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2013/06/02

書評「間違いだらけの日本林業」

一部では話題騒然?の「間違いだらけの日本林業」(村尾行一著)

もちろん私も発売を知ると、予約してすぐ手に入れた。もっとも、時間をかけて読んだので今頃になったが…。

タイトルどおり、日本林業を林政からも施業技術からも科学的知見からも、バッタバッタと切り捨てている。毒舌満載という感じだ。でも、ご本人自身の毒舌に比べれば、文章にしたことでちょっとは薄まったかな。世間的には、これぐらいにしてほしい(^^;)。

具体的な「間違い」の部分は、とても紹介しきれるものではないので、目次だけでも眺めて想像してほしい。魅力的な小見出しがいっぱいあるだろう。

Img005




序の巻から始まり、5の巻まである。



詳しくは、http://www.j-fic.com/books/isbn978-4-88965-229-1.html

前半は、自身の(勉学の)歩みを振り返りつつ、林学の現場、林政の現場、そしてドイツ林業の現実を叩きつける。それにしても列状間伐や切り捨て間伐、林地肥培など、突っ込みドコロ満載の政策が決定する現場に立ち会っていたことに驚く。

全体として、非常に納得。知らないことだけでなく、知っていた、学んでいたのに忘れがちだった事実を改めて突きつけられた面もある。眼からウロコというが、暗闇の中に一筋の光明! 謎は解けた!と叫びたくなる。

実は私も、現在ちょうど日本の森林史、林政史、そしてドイツの歴史まで遡って勉強中なのだが、各テキストを追い掛けるだけでは腑に落ちないところや、ミッシングリングのような欠けた部分がある。それを、本書を読んで一気に納得、そういう意味だったのかと理解を深めた。

もちろん、これまでの日本林業の常識に囚われている人(学者、官僚、林業家)には、とてつもない話のオンパレードで、ほとんど自己否定されたようになるだろうから、猛烈な反発があるのでないかと思う。が、理路整然と書かれているため、反発しても反論は難しいのではないか。

日本の林業改革をドイツに学ぼうという動きが強まっているたため、最近はドイツ林業と日本の林業を比較したように語られることが増えたり、書かれた本が出ている(もっとも、極めて狭い林業界の話だが)。
しかし、私にはイマイチ違和感があった。現代のドイツだけを見て都合よくつまみ食いをしたかのよう。数百年にさかのぼる林学発祥と発展の歴史に目をつぶっている。だから木に竹を接ぐかのような「日本に合わねえ」感が漂っていた。ガラス細工のような、危うさの漂うご都合主義。もっとはっきり言えば、ドイツの話を振りかざした説明に下品さを感じてしまっていた。

本書に関してそれがないのは、奥行きが違うというか、教養の差ではないか。本書には村尾氏の博覧強記的な林業像が根幹にあるから、ドイツの話が日本にもガッツリはまり込むのである。そして、やはり村尾氏の林業に対する愛だな……。

しかし、心をまっさらに内容と向き合わないと、視察に言っても、目の前の事実をスルーしてしまう連中と同じになってしまうだろう。向き合い、その上で反論するなら言葉をかみしめないと。だから読むのに時間がかかるのだ。

決論的には、林業に定番施業はなく、いまやフリースタイル林業が主流なのだそうだ。
そのためには高水準の人材なくして不可能という点から、ドイツの林業教育制度に関して結構詳しく記している。しかし読んでいると、絶望的になる。日本にそんな人材を育てる機関はないし、今から養成することもほとんど不可能と感じられるから。
現在進めている日本のフォレスター養成の内容なんて、ドイツの制度に比べると幼稚園レベルである。現場にいたっては、まったく受け入れる素地がないように思えてしまう。つまり、日本で真っ当な林業を営むことは(一部の篤林家や篤林会社の森を除くと)無理なのか……。

この点に関しては、また論考しよう。

さて、まるごと受け入れるのは悔しいので(^^;)、私なりの多少の反論・異論を。

まず「森林の公益的機能」という欺瞞を突こうとするあまり、地球温暖化と二酸化炭素主因説を否定しているが、これは筆の滑りだろう。この手の論争は、IPCCを中心に専門家が膨大なデータを元に侃々諤々やっており、門外漢が口を出すレベルではなくなっている。とくに参考文献に武田邦彦や広瀬隆らの著作を並べられると腰が砕ける。

(ちなみに私も、昨今の地球温暖化問題には異議を持つが、それは科学的な面ではなく、政治面や地球史的な視点でのことである。)

林業に関する面の反論・異論としては、「日本で最高の林業地」として京都の山国林業(主に京北町)を指摘している点。
私も、一時山国林業を調べたことがあるのだが、私の印象としては、この地の林業は戦前までは粗放林業であった。もともと伏状更新頼みで、多少の植林をしても、幕末の頃の植栽本数は500本/haくらいである。材質も高いとは言えず、市場の評判はイマイチであった。戦後は全国画一的な技術の林業地になったが、そんな場所の林業を「生産技術が高い」というのは解せない。(近自然的林業だと評価するならわかるが。)

