黒田勘兵衛に思う歴史の視点
『八重の桜』では、まだ新島襄が死なない……。
いえ、新島襄を殺したいわけではなく、彼は八重の人生の中では比較的早くに死去してしまっているので、彼が死なないということは、最終回まで2カ月を切った今となっては、八重の後半生はほとんど駆け足で終わってしまうな、ということを言いたいわけで(;^_^A。
新島八重の生涯は、私はわりと後半も好きなのだが、あまりドラマでは触れられないようだ。
という点はともかく、今日書店を覗くと、黒田官兵衛の書籍やらムックやらが、どっさり並んでいた。もちろんこれは、来年のNHK大河ドラマが『軍師 黒田官兵衛』だからだろう。
実は、私も戦国武将の中で、黒田官兵衛は好きな一人。
ただし、理由はドラマでテーマにされるような「軍師」だからではない。あえて言えば、自ら天下を取ろう使途しゃにむにならず、軍師と呼ばれる脇役人生を選んだことが一つ。
そして大きな理由が、関が原の合戦時に息子を東軍に送り込みながら、自らは九州平定を目指して動いたことだ。
しかも手持ちの軍勢はほとんど息子の黒田長政が率いて連れて行ったから、傭兵を急遽募集して、その寄せ集めで薩摩を除く九州勢のほとんどを平定してしまっている。
この行動は、戦国時代最後の最後で、自ら天下取りに動いたと解釈されている。つまり関が原で東軍西軍が膠着状態に陥った際に、第3局になろうとした……と言われるのだ。
まあ、実際の心の奥の真偽はさておき、隠居していた晩年に、とてつもない実力を見せつけたところが、なんか私の波長に合う(^o^)。
信長や秀吉のように、自ら時代を切り開く人物もいれば、実力はあっても主役にはならない(なろうとしない)歩みもある。でも、ところどころでキラリと切れる刃を見せる……。
『八重の桜』では敗者の視点から歴史が語られたが、次は脇役の視点から社会や歴史を見ることも大切ではないかと思う。そしてその脇役は、自分が脇役とは思うことなく自らの視点こそが主役と信じているのである。
脇役の歴史、常民の歴史、生活の歴史……。
突き詰めれば、人だけの歴史ではなく、自然界から見た歴史も、地球史もある。
私は、森から見た歴史、書きたいなあ。。。。
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小学生のころは、明智光秀は裏切り者の典型と意識していましたが、今では激情上役に翻弄される知性派の表現が多いと感じています。
アランコルバンの、「記録を残さなかった男の歴史―ある木靴職人の世界」や、宮本常一の「忘れられた日本人」「山に生きる人々」のような大きな力をもたない人間がそのままのサイズで生きている歴史が残ると素晴らしいと思っています。もちろん、織田信長や土倉庄三郎のような巨人からも学ぶことは多いのですが。 作品楽しみにしています。
投稿: たく | 2013/11/06 08:43
明智光秀や石田三成、さらに吉良上野介など、これまで悪役になりがちだった歴史上の人物の見直しは進んでいますね。逆にヒーローの裏の側面も。秀吉も晩年の狂い咲きに焦点当てられる。ついでに桃太郎も(^^;)。
土倉庄三郎も、ほとんど無名ですから。多少とも光が当たれば幸いです。
投稿: 田中淳夫 | 2013/11/06 09:35