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本の紹介

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2013年7月

2013/07/31

伝統工芸はマーケティンクから生まれる

伝統工芸。そう聞いてどんな商品イメージを持つだろうか。

私の場合、「古臭い」だ(笑)。伝統がついている時点で、時代遅れの、手業は素晴らしいのかもしれないが、今となっては必要なくなり廃れかけているもの。郷愁で存続させようとしているもの。

それなりに田舎各地を回っていると、結構な伝統工芸品と出会う。木製・竹製なり陶器なり染織なり、地元の素材を活かしてつくった日用雑貨・民具類。これらグッズは、自給自足的に自ら使う道具として生み出されたものの、熟練の技でつくられたものは機能美を備え、やがて芸術作品に昇華するものも現れる。

民具のような手仕事の日用品の中に「用の美」を見つけ出した柳宗悦とかバーナード・リーチの民芸運動などを思い出す。

が、なぜ美を求めず機能を突き詰めたら美しくなったのか。そして「伝統」と言えるほど持続した生産が行われたのか。

そんなことを考えている中で行き着いたのが、「水口細工」だ。

以前も、くず蔓細工として紹介したが、滋賀県甲賀市水口(みなくち)で江戸時代よりつくられていた民具的雑貨のことである。素材や作るものは時代により少しずつ移り変わるが、基本、植物のクズアオツヅラフジの繊維を元につくられる。

この歴史を追うと、意外な進歩の過程が浮かんできた。

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まずは、見てほしい。

なかなか瀟洒なデザインである。細工もきめ細やか。

今風でもあるし、ちょっと洒落ている。これを「伝統工芸」なんて古臭い(^^;)言葉で呼びたくなくなるほど。

品の種類は箱を中心にかなり幅広く、さまざまな用途の雑貨類がつくられた。さらに模様もさまざまだし、デザインに幅がある。


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これなどは、陣笠?だが、ほかにテンガロンハットみたいなものもある。何より曲線を描いた編み物は技巧的にも優れている。

ほかにイースター・エッグの入れ物やキャンデーボックスまで作られていた。……写真撮るのを忘れた(>_<)。




イースター? キリスト教の? と疑問を持つ人もいるかもしれない。

そう、水口細工は、一般には江戸時代よりつくられ始めた(歴史をどこまで遡るかは難しい。正倉院まで遡る説もあるほどだ。)が、宿場町で土産物として人気を博した。そして明治以降も発達し、どうやら昭和初期まで続いたようだ。

そして海外に輸出までしている。歴史的には、シーボルトが記録に残し、大正時代にはウィーン万博に出展し賞を授与された。注文は海の向こうから来たのだ。だから洋風のグッズやファッションデザインも取り込んでいるのだろう。

それが戦後はパタリと姿を消し、今や作り手がいないどころか、つくる素材は何か、どのように加工するのか、編み方はどうなのか、まで謎になった。「幻の伝統工芸品」になったわけである。

それはともかく、水口細工は、元から売り物として生産された。利益を生むから手間隙かけてせっせとつくり、また作り手もデザインを工夫した。結果、長く生産が続き「伝統工芸」になったのだ。

そこにはマーケティングの意識もあったのだろう。海外で求められる雑貨は何か、どんなデザインを異人さんが好むか。悩んで開発したに違いない。当時は情報源も乏しかっただろうが、それでも舶来の品を見たり、洋行帰りの人の意見を聞いたり……(想像)。

「商品」になったからこそ、作られ続けた。他人の目にさらされ、売れ行きをのばすためにデザインや機能性に工夫したからこそ、人気を呼んだ。そして洗練された作品となった。無骨なままの「伝統工芸品」とは一味違う。

ここで牽強付会するが(^^;)、今の日本の林業は「無骨」な自給自足的民具のレベル。買い手・消費者のニーズを汲み上げていない。お洒落な水口細工の域に達しないと持続的な伝統産業になれない。

……ま、お洒落になって一度は世界中に羽ばたいた水口細工も、結局は滅んだんだけどね(⌒ー⌒)。

なぜって? そりゃ、大量生産をたくらんで……×××(以下、略)、ようするにマーケティング・ミスだな。

2013/07/30

皆伐はどのくらいの広さから?

鹿児島の次は宮崎を訪れたのだが、そこでは同行者がいた。

ドイツの大学の林学科に入学し、1年後にスウェーデンでも勉強し、来月からまたドイツの大学の博士課程に進学する……という人。(えっと、日本人です。)

思わず質問責め(~_~;)。同時に日本の林業事情も伝える。情報のバーター取引です。

ドイツを中心とした中央ヨーロッパの林業は、基本的に択伐方式である。ところがスウェーデンなど北部ヨーロッパ諸国の林業は皆伐方式が多い。

日本はドイツ林業を真似る(いや、学ぶと言っているが)はずなのに、皆伐は今も主流だ。どこでねじれたのだ? ただスウェーデンの林業の方が日本と似ているところもあって(土地所有や単一樹種林が多いとか森林組合に相当する組織があるなど)、なかなか一筋縄には行かない。

そこで気になっていたことを尋ねてみた。

スウェーデンの皆伐とは、どのくらいの広さで実施しているのか。

まさか日本のように100ヘクタールを越えるような大規模皆伐はやっているまい。が、平坦だから土壌流出や山崩れの恐れは少ないし、10や20ヘクタール単位でやっているのか?

が答は「1ヘクタールから3ヘクタールくらいですかね」

がーん。1ヘクタールって、日本の基準だと皆伐と呼べるのだろうか(苦笑)。

いったい「皆伐」とは、何平米以上を指すのか定義はあるのだろうか。列状間伐でも、4列以上を伐ったら、幅10~20メートルになり、それで長さ500メートルやれば1ヘクタールくらいになる。

私は、皆伐否定論者ではない。択伐もよいが、技術的に難しく人材育成の手間もかかる。また搬出なども効率が落ちる。だから次善の策としての皆伐もありだと思っている。技術的にはかなりやりやすくなるうえに、皆伐後は、そこが草原となり生態系の多様性を増す効果も認められる。
だから1ヘクタール暗いの小規模皆伐地をモザイク状に配置する群状皆伐(間伐)、帯状間伐、漸伐、画伐……などと呼ばれる方法が現実的ではないか。わりとすぐに転換できる技術だし、生物多様性にも寄与できるできるなら世間の納得も得やすい。

……と思っていたのだが、なんのことはない、世界的に皆伐とはその程度なのね。

いかに日本の大面積皆伐が異常か。。。ロシアと張り合う?

