木づかいから森づくりへ
年末において思うところを。
この1年、興味を持ったのは「森づくり」である。
実は、私の中では「木づかいの時代」は終わっている。木づかいという名で、木材利用を推進するなんてことは、日本史上始めてだろう。歴史的には、飛鳥時代から20世紀まで、常に木材は不足し続けてきたのだ。そこに「木余りの時代」が到来して、あわてて木づかいを唱えている……というのが、私のここ数年の見立てだ。
そして、木を使えば、必ず次の世代に向けて木づくり、森づくりが必要になる。いくら、今は日本の森が飽和状態でも、今から森づくりを始めないと間に合わない。山に森がなくなってからでは遅すぎるのだ。しかし、今と同じ方法の森づくりでは、確実に失敗する。
そもそも、明治初年、あるいは太平洋戦争直後は、動乱と復興のための乱伐が進み、荒れた山をなんとかする必要にかられて大造林した。この頃の森づくりと同じことを21世紀も繰り返すのは危険だと感じるのだ。
また、かつての乱伐時代には、野生動物の減少をもたらしたが、現在は反対に増えている。これは造林を難しくする。一方で人間の人口は急減し続けるだろう。それは木材需要の減少とともに、とくに山間部を中心に限界化が進むことを意味する。かつて動乱時には、都市から田舎への疎開が行われたのと逆現象だ。
そんな時代の森づくりとは何か、を考えている。
ただし、それはモデルとなる画一的な方法ではないだろう。その地域社会、その環境条件、そして所有者ごとに求められる森の姿は違っているはずだ。その意味では、多様な森づくりを見つけ出さねばならない。
ただ100の地域があれば100の方法がある……というと、それが正しくても現実的ではないだろう。できれば整理して5~10程度の種類の森づくりベクトルを示し、その中で選択してもらうようにすべきではないか。
そこには量の林業あり質の林業あり。長伐期あり短伐期あり。一斉林あり近自然林あり。低コスト施業がいいのか丁寧な労働集約的施業がいいのか。バイオマス生産林や農用林があってもよい。そして景観重視や環境保全林も遺伝子保存地域も必要だろう。
できれば一定圏内に多様な森林地帯を抱え、有機的に結びつきながらさまざまな人間社会の森林需要に応えられたらよいのだが。
しかし、同時に「なるようにしかならない」というさめた気持ちも強い。決して中央集権的な政策誘導は成功しないだろう、という予感めいた思いもある。森林だけ、林業だけ、木材需要だけ、国産材だけを考えても全体像が見えない。
たとえば材価一つとっても、昨年の大暴落から一転、今年後半は高騰した。消費税増税の駆け込み需要が終わるとまた落ちると思えるが、気になるのは円安だ。この年末、為替レートは急激な円安を進めている。これは外材の価格急騰をもたらすだろうから、国産材に格安感をもたらして、今しばらく国産材の引きが強まるかもしれない。すると価格は高値推移もありえるのではないか、と思えてきた。もっとも、高くなりすぎると外材に追いつくし、なにより非木材素材に転換を誘うだろう。一方で円安で輸入品の高騰が進めば、日本経済全体が傾きかねない。
そうした経済動向が、また日本の森にも影響を与えるに違いない。
……そんなことを考えると、日本の林業の方向や森林のあるべき姿を大袈裟に考えるのが不可能に思えてくる。
新たなステージに進むか、成り行き任せか。年末年始はお休みしつつ、ゆっくり?ぼんやり?考えてみるとするか。
では、よいお年を!
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