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森と林業の本

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2013/07/11

「使う森」「護る森」、そして「住む森」の喪失

月曜日から怒濤の葬儀で間が空いたが、先週の金曜日(7月5日)の朝日新聞に、作家の高村薫が寄稿している。

Img016


タイトルは「地に足をつけて」。

サブに
踊る言葉に背を向けよ
「どう生きるか」という
意志と選択が問われる

もう一つ、写真ではカットした部分に
土の匂いに根ざすアイデンティティーを


参議院選挙に向けてのオピニオンの体裁は取っているが、内容は目先の事象から遠く広く進み、しかも深い。森林地帯の現状と将来を考察している。

なお,最初に触れておくと、高村氏はとくに森林や林業、山村問題に詳しいわけではなさそうだ。参考文献としているのは、文中にある太田猛彦著の「森林飽和」である。が、考察は、事実関係にとどまらずそこから敷衍される未来を示す。

まず太田氏の示す「使う森」「護る森」の概念を元に、山の緑に新しい荒廃の姿を読み取らねばならない、としつつ、
これは単純に林業や山村を再興させれば解決する話なのだろうか」と問いかける。そして、紀伊半島の大水害を例に、深層崩壊も、それ自体は自然現象であり、たまたま人がそこに住んでいるために脅威になるに過ぎない、と指摘する。
さらに、そこに住む人の暮らしがあるから崩れた道路などを復旧させる。「私たちが必要とする限り、暮らしは必ず興る」。仮に移転となっても、土地の記憶が身体に染みついているのだ。

そして、「使う森」「護る森」はまだしも、「住む森」はいずれ消えていく運命にあるのだろう。

急速に進む高齢化や人口減と、都市の暮らしとのアクセスが簡単になった現在、「住む森」を守るのは簡単ではない、いや、現象として森の中の集落が消えるのは不可避かもしれない。

しかし、海外の農耕地などを収奪しつつ、国内で40万ヘクタールもの減反・放棄を行っているのが日本なのだ。

さて、住む森は守れるか。あるいは、住む森をどこに求めるのか。

深い。難しい。すぐに結論は出ない。……参議員選挙が終わってから考えるか(笑)。

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