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森と林業の本

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2014/01/21

告白・里山を観察する理由

私はヒマさえあれば、生駒山中を遭難……もとい、散策しているようなことを書いている。

が、実は嘘なのである。ブログだから、そのように見せかけているだけであることを、ここに告白しよう。

私が生駒山を歩くのは、森林浴でも森林療法でも森林セラピーでもない。もちろん遭難セラピーなんて怪しげなものでもない。遭難が趣味? まさか(嘲笑)。あくまで、そのように見せかけているだけなのであるよ。ふふふ、騙されていたでしょう。

そう、私は、里山の典型例である生駒山を常に観察して、里山の真理を追求しているのであった。山に分け入り歩くのは、そのための視察であり、実践的な考察の場として利用するためである。だから、出発前に綿密な計画を練り、その日はどこを視察して、何を観察するか十分に煮詰めているのだよ。

もちろん、ときに予定どおり進まないこともある。予定にはない道を選んだり、道なき森内に分け入ることもある。が、断じて遭難ではない。ちゃんとその場で観察すべきものを見つけて、臨機応変に計画を変更しているのだ。

そして、常に科学的に考察し、新たな知見を得ることに邁進しているのである。決して迷って焦ったり、必死になったりテンパったりオロオロしたり、することはないのだ。単にブログでそのように見えるよう面白おかしく書いているだけなのだ。

森林ジャーナリストなんか、世を忍ぶ仮の姿。ときに経済ジャーナリストになればよかった、とぼやくのも、皆さんをたぶらかし、本来の目的を隠しているに過ぎない。これからは森林思想家、あるいは森林哲学者と読んでほしい。いや、これも仮そめの肩書に過ぎないのであるぞよ。

どうだね。そろそろ私の正体に気づいただろうか。

そういえば仲間に、ジョーンズを名乗って地球=日本人を観察している調査員メンバーもいるなあ。。。

ふっ。彼はまだ未熟だ。

さて、今回の里山観察の結果。まずは、こんな写真を。

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なぜか、生駒山の山中には人工林がたくさんある。

一般には、里山=雑木林に覆われている土地だと思っていないだろうか。
棚田などの農地はこの際置いといて、山の部分を捉えると、薪をとったり草を刈ったりする場だと思っているだろう。

そして雑木林とは、基本的には落葉広葉樹林だが、マツなどの針葉樹も生えているし、照葉樹の進出も激しい。まさに多様な木々の種類があると思っている。

しかし、実際にはスギやヒノキの林がかなり多い。植えたのは戦後が圧倒的に多いだろうが、すべてがそうとも言えない。どうやら古くから人工林にした区域が里山の中に一定の割合あることに気づいた。
私の感覚的には、生駒山で2割に達する。ほかの里山も、1割以上はあると思う。つまり、植生の観点からすると、人工林も立派な里山の一員と言えるだろう。そして、里山の人工林こそが里山の本質を示していて、今後この扱いが大きな課題になるのではないか。

まあ、上記の写真のように、ほぼ放棄されていて、この林分にたどり着く道が今やない、という有り様の部分も多いのであるが。

この観察結果から、何が導かれるか。森林思想家として到達した結論は……残念ながら、前書きに力を注ぎすぎたので、これ以上書く気力が失せた。また改めて。

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コメント

田中さんを見習って、『里山探検』に出かけましたが、途中のあちこちはゴミだらけっ!!で、嫌気がさして引き返しました。
森林セラピーに浴しようと出かけた時も、当該の森にたどり着く手前の道路脇がゴミだらけで、『これじゃ今日はとても癒されない』と、却って憂鬱になった経験もあります。
一方で、
地元民に反対されつつも『サバイバルゲーム場』を開設した方がいます。(よそ者です・・・森林を使って、『生分解性銃弾』で遊びたい=何らの危険も無さそうです、)
・・・そんな動機であっても『ゴミを片付けかつゲームに邪魔な竹を伐採=正に森林整備』を実践しています。
サバイバルゲームプレイヤーに里山を解放してみたら佳いかもと思うのですが、どう、思われますか!?

生分解性銃弾と言っても、見たところ数年間は分解せずに残っていますね。その点をクリアしてほしいですが……。
サバイバルゲームと言っても、最前線兵士役ばかりではなく、工兵も衛生兵がいてもいいと思うんですけどね(^o^)。ごみ拾いして森を直す樹木医とか、遊歩道を整備する工兵隊のゲームをしてください。

私は遭難サバイバーですから( ̄^ ̄)。

わが町には、たしか昭和45年ぐらいからだと記憶していますが、ヒノキを多く植えた時期があります。全体的にスギの適地が多く、8対2ぐらいになるはずなのですが、6.5対3.5ぐらいです。ヒノキの価格がスギに比べて差が開いたときにヒノキの植林が増えて、あるいはスギとヒノキを混ぜて植えた林分が増えたのだと推測しています。
ただ、ある程度たつと成長に差が出ていることがわかったり、杉に比べてヒノキの成長が思いのほか悪かったり、除伐対象がヒノキ中心としなければならなかったりして、60年に入るとおそらく7対3ぐらいの植栽になっているようです。
私も、集落そばや林道わきの林分しかよく知らないですが、植栽時の経済動向や社会潮流などが山に与えている影響というのがあるように思えます。そのような視点で山を見ることも、経緯を承知しながら今後の計画を立てていくことも求められているのだと思っています。
それにしても、適地というのは非常に重要で、適地で育林されたヒノキは成長や材質もいいように思えます。

山間部では、里山と言っても人工林化させているのは珍しくないでしょうね。むしろ当たり前かも。

だから里山の植生として人工林は重要だと思いますよ。

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