無料ブログはココログ

本の紹介

« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »

2014年2月

2014/02/28

Yahoo!ニュース「誰がバイオマス発電を推進するのか」の裏側

Yahoo!ニュースに「誰がバイオマス発電を推進しているのか」を執筆しました。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakaatsuo/20140228-00033097/

今回の特徴は、写真がないこと。

これまで必ず1枚は添付したのだが、今回は手持ちの中に適切なのがなかった。バイオマス発電関連の写真はあるのだが、以前にもこのコーナーで触れた時に使ったからである。同じような写真をまた張り付けるのもどうかなあ、と割愛した。写真なし記事は、初めてである。

と、同時に急いで書いたので誤字だらけ(泣)。。。もう気がついたところは直したけど。

なぜ急いだかというと、今日は山に木を伐りに行こうと思っていたから。昨日は雨だったし、明日も雨らしいし、今日しかない、でも早く行かないと日が暮れる! と焦っていたのでした。

なんとか、行きましたよ。あえてチェンソーを使わず鉈で伐りまくるv(^0^)。巨大なアオキも一発で倒せると気持ちイイ。ああ、スッキリした。運動とストレス解消になるなあ。
細い木はだいたい伐ってしまったので、残るは大物ばかりだ。直径30~40センチ級のコナラやアラカシなどがあるが、一人で伐れるか……。応援頼む。

なんか、趣旨がずれてしまった。

ちょっと広報。Yahoo!本文にも記したが、バイオマス関連の講演依頼が増えている。そのうちの一つが、3月19日に大阪である。ATCエコプラザのセミナーだ。

こちらは正確には「バイオマスエネルギー」のセミナーであって、発電だけではない。一緒に木質ペレットの講師も来るそうだ。興味があれば、どうぞ。

2014/02/27

書評「木材と文明」

1469

木材と文明 

ヨアヒム・ラートカウ著 築地書館

2段組で350ページの大著。

昨年末に出版されて、好調のようである。先頃、増刷されたという。これほど分厚く、また内容も決して簡単とは言えない本なのに、よく売れるとは羨ましい……。

 

私も、刊行後すぐに購入した。じっくり、時間をかけて読んだ。流し読みできない内容なのである。それでも、すぐに書評を書く気にはならなかったのは、本書を総括して評するには、熟考する必要があるから莫大な時間がかかるが、それを無料で書き飛ばしている本ブログに記す気にならなかったからである。

そうこうしているうちに新聞にも次々と書評が出ているようだ。そこで、私なりに気に止まった所を記しておこう。

内容をかい摘んで紹介すると、主にヨーロッパを舞台に人間と木材が関わる壮大な歴史を描いたもの。それは、同じく人と森の歴史にもなっている。
常に人は木材を必要として、足りない木材の調達と節約に苦心していたことが伝わるが、近代になって、金属や合成樹脂の登場によって急速に木材離れが起きるが、今再び環境の時代になって木材に注目が集まっている……という流れが浮かび上がる。

その過程には、意外な事実や驚く話が目白押しだ。かつて木造建築は、石造りの家より安物扱いだったとか、金属だけでなく岩塩からの製塩に木材消費が大きかったとか、巨大な筏流しが貨幣経済を発達させた(筏を運んだ後は解体されるので、金銭と引き換えになった)こと、ルイ14世治世下のフランスは木材不足のために破綻すると言われたこと……。

が、ここで取り上げたいのは、あえてヨーロッパではなくネパールの項目だ。

ネパールの森林減少は有名だ。(「ヒマラヤのディレンマ」という言葉で知られる。)
人口爆発により森林伐採が進み、それが洪水など環境破壊を引き起こし……が、ここに記されている事情は、どうもそうではないらしい。

1982年までネパールは木材輸出国であり、日本と並ぶ繊細な木材加工技術を発達させたのだという。ところが、多くの報告によると、問題は1956年、57年にかけて行われた森林の国有化こそが危機的な状況をもたらしたらしい。

国有化は、表面的には野放図な開発から森林を守るために行われたというが、「国有化することによって、森林は事実上、無人の地となる」。

そして「住民が自分たちの資源を自らコントロールできないところでは、自然は打撃を受ける」というテーゼを示す。林野行政官庁が非効率的で、腐敗しているがゆえに、かつては共有財産として立入制限があったところが、逆に自由に出入りできるようになる。そして、誰もが当事者意識を持たずに目先の利益で森林を略奪する……のだ。

言い換えると、森の消失を論拠にして国家のコントロールが強化されることにより、農山村住民は持続的な森林経営への関心を失う……それが森の危機を悪化させるわけだ。
さらに「環境とは、国家の恣意的な干渉の方便にも使われる多義的な概念」とする。

どうだろう。

私は、かなりのところ納得する。
近年、荒れた山(人工林や里山の雑木林)を公的機関に買い取らせようという論調がよく出る。さもないと、外資が買収するから……と。が、私は、国公有化すればするほど森は荒れると訴えてきた。森を管理する主体が失われるからだ。その点では、委託管理方式も心しないと危うい。受託者は、本当に所有者に成り変わって真剣に森のことを考えられるだろうか。そして長期に渡って担当できるだろうか。(数年で異動する公務員がその任にないのは自明であろう。)

ともあれ、多くの示唆を与えてくれる本である。気合を入れて一読することをお勧めする。

2014/02/26

旧関善酒店の木造架構

今回訪れた秋田県鹿角市は、「例年になく、雪が少なかった」そうである。

まあ、こんなことを書くとムカッと来る人もいるだろう(とくに関東甲信地方)が、実は北東北地方は雪が少なかったらしい。事実、私も地面が見えていて拍子抜けした。バスに閉じ込められることを想定して、水と食料買い込んだのに……。
もっとも、「今年、関東で降った雪の量が毎年続くのが本来の鹿角」らしい。つまり、豪雪地帯なのだ。

通常、豪雪地帯の通りに並ぶ家屋は、屋根が道に対して90度向くよう建設する。なぜなら、屋根の雪がそのまま道に落ちると、通行人に危険だからだ。

ところが、鹿角花輪の大通りでは、古い家屋の屋根は道と平行している。豪雪地帯としては異例なのである。その代わり、屋根の庇を長く延ばして、その下に通路を作っている。雁木づくりと呼ばれる雪の中の通り道だ。秋田では小道とも呼ぶそうだが……。