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宮崎の日南市で見てきた皆伐地。相変わらずやっている。

これは小さい方だが、一区画何ヘクタールあるだろうか。

まだ最近らしく、ズタズタに刻まれた作業道が生々しい。

2013/07/29

竹林家から考える規模と質の関係

ようやく、鹿児島の竹林家の続き。

この竹林の棹には、みな数字が書き込まれてある。

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その中の一本。

書かれた通り、その竹が伸びた年月が記されている。

代表的なものは、このとおり詳しく、そのほかのものは数字で平成何年に伸びたものか描かれていた。

すべて、である。

これは、伐採するために区別がつくようにしているのだそうだ。5年目の棹は、伐採しなければ次のタケノコの出が悪くなる。伐ったものは、チップ工場に持っていくと買い取ってもらえる。竹のチップは製紙用だが、若竹では軟らかすぎてうまく切れないらしい。古くカタイ竹が、竹チップに向いているのだ。
もちろんタケノコ収入がメインだろうが、このチップ用竹出荷も結構な収入になっている。なんたって7500円/トンである。これに地元の自治体の補助がトンあたり1円ある。言い換えると、キログラム当たり8・5円。太い竹は、一本で20キログラムくらいあるから、これは大きい。自ら軽トラで運べば、コストはかからない。

ほかにも田畑は持っているから、米や野菜は自給して、一部は出荷できるだろう。つまり農家の持つ竹林は、タケノコとチップという商品を生み出す源泉だ。年間数百万円を稼ぎだす。

しかし、手間だろう……この竹林の手入れが入念に施されていることは前回も触れたが、これほどていねいにしていたら、生産コストが上がるのではないか。

そう思って面積を聞いたら、「50アールほど」。意外と狭い。

「竹林は3、4ヘクタールあるけど、全部はできないから、道に近いこの辺だけに絞って世話している」

ああ、と思った。そうなのだ。便利なところだけ手を入れる。それも狭い範囲で。

これを林業に当てはめると、便利な場所にある狭い林地に絞って、手入れを入念にする。そのことで木材単価を上げるとともに、細かな用途にも対応した材の出荷を心がける、といった仕組みになる。

たとえば早掘りタケノコのような高級材をつくるとともにさしずめ水煮用タケノコように、細い間伐材や曲がった木も変木として出荷したり、あるいは竹チップのごとく安くても寸法や色などをきめ細やかに小ロットで出すことで利益を積み上げる。

ただし、そんな手間のかかることは広い林地全部を対象にはできない。せいぜい数ヘクタールまでだろう。それも適地だ。住居から近くて、地形も緩やかで、林道作業道が入った土地。これなら低コストになる。小規模だが、商品アイテムを増やしても、需要に応えられる。そして毎年少しずつ収入がある。

そうすれば、総収入は決して少なくならない。

数ヘクタールの林地というのは、日本の大多数の林家の所有森林面積だ。それも山奥ではなく、人里に近い里山の可能性が高い。

ここに日本の小規模林家の生きる道があるのではないか。所有地が狭い、を逆手に取って、高く売れるもの、小ロットの需要に応えるものを生産する。そして自伐であるから低コスト。持続的な林業も営めるし、森づくりの楽しさも得られるはず(脱線するが、伐採するだけの自伐林家なんか、どこが楽しいの?というのが私の個人的感想。木を育て、自分なりの景観を生み出す森づくりするのがもっとも魅力じゃないか)。

量で勝負する林業は、集約化や機械化が欠かせない。しかし、高価な機械を導入すればコストは上がる。一方、質の林業は、自らの目を配れる範囲でやるのが理想的だろう。

そのヒントをさつまの竹林家で得たのである。

2013/07/28

ヤフーニュース「日本人は木が嫌い? 「木育」の背景を考える

ヤフー!ニュース(個人)に、

日本人は木が嫌い? 「木育」の背景を考える

を執筆しました。日本は「木の文化の国」と胸を張るにはお寒い実情と、「木育」が生まれた事情を記したものです。

え? 昨日の記事に「続く」をつけていたのに、続編はどうしたって?

忘れてください(笑)。

書きます。竹林家の続きを。そのうちに。

2013/07/27

自伐竹林家

鹿児島で訪れた農家。ただ主の名刺には「竹林ファーマー」とあったから、竹林家と呼ぶのがふさわしいだろう。

さっそく所有の竹林を案内してもらう。

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美しい……。実にきめ細やかに整備されている。

実は、鹿児島は日本で有数の竹王国。タケノコ生産で福岡と日本一を競っている。

昨年は一位だったとか。



竹林家に尋ねると、なんと10月には早掘りタケノコが出荷できるのだそうだ。さすが鹿児島!

秋タケノコである。そして11月から1月にかけては竹棹を出荷する。これは5年もので製紙チップにするのだ。ちょうど5年ものはタケノコの出が期待できないので、伐らねば竹林が若返らない。それが有価物になるのだからオイシイ。

そして2月より本格的なタケノコ出荷。3月末からは硬くなるので加工用に出荷する。水煮などして保存する商品だ。それが4月末まで。その後はまだ竹棹を伐採・出荷するが、田畑が忙しくなる季節だし、夏は暑いからあまり作業はしない。竹林整備(肥料散布など)を心がけて秋に備える。

……見事な竹の商品サイクルだ。全部自分でやるから、さしづめ自伐竹林家。5年で回るのだから自伐林家より優秀だ(笑)。それも竹林で伐採して玉伐りしたら、作業道までするすると落ちていく仕掛けになっていたり、階段状に竹林地を刻んで、機械を入れるのを楽にしたりとよく工夫されている。収益も高いのである。

おかげで里山の竹林整備が進んでいる。これは鹿児島全体に言えることで、タケノコ出荷が今も盛んなおかげで、山が美しく保たれている。

もともとタケノコを主とした竹農家は近畿圏に多かったのだが、いまや中国産タケノコにやられて放置状態となり、山が竹に浸食されているのと真逆の展開となっている。

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主の三腰さん。定年退職してから竹林ファーマーになったのだそうだ。年齢は、おそらく70後半なのだが、全部一人でやっているという。

