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森と林業の本

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2013/08/06

森の言葉~地木結合論にもどれ

また覚書。

森林の扱い方の思想を追いかけていると、ステキな言葉が次々と登場する。

もっとも大胆で強烈なのは、やはりゲーテだろう。

自然は常に正しい。もし誤るとしたら、それは人間が間違えたからである」。
いわゆる森林ロマン主義の根幹的思想だ。

そして、ゲーテに影響受けたコッタは、

森づくりは、なかば科学、なかば芸術である
コッタ自身は林学者として、森林からいかに持続的に利益を生み出すかを考えたのだが、その根底にも自然への畏怖を感じていたかのようだ。そして森林有機体説を唱えていた。

コッタの義弟でもあるケーニヒは

最高の状態にある森林は、もっとも美しい
森林は国土のもっともよい装飾である

前者は、メーラーの「もっとも美しき森は、もっとも収益多き森である」に通じる。
また森林美学を提唱したザリッシュも「技術的合理性のある森は最高に美しい」ときた。

そして登場したのがガイヤー。

自然に帰れ」だよ。
自然の法則に従い、自然の生産力を利用することを基本としたのだ。

森林官だったパイルにいたっては

愛が森林を育てる」。。。(@_@)
愛がなければどんな豊富な林業知識も十分ではない

ヨーロッパの人ばかりではなく、日本の森林観を表す言葉も探そう。

「農業全書」を著した宮崎安貞の言葉。

尽地力説」。適地適木、適地適産が大切とする。

熊沢蕃山は「山と水の融合、一体化により荒廃を防ぎ、森林の恵を享受できる

野中兼山は「人間の営みは、自然が行うことを補完することだけである

そのほか多くの東洋哲学的な言葉があるが、決め手は

地木結合論」。
これは明治30年に日本最初の森林法が制定された際に、日本の古来の森林観をまとめた言葉だ。
気候と土壌、地勢などの自然条件に合致するようにさまざまな樹種の森林を育て、また伐ってこそ土地の生産力を最大に活かせるという意味を込めているらしい。

なんだ、現在もこれに従えば自ずから林業のあり方が浮かぶではないか。というか、今の林業のあり方、森の扱い方は、随分この原則から離れたものだ。

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森林学・モノローグ」カテゴリの記事

コメント

そのような物言いではありませんでしたが、自分なりの言い方で今の状況(その時は3年前)に異を唱えた時に、「あんたは、これまでの経緯を知らないままに言っている。林業者の生活を第一に考えて、国土を守るための手法」というお説教を(複数の方に囲まれて)さんざんされて、洗脳されるところでした。
今の私は、現行の国の制度の中でも、ある程度まともな山を作っていけないものかと、林業家や林業者と話をしています。現場がちゃんと方針を持てば出来るのではないかとも思います。

私の印象だと、林業関係者も「これまでの経緯」をほとんど知らないことが多い。せいぜい戦後の数十年程度。それもバブルの時代だけ。
近自然林業を親の仇のように嫌って、皆伐が正しいと思い込んでいる人もいるし。

こつこつ歴史を追うと、西洋も日本も、同じような森の思想と政策を持っているものです。

「自然は常に正しい。もし誤るとしたら、それは人間が間違えたからである」

農業への着手、林業への着手は間違えではなかった。
着手操作を間違えました。

自然の修復力(潜在生命力)に気づかず想像も想定もしないで欲するまま収奪を繰り返したのです。

そして今も。
花粉症という反動から学べない都会人が増え続けています。

修復力の物差の例を北海道大学のグループが報告していますが、普遍性のある物差づくりが課題です。

田中淳夫コンセプト─人は自然を「破壊」して学ぶ。
どうれば最適破壊の本質に気づけるのか・・・

自分の森意識をもって森づくりする人口を増やすことにより理論智より価値の高い体験智を拡大する中に答えがあるのです。

国も県も、我々市町村職員も現場の林業家、林業者が「自分の」方向性や方針をもって山をやっていくようにしていくのがいいと思っています。そういう風に持って行くのを仕事とする。
その基本的部分を市町村森林整備計画にしっかりと明記をして、「現地では」具体的に伝えていく。現地で話をすれば割とわかってもらえたりするものです。
スギ林の下層植生の後退(閉塞とシカ)、植生の回復が思うようにいかないこと、広葉樹が比較的多い場所との鳥の鳴き声の多さの違い、ヒノキ林のサツバツさ、クマのかわはぎ、手入れをしてきた人工林の美しさ、生育のいい人工林の勢いと気持ちよさとみずみずしさ・・・・。

所有者もしくは委託を受けた人が、みんな森をじっくり見て、条件を活かした施業法を選べばいいんだけど、実際問題、そこまで行う人は少ない。
せめて、行政などが森の条件から取り得る選択肢をいくつか示して、選ばせるくらいはしないといけないかなあ、と感じています。今は、画一的に一つの方法だけを示し、無理やりやらせている気がする。

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