なぜか。それは鹿角の町並みは京様式だからだそうだ。

4

実は、鹿角には江戸時代から多くの京都人が移り住み、京文化が花咲いたのである。

なぜなら、鹿角~能代地方には多くの鉱山があり、非常に景気がよかったから。そのため坑夫も豊かで、京都の商人が多くやってきて、そのまま居ついたためだ。その挙げ句、建築様式まで変えてしまったわけか。

1





さて、上記と左記の写真は、旧関善酒店。そんな華やかな時代にお折るあった造り酒屋の本店だ。一度焼けたから明治の建築だというが、貴重な当時の生活を忍ぶことができる。

国の登録有形文化財に指定されている。

とにかく大金持ちだったから、嫁さんも大阪から迎えたとか、街の半分の土地を所有していたとか、いろいろ大金持ち話が伝わるそうだが、屋敷内は意外なほど質素。

金持ちぶりをオープンにしなかったのである。

3_2

ここで注目すべきは、この本店の構造だ。巨大な屋根があるが、内部は2階建てで、そこに主家だけでなく奉公人もみな一緒に寝起きしたそうだ。そして、天井は吹き抜け。寒さより湿気を嫌ったからだそうだ。

おかげで、このとおり屋根裏の構造が一目でわかる。その巨大な木造架構造が見られるという意味で面白いが、ちょっと不思議に思わないだろうか。

実は、太い梁や柱があまり見当たらないのだ。秋田杉の本場に近いのに……。

説明によると、太い構造材は、意外と弱い。なぜなら接点が限られてしまうから。重さだけで支えることになり、大黒柱に負担をかける。むしろ、小割りした角材や板材を組み合わせた方が地震にも強く、重みも絶えることができる。

そして、丸太を小割りするのに手間がかかるうえに、築造も技術がいる。当然、お金もいる。

だから農家など「貧しい家」は、太い柱を使うが、「豊かな商家」は小割りした木材を組み合わせた構造にするのだという。この家の屋根組みは豊かさを表しているのだそう。

これは京の建築物にも通じるのだろうか? たしかに、京町家にそんなに太い材は目立たないが……しかし寺院建築は太さを求める。

う~ん、とうなってしまった。本当だろうか。ただ建築技法的には一理ある。貫構造にクサビを打ち込んだ接点が幾重にもなっている方が、横揺れなどを吸収できるだろう。これは筋交いを使わない伝統構法にも通じる。
東日本大震災では、震度5だったそうだが、とくに傷ついたところはなかったそうである。

この当たりは、建築の専門家の意見を伺いたいが、つい太い柱のある家の方が立派に感じてしまう感覚は意外と新しく、むしろ科学に反しているのかもしれない。

そして、太い木材を求める建築は、実は古臭いのだよ、と伝えれば、今後細い木を使った巨大木造建築に可能性を広げることもできるかもしれない。

2014/02/25

教室の窓から~木造校舎の利用法

鹿角で訪れた森林セラピー基地を運営しているのは、NPO法人かづのふるさと学舎で、その拠点とするのが、旧中滝小学校(だったっけ?うろ覚え)。

3





その中にある「森のカフェこもれび」の窓から見た風景である。

ようは古い教室を利用しているのだが、よく見ると外はサッシながら内に木製の窓枠を残している。こうして教室の窓から雪景色を眺めるのは、なかなか心地よい。
私も、こうして教室の窓からの景色を見て、いろいろ空想の翼を広げていた時代があったことを思い出す。(~教室の窓から見る秋は、いつも不思議に光っていた、というメロディ♪が浮かんでくる(~_~;)。


私は、小学2年生まで2階建ての木造校舎で過ごし、その後は鉄筋コンクリートの校舎に移った。そして木装は取り壊されて、3階建て鉄筋校舎に建て替えられた。生徒数激増のためである。まあ、私くらいの学年が、木造校舎を経験した最後に近いだろう。

すでに世間では木造校舎を体験した年代の方が少なくなっているのではないかと思うが、それでも若い世代までが木造校舎に郷愁を感じるようである。

都会の学校は建て替えが進むため木造校舎もほとんど残っていないが、地方では学校そのものが廃校になるケースが多く、校舎も残りやすい。その中には木造もそこそこある。(もっとも、廃校直前に、無理やり「立派な校舎」に建て替えるケースもある。ごり押しでコンクリート建築にしたものの、数年後に生徒がいなくなり廃校……という道を歩むのである。)

それらの校舎の転用が課題になっている。公民館なり自然学校なり福祉施設なり、地元の用途に使うほか、個人に貸し出し、たとえば木工作家が校舎を工房にしていることもある。それもまたよかろう。

だが、せっかくなら昔の教室そのままの雰囲気を漂わせた一室をあえて残すのはどうだろう。

訪れた人は、その教室に入り、席について小学生時代を思い出すのである。なんなら校長室を再現して、「一度校長のイスに座りませんか」と呼びかける。
いやいや、やっぱり必要なのは保健室。ベッドがあって、消毒液の匂いも漂わせる。担当者は若い保健の女センセイだね。ここで休憩してもらうと癒される? 悩みや愚痴も聞いてもらう。危険な香りも……(~_~;)。

認知症患者向けUh、「思い出療法」があるらしい。昔の写真などを見てもらい、若いころ、幼いころの記憶を呼び覚ますと治療効果が出るそうである。

セラピーというと、すぐにストレス過多な人や鬱症状向けをイメージするが、高齢者福祉も含めてもよい。あるいは、一見元気な大人向けに人生振り返る「思い出」の断片を振りかけるのも悪くない。

森林セラピーのネタは森林にあらず、だ。

2

こちらは、鹿角花輪市街に残された旧花輪小学校。

公会堂にもなったそうだが、今は民俗資料館などになっている。

 

2014/02/23

雪のセラピー

雪のセラピー
今、秋田県の鹿角にいる。

鹿角森林セラピー基地を訪れた。私が以前森林セラピーを紹介した「森を歩く」の出版の時は、まだ登録されていなかった基地である。

この季節、雪に埋もれて休業しているかと思えば、ちゃんと営業しているという。
基地は廃校になった小学校にある。薪ストーブが燃えている。
ならば、やはり雪の中を歩かなきゃセラピーにならんでしょ!

森の中を歩くより雪の中をかき分けて歩き、滝を見る。きゅっ!と冷える。そして基地に帰ると薪ストーブに当たり、ふにゃ〜んととろける。これほど癒されることはあろうか?