が、私はこの竹林ビジネスから林家に応用が効かないかと連想したのは、ちょっと違うことだった。

続く。

2013/07/26

書評『梅棹忠夫』

昨日まで、鹿児島~宮崎と回ってきた。結構な強行軍だったが、そこで読んだのが、

梅棹忠夫 ー「知の探検家」の思想と生涯』  山本紀夫著 中公新書

いやあ、よかった。これが旅のイチバンの成果か(^^;)\(-_-メ;)

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梅棹忠夫は、2010年7月に90歳で亡くなっている。つまり、3年経ったわけだ。

著者の山本氏は、国立民族学博物館名誉教授。

梅棹氏本人に、「最後の弟子」と“認定”されていたそうだ。


ただ、本書は評伝ではない。あくまで梅棹氏の研究、とくにフィールドワークに絞った活動を中心として人物像を描いている。それが、私には心地よかった。

もちろん、私にとって梅棹忠夫は、高校時代からのファン(正直にいうと、最初に読んだのは梅棹氏の息子エリオ氏の『熱気球イカロス5号』だったが。)だから、彼の生涯は断片的に知っている。が、こうして通して読むと、その偉大さがよりよく伝わる。

最初は登山を通じて今西錦司の弟子として頭角を現し、ポナペ島探検に大興安嶺探検を行う。後者は最後の地理的空白地と呼ばれた大森林地帯の踏査である。とくに後者は戦時中(1942年)に行ったんだから凄い。そして探検内容も、改めて凄い。(凄い内容は省略。)

ちなみに、大興安嶺探検の隊員は14人だが、梅棹とともに別動隊となったメンバーの中に、土倉九三がいる。土倉庄三郎の孫である。彼は、後に「京都探検界の黒幕」と呼ばれるのだが……(略)。

その後、モンゴルからヒマラヤ、アフガニスタン、さらに国内、アフリカ、ヨーロッパと戦後の歩みが追われ、「文明の生態史観」や「情報産業論」など、世間から30~40年早い提起、そして国立民族学博物館創設……と続く。それらを通して昆虫少年が植物、生態学、民族学へと進化する過程は、ゾクゾクする。途中にオタマジャクシ数万匹を飼って「数理社会学」にも足を踏み入れていたことは、ちょっと笑えたが、やはり凄い。

このところ私は、執筆する内容に行き詰まっていた。何を書くべきか・どのように表現すべきか迷い、少々鬱ぽかった。本当に書きたいことは、取材という名の聞き書きなんだろうか、という疑問も出ていた。現場を「見る」「聞く」そして「まとめる」のではなく、「考える」に昇華したうえで書かないと、違った方向に行くように感じていた。情報を得るというのはステップに過ぎない。
そんなうだうだした惑いが、この本を読んで少し晴れた気がする。

私も、山岳部から探検部へと進み、生態学に憧れるという道のりを経ている。ボルネオも行った。ソロモンにも行った。少数民族の村で生活した。そして今は情報産業の一角で、森林と人の関係について悩んでいる。梅棹氏の歩みと比べてスケールは極小かもしれないが、共感しつつ希望を与えられた。ただ知力・行動力ともに劣り、性格的にも本流を歩けなかった私は、今もくすぶっているのだけれども。

さて、旅で得てきたものを整理するか……。

2013/07/24

今日は宮崎

本日は陸路宮崎入り。
でも、ほとんど山のなか。

いろいろあったけど、また改めて報告することもあるでしょう。

2013/07/23

大人の?工場見学

大人の?工場見学
今日は鹿児島まで飛んで、工場見学。

サウナ並の熱気。
猛烈な騒音。
鼻をつく臭い。

わざわざ借りて着替えた服がじっとり濡れる。まったく緑はなく、錆の浮いたタンク。縦横無尽のパルプ。うなるベルトコンベア。

これですよ、これ。これこそ大人の工場見学。

読むだけよりも、聞くだけよりも、見る。五感で感じる。経験もするといいんだけど。

ただ、このあと「考える」がないと、大人になれないよ。今晩は、温泉入って「考え」よう。

2013/07/22

森林総合監理士の研修テキスト

昨日で参議院議員選挙も終わった……と思ったら、実はとある試験の日だったらしい。

それが森林総合監理士試験。なにこれ?と思うが、ようするにフォレスターの筆記試験である。あれ、これ までフォレスター、准フォレスターと繰り返し呼ばれていたが、正式名称は、こんな名前だったのか。

そう思って林野庁のサイトを当たると、日本型フォレスターとして「森林総合監理士」(フォレスター)という表現が。なんだかややこしい。もしかして、政権交代の影響か。民主党がフォレスターとばかり表記していたのに反発して変えたのかも……。

森林総合監理士(フォレスター)は、平成25年度からの認定を目指しています。それまでの間については、都道府県や国の職員など、一定の研修(准フォレスター研修)等を受けた者が市町村森林整備計画の策定等の支援を行うこととしました。この研修を終了した者が「准フォレスター」ですが、市町村への支援等の実務経験を重ね、将来の森林総合監理士(フォレスター)の候補として期待される人材です。     

邪推はこれくらいにして、内容を読む。読めば読むほど、これは林業普及指導員の横滑りであることがわかってくる。そもそも国と県と市町村の担当者以外が受験することもできないし、業務もない。資格試験も、林業普及指導員のエンチョウ。

そんでもっんて、どんな研修をしているのか、探る。

すると、こんなテキストが。

准フォレスター研修基本テキスト(平成24年度版)http://www.rinya.maff.go.jp/j/ken_sidou/forester/index.html

1冊全部読める。

パラパラ目を通した。いろいろツッコミどころが見つかってオモシロイ(笑)。

なかでも注目したのは、最終章の「コミュニケーションとプレゼンテーション能力」だ。これはフォレスターに限らず、もっとも必要な能力だろう。そう言えば、昨年訪れたスイスのフォレスター学校でも、「森林コミュニケーション」のカリキュラムが多く、またもっとも重要?とか言っていたっけ。

で、このテキストは、まるでファシリテーションのハウツウ書か、訪問販売の営業マンのマニュアルを写したみたい。でも、まあ、内容どおりできたらいいんだけど。

しかし、次の1項は……。

相手の発言は傾聴し、また共感を示しながら事前に描いたストーリーに導きます。

事前に描いたストーリーがあるのかよ。導くのかよ。

このストーリーに関しては、「相手の認知度(例えば間伐や専用道)や、関心の示しどころ
を想定し、強調点や山場、印象に残る結びをイメージして主題をスムーズに理解させるストーリー
」と説明されている。