ただ、山国林業が、隣接した京の都に農林産物を供給する場であったため、非常に商品開発力があり、農林複合経営をしていたのは間違いない。その点を捉えると、日本最高水準かもしれない。
なお、私は山国林業を、日本最古の持続的林業地と呼んでいる。

次に吉野林業に関する批判・否定に関して。密植と年輪幅の関係などを否定している点は、植物学的な問題なので理解している。また長伐期・多間伐施業に関しては、私も感じていたとおりで大いに賛同する。

が、『吉野林業全書』に関する点は、ちょっと誤解がある。まず実質的著者を土倉庄三郎として、表面上は3番番頭の森庄一郎としている。この点は「評伝 土倉庄三郎」(土倉祥子著)に記されたままの引用なのだろうが、森が土倉家の番頭だった証拠はない。

もともと森庄一郎は、山主であり土倉家と並ぶ木材総代であった時期もある。その後山を土倉家に売却したようだが、一方で北村家の山守をしていた。また全国を歩いて林業指導もしている。つまり、本人も吉野林業の指導者としての自負を持っていたようだ。

吉野林業全書の出版費用は土倉家が出しているし、庄三郎も校閲に名を連ねているのだから内容に関して口を出しただろうが、著者はやはり森庄一郎である。とくに和歌山に流送後の木材の流通や利用などは、庄三郎より森庄一郎の方が詳しそうである。だから、土倉庄三郎が『吉野林業全書』を出したことを前提に考えるべきではない。
ただ、日本全国で吉野林業が有名になったことに『全書』が果たした役割は大きい。

ちなみに私は日本最高の林業としては、「明治~昭和30年頃までの」吉野林業だと確信している。なぜなら、この頃の吉野は、まさに山に育った木々、草すべてを商品化していたからだ。間伐は植栽7年目から行い、伐採した木は全部利用した。切り捨てなんてバカなことをしていなかったのである。さらに製材時に出る端材も商品化に燃える。林床にコウゾ、ミツマタなどを育てて和紙をつくり、里にはウルシもあって漆器も作られた。徹底的な土地と資源の利用である。

無駄を出さない。これこそ、林業であろう。間伐こそが林業の技であり、商品化のアイデアこそが林業の極意である。本書でも指摘している里山林業こそが、ここに展開されていた。

もちろん、その基準からすると、今の吉野は最低である。直径30センチある丸太まで捨てているのだから。戦後のわずかな木材バブル時に、吉野林業の蓄積を全部捨ててしまったかのようだ。

いずれにしても、本書は日本林業の実態とその背後に隠れていた林学各流派の齟齬をあぶり出した。そして日本はとんでもない勘違いと絶望的な失敗を森づくりに関してしてしまったのではないか、という気持ちにさせられるのである。

本気で日本の林業像に迫りたい人は、買い。村尾センセイの毒舌に巻かれてみるのも快感である(^o^)。

※サイドバーにリンク張りました。

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コメント

林床にミツマタはわかりますが、コウゾは生産できるのでしょうか・・・

なるほど、細かいところを突かれた(笑)。
たしかにコウゾは高さ2~3メートルにも伸びますからね。しかも日当たりもよくないと。植えたのは、林内ではなく畑でしょう。

ようするに吉野には、林業だけでなく和紙の里があるということですわ。

へへっ!
サイドバーをポチッとする前に、某機関からもらってたのを思い出しました。

まだ目次を眺めたくらいですが、ちょびっと反論。
写真の小見出しの後ろの方にある「ホザクリ林業」と言う言葉がマチガイ(この項には他にも言いたいのですが…)。

和歌山県の人間は「ザ・ゼ・ゾ」の音を話せません。
「ダ・デ・ド」になってしまうのです。
きっと、同村出身の元県職AGさんの書き間違いが語源。

東京出身の父を持つ私は、幼少のころから
ザ・ジ・ズ・ゼ・ゾ英才教育を受けましたので確かです。

ちなみに、正解は「ホタクリ林業」
荒っぽく「ホダクリ林業」と言ったかもしれません。
「ホタクリ」は「放りっぱなし」と言う意味で
手をかけない、自然が作り出した銘木があって
それが吉野材に化けてたと言うこと。
間伐を繰り返してきた吉野にはない
100年生の柱口材があったと聞いています。

本書には竜神林業も登場しますね。
たしかに関西では「ホタクリ」とはいうが「ホザクリ」とは言わない。ホザクとは「好き勝手に言う」蔑視的な意味に感じてしまう。

それにしても、英才教育を受けていたとは……その間違いの語源まで特定されていたか(笑)。

ようは、ほったらかしでも銘木は生まれるのです。手入れが必ずしも必要なわけではない。

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