でも、その魅力に気づいてないみたいだなあ…。

2014/02/22

「凄腕職人街」の板

秋田に行く途中にふらりと寄った百貨店の「凄腕職人街」のイベント。(近鉄百貨店上本町店)

001_640x478

春日杉に、神代杉、御山杉、屋久杉、秋田杉、そして吉野杉。

今はほとんど手に入らない木材もあるなあ。これで欄間や家具を作るんだそうだ。

そりゃ、高くつくわ。

こんなの見ていたら、空港へのバス乗り遅れたけどね。。。

2014/02/21

「やんばるふんばる」ポスター2次利用?

3




キノボリトカゲ






   



  
 
  

4






コシダ



 




 


  

  

  

 

8







オオコウモリ

 

 




上記のようなポスターをご存じだろうか。

 

 

そう、沖縄県国頭村の「やんばるふんばる」ポスター。6種類ある。

「ふんばる」の字が欠けているのは、最初から。あえて、文字を半分隠したのだろう。

実は、日本観光ポスターコンクールで金賞を取っている。つくったのは、この世界では有名な高知県在住のデザイナー・梅原真氏。高知県馬路村の「ゆずの村」などでも知られるが、単にデザインというより地域起こしのコンセプトを打ち出すことで凄腕の人だ。

先の沖縄行きで、このポスター、もらってきました\(^o^)/。

売り物ではないから、こうして自宅に張って、宣伝しておきます。(大きすぎる……自宅に壁が足りないので、撮影後1枚を残して外しましたが……。)

ただし、このポスターが作られて有名になったのは、今から5年くらい前ではないだろうか。観光客誘致を全面に出すのではなく、国頭村(やんばるの森)が「踏ん張って」頑張っていることを、絶滅を危惧される動植物とともに(彼らもやんばるの森を最後の生息場所として踏ん張っているのだろう)示したものだ。

なかなか意味深。やるじゃねえか。

だが、今回私が訪れて驚いたのは、このポスターの2次利用?である。

Photo_2

 

これは、国頭村の観光案内所の壁に張ってあったものを撮影。

見た通り、先のポスターを眺めて喜んだり驚いたりしている人を取り込んだ写真を使用。

これは、地元だけでなく、遠く都会に張られたポスターという設定なのかな。







次は3次利用で、写っている人がやんばるに来るのだろうか……。

2014/02/20

「里山」に幸せはあるか?

里山フォーラムから帰って来た。もちろん帰り道も山の中である……。

それはともかく、里山フォーラムでは何を話し合わせれたのか気になる人もいるだろう。
もちろん、あまりに幅広いのでここで紹介できるものではないが、せっかくだから私がその中で心に残ったフレーズ&感じたことを列記する。

仕方なしに幸福、仕方なしに健康」。

三重県の大杉谷自然学校の大西かおりさんの発表の中の言葉。田舎の人は、それがよいと思ってやっているのではないが、選択肢が少ない生活の中で、結果的に幸せに生きて、健康に暮らしているということ。そして都会人は、快適に、楽しく健康な〔幸せな〕生活を送りたいと頑張れば頑張るほど「不幸で、不健康」になっていく。

幸せの国ブータンの不都合な真実」。

オーストリア人のリングホーファー・マンフレッドさんが早口で力説したブータンで起きている大虐殺と難民大流出。北朝鮮を思わせる恐怖国家ブータンの真実があった。
幸せの国として有名になったブータンの「幸せの現実」は、かなり脚色されたものであり、ブータン政府の巧みなアピールによる詐術だという。そもそも国民が「幸福だ」と言わせる仕掛けがあったのだ。
そういや、私の知り合いにネパールに2年間住んだ後にブータンにも住んだが、「ブータンは楽しくなかった」と言っている。もっと詳しく知らないといけないな。
ちなみに私が聞きたかった「オーストリア人は、森が好きなのか」という質問はどこかに消えてしまった。

里山の社会的価値は何か」。

これは、パネルディスカッションの中で出された命題なのだが、私も含めたパネラーが出した答の一つは、里山は大きく儲からないけど、社会を支えるセーフティネットであり、次の世代を生み出す種火のようなものではないか……。

里山そのものは、現代社会ではお荷物であり生活が成り立たなくなったシステムなのかもしれない。その意味では「幸福ではない」。が、非常時に社会を支えるサブシステムであり、次の幸福の種をインキュベートしている世界だと考えれば……。そんな社会装置としての里山を失えば、極めて不都合な将来になりかねないだろう。

まあ、大の大人が、平日の真っ昼間2日間も費やして合宿しつつ話し合いばかりやっているというのは、参加者は相当幸せな生き方をしているということであるよ。。。

2

2014/02/19

生駒で里山フォーラム

生駒で里山フォーラム
生駒で開かれている里山フォーラム出席中。山麓公園内のふれあいセンターに関西一円の里山系NPOや個人が集まった。

私は地元の強みを活かして、自宅から歩いて行った。もちろん山越えルートである。途中、案の定道が消え、雪も想像以上に残っていた。が、遭難はしない。ここは私の庭なのだよ。

よ、予定通り、山麓公園に崖をよじ登って到達する。

フォーラムは、参加型で会場の人も何かと作業のある行程でありました。
私の仕事は、生駒山は日本最古の里山であることを訴えることだったが、無事ミッションをこなせました。(と思う。)

2014/02/18

Yahoo!ニュース「豪雪が消滅集落の引き金に」の裏側

Yahoo!ニュースに「豪雪が消滅集落の引き金になる? 過去の事例に学ぶこと」を執筆しました。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakaatsuo/20140218-00032756/

実は、昨日の「大雪で野生動物も食料危機に」を書いてから、同じ内容をYahoo!ニュースにも執筆してもいいかな? と思っていじりだしたところ、匹見の集落移転のことを思い出し、そのままテーマを変えて書いたもの。意外と書きながらテーマを変えることは多いのだよ。

ちょっと消化不良かもしれないが、今後は山間集落の限界化・消滅化が課題になるだろう。その際に集落ごと移転という手を取るか、さみだれ式の離村に任せるかは、大きな選択肢になるだろう。まさに「撤退の山村計画」である。

しかし、人口減少圧力は強い。移転した中心街さえも縮小の一途なのだから。。。

2014/02/17

大雪で野生動物も食料危機に

昨年の12月1日に本ブログで「大寒波に期待する」を書いた。

http://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2013/12/post-cd5d.html