コミュニケーションは、基本は目の前で展開するもので、想定台本があるわはとうかと思う。相手の反応・反論そのほかに瞬時にウケなければ、相互的なコミュニケーションにならない。先に想定(ストーリー9を作ることは危険でもある。

これは、数をこなさなくちゃ仕方がない。天性の才能の持主もたまにはいるが、通常は数をこなして身につけるもの。いや、それだって才能がいるかもしれないが……。

私が、記者として取材を積み重ね出した頃を思い出す。いかに記事にする情報を聞き出すか、試行錯誤したのだ。ハウツウ書もなく。マニュアルもなく。

ツッコむ。ボケる。ヨイショして持ち上げてオトす。たまには怒らせる。怒鳴り合う。笑って見限る……。丁々発止だ。集中力もいるし、緊張もいる。疲れる。

もちろん、私なりのノウハウもある。たとえば「そうですね」と「そうですか」の2種類の相槌をいかに使い分けるか、とか。ノートを閉じてから本音を聞き出す手法もある。

そんな駆け引きがオモシロイ時期もあったが、だんだん聞き書きが面倒になってきて、自らが見たり体験することをそのまま書けないかと思うようになってきた。

が、最近は、取材自体が面倒になって来て、誰かが取材しているのを横で聞いたり見ていて、後でメモをもらうのが好きになってきた(^^;)\(-_-メ;)。

ただ先に考えたストーリーに固執してはダメだ。最低だ。想定した記事に取材を合わせるのは、いわば犯人でっち上げの冤罪みたいなものだろう。演繹法、帰納法どちらでも、得た事実に合わせるのが基本である。

ともあれ、フォレスター、もとい森林総合監理士をめざすなら、ペーパーテストの先に実際に経験を積み上げてほしい。

2013/07/21

80年前の昔話と大黒柱

今日は、一周忌と親族の食事会。

父88歳とその兄92歳の家族が会食。

これが最後、と言い続けて実現したが、会えば元気に話し続ける。

しかし、話題の多くが自分たちの子供の頃の話なんだが、80年前……。
ここまで昔だと、「年寄りの繰り言」の域を越えて、オーラルヒストリーになる。昭和初期の暮らしを伝えている。しかも、どちらも根っからの大阪人ぽく、ボケとオチがあるんだよなあ(~_~;)。

映画を見に、十数キロの道のりを自転車で二人乗りして出かけたり。

終戦時は、飛行場から川に突っ込んで捨てられた零戦?のプロペラを切り取りに行った話とか、今ならマニア垂涎の部品をぶんだくっている。

戦後は鹿児島まで、砂糖の買いつけに窓ガラスのない汽車で出かけている。購入した半分を家族で食べてしまったが、残りを売ると十分利益が出たらしい。

ところで、母屋は、戦争中の道路拡張で半分削られて、さらに移動させられているのだが、それでも築100年を超えている。見れば、床の間の柱は天然絞と皮つき赤松である。

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この辺では、一番古い家屋となったらしいが、震災があっても最後まで建っている家、と言われている。

なぜなら、使われている木の太さが違う。


これは大黒柱。リフォームのせいで見えづらくなっているが、相当の大径木だ。





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こちらは梁だが、この太さは……。

2013/07/20

裏山の生きもの

考え事をして、裏山をほんの少し歩いた。

と、急にヘンな動物が飛び出してきた。出てきた茂みを見ると、もう1匹いる。

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おや、これはタヌキか。

が、なんかおかしい。

で、近づくと、逃げもせずにうずくまっている。

日の当たるところにタヌキがいるのもおかしいし。

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病気らしい。下半身の毛がほとんど抜けている。疥癬か?

身体も弱っている様子。泥だらけだし。

そういや、先に逃げ出したのは毛がほとんどなかったような……。

裏山で何か起きているんだろうか。

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さらに先に進むと、アリジゴクの群生地を見つけた。

底でもぞもぞと動いている。

このすり鉢状の穴にアリを放り込む……ような残酷な真似はしません(笑)。


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よく見ると、足元にキノコも群生している。

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裏山を歩くと、それなりの生きもの事件簿が広がっているなあ。

2013/07/19

ヤフー「ゼロ・エミッションの林業~老林業家の嘆き」

ヤフー!ニュース個人に、「ゼロ・エミッションの林業~老林業家の嘆き」を執筆しました。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakaatsuo/20130719-00026519/

最近、「昔(の林業)はよかった」的話がよく出るので、ならば直球を(笑)。

ノコギリによる伐採、皮むき、木馬挽きや筏流しなど、昔の林業再現の記録をやったが(それは2010年秋~2011年の冬だった。東日本大震災の直前直後だったんだ、と今頃振り返る)、やってわかる過酷な仕事。

もっとも、森と人がそこそこ対等に向き合えた最後の時代かもしれん。そして、「森の恵は、みんな商品化する」という林業の本分に近い仕事だった頃の話である。

2013/07/18

奈良のシカ商法

奈良市内で見かけた自動販売機。

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この販売機で缶ジュースなどを購入すると、奈良の鹿愛護会に寄付金がわたるそうだ。

奈良の鹿愛護会は、奈良公園のシカの保護や調査を行っている財団法人。妊娠中のシカや怪我をしたシカ、ときに人に危害を及ぼしたシカなどを保護・隔離している。秋の恒例行事、シカの角きりも主催していたんじゃなかったかな。

収入は、観光業者などからの寄付のほか、シカせんべいの販売などを行ってまかなっていたはずだが、慢性的赤字で、一時は存続が危ぶまれたほど。

というわけで、飲料メーカーなどを巻き込んで自動販売機を利用した寄付を得る方法を開発したらしい。誰が考案したのか知らないが、なかなか面白いアイデアだ。寄付されるなら……と缶ジュースを購入する人がどれだけいるかわからないが、イメージアップにはなる。

それはともかく、私の感じたのは「奈良のシカ」には、こうしたブランド力があるんだなあ、ということ。そういや、奈良のしかクリップなんてのも発売されている。観光土産にも、シカをモチーフにした商品が目白押し。

近鉄奈良駅に近いひがしむこう商店街にあるダイソーには、シカの角カチューシャが年中売っているのも、知る人ぞ知るトリビア(^o^)。正確には、トナカイの角であって、クリスマス用のカブリモノなのだが、奈良のシカ人気で売れるのだろう。しかも100円!

