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森と林業と動物の本

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2013/10/17

私が林業にときめかなくなった理由

今日は大学生(4人)が訪ねてきた。

環境経済学のゼミで林業を取り上げる、とのこと。林業衰退の理由、国産材の売れない理由を聞きたいという。そして何か(国産材を売るための)提案をしたい、とか。

そこで、どんな過程でこのようなテーマに行き着いたか聞いてみると、

最初は水だった。それが水源涵養機能としての森林となり、森林を健全にするためには林業が大切とわかり、林業振興のためには国産材が売れないといけない……と気づいたのだそうだ。

ここで私の回答?はさておき、この流れを聞いて、私は既視感を持った。同じ流れで考えるケースは結構多いではないか。
たとえば水だけでなく、生物多様性を保つためには森林の整備が必要で、それを林業振興を通して行う……。あるいは山村地域の活性化のためには地場産業の振興が必要で、それは林業だろう……。アプローチは違っても、経路をたどって林業振興に行き着き、林業をよくするためには木材が売れるようにすることと気がつく。

それって、林業家も学者も政府も、山村振興の担当者も言っていることだ。最近では森林関係や地域振興関係のNPOなど一般市民も口にする。実は、私も以前はそうした論法を振りかざしていた。

実際、それを政策にすると、国産材の供給を増やす方向に向かう。国産材を使ってもらうために、補助金を手当したり、公共事業で優先的に使用することを義務づける。
すると林業現場は、どんどん伐採と搬出作業が増えて活性化する。製材現場も大型化が進んで、大量の木材を加工するから活気が出るだろう。また間伐面積も増えるから、理論上は森林整備が進んだことになる。
国産材も、以前よりは売れだした。木材自給率は回復基調だし、国産材商品を目にする機会も増えた。

では、肝心の現場では、それらの効果で活気とやる気があふれているだろうか。

残念ながら、そうは思えない。話を聞いてみると、伐っても伐っても、出荷しても出荷しても、儲かった実感がない。材価は下落して利が薄いからだ。下手すると赤字だ。たまに利益を上げている事業体もあるが、そうした現場は低コストを意識して乱暴な施業となることが多く、林業の持続性に疑問がある。

仕事が増えたようでいて、補助金目当ての無意味な作業ばかり。間伐したら、残された木は傷だらけの劣勢木になり、森林も貧相にしてしまった。
製材工場も大規模化を進めたところは儲かっているしもしれないが、中小はむしろ廃業が相次ぐ。木をていねいに使おうとする業者は効率が悪いから利益は出にくい。

……どんどん働くモチベーションもインセンシティブも下がっているように思う。もちろん森林の健全化になっているかどうかも怪しい。

「林業栄えて、山村滅ぶ」「大手栄えて、現場はやる気喪失」「整備面積の数字増えて、森林まさに荒れんとす」「刹那的利益を求めて、子孫に美林を残さず」状況が広がりつつあるのではないか。

ああ、これかもしれない、と気がついた。最近、林業に魅力を感じなくなったのは、こうした誤算を生じたからではないか。
林業が活性化すると、山村の人々も喜ぶし、森林も豊かで美しくなる、と信じて林業世界に足を踏み入れたのに、現実は別の方向に向かっていることの失望を無意識に感じていたのではないか。森と人を結ぶ最大の接点のはずの林業が、森も人も不幸にしている面があると思い始めたために、ときめかなくなったのかも……。

学生には、「原点にもどって考えよう」と指摘した。何のために国産材を売りたいのか。量を捌くのが目的ではないはずだ。森と人を豊かにするための林業と、木材の売り方を考えるべきではないか、と。

これは、私自身の課題だな。

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コメント

森づくりという大きな世界と、その中に存在する林業というビジネスの違いが出たという気がします。うちに来た林業女子も、その辺の葛藤はあったようです。

改めて「就森」概念を深く考えるべきかもしれませんねえ。。しみじみ。

伐採も森づくりの一部にすぎないのに、この作業だけが肥大化している林業の現状がおかしいのかもしれない。

今長野県主催の森林・林業セミナーを受講していますが、まさにおっしゃっているような虚しさが、回を追うごとに襲ってきます。
公益性と収益性と持続性の3つが揃わなければ、どんな事業も虚しいと感じてしまいます。

セミナーぐらいは理想を追ってほしい(~_~;)。

三者択一ではなくバランスが大切ですが、それでも公益性あっての林業だと思うのです。

「整備面積の数字増えて、森林まさに荒れんとす」
まさに自分の住んでいる地域(岐阜県)でもこの状況が進んでいます。
低コストを意識して乱暴な施業がまかり通り、間伐した後には軽トラも通れない道が残るだけとなっています。作る前には10tトラックが通れる道にするなんて言ってましたが・・・
排水もいい加減なんで雨が降るたびに土砂が流れ出て、山が荒れてゆきます。

じゃ、どうすればそれを変えられるかを語り合いたい。そして誰が実行持って変えられるのか?行政がすべきことは・・・。

 話長くなりそうですが、きちんと膝交えてやらないといつまで経っても猫の目政策は続きますからね。

 

どんな乱暴な間伐でも行えば、森林を整備したことになる……この形骸化というか、目先の項目(仕事)だけを追うから、目的を忘れてしまう結果になっています。間伐後、本当に森林が健全化したのかどうかは、現場を見ればわかるのに。

やはり原点にもどって目的を思い出す心構えが必要でしょう。制度も、目的を達したか検証する工程を入れないといけないですね。

間伐その物が目的となって居ますよね。更に、大規模施策林業や、高性能機械化林業とか、・・・もう、そんなのはうんざりです!!

『森林に人の手を入れて何かを得るために』・・・を目的とするのが本筋かと。だから、先にあげたことは『目的のための手段』だと。

森林整備も里山・里地整備も人ごとみたいです。→『○○の為に(都会人の)私達が手を差し伸べて、やって上げるよっ!』・・・これではだめだと思います。

本気の人が『移り住んで、生活しながら施業をする』、この姿勢が正解だと、私は思ってますし、『実践中』です。
(以上、憚りながらの意見ですが、これはここのブログを通して得た知識を元にした『結論』でもあります。)

やっぱり「就森」を一般化して、林業と森づくりが違うことを訴えないといけませんね。森づくりをしたい人の就職先が伐採業か森林組合しかないという点も、何とかしたいのですが。。。

林業と森づくりが違う、というより、「本来の林業」は、森づくりも包含すると考えるべきかと思います。もし森づくりから経験していれば、最後の収穫として伐採することに嫌気はささないのでは……。また伐採が森づくりちつながる面もあると言えます。

そして「就森」は、まさに森に関わる仕事全般に就くことを示した概念として考えたい。
伐採<森づくり<本来の林業<森仕事と位置づけましょう。

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