新島襄と板垣退助の間には……
引っ越し準備、佳境です(~_~;)。
さて、簡単に。
『八重の桜』を見ていたら、板垣退助の「岐阜遭難」、つまり暴漢に襲われて「板垣死すとも……」と叫ぶ名シーン。そして、怪我をした板垣を、知り合いでもないのに見舞いに行ってミルクセーキを作るエピソードが登場した。
新島襄は、大学設立の嘆願に板垣を頼ったというわけだが、本当に押しかけだったのか?
実は、新島襄の大学設立を応援していて、板垣退助と懇意でもあった土倉庄三郎が間に入っている可能性がある。明確な証拠はないのだが、時期的には合うのだ。土倉も板垣を見舞っているし、ミルクセーキも好きだったようだし(^o^)。
それにしても、大学設立を決意させるきっかけにも土倉庄三郎が絡んでいるし、同志社女学校には庄三郎の娘らが入学して八重の世話になっているのだが、それらのシーンはなかった。もう、『八重の桜』に土倉家が登場する可能性はないだろう。
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川上村も芳水塾も全国区へのチャンスを逃しましたねぇ。
残念です。番組が始まる時から役場にもNHKへプッシュしてもらえるように言ってたんですけど・・・。
こうなれば2016年の翁の百回忌を目指して頑張るしかないか。
翁の好物だったイチゴミルクでもお供えして、もうひと働きしてもらわなくっちゃ。
投稿: 松本博行 | 2013/10/21 10:32
後ろ姿でもいいから、大学設立をけしかける土倉翁の姿が登場すればいいのになあ、と思っていたのですが(~_~;)。
東京の土倉家の末裔は、NHKに手紙送ったと聞きましたが報われませんでした。
百回忌には、明治時代に牧場まで作って乳を絞り、イチゴミルクを食べた男として売り出しましょう。
投稿: 田中淳夫 | 2013/10/21 21:28