追伸「里山資本主義」違和感の正体
先に「里山資本主義」の評を記したが、ちょっと追記。および連想した別の感想。
前記では、なぜ外材を使って集成材を作っている(そして、その副産物で発電したり木質ペレットをつくっている)銘建工業が、「里山」なのか。立派なグローバル経済の一員ではないか、と感じた旨に触れた。またCLTの製造は装置産業であり、サブシステムになるどころかメインシステムの一角だろうと考えるのだ。
同じく、オーストリアでは、マイヤーメルンホフという巨大製材所は、所有する森林3万ヘクタールから年間130万立米の木材を供給する、とある。そりゃないだろう。130万が製材か原木かはっきりしないが、3万ヘクタールから毎年供給できまい。
必要な原木は、どこから集めているのか。オーストリア全体の木材生産量は2000万立米前後ではないかと思うのだが、そこから1社に130万? おそらく輸入材も扱っているのだろう。
……またもや重箱の隅をつつきたいのではない。
おそらく執筆者にとって、これらの数字は所詮はサブシステムなのだろう、と気づいたのだ。言い換えると林業そのものが産業界のサブシステム感覚。
鉄鋼やコンクリートなどのマテリアル産業、あるいは原子力や火力発電のようなエネルギー産業と比べて、林業はとるにたらない、忘れられつつある産業。だから、それを見直すことがサブシステムになるし、産業の小さな「里山」なのだ。
執筆者には、林業は知られざる世界だったのだろう。だからオーストリアなどで巨大産業になっていることに驚いた。これだ! と感動した。「革命だ」と叫ぶほど興奮したのではないか。そして希望を見出した。ついでに言えば、林業界ではバイオマス発電が話題になっているが、実は世間ではほとんど知られていない。だから、バイオマス発電とか木質ペレットを紹介すること自体が、新しい情報提供になるんだろうな。
そう理解すると、本書の違和感が払拭される。
しかし、林業を成り立たせる背景には森林が必要だ。そして森づくりと維持は、甘くない。
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