冬期に積雪が長く続くと、イノシシやシカは動けず飢え死にする可能性が高まる。これまで林業の敵として山村を困らせてきたシカが、害獣が減るのである。植えても食われるだけ、と再造林をあきらめがちの今、これは天の采配になるかもしれない。

……という内容である。ここ数週間続く大雪は、まさに私の予言? が現実になるかもしれない。

日本列島全域が寒波に覆われ、とくに東日本では記録的な大雪が続いている。雪に対する備えが万全ではなかった関東など多くの地域で悲鳴が上がっている。道路や鉄道などが雪のために通れなくなり起きた交通途絶は、単に人の移動を乱すだけでなく、物流にも大きな影響を与えている。なかには孤立した集落や車・列車に閉じ込められた人々も多い。おそらく、この影響は雪が止んだ後も当分続くだろう。

が、人間社会の問題を考えるのは、ほかの人にお任せして、私は同じく大雪で移動できなくなったであろう野生動物に眼を向けたい。

近年、日本は野生動物の増加が専門家の間で指摘されている。イノシシにシカ、カモシカ、クマ、さらにサルもタヌキ、キツネ……と多くの野生動物の生息数が見直され始めた。絶滅危惧扱いだった動物も、意外や想定以上に増えているらしい。

その理由は種類によって違うだろうし、全般に自然環境が改善したと言ってもよい面も少なくない。が、忘れてはいけないのは気候である。

地球温暖化が囁かれて久しいが、たしかに日本の気候も徐々に温かくなっており、降雪量は年々減っていた。とくに東日本や山岳地帯では積雪も浅くなっている。おかげで生き長らえることができる個体が増えたのだ。その個体が春を迎え、子孫を残すようになれば、より生息数を増やす。
また寒くない冬は、草なども枯れにくくなり、草食動物にとって食料を得やすくなる。雪に覆われないことで食べやすい面もある。これらも、野生動物増加の要因だろう。

しかし、深い積雪は動物の移動を妨げ、餌の確保を厳しくする。とくに背が低く鼻の位置を高くできないイノシシは死活問題だろうし、冬眠をしないシカやカモシカも深い雪では足を取られて動けなくなる。

今冬の大雪は、山の動物にとっても厳しい条件に陥らせるだろう。温暖な冬ばかり過ごしてきた若い個体にとっては、大雪の場合にどのようにすべきか学習していないに違いないから弱いはずだ。

もし、このまま深い積雪が何週間か続けば、餓死する動物がかなり出るのではないか。増えすぎた数が大雪によって調節されるのだ。

それは自然界の摂理であり、適者生存の淘汰かもしれない。

可哀相な話にも聞こえるが、獣害に悩まされてきた人間社会にとっては朗報だ。これまで獣害のあまりのひどさに集落を捨てたり、伐採跡地の再造林をためらうケースが少なくなかったが、少しは農作物や林業の被害が落ち着くことが期待される。

この春は、植林の好機?かもしれない。 

2014/02/16

やんばる(くいな)バーガーが食べられる日

沖縄北部の国頭村を車で走ると、道路標識で目立つのが、これ。

58




ヤンバルクイナ注意!である。

実際、よく道路に飛び出してきて、車に跳ねられたり、雛が側溝に落ちて死ぬ「ロードキル」が起きるそうだ。今年で2例、と書かれてあった。。。

というわけで、私もやんばるくいなの観察。

2



ほれ!  

ヤンバルクイナ、見~つけた。

すぐ見られる。夜になると、よく吠えているし。

……と書くと、嘘ではないが、やっぱり問題だな。

写真は、「ヤンバルクイナ生体展示学習施設」というところで見たもの。昨年9月にできたそうだ。現在1羽だけ、室内展示場にいる。たった1羽……と思ったら、複数になると縄張り争いで殺し合い?をするそうだ。ここにいるのは、とくに人慣れしているというか、人好きなクイナちゃん。なんたって、ドアで音がすると、寄っていくのだから。

これは慣らしたわけではなく、性格だそうだ。一緒に生まれ育てた兄弟は、人に警戒心を解かないという。

では、施設に何羽いるのか?

驚いた。70羽以上いるのだそうだ。まだ飼育下で繁殖までは行っていないが、卵からの孵化は成功している。意外や、ヤンバルクイナたくさんいるのね。

なんか絶滅危惧のようなイメージで語られているが、害獣(マングースとかノネコとか)の駆除も進み、生息域も拡大しているし、数は増えているらしい。

野生動物とか、固有種と聞くと、すぐに生息危機と思われがちだが、生息環境さえ守れば、わりと増えやすいらしい。30数年前の「発見」前は、地元民は普通に見かけて獲って食べていたらしい。いや、農作物に害をなすので駆除していた話もある。

そういや、トキやコウノトリも、飼育繁殖の成功で、結構数は増えている。トキは数百羽になったはずだ。放鳥が成功して野生にもどったら、どんどん増えるかもしれない。
江戸時代、トキのいなかった地方でトキのつがいを移入して放すと、数十年後には増えすぎて農作物に害が出たので鉄砲を解禁して駆除した記録まで残っている。

ヤンバルクイナも、いつかそんな問題が起きるほど増える日が来るかもしれない。

そうなったら、やっぱり獲って食うことだな。ヤンバルクイナの肉でやんばるバーガー!というのはどうだろう?  あああ、顰蹙買うこと書いてしまった。。。

2014/02/15

泳げなかった(;_;)おもちゃ美術館

早春の沖縄から帰ると、雪国だった。

と言っても、昨夜から雨に変わって、ほとんど溶けている。私にとっての沖縄は、避寒旅行だったみたい(^o^)。本土の皆さんは大変だった(いや、現在進行形か)らしいですね(⌒ー⌒)。

いろいろとタノシイタノシイ沖縄の「休暇」であったが、心残りは泳げなかったこと。最終日を除いて雨まじりだったし、風が強かったからね。海は荒れ模様。

わずかに「海気分」を味わえたのは、この時だけかな……。

Dsc_0022


木の卵に足を浸してゆったりと。

目を閉じて、海を思い浮かべるのさ。ほら、渚の音が聞こえるだろ……。

ちょっと、痛いけど(^^;)。

どうせなら、もっと小さな卵にしてほしかった。たとえばヤンバルクイナの卵の大きさとか。じっとしていられん。無理でした。


ここはどこか。

わかる人にはわかる場所。

ここは「やんばる森のおもちゃ美術館」でした。

そう、東京おもちゃ美術館の姉妹館として設立されたばかりの施設。設備も似ております。

木のおもちゃを主体にした「木育体験ミュージアム」だとか。

国頭村森林公園内にあり、元セミナーハウスを改造したとかで、広くはないが瀟洒な雰囲気が漂っています。ちょっとオシャレすぎるかな? 子どもが遊ぶというよりは、木の好きな大人が喜びそう(^^;)。
触っちゃいけない! おもちゃ(木工作品と呼ぶべきか)もあるし。