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無理やり引きのばして、かぶっていた人の気持ちを慮って顔の部分をカットした、シカの角カチューシャ写真。


意外な奈良の地域力なのかもしれない。

2013/07/17

バイオマス発電は混焼に限る

世間で、今も注目を集める林業的話題といえば、バイオマス発電。

山で持て余されている木材を燃やして発電しよう! という短絡発想なんだが、本ブログでは繰り返し馬鹿にして……いや、否定してきた。

その理由は、コスト問題や資源量問題、価格問題、そして熱利用でなく発電に走るオソマツさ……などいろいろあるが、何も完全否定しているわけではない。上記の悪条件をクリアできるのなら、木材燃やして発電してもいい。でも、条件の合う発電方法とは?

一つは、製材所や製紙工場、チップ工場など、もともとバイオマスが集まってくる施設に付属させた発電所だ。これは、少なくてもコスト問題はクリアできそう。どうぞ推進してくださいませ。ただし、燃やすほど量が確保できるかな?

行き着いたのが、混焼発電だ。木材だけ燃やそうとするから、無理が出る。むしろ通常の火力発電所のボイラー(多くが石炭。それに重油や天然ガス)に木材も混ぜて燃やせばいい。ただ石油系液体燃料やガスの燃焼装置に固形の木材(チップなど)は入れづらいだろうから、対象にすべきは石炭火力だろう。

と、考えていたのだが、なんと、ちゃんと実験されていたのである。それは、新エネルギー導入促進協議会が実施した「林地残材バイオマス混焼発電実証事業」という。全国6カ所の火力発電所で行われていた。

「木」を使って大規模発電、石炭火力と共存可能 http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1307/10/news075.html

詳しくは、この記事を読んでいただきたいが、基本的な目的はCO2削減らしい。が、しっかりバイオマス混焼発電の可能性を追求している。結果は2%くらいの混焼は問題なく、3~5%も視野に入れているらしい。

もう一つの可能性としてゴミ発電も指摘しておきたい。ゴミ焼却場にボイラーを設置して、そこで温水と発電を行うものだ。ただゴミの量は変動する。そこに木質バイオマスを投入して安定した燃焼を行えるようにできないか。

実は、拙著『伐って燃やせば「森は守れる」』(1999年刊行)でも、取り上げている。本書では、日本でかなり早い時期に林業と関連したバイオマスエネルギーの可能性を紹介したと自負しているのだが、そこで提案したのがゴミ焼却場の発電所改造だったのである。(コジェネレーションの一環だけど。)

混焼発電を突き進めれば、木質バイオマスで無理なく発電できる。何らかの事態(量の確保が難しくなったとか、出力が落ちるとか)には、バイオマスを止めて石炭だけに切り換えれば解決する。つまりバイフューエル発電ということ。これなら安定運転の面からも、非常に信頼できる。

何より、新しくバイオマス発電プラントを建設せずに済む。バイオマス燃料の林地残材を集めるコストが安くなるわけではないが、建設コストがわずかなボイラー改良だけで済むなら、抜群のコストダウンである。(FITの価格設定は、建設コストまで積み上げている。)
そもそも2~3%の混焼なら、高価格のバイオマス燃料の負担もそんなに大きくならない。発電元の吸収努力に期待するか、電力料金に反映させるにしても、現実的だ。

もっとも、それがネックなのかもしれない。

なぜなら、現在バイオマス発電を必死で推進している方々は、ようするにプラントを建てたい、税金目当てのコンサルやゼネコン、そして連なる官僚とお見受けするからだ。建設後、数年でバイオマスの調達に行き詰まり、海外から燃料用木材を輸入するか、赤字を垂れ流して税金による補てんを当てにしたあげくに閉鎖する未来像しか描けないのだが、建てることに意義がある! から先は考えないのだろう。

ともあれ、せっかく混焼発電の実証実験まで行ったのだから、ぜひ現実化してほしいものである。おそらく全国の石炭火力が本気で混焼を始めたら、それだけで林地残材は底をつくように感じる。そうなれば、バイオマス利用こそ林業を救うと信じている人々も溜飲を下げるだろう。

2013/07/16

世間と「業界人」

ふと目に止まった日本農業新聞の記事。

http://www.agrinews.co.jp/modules/pico/index.php?content_id=22207

“里山ガール”活躍 千葉 林業女子会が整備作業 (2013/7/14)

 森や林業に興味を持つ東京都や近県の女性グループ「林業女子会@(アットマーク)東京」が13日、千葉県市原市東国吉地区の里山で森林整備活動を行った。会員13人が参加し、慣れた手つきでチェーンソーや刈り払い機を操ってヒノキや杉を切り倒し、下草を刈り取った。都会では感じられない森や緑の雰囲気を楽しみながら汗を流した。


内容はどうでもいいと言ったら失礼かもしれないが、とくに目立った内容ではない。ようするに「林業女子会@東京」が活動したということなのだが、ここでタイトルに「里山ガール」と入っていることが気になる。

実は、林業女子会@京都が初めて新聞に紹介された時も「里山ガール」と見出しに掲げられた。

なんか、おかしくないか。林業女子と名乗り、会の名前にもしているのに、あえて里山ガールと記すことに。

そもそも、林業女子会を立ち上げる際に、「林業が好きな女性たちを何と呼ぶか」と考えて、流行りの森ガールなどに触発されたものの、ガールでは軽い、また森や森林より林業そのものが好きなんだ、という主張をこめて「林業女子」となった経緯がある。

また活動場所は、上記のように市原市の国吉地区が里山なのかどうかは知らないが、「スギやヒノキを切り倒し」 とあるのだから、人工林なのだろう。森林ボランティア的な活動ではあるが、少なくても舞台は雑木林ではない。

それでも、里山ガール。これは彼女らが自称したのだろうか。フツーに考えてオカシイだろう。

やっぱり、記者(もしくは整理記者)の偏見というか、感覚が反映されているのではないか。もしかしたら「林業女子」なんてダサイから、今風な呼び方考えてやったよ、というノリなのかもしれん。

……ま、里山ガールなんてのも、相当ダサク感じるが。ただ、林業女子よりマシ?

