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2013/09/24

美術館の経営を考える

大阪に出た帰りに、中之島の東洋陶磁美術館に寄った。

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中之島を臨む。向こう岸の茶色い建物である。こうして見ると、なかなかおしゃれなウォーターフロントになってきた。

この東洋陶磁美術館は、中国・朝鮮などの陶磁器のコレクションで有名である。

と言っても、実は私は中国や朝鮮の陶磁器はあまり好きではない。とくに高麗青磁は好みではない。どうしても、その良さがわからん。白磁はいいのだが……。ま、それでも目の保養になるかもしれんと思って入ったのだ。

この美術館の展示物は、企画展もあれば寄贈品もあるが、基本は安宅コレクションである。

年配の方はご存じかもしれないが、かつて日本の財閥の一角を占めた総合商社・安宅産業の会長が収集したものである。私物化した会社の金で買い集めたと言っても過言ではないだろう。

そして1977年に破綻するのだが、その際には「安宅コレクションがある」と言われたものだ。つまり、このコレクションを売却したら、負債を返せる……という意味だったらしい。まあ、それほどコレクションの価値は高いという意味か。

以前、職員に「ほかの美術館だったら、企画展で一つ展示するだけの国宝級の作品がいくつも常設展示されている」と聞かされたことがある。

ともあれ、それだけの陶磁器を散逸させないように、ということで、安宅財閥の解体の際、本体は伊藤忠商事が吸収したが、残存財産を引き受けた住友グループらが工夫して、コレクションを大阪市に寄付し美術館を建てたというわけだ。

ともあれ、たしかに逸品ぞろいで、また美術館の設備も工夫を凝らしている。自然光による鑑賞コーナーなんてのもある。陶磁器は自然光に限るのだ。

しかし、金がかかっている。ついでに言えば、職員は何人いるんだろう。維持費は年間いかほどか。

入場料は600円のところ、節電中なので割引480円とのことだった。いくら鑑賞客が来ても、維持費にはるかに足りるまい。つまり、市立ゆえ成り立つ美術館なのである。

同じことは、全国の国や自治体の美術館・博物館、そして図書館にも言える。
民間では単体で収支を合わせることは不可能である。たまに会社や個人の美術館的なものもあるが、それは本業で稼いでいることが前提である。また百貨店などの展覧会も、入場料で元を取ることはできない。あれは客寄せ効果を狙っているのだ。

今の大阪市大阪府は、文化・教養が大嫌いな首長をいただいているから、果たしてこの手の施設に、いつまで税金を支出してくれるかわからない。そのうち大阪から文化施設は全部民営化しようとするかもしれないが、そうなると、ほぼ維持できないだろう。

文化・芸術というものは、パトロンがいて維持するのが常態なのだ。画家も彫刻家も文芸作家も、本業で食っていくのは不可能に近い。文芸雑誌なども、単体で維持できるわけがない。

文化事業は、「(生活費は出してやるから)好きに作品をつくりなはれ」というパトロンがいて、維持されてきた。日本は、戦後その手のパトロンになれる財産家がほとんど壊滅してしまった。金持ちはいるが、教養がないのだろう。

代わりに税金にお任せだ。しかし、自治体はパトロンになれない。主体がないからである。個人の目、感性を備えない役所が、芸術を審査し左右するのはオカシイだろう。美術館の維持のために税金を投入するのが、適正と納税者にいつまでも認めさせる力がないと、いつか首長が打ち切り宣言をするかもしれない。

さて、ここで森林経営について考える。

実は、森林経営も単体では採算が合わないことは、美術館経営と同じかもしれない。昔から、山主は別の事業で稼いだものがパトロン的に注ぎ込むものだった。豪農、あるいは酒や醤油の醸造家、旅籠主……などの経営者が、山林投資を行ってきた。

ただ林業は何十年周期に材価が暴騰する時期があったので、その時に稼いだ金を別の事業に投資することも保険となる。今の林業家の中には、景気のよい時期に稼いだ金で不動産や株、あるいは新規事業などに投資しており、今はそこで稼ぎだす金で林業不況を乗り切っているケースも少なくないだろう。そういや、林業家から百貨店オーナーとか銀行設立まで行ったケースもある。