下手にいじったら怒られそう。

Dsc_0023

ともあれオープン3ヶ月。

2014/02/14

温かい街

温かい街
那覇の国際通りは、賑やかだ。シーズンオフなのに明るく輝き、客を呼び込む声が響く。おばあもいるが、若い男女も目立つ。

とくには女子は可愛い娘、多いなあd(⌒ー⌒)!。いや沖縄には美人が多い…。かないませんよ。そんな呼び込みと目が合った時にゃ。いや、私は目を伏せて通りましたけどね。

あ、あああ。土産を買いすぎた…。もちろん私が買ったのは、おばあの店ですがね(キッパリ)。

温かい街です。気温も人も。そういや本土は雪降ったらしいですね。。(うわのそら)

2014/02/13

沖縄の夜は…

沖縄の夜
今日は忙しかった。

カリフォルニア(所属の米軍保養地)に行って、カリフォルニアバーガー食べたし、ボルネオ(のような)熱帯カルストジャングルも訪問したし、ヤンバルクイナも観察した。

で、夜はなぜかやんばる交流会の新年会に参加。
沖縄のこの手の会は、余興がすごい。
さっそく踊りやら手品やら繰り出される。そして、そして私も国頭村の踊りの輪に引っ張り出される(((^_^;)。

踊りましたよ。私も。なんかわからんまま。県産品踊り(^-^)。私、県産品(沖縄人)じゃないけど。

結構、病みつきになったりして。

もちろん踊っていたから、写真はなし。掲載したのはほかの村の踊りだよ。

2014/02/12

沖縄の講演後

沖縄講演後
沖縄の国頭村にて講演。

盛況?に終わって、会場を片付けたかと思うと、躍りが始まった!

明日の宴会の余興の練習だという。

さすが沖縄、と妙に感心する。

2014/02/11

宗教法人の林業

昨日は、大径木の木材がなくなる度に、別の樹種に移ったり、海外から仕入れてきたことを記した。しかし、いつまでも資源を食い荒らすことは続かないだろう。
そろそろ本気で長期的視点で森づくりを行わねば、単に大径木だけでなく、生態系も含めて劣化させてしまう。

しかし、家業でしろうと法人であろうと、民間ではなかなか数百年に及ぶ経営はできない。世代交代もするし、時の経済状況によって「喰うためには仕方ない」と施業内容を変える。

なかには森づくりの家訓を持つ山主の家系とか、社是を掲げた企業グループもあって、数十年数百年単位の経営を行うところもあるが、まあ例外だろう。

かといって国や自治体などの公的機関が期待できるかと言えば、全然そんなことはない。

政策は猫の目のごとく変化し、さらに担当者は数年で入れ代わる。その頻度は民間をはるかに“凌駕”している。つまり、民間以上に長期的視点がないということだ。担当者は、将来の責任を負わないから、「今」しか見ない。前任者の仕事も否定して、新しいことをしたがる。が、その行く末を観ることなく、また転任する……。

では、どこが長期的視点を持てるのか?

一つの可能性としては、宗教団体かなあ、と思える。もちろんピンキリだし、住職などトップが変わればひっくり返ることもあり得るが、一応寺院は長期的視点で運営される建前がある。

……そんなことを考えたのは、京都の清水寺や、三千院などが超長伐期施業を開始したことがある。数百年の森をつくるらしい。また高野山金剛峯寺とか、伊勢神宮の宮域林も、超長伐期の森づくりを進めているのは有名だ。

ほかにも新興宗教団体が、どんどん山を買っていることは、知る人ぞ知る(^o^)。林業家からすると、有り難いらしい。

いずれもヒノキやケヤキ、コウヤマキなどの造林を行ったり、荒れた森林の整備を進めている。単に木材生産だけでなく、景観にもこだわるし、水源涵養などを目的とする場合もある。
伊勢神宮の森は、昨年80年生の間伐をしたことで知られたが、少なくても200年は育てるはずだ。幸い、今のところ計画は守られている。

詳しい施業内容は、それぞれの寺社によって違うが、林業に参入するのは、何よりも自らの伽藍の修理・改築用の大径木材がなくなってきたこと。つまり林業経営というよりは自給自足的な意味合いが強い。また「木の文化」のために分配することも考えているらしい。生産した木材を市場に出して売却することはしないだろう。

それができるのも宗教法人は、別の収入源を持っているからだ。同時に森づくりには宗教性があることも影響しているのかもしれない。宗教と森林経営を、もう少し結びつけることも考えてもいい。

宗教法人の林業経営について調査研究してみたら面白いかも?

039


「清水の舞台」。

ここに使われている大径木は、果たして今後は国内で調達できるかどうか怪しい。

034

清水寺には、堂内にも、これだけの丸柱が林立している。

2014/02/10

Yahoo!ニュース「木が先か」の裏側

Yahoo!ニュースに「木が先か、家や家具が先か」を執筆しました。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakaatsuo/20140210-00032532/

このアイデアの元は、先日訪ねてきた某大学院生の研究内容「お寺から「木の文化」と林業の未来を考える」にあった大寺院の柱材の変遷である。

そこにはヒノキ、ケヤキ、タイワンヒノキ、米材・アフリカ材……と歴史とともに変わってきたことが示されていた。いかに権力者が大きな建物を建てるたびに大径木が減少してしまったか、そして大径木がなくなると「木の文化」が危機に陥ることを提言していた。

その点の考察については、今後に期待するとして、ついつい私もノッてしまって、とうとう5時間半も話し込んでしまった。なかなかテーマは広がり、いろいろなアイデアや考察を行うことができた。

その、ごくごく一部を疲労、いや披露したのである。話し疲れたのではないよ。

2014/02/09

「トリック劇場版~ラストステージ」で考える

トリック劇場版 ~ラストステージ~」を見た。

あの、テレビドラマ「トリック」シリーズの映画第4弾である。これが、最後! と幾度も強調されていた。

私は、「トリック」のファンだったし、仲間由紀江のファンでもある。「トリック」は彼女の出世作かもしれないが、私はそれより前のデビュー直後くらいから注目していたのだよ。
が、映画をいち早く観たかったかといえば、必ずしもそうではない。実際、劇場版は、いずれもテレビ放映にて観ている。