こんな子細な話題を持ち出すのは、このところ森林・林業界と人と、世間一般人との乖離は、かなり深刻なのではないか、と感じるからだ。

先のセミナーでも、国産材住宅を建てる工務店の顧客でも、国産材どころか木材を意識して家を建てる人は皆無、もしくは極めて少ない、という話が披露された。また、会場からも「間伐材」という言葉さえ知らない学生の話が出た。

そう言いつつ、話題はディープな業界情報へと向かうのであったが(~_~;)。それは、参加者の大半は、少なくても心理的に業界人であるからだ。川上(山元)よりか、川中(製材)よりか、川下(建築)よりか、それとも森林・林業ファンかはともかく、みんな森・林・木に愛着を持っている。だから楽しげに業界話をする。

が、その思いは、世間からかなり乖離している。

一般人は、森林や林業や木材にほとんど興味を持っていない。嫌いか好きかではなく、意識に入っていない。そりゃ、森の写真を見せたら「きれいだ」「癒される」なんて口にするかもしれないが、上っ面(~_~;)。もちろん知識もほとんどない。学ぶ気もない。

だから、森のことを伝えましょう、というのも無理がある。たしかに森に引っ張りだしたり、知識を伝えたら、何割かは森に興味を持ち出すかもしれないが、それと行動は別だ。高くてデザインが冴えない木の家なんぞ、買わない。ましてや伝えても興味を持たない人の方が絶対多い。……そんな人たちの前で、楽しげに林業のことを語ると、きっと引かれてしまうだろう。

いわば、アニメオタクを気味悪げに見る一般人と同じ視線? アニメ自体は嫌いではないが、オタクの話にはついていけないよ、的な感覚ではなかろうか(⌒ー⌒)。

……それを前提に引いた目で業界全体を見る癖をつけないと、きっと「世間の中の森」がわからなくなる。

  

 

2013/07/15

アヤ情報~林業を巡る旅

先のセミナーに関して、一つご報告。

本来はこんなところに書くべきことではないのだが、まあ、これまで「~べきではない」ことばかり書いてきたのも事実だし、気にされている人も少なくないようなので……。

今年3月に姿を広島から消したナカシマアヤ嬢が参加されました。

現在、長野に滞在中だそうです。と言っても、永住するわけではなく、旅の途中ということで。

誤解のないように記しておきますが、彼女の行方は私もセミナー直前までまったく知りませんでした。私が秘密を握っている、なんてことは全くなかったのであります。だから、私に行方を尋ねてもわかりませんってば。

たしか2月に「これから旅に出ます」とだけ聞いた……。ま、これからも旅を続けるのでしょう、林業を巡る旅を\(^o^)/。

実は私も、「林業って何?」という(思索の)旅に出ておりまして、その内容の一部を今回のセミナーで披露したのだけど、それはどちらかというと時間的。アヤ嬢は空間的に現場を回って実践しているのね。

2013/07/14

セミナーは、くまモンのいる風景

昨日の、『だれが日本の「森」を救うのか』大阪セミナー、無事終了しました。

最近は、セミナーの前に撮影大会にあることが多い(^o^)のたけど、負けずに壇上から撮影するのが私の流儀。

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顔があんまりわからないように、小さくしておこうか。




90人超の参加者がいらっしゃった。驚きは、近畿圏に限らないこと。わかっただけでも長野、岐阜、福井、静岡、愛知、広島、愛媛、高知、福岡、熊本……このセミナーだけのために?来てくださったのだ。感謝感激。

その割には、私は役立たずのこと話しましたが(-_-)。



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これは、パネルディスカッション前。





セミナーの出来? 木にしている、いや気にしている人もいたけど、私は、どうせ役に立たないことしゃべったから、木にしない、いや気にしない。多少は笑いがとれたから、それで満足なのさ。(大阪出身者のサガ)

でも、くまモン。実は何人(何匹?)もいたこと、知っていた?

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こんなカワイイくまモンも生息しているらしい……静岡に。

2013/07/13

今日のセミナー

今日のセミナー
今日は大阪でセミナー。

林業および木材業界関係者がどっと集まった。クマモンも参加していた。

2013/07/12

ヤフーニュース「森林ボランティアが進める?森の少子高齢化」

ヤフーニュース個人に、「森林ボランティアが進める?森の少子高齢化」を執筆しました。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakaatsuo/20130712-00026358/

まあ、以前から唱えていたことを改めて考察したものですが、実は森林ボランティアが関係しているのはわずかな面積で(ただ、大木好きとか技量の問題など象徴的な意味合い)、本当は林業そのものの問題です。

間伐は何を目的に行っているのか、どんな基準でやっているのか。
私は現場に通って林業を教わったとき、「林業は間伐にあり」と、現場の人に言われました。それほど難しい、いや意味深い行為であったはずなのに、世間全体では画一的作業として扱われ、結果的に森林を劣化させているのではないか……と思えています。

2013/07/11

「使う森」「護る森」、そして「住む森」の喪失

月曜日から怒濤の葬儀で間が空いたが、先週の金曜日(7月5日)の朝日新聞に、作家の高村薫が寄稿している。

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タイトルは「地に足をつけて」。

サブに
踊る言葉に背を向けよ
「どう生きるか」という
意志と選択が問われる

もう一つ、写真ではカットした部分に
土の匂いに根ざすアイデンティティーを


参議院選挙に向けてのオピニオンの体裁は取っているが、内容は目先の事象から遠く広く進み、しかも深い。森林地帯の現状と将来を考察している。

なお,最初に触れておくと、高村氏はとくに森林や林業、山村問題に詳しいわけではなさそうだ。参考文献としているのは、文中にある太田猛彦著の「森林飽和」である。が、考察は、事実関係にとどまらずそこから敷衍される未来を示す。

まず太田氏の示す「使う森」「護る森」の概念を元に、山の緑に新しい荒廃の姿を読み取らねばならない、としつつ、
これは単純に林業や山村を再興させれば解決する話なのだろうか」と問いかける。そして、紀伊半島の大水害を例に、深層崩壊も、それ自体は自然現象であり、たまたま人がそこに住んでいるために脅威になるに過ぎない、と指摘する。
さらに、そこに住む人の暮らしがあるから崩れた道路などを復旧させる。「私たちが必要とする限り、暮らしは必ず興る」。仮に移転となっても、土地の記憶が身体に染みついているのだ。

