教会の日々
日曜日に、春から音信不通の親戚の消息を尋ねる。
月曜日に行方がわかった(ホスピス)ので、すぐに見舞いに行く。
ところが当日の朝から容体悪化。私の訪問時に息を引き取った。最後に会えてよかった? しかし、前日まで話ができたというのに……。なぜ、もっと早く消息を調べなかったのか。
昨夜から葬儀の準備、今夜は前夜式(キリスト教の、通夜のこと)。
明日が告別式となる。
こう見えても、昔は教会に通っていた時期もある(私の通っていた教会で葬式も行われる)のだが、いまや教会に足を運ぶのは葬式ばかりになってしまった……。
というわけで、しばしブログもお休み。
« 旧道セラピー | トップページ | 「使う森」「護る森」、そして「住む森」の喪失 »
「森林学・モノローグ」カテゴリの記事
- 賀茂川のキショウブ(2022.05.27)
- 大楠と、怪しい樹齢(2022.05.25)
- 「大睡蓮」を見てきた(2022.05.22)
- 伊能忠敬(2022.05.21)
- 河川敷の木は伐るべき?(2022.05.13)
コメント