今回劇場に足を運んだのは、単に講演出張で現地到着時間が2時間ほど遅くすることになり、その空いた時間に何をしようかと考えた結果である。ちょうど乗り継ぎの大阪駅前でやっている映画で時間も合うもの……と調べたら「トリック」だったという、安直な理由だ。

その意味では、さして期待せず、ただ「これが最後」という言葉にちょっと引かれた、という程度の時間潰し的映画鑑賞であった。笑えて終わればいい。

が、なんと感動してしまった。うるうるして、もう少しで泣きそうだった(笑)。
http://www.yamada-ueda.com/movie/04movie/index.html

ただし、ここで書きたいのは映画評ではない。

「トリック」は、霊能力などオカルトぽい事件事象のトリックを天才?物理学者と美人?マジシャンが暴く、というのがメインテーマながら、小ネタギャグ満載のチープなつくりが魅力。ただ背景には、横溝正史や江戸川乱歩などの伝奇小説的な土地の因習や旧家の歴史などが散りばめられている。しかも仲間演じるマジシャン山田奈緒子は南海の孤島・黒門島のかみぬ~り(島の方言で呪術師)の血筋という要素も見え隠れさせている。

いわば、非合理で非科学的な謎(因習)を暴くのが「トリック」の真骨頂なのに、肝心の非合理性は暴く側にも漂っているという矛盾……。

そしてテレビのシリーズも含めて、「トリック」の物語では、数多くの辺境地、山村や孤島を舞台にしているのが特徴の一つだ。いずれも奇妙な地名を冠しているが、そこにはさまざまな伝説と、過去の血塗られた歴史・事件があり、さらに怪しげな宗教とか土地の行事(祭)が登場する。

正直、「トリック」シリーズ全体に、山村とか田舎をおちょくっているイメージは当初からあった。古臭く、インチキ臭い因習や人々と謎の数々。舞台を都会にしたらしらけるが、田舎に設定するから妙に納得させてしまう雰囲気なのである。

もし、登場する村や因習、宗教団体のモデルが浮かぶようにリアルに描けば、テレビ局に抗議が殺到したかもしれない。が、あまりに荒唐無稽でお笑い的要素を強めた描き方だから、逆に「誰も信じない」ために放置してしまうのではないか?

しかし、視聴者(というより日本人)の大多数は、田舎・辺境には怪しげな祭や伝説、そして因習があってもおかしくないと思っているだろう。

たしかに、あるのだ。田舎には変な風習が。(今は廃れたかもしれないが。)
かみぬーりという呪術師も、沖縄にいるノロや、青森の恐山にいるイタコに相当するし、たしかに東北や南西諸島には妖怪的なものが登場する祭(秋田のなまはげなどもその一種だが、あまりに有名になり観光にも一役買うことでイメージをぬぐってしまった)もある。
また奄美などでは、死者を葬る際は風葬後に洗骨などの儀式を行っていた。ミイラ化白骨化した遺体を洗って骨を取り出すのである。
ほかにも老人を山に捨てる村、無人島に病人を捨てる歴史を持つところもあった。

そして、それらはトリック<インチキ>として暴かれる運命にある。田舎の非合理な習慣を払拭されようとする。

ただし、ここが肝心なのだが、トリックを暴いて意味を説明してしまうと、それらは合理的で科学的な存在に成り変わる。

怪しげで、無意味で、無駄ばかりの儀式は、実は何らかの必要性があって行われたものであり、かつて意味があったことを示す。今では必要なくなった儀式が、かつては村人の心を一つにして困難に立ち向かう役割を持っていたのかもしれないし、昔の歴史的事実を神話化して知恵を言い伝えたのかもしれない。病人や老人を捨てるのは、伝染病の蔓延を防ぐためだったり、口減らしで村の存続を願ったものだった。

もしかしたら、現代社会では無意味で無駄で非効率とされていることにも(少なくても以前は)意味があったのではないか。
同じくビジネスでも無駄をなくす運動が大はやりだが、一面で仕事に潤いをなくし、神経をすり減らし、見えないまま存在したリスク管理を奪っているのではないのか。
さらに言えば、市場主義社会に蔓延している効率とかスピード、あるいはすべての謎を払拭し、進歩、向上、前進……などを求める思想に一点のくもりもないのだろうか。

機械化を推進して、人の動きから無駄を排し、休み時間や無駄話も規律で縛り、さあ効率が上がりました、科学的経営ですよ……というのが長い目で見て正しいのだろうか。
それが短期の利益を求めるには最適でも、長期的スパンでは環境破壊を引き起こしたり、経営の持続を不可能にしまう可能性だってある。

最近は「無駄の効用」とか「働かない蟻にも役割がある」といった研究が登場しているが、「非効率の効用」とか「さぼって効率下げることが地球環境を守る」なんてテーゼを打ち立てられないか……。


私の妄想的思考は、映画「トリック」を見ながら、どんどん膨らんだのである……。




  

ちなみに「ラストステージ」では、舞台を海外に移した。スンガイ共和国とあるが、ロケ地はボルネオだ。実は、ロケを行ったマレーシアのサラワク州は、私が幾度も通ったなつかしい土地で、映画に描かれる景色も記憶がある。
それはともかく、海外の熱帯雨林の中の少数民族の村を舞台にしたために、その非現実性は少し薄らぎ、本当にありそうな世界観を漂わせていた。

そして、ここでも呪術師の行うオカルティックな予言やら治療・呪術などの裏側を暴く。ただ、ここで自問してしまうのだ。

呪術は、なぜ必要だったのか? 呪術師はなぜ存在するのか? 非合理に見えて、ちゃんと意味があったのではないか。。。

映画では、その解答の片鱗を示していた。呪術師の役割と儀式の意味を……。一つは、未知の動植物を扱う知恵の伝達者として。また一つは村の危険を察知するセンサーとして。そして……まだ上映中だからネタバレのことは書かないが、呪術のような非合理の中に真理があることも忘れるべきではない。

 
 

オマケの写真。 
 

75


五島列島の黄島で行われる「観音祭」。

島にある洞窟奥深くで島民が集まって執り行う不思議な祭。私は何回も島に通って撮影させてもらった。

島外にはほとんど知られず、相当奇妙な儀式であった。見学というか、参加させてもらったことは貴重な体験であった。
これが開かれるのは、旧暦の○月○日。あっ、書いていて気がついた。来週だ!