土倉庄三郎は山林事業だけで、そうした分散経営によるリスクマネージメントをしなかったから、失敗したとも言える。

いずれにしても、森林を扱うのは、長期経営の視点とパトロン的な気概がないとできないことだ。蓄えなしに林業経営をしていると、どうしても目先の利益を重視せざるを得ない。

そう考えると、林業界はいかにパトロンを呼び込むか考えないといけない。ただし、それは補助金という名の税金ではないはずだ。補助金は生活保護みたいなもので、荒れた森林をマシにします、というのが限界だ。最低限の下支えにしかならない。せいぜい「二酸化炭素を固定します」「治山の役目を果たします」程度。

本気で林業に投資したくなるには、どうしたらいいか。

やっぱり森林の文化的価値を高めないといけない。美しい森をつくって、機能ではなく文化を磨くことではないだろうか。
安宅コレクションのように「この森なら守りたい」と市民や企業に思わせることではないか。素晴らしい森があったら、これを伐採して目先の金に換えさせないように企業も自治体も市民も納得して金を出す。

美しい森をつくったら、パトロンになろうと言い出してくれるかもね。

以上、美術鑑賞しながら考えたことでした。

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コメント

森林の文化的価値について思うことは、何人かの山主と話をしていて、山側自体がその意識をもっているかどうかということも、大事なことなのかもしれないと思ったりします。
「木が安くなっちゃってさー」といいながらも、ちゃんと手を入れ(自分でやる場合と委託や請負でやる場合の両方共)る山主がいる一方で、経済面でしか捉えていない、あるいはそれすらも頭になくなっている人もだんだんと増えているように感じます。
そう言う意味では、森林認証で言うところの、「環境、社会、経済」という捉え方はFMをイメージ付ける要素を端的に表していると思います。
私は小さな町の職員ですので、町の森林整備計画を策定する作業で、「市町村森林整備計画は、グラウンドデザインだ」と位置づけられていることを体験していますし、今回の間伐特措法一部改正で特定間伐促進計画の再策定をして個所付け作業をしましたけれども、どう考えても森林の文化的価値まで思案した計画にすることはできていないわけです。
そういう中でも、計画を作っていく作業中には、ごくごく一部の部分的な山については、林業家や森林組合事務系職員と「こういう山にしていこう」という話ができたりします。森林の文化的価値を全体的に高めていくには、それぞれの地域がコツコツ山仕事をして、価値を作り上げていくしかないのだろうなあと、思います。人が携わる作業なくして価値を上げることなどないはずですから(原生林で保全林は除く)。HCVFにおいても、直接的にだけでなく間接的にも人が価値を高める、あるいはわざわざ位置づけをして価値をつけていくわけですから。

世の中の、特に森林に関わっている(仕事している)人々が『森林及び森林に携わっていること』の魅力を(真剣に、心底から)発信すべきだと思います。だって、

拠ると触ると『やれ林業は大変だ、3Kだ、儲からないetc・・・』。何だか、文的価値云々以前です。

森林に関わると損をする、==『森林所有貧乏』的なイメージがあります。こういう事も払拭して行かないと、パトロンの出現は難しいかと。

> ただ林業は何十年周期に材価が暴騰する時期があったので、

↑この部分、とても気になるところです。
内戦、大火、震災、戦争などで、短期間でも需要が供給を上回る
現象が50年に一度くらいの頻度で継続的に発生しないと、
成り立たない産業なのではないかと自分も思っていたので。

「文化的価値」というと難しくなってしまうかもしれません。
ようは、実利的な価値ではなく、心に響く価値。なくてもいいけど、欲しくてたまらなくなるもの。たとえばフィギアとかアニメグッズに執着するような価値もその一つ。絵画も音楽もそう。競馬の馬主もそう。そして森林に置き換えると、やはり美しさ、景観かな、と。
森林に、そんな価値を見つけないと、パトロン的投資家は現れません。

材価の暴騰は、これまではたしかにあったのです。戦争がなくても、相場の張り具合で大きく上下した。でも、いまは高くなったら、外材や非木質素材に逃げますから、あんまり上がらない。
これまでの「山師」的取引で儲けることは難しいでしょうね。

むしろ安定価格で食って行けるシステムを築かないと。

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