80年前の昔話と大黒柱
今日は、一周忌と親族の食事会。
父88歳とその兄92歳の家族が会食。
これが最後、と言い続けて実現したが、会えば元気に話し続ける。
しかし、話題の多くが自分たちの子供の頃の話なんだが、80年前……。
ここまで昔だと、「年寄りの繰り言」の域を越えて、オーラルヒストリーになる。昭和初期の暮らしを伝えている。しかも、どちらも根っからの大阪人ぽく、ボケとオチがあるんだよなあ(~_~;)。
映画を見に、十数キロの道のりを自転車で二人乗りして出かけたり。
終戦時は、飛行場から川に突っ込んで捨てられた零戦?のプロペラを切り取りに行った話とか、今ならマニア垂涎の部品をぶんだくっている。
戦後は鹿児島まで、砂糖の買いつけに窓ガラスのない汽車で出かけている。購入した半分を家族で食べてしまったが、残りを売ると十分利益が出たらしい。
ところで、母屋は、戦争中の道路拡張で半分削られて、さらに移動させられているのだが、それでも築100年を超えている。見れば、床の間の柱は天然絞と皮つき赤松である。
この辺では、一番古い家屋となったらしいが、震災があっても最後まで建っている家、と言われている。
なぜなら、使われている木の太さが違う。
これは大黒柱。リフォームのせいで見えづらくなっているが、相当の大径木だ。
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80年前のおはなしとは!
まるで浦島太郎の世界ですね。
それにしても、まるで博物館にしたい住宅ですね。
私の母親の家は、富山県南砺波市にありましたが、散居村の家でした。大きな大黒柱や梁がありましたが、今はなくなりました。大きな散居村住宅は、今では息子や娘が都会に出てしまい空き家だらけだそうです。
散居村ミュージアムには、典型的な住宅模型が残ってます。
投稿: しゃべり杉爺 | 2013/07/22 23:37
こちらもごくフツーの古い家です(笑)。
改築もしているから、昔と変わってしまったところも多いのだけど、いくつかの点に昔を偲ばせます。
散居村ですか。こちらの方こそ価値ありますね。しかし、維持するのは大変だろうなあ。
投稿: 田中淳夫 | 2013/07/22 23:43