なんのために洞窟の奥で法要を営むのか、今となってはわからないが、かつては意味があったのだろう。

宗派は真言宗だが、寺には2体のマリア観音?像が伝わる。

2014/02/08

竹の器は……?

昨日の杉カップに続いて? 味をしめて? こんな商品はどうだろう。

2


なかなかオシャレ? に見える器である。

この素材は、よく見るとわかるとおり竹。

ただし、かなり大きい。比較するものを置けばよかったのだが、内の直径で20センチ近い大物だ。

高さも25~30センチといったところ。

こんな大きな竹の表面を少し焼いて磨いて……と結構な手間を経て完成したものである。

この写真は、先の山口県で撮ったもの。加工は福岡でやったと聞いたが……。一応売り物だが、一般に手に入れるものではない。特殊な用途である。

さて、これはどんな用途に使うのでしょう。

わかった方は……と木、いや気を持たすのは止めて、下に答を書いておく。

  





答・ 骨壺。西日本では、火葬後の全身の骨を拾うが、それを全部詰めるためのものである。ただし、竹でつくったのは、そのまま土に還ることを狙っている。

2014/02/07

杉カップ

昨日紹介した「雪の中の焚火」を行ったのは、兵庫県三方郡新温泉町のokwoodこと、奥田泰三さんの工房である。

彼は、森林組合作業員から独立して木工を始めたそうだが、特徴は主にスギやヒノキを素材とすること。最近はオーダーの家具(折り畳み脚立やイスなど)も力を入れているそうだが、目を引いたのはろくろ細工物であった。

1


これは、スギのカップ。

軽い。手触りが温かい。

熱が伝わらない(熱いものを注いでも持てるし、冷たいものを入れても結露しない)。

ビールの泡も消えにくいという。

何より、口を寄せると、プン、とスギの香りがする。

2


せっかくだから、底の部分を。







 
 
通常、この手の木工は広葉樹の硬い材を素材とする。スギのような針葉樹材の中でも軟らかいものは利用しないだろう。

だが、こうして実際に手にとると、スギならではの木目がなかなかの味を出している。しかも軽さ、軟らかさが広葉樹材のカップと違った魅力。
実は、我が家にはいくつか木のマグカップがあるのだが、それらとは別の使い心地だ。把手がないので、日本茶や日本酒にも向いているように思う。

実は、このカップはいただいた。買おうとしたのだが、これは受注してつくったうちの失敗作で手元に残したものの一つだとか。パッと見にはさして欠点は見つからないのだが……。

仮に購入しても1200円だという。一般に販売されているものと比べてかなり安いのではないか。

冷静に考えると、スギ製は軽い代わりに耐久性は多少劣るだろうし、あまり長く液体をカップ内に入れておいたり漬けておくと、木肌に染み込むだろう。が、それも使いようだ。

何より木目が強く浮き出たり心材の色合いが広葉樹材と違うから、新しいデザインが可能になるような気がする。

もし興味があれば、http://okwood.net/

2014/02/06

雪の中の焚き火

雪の中の焚き火
日本海に程近い兵庫県新温泉町の山あいの木工家を訪ねる。
雪の中の小屋に工房があり、招かれて中に入ると、暖房として始めたのは焚き火。

簡単な炉を切ってあり、そこで端材を手早く燃やす。急速に暖まる。

そして彼の作っているスギのカップでお茶を。

エエもんや。

室内の焚き火、いいなあ。ちょっと煙かったけど(笑)。

2014/02/05

匹見杉

1_2




匹見上公民館は、林業や木工の展示もある。

そのロビーには、本物の巨大スギが展示されていた。

匹見杉というそう。

種類的には芦生杉、いわゆるウラスギの一種らしく、伏状性が強いもの。

このスギの大木のウロを覗いてみると……。

4



なかなか楽しそうじゃないか(^o^)。

2014/02/04

コナラの旅路

ちょっと島根ネタにもどる。

チップ工場を訪問して見学兼お話をうかがったのだが、まず目立つのは広葉樹材が多いこと。島根県西部は広葉樹林が多いのだそうだ。やはりコナラが目立つが、かなりの巨木が混ざっている。国産の広葉樹材、それもケヤキやミズナラなどではなく、コナラがこんなに生産されているとは思わなかった。

2






スギ、ヒノキに混ざってコナラが目立つ。

資料によると、この地域は主伐が多く行われているとあったので、伐採跡地の再造林はどうなっているのか心配だったのだが、雑木林の皆伐なら基本的に放置しても萌芽更新するだろう。むしろ若返りを進める効果があるかもしれない。ナラ枯れについて聞き忘れたが……。

しかも、全部チップにしているわけではないらしい。良いものは抜き出して製材に回すそうだ。

と言っても、この工場および地域で広葉樹製材をやっているわけではない。ある意味、広葉樹を挽くのは特別な技能なり道具がいる。
実は、宮崎に送っているそうだ。都城では広葉樹製材が結構行われているからだろう。

そして、驚くのはこの後。宮崎で製材にされてから、北海道に送られているそうだ。

なんと、島根県から宮崎経由で北海道であったか。

そこで思い出すのは、北海道の家具職人に「ミズナラの木で家具つくっているが、最近は材がなくて困っている。今から植えても300年かかる」という嘆きを聞いたことだ。その際の私の回答は「ミズナラがなければコナラを使いなさい」だった(笑)。

なんだ、すでに実行しているではないか。

実は、ミズナラとコナラの材質は似ていて、区別がつきにくい。コナラでも十分よい家具など木工はできるはずだ。多少、コナラの方が硬いとか収縮率が高いとかいうが……。
北海道のミズナラ家具は島根のコナラでつくっている……という時代が来ているのかもしれない。

ただ、益田市内の匹見町では雑木による森の器づくりをやっていることで知られるが、ここでは材料不足を嘆いていた。なかなか広葉樹材が手に入らないそうである。山にはあるのに、流通がつながらないのだ。

そのため製作が追いつかず、私がほしいと言っても売ってくれなかった(^^;)。しかし、宮崎に送る前に地元にも少し回す余裕があればよいのだがなあ。

1

2014/02/03

自然の「いい加減さ」をSTAP細胞から考える

理化学研究所の小保方晴子博士の開発したSTAP細胞が話題を呼んでいる。
まったく考えられなかった手法で万能細胞を生み出したのである。加えて若干30歳の女性がチームリーダーとして数百年に及ぶ生物学の常識をひっくり返したという点でも注目を集めた。