そして、「使う森」「護る森」はまだしも、「住む森」はいずれ消えていく運命にあるのだろう。

急速に進む高齢化や人口減と、都市の暮らしとのアクセスが簡単になった現在、「住む森」を守るのは簡単ではない、いや、現象として森の中の集落が消えるのは不可避かもしれない。

しかし、海外の農耕地などを収奪しつつ、国内で40万ヘクタールもの減反・放棄を行っているのが日本なのだ。

さて、住む森は守れるか。あるいは、住む森をどこに求めるのか。

深い。難しい。すぐに結論は出ない。……参議員選挙が終わってから考えるか(笑)。

2013/07/09

教会の日々

日曜日に、春から音信不通の親戚の消息を尋ねる。

月曜日に行方がわかった(ホスピス)ので、すぐに見舞いに行く。

ところが当日の朝から容体悪化。私の訪問時に息を引き取った。最後に会えてよかった? しかし、前日まで話ができたというのに……。なぜ、もっと早く消息を調べなかったのか。

昨夜から葬儀の準備、今夜は前夜式(キリスト教の、通夜のこと)。

明日が告別式となる。

こう見えても、昔は教会に通っていた時期もある(私の通っていた教会で葬式も行われる)のだが、いまや教会に足を運ぶのは葬式ばかりになってしまった……。

というわけで、しばしブログもお休み。

2013/07/07

旧道セラピー

生駒山を歩いた。奈良側から暗峠に続く道。

ただし、旧道である。暗越えはハイカーが非常に多い。そしてクルマも通る。国道ならぬ酷道と呼ばれるほどの道だが、近道でもあるので、結構な交通量なのだ。

私もいつもはクルマで登ることが多いのだが、ちょっと森林セラピー(笑)。

ただし車道ではなくシャドウ、いや旧道を選んだ。今は地元の農家ぐらいしか通らない。いや、草ぼうぼうのところを見ると、通る人は希少なようだ。

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が、こんなところを歩くと意外な発見がある。

まず、いいかげんに進むと途中で道が消える(°o °;)。オイオイ

そうなんだよ、遭難だ。(泣)

が、がむしゃらに登ってなんとか突破した。

道は,とくに旧道は土地の記憶だ。ため池。水場。棚田の痕跡。田畑や山の所有境界線であり、かつて何万人と通った人々の息づかい、そして沿線の人々の営みを時空を越えて感じさせる。

それを感じる。読み取る。ハイキングや森林セラピーによくある、自然ばかりにこだわるのではなく、空間の歴史を見つめるのだ。
それができれば、単に歩く散歩やハイキングにとどまらなくなる。土地の記憶を潜り探る旧道ダイバーであり、それは旧道セラピーになる。

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ふと、横を見ると、木の下に蜂の巣箱があった。

これは養蜂家のものではなく、地元のニホンミツバチ用の巣箱だろう。

過去ではない、営みも見つけられるとホッとする。

2013/07/06

壁面木化~大阪木材会館

大阪市西区。心斎橋より西へトコトコ歩くと見えてくる、不思議なビル。

今度は、大阪木材会館だ。

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見たとおり、道路に面したビルの壁面一面に木材が張られている。

それも、横板あり、縦板あり、格子あり。

垂らされたノボリ?に書かれてあるとおり、これは壁面木化という。

なんだかパックワーク。

素材はみんなスギとヒノキだという。これはデザインにもなっている。

同時に実験でもあるようだ。産官学で行っている「都市のヒートアイランド化を防ぐために木装が役立つかの実験をしている。壁面緑化ならぬ壁面木化なのだ。

使った木材は、サーモウッドという処理をされているが、みな無塗装。今後、どんな変化が現れるかも実験項目らしい。

わりと本格的な実験だ。効果も出ていて、表面温度をコンクリートと比べて最大7度下げたという結果も出た。

……具体的な効果はともかく、このビルの構造や中は、先の大阪木材仲買会館と比べて、まったく変哲もないフツーの雑居ビルである。
もちろん、内装に木材はほぼ使われていないし、薄汚れた(^^;)コンクリートの壁面と廊下だ。

つまり、新たに木装ビルとして建てられたのではなく、もともとあるビルを木装化することを前提にしているのだ。

しかも植物の世話が大変な緑化ではなく木化だから、手入れは比較的楽。仮に木材の壁面が傷んでも、新たな板と交換すれば済む。

そう考えれば、より現実的な都市の木装化であり、都市熱対策になるだろう。そして、新たな木材需要も生み出すことができる。

木材利用に関して斬新なデザインや技術もいいけど、すぐに真似られるローテクもいいんじゃない?

2013/07/05

2015年問題・閉鎖ゴルフ場の行く末

ヤフー!ニュース個人に、投稿しました。

「2015年問題・閉鎖ゴルフ場の行く末」http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakaatsuo/20130705-00026214/

書いているうちに、主題が変わるという、なかなかの優れもの(^^;)。

2013/07/04

魅せる!大阪木材仲買会館

大阪の新しい木造建築物を紹介しよう。

大阪市西区にある大阪木材仲買会館である。大阪木材仲買協同組合の建てたオフィスビルだ。

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今年3月完成。

3階建てのコンクリートと木造の複合構造をしている。

肝心なのは、耐火集成材「燃エンウッド」を使っていること。
いわゆる木造ビルへの足掛かりにしようと開発されたものだ。

表面の燃え代層と、モルタルによる燃え止まり層を挟み込んだカラマツ集成材だ。

が、専門的な木造構造は別として、建築素材としての魅力は全館にわたってこだわった見せる部分だ。

たとえば、玄関を入ってまずは、

Photo


これは、銘木展示壁

ヒノキの格子に20数種類の銘木の板が張られてある。

展示とともに、耐震壁にもなっている。

が、これだけではない。



会議室の壁は、こんな状態。

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この黒い部分は、和紙なのである。和紙に墨汁で染めたとか。

では、細く伸びた木の部分は何かというと……。





拡大すると、こんな感じ。わかるだろうか。

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細かな筋が入っているのが見えるだろう。小さく尖った山が列を作っている感じ。

