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2014/02/03

自然の「いい加減さ」をSTAP細胞から考える

理化学研究所の小保方晴子博士の開発したSTAP細胞が話題を呼んでいる。
まったく考えられなかった手法で万能細胞を生み出したのである。加えて若干30歳の女性がチームリーダーとして数百年に及ぶ生物学の常識をひっくり返したという点でも注目を集めた。

私も、リケジョ萌えの傾向があるので、小保方さん(あえてさん付けさせてもらう)の登場には興奮したが、ここは彼女の経歴やオシャレ・趣味などに眼を向けるのではなく、もう少し真面目にSTAP細胞の意味を考えたい。

私も細胞生物学は専門外なので詳しくはわからないが、それなりに解説記事を熟読して考察した。STAP細胞とは、刺激惹起性多能性獲得細胞を意味するというが、ようはいったん分化して各器官を担うよう特殊化した細胞が、刺激を与えることで再び多能性をとりもどし分化前の姿にもどるということだ。
まさに生物学の常識をひっくり返したわけだが、私が感じたのは、生物とはなんと融通無碍で「いい加減」なのだろう、ということだ。

実は、このことは薄々感じていたことである。生物は機械のようにきっちりと役割や機能を分担した存在ではない。それは遺伝子レベルから個体、群、そして生態系まで、実は「いい加減」にできているのではないか、というのが私のぼんやりした理解であった。

以前、蚤の研究で面白いものを見たことがある。蚤は翅はないのに自分の体長の数十倍の高さに跳躍できる。では、着地はどのように行っているのか、というものだった。ものすごい高さから下りてくる際にショックを和らげて、態勢を維持する方法がわかれば、将来のロボット制御技術などにも応用が効くだろう……。

が、高速カメラで捉えた蚤の跳躍とその着地は、実にいい加減なものであった。
ようするに転ぶのだ。蚤が強力なジャンプ力を持つのは間違いないのだが、そのまま勢い余って着地する時に転ぶ。だが、再び起き上がるのである。
それでいいのだ。あたかもオリンピック選手のようにスマートな着地を行うために苦労するより、転んでも起き上がる能力を身につけていれば。ここに「いい加減さ」を感じる。

そう言えば、遺伝子のほとんどが中立的で何かの発現に関与しているわけではないらしい。またキーとなる遺伝子を取り除いたら、ほかの遺伝子がその代わりを行ってしまうこともあるそうだ。

森林生態系でも、一本の大木を除けば、その周辺の動植物に影響は与えるが、新たな環境に適応した動植物も登場して、生態系も再構築する。そして全体としては強固に保つ。それは劣化ではなく、新たな進化かもしれない。それを生態系の「いい加減さ」と捉えることもできるだろう。

ただ「いい加減さ」が通用するには、周辺や個々の機能の多様性も欠かせないと思う。中立遺伝子の存在や、一つの細胞の万能化を支える周りの細胞、森林内にある多様な動植物の存在……そして外部からの刺激などに臨機応変に対応できる能力がなければ難しい。

今回の発見は、私には「自然界のいい加減さ」の証明にもなるのではないかと思っている。そして、自然の強さ、精緻さは、そのいい加減の中に含まれているのではないか……と萌えながら考えるのだ。

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コメント

STAP細胞、追試が出ましたね
これでノーベル賞確定ですな

そう、ノーベル賞確実の大成果です。
今後、世界中でSTAP研究競争が始まるでしょうが、根幹の理論を重んじるノーベル賞を外すことはないと思います。

と思ったらデータに疑義が
http://blog.goo.ne.jp/lemon-stoism/e/008ac025ee1ccf4c694869f09b053ee7
電気泳動の画像はクロの印象ですが、どうなりますか

えええっええ~。

まあ、今後の成り行きを見守りましょう。。。。

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