私も、リケジョ萌えの傾向があるので、小保方さん(あえてさん付けさせてもらう)の登場には興奮したが、ここは彼女の経歴やオシャレ・趣味などに眼を向けるのではなく、もう少し真面目にSTAP細胞の意味を考えたい。

私も細胞生物学は専門外なので詳しくはわからないが、それなりに解説記事を熟読して考察した。STAP細胞とは、刺激惹起性多能性獲得細胞を意味するというが、ようはいったん分化して各器官を担うよう特殊化した細胞が、刺激を与えることで再び多能性をとりもどし分化前の姿にもどるということだ。
まさに生物学の常識をひっくり返したわけだが、私が感じたのは、生物とはなんと融通無碍で「いい加減」なのだろう、ということだ。

実は、このことは薄々感じていたことである。生物は機械のようにきっちりと役割や機能を分担した存在ではない。それは遺伝子レベルから個体、群、そして生態系まで、実は「いい加減」にできているのではないか、というのが私のぼんやりした理解であった。

以前、蚤の研究で面白いものを見たことがある。蚤は翅はないのに自分の体長の数十倍の高さに跳躍できる。では、着地はどのように行っているのか、というものだった。ものすごい高さから下りてくる際にショックを和らげて、態勢を維持する方法がわかれば、将来のロボット制御技術などにも応用が効くだろう……。

が、高速カメラで捉えた蚤の跳躍とその着地は、実にいい加減なものであった。
ようするに転ぶのだ。蚤が強力なジャンプ力を持つのは間違いないのだが、そのまま勢い余って着地する時に転ぶ。だが、再び起き上がるのである。
それでいいのだ。あたかもオリンピック選手のようにスマートな着地を行うために苦労するより、転んでも起き上がる能力を身につけていれば。ここに「いい加減さ」を感じる。

そう言えば、遺伝子のほとんどが中立的で何かの発現に関与しているわけではないらしい。またキーとなる遺伝子を取り除いたら、ほかの遺伝子がその代わりを行ってしまうこともあるそうだ。

森林生態系でも、一本の大木を除けば、その周辺の動植物に影響は与えるが、新たな環境に適応した動植物も登場して、生態系も再構築する。そして全体としては強固に保つ。それは劣化ではなく、新たな進化かもしれない。それを生態系の「いい加減さ」と捉えることもできるだろう。

ただ「いい加減さ」が通用するには、周辺や個々の機能の多様性も欠かせないと思う。中立遺伝子の存在や、一つの細胞の万能化を支える周りの細胞、森林内にある多様な動植物の存在……そして外部からの刺激などに臨機応変に対応できる能力がなければ難しい。

今回の発見は、私には「自然界のいい加減さ」の証明にもなるのではないかと思っている。そして、自然の強さ、精緻さは、そのいい加減の中に含まれているのではないか……と萌えながら考えるのだ。

2014/02/02

顔のない木喰仏

萩では、維新の史跡巡りをしていただけではない。

とある、訪れたお寺。ここにある仏像を拝んできた。

2



不動明王(左)と、地蔵菩薩(右)である。

高さは50センチくらいだろうか。

問題は、この仏像の作者だ。

なんと木喰(もくじき)上人なのである。

木喰は、江戸時代中期の遊行僧だが、特定の宗派に属することなく、全国を歩いておびただしい仏像を刻んでいる。その足跡は蝦夷地まで広がり、日本を一周したらしい。そして90歳を超えても創作意欲は衰えなかったらしい。

私は円空とともに興味を持っている僧、および仏像の彫り師だが、その仏像のある法宗寺を訪れて見学させていただいた。

ただ、よく見てほしい。全体に何か削られた痕があるが、とくに地蔵菩薩の顔がなくなっている。

4


なんだかタリバーンに破壊されたアフガニスタンの石仏かのように連想するが、何も異教徒が仏像を傷つけようとしたのではないらしい。

むしろ信仰により、仏の顔を削って、薬のように木屑を煎じたのではないかというのだ。なんでも、東北の仏像に多いとか。

表情がわからなくなったのは残念だ。しかし、仏像を薬とする信仰というのは興味がある。たしか石仏で同じような意味で、削る風習はどこかで聞いた気がする。

こうした民間信仰については詳しくないのだが(誰か知っていますか)、木喰上人にとっては本望かもしれないなあ。

2014/02/01

次は竹林ジャーナリスト!

昨夜まで島根にいたのだが、益田で見学させてもらったのがこれ。

1


何かわかるだろうか?

もちろん見た通りの粉だが、その材料は……。

木粉ではない。竹だ。竹パウダーである。

なかなか細かい。サイズは変えられるそうだが、0,1ミリ単位だろう。




私は、竹パウダーを製造していると聞いて、てっきりパンに混ぜて焼いて食べるのかと思った(笑)。それで喜ぶのはパンダだけか。いや、案外美味しいかもしれない。繊維質でダイエットパンになるし……。

そうではなかった。利用法はいろいろあるのだが、ここで行っているのは、土壌改良材。ただし、パウダーだと風で飛ぶからと、ペレットにしている。

1_2


つなぎは米ぬかだそうだ。

水に濡れれば崩れるからすぐ土に混ざるだろう。

なかなかアイデア商品だと思ったのだが、実はその需要は想像以上に大きかった。某地方では大量に使っているということで、年間生産量は……担当者がうろ覚えの記憶では、2万トン! の竹を材料にしているという。これは凄い。アイデア商品のレベルを超えて、十分にビジネスになり得る。

実は、昨年は竹から紙をつくる工場を見学したのだが、そこでも年間2万トンの竹を集めているとのことだった。これを竹林から間伐で取り出すとすると、整備される竹林面積は数千~一万ヘクタールくらいにはなるのではないか。

竹林は、整備しても来年にはすぐにまた伸びるから積み重ねにくいが、それでも里山で猛威を奮う竹林整備の大きな力になるだろう。

う~ん。意外や竹の潜在的需要はあるのではないか。もっと事例を集めたら、現代版竹取物語を描けるぞ。

私も、森林ジャーナリストから竹林ジャーナリストに衣替えする日が近づいているのかもしれない……(⌒ー⌒)。

« 2014年1月 | トップページ | 2014年3月 »

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

森と林業と田舎