開されていた。

もちろん、その基準からすると、今の吉野は最低である。直径30センチある丸太まで捨てているのだから。戦後のわずかな木材バブル時に、吉野林業の蓄積を全部捨ててしまったかのようだ。

いずれにしても、本書は日本林業の実態とその背後に隠れていた林学各流派の齟齬をあぶり出した。そして日本はとんでもない勘違いと絶望的な失敗を森づくりに関してしてしまったのではないか、という気持ちにさせられるのである。

本気で日本の林業像に迫りたい人は、買い。村尾センセイの毒舌に巻かれてみるのも快感である(^o^)。

※サイドバーにリンク張りました。

2013/06/01

き、巨木林が…

本日は、吉野。

鎌倉からお出でになった建築家(♀)さんと会うために、丹生川上神社下社の例祭に参加する。ここでも興味深い点ばいろいろあったのだが、それはさておき、せっかくだからと吉野林業のご案内。

そこでお見せしたい巨木林に案内。川上村で中心部に比較的近くて、美しい森だ。おそらく150~200年ものの吉野杉の森へ向かう。

これまで何回訪れただろうか。おそらく初めて川上村を訪れたころから通い続けている森である。一本の直径は、ゆうに1,5メートルを越える。そんな木が、ざっと数百本林立している光景は見応えがあるのだ。しかも、いずれも真円に近く、通直。
ここの森を見れば、それらの巨木がみんな人が植え育てたことに思いを馳せ、感激するだろう。

が。

4





なんか、ヘン。

スカスカである。以前訪れたときは、もっと鬱蒼としていたぞ。

1


おおお。見事に伐採されているではないか。

森の中にあったはずの祠(赤い鳥居)も、いまや原野にたたずむ(笑)。

これまでも、数本ずつ伐採されていたが、そんなに気にならなかった。むしろ切り株の大きさや年輪を見るのに都合よかったのだが……。

これでは半分くらいの本数を、間伐ではなく全伐りした感じ。

所有者は、お金が入り用だったのかなあ。それとも、更新を考えて?

しかし、今ほど材価が落ちて、しかも太い木は製材機を通らないと嫌われる時代に、どこかよい売り先見つかったのかねえ。そのうち平城京跡に姿を魅せるかもしれん(⌒ー⌒)。

もちろん、いいのである。木は、とくに人工林は、伐るため、収穫するために植えたのだから。太い木ばかり残すのは、実は森林生態系的にもリスクがある。すっぱり伐るのも林業だ。

しかし……(未練たらしい^^;)。

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森と林業と田舎