これは、材と材をつなぐフィンガージョイントをそのまま壁にしてあるのだ。これは、吸音効果も上げるという。

まあ、ほかにも様々な意匠が凝らしてあって、それを発見するのが面白いほど。

全部紹介しきれないが、最後にこんな窓を。

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不思議なすりガラス……。

よく見ると、木目が。

これを木オニキスガラスというそうだ。

かんながけした屑のような透けて見えるほと薄い木材を、二重ガラスの間に挟み込んだものなのである。なんとも凝った品……。

これらの施工は、竹中工務店。腕によりをかけて、木材の可能性を追った建築だと感じる。単に耐火耐震などの木造ではなく、木材によるデザインにもこだわったようだ。

たしかに和風ではない、現代風の木造建築を演出したかのようだ。木造建築ファン、必見。

2013/07/03

天然無垢の銘木と古材

昨日は、大阪南港のATC(アジアトレードセンター)に行って、森林セラピーの講演・シンポジウムを行っていたのである。

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これは、禁断?の、講師席からのセミナー会場撮影。

参加者には、森林セラピストも多かったようだが……。

実は、私が見つけた意外なものは、別の階。

このATC、いわばバブルの遺産で広大なオフィスビルが空いていると言えばいいが、そこになぜか家具関係のショップや展示会場が多く入っている。広くても家賃が安いのだろうか。

なかにはチーク家具の専門店とかヨーロッパのキラキラ家具もあるのだが、もっとも広いのが大塚家具。フロア2階分貸し切り状態。ここを会員制の展示室にしているらしい。見学したい人は受け付けへ、とあったので入って受け付けを探したが見つからん。そうこうしているうちに、目的のものを見つけたので、よしとした(笑)。

実は吹き抜けのエスカレーターからチラリと見えたのだ。

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天然無垢材の展示コーナーである。

主に広葉樹材の家具と、無垢材の天板そのものが並んでいる。

幅1メートルくらいあるケヤキやタモなどの板が並ぶ。

で、一番高いのが、198万円……。ほかも数十万円である。

いまだ、こんな銘木が売られていることに驚いた。

実は、大阪の都心から西に向かうと、家具屋の集まった地域(オレンジストリート)がある。

かつてそこには銘木屋が並んでいたのだが、最近はどんどん姿を消している。過去、そんな店で見せてもらった逸品はどうなったのだろうか。

しかし、なかには面白い家具屋もあった。

古材家具を扱っているのだ。家具のアンティークではなく、古材を使った新作家具である。なかには色褪せているだけでなく、ペンキがついていたり、へこんだり臍穴のある材をうまく家具にしている。聞けば、木造船などの材を再利用しているとか。

それがミョーにステキ。天板だけ古材で足は鉄材だったり、わざと色違いを模様にしたりと斬新。。価格も無茶に高くない。海外では古材家具は流行っているというが、日本にも広がるか。そして古材こそ、これからの銘木になるかもしれないと感じた。

2013/07/02

ウォーターフロントで森林セラピー

ウォーターフロントで森林セラピー
今日は大阪のウォーターフロント、南港。帆船を眺めて海の時間……。

じゃなくて、森林セラピーのお話。森林ジャーナリストはつらいよ(^^;)。

2013/07/01

林業の本質は、シーズからの商品づくりにあり

先日、本ブログで記した「「神宮の森」はニーズからの商品づくり 」。

ここで触れた将来木施業などから広がった論争? が、別のところで行われている。

そして、実はこの項目には続きがあったのだ。それなりの間合いを計って記す予定だったが、そろそろ書こう。もちろんテーマは、林業の本質は「シーズ」からの商品づくりである。

シーズとは、種。この場合、素材のことと思えばよい。技術やアイデアのような、まだ固まっていないがモノになりそうなネタも含む。ニーズが必要とされるもの、つまり求められる需要を指すのに対応した、一種の対語になるだろうか。

一般の商品開発では、ニーズを探ってそれに合わせて商品を生み出すのが王道だ。現代社会はモノにあふれているからだ。消費者の潜在的な願望に応えるものや足りないものを見つけて供給すれば、売れるわけだ。
神宮の森は、遷宮時に必要となる木材というニーズに合わせて、森づくり(木材生産)を行う。それが将来木施業のようになっている……と記した。

だが、樹木を相手にする限り、その生産には年月がかかる。そして人の時間では、何十年もまてない。その間に人間社会も経済もすっかり変貌してしまう。神宮のような、1300年続く儀式は例外で、通常の林業界ではニーズからの商品づくりは無理じゃねえ? というのが、前回の趣旨だった。

ならば、どうするのか。

そこでシーズに注目する。何十年何百年前から育てられた木が、今目の前にある。これがシーズだ。育てた人や期間は、これを何に使おうというニースはなかったか、あっても夢想レベルだった。実現するかどうか、保証はない。

だが、現代の人間は、シーズという素材を加工して売れる商品にすべきなのである。ニーズに応えるようにするのである。シーズは変わらない。変えるのは人の手によってだ。無理にシーズを変えようとして、木目の詰まり具合や節をあるなし、あるいは太さや木質に文句をつけるのは、無駄なあがきというか、素材に対して失礼だ。あるものを活かすべきだ。

それが、樹木を相手にした林業の本来のあり方ではないか。

思えば、すべてのものづくりには、ニーズとシーズがつきまとう。食品や工業製品なら、ニーズから挑むのもよいだろう。辛いお菓子が求められているとニーズを発見すれば、辛いお菓子を作ればよい。しかし、ニーズを求めても無理、あるいはニーズに沿ったものづくりはしたくない、というケースもあるのではないか。

たとえば、私の扱う商品=記事もそうだ。読者のニーズに沿って書けば、ある程度の売れ行きは保証される(もちろん、読者の琴線に触れるニーズを見つけるのはむずかしい)。しかし、書きたくないのである。他人が求めている、つまり予定調和な記事を書くのは面白くない。

外資が日本の森を買っているぞ、警戒せよ! と書くのは世相のニーズに合っているかもしれない。が、事実関係というシーズに則していない。私はシーズから書くことを本分としているから、残念ながら書けないのである。

逆に「私が興味を持つもの」というシーズは、世間のニーズと合ってないらしい(^^;)。森林とか林業なんかに興味を持つ人は少数派だろう。しかし一般に興味をもたれないシーズを、なんとか世間の潜在的ニーズに触れるように書こうとしている。これがシーズの加工であり商品づくりである。

ま、成功しているとは言い難いが……。私もシーズをもっと売れるようにする加工の仕方を研究しないといけないな。。。。(-_-)。。さもないと、干からびるよ。。。(>_<)。。

と、ともあれ、ニーズを探して商品開発するだけでなく、シーズからの商品づくりも大切なのだよ。

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