書評『梅棹忠夫』
昨日まで、鹿児島~宮崎と回ってきた。結構な強行軍だったが、そこで読んだのが、
『梅棹忠夫 ー「知の探検家」の思想と生涯』 山本紀夫著 中公新書
いやあ、よかった。これが旅のイチバンの成果か(^^;)\(-_-メ;)
梅棹忠夫は、2010年7月に90歳で亡くなっている。つまり、3年経ったわけだ。
著者の山本氏は、国立民族学博物館名誉教授。
梅棹氏本人に、「最後の弟子」と“認定”されていたそうだ。
ただ、本書は評伝ではない。あくまで梅棹氏の研究、とくにフィールドワークに絞った活動を中心として人物像を描いている。それが、私には心地よかった。
もちろん、私にとって梅棹忠夫は、高校時代からのファン(正直にいうと、最初に読んだのは梅棹氏の息子エリオ氏の『熱気球イカロス5号』だったが。)だから、彼の生涯は断片的に知っている。が、こうして通して読むと、その偉大さがよりよく伝わる。
最初は登山を通じて今西錦司の弟子として頭角を現し、ポナペ島探検に大興安嶺探検を行う。後者は最後の地理的空白地と呼ばれた大森林地帯の踏査である。とくに後者は戦時中(1942年)に行ったんだから凄い。そして探検内容も、改めて凄い。(凄い内容は省略。)
ちなみに、大興安嶺探検の隊員は14人だが、梅棹とともに別動隊となったメンバーの中に、土倉九三がいる。土倉庄三郎の孫である。彼は、後に「京都探検界の黒幕」と呼ばれるのだが……(略)。
その後、モンゴルからヒマラヤ、アフガニスタン、さらに国内、アフリカ、ヨーロッパと戦後の歩みが追われ、「文明の生態史観」や「情報産業論」など、世間から30~40年早い提起、そして国立民族学博物館創設……と続く。それらを通して昆虫少年が植物、生態学、民族学へと進化する過程は、ゾクゾクする。途中にオタマジャクシ数万匹を飼って「数理社会学」にも足を踏み入れていたことは、ちょっと笑えたが、やはり凄い。
このところ私は、執筆する内容に行き詰まっていた。何を書くべきか・どのように表現すべきか迷い、少々鬱ぽかった。本当に書きたいことは、取材という名の聞き書きなんだろうか、という疑問も出ていた。現場を「見る」「聞く」そして「まとめる」のではなく、「考える」に昇華したうえで書かないと、違った方向に行くように感じていた。情報を得るというのはステップに過ぎない。
そんなうだうだした惑いが、この本を読んで少し晴れた気がする。
私も、山岳部から探検部へと進み、生態学に憧れるという道のりを経ている。ボルネオも行った。ソロモンにも行った。少数民族の村で生活した。そして今は情報産業の一角で、森林と人の関係について悩んでいる。梅棹氏の歩みと比べてスケールは極小かもしれないが、共感しつつ希望を与えられた。ただ知力・行動力ともに劣り、性格的にも本流を歩けなかった私は、今もくすぶっているのだけれども。
さて、旅で得てきたものを整理するか……。
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