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2014/02/09

「トリック劇場版~ラストステージ」で考える

トリック劇場版 ~ラストステージ~」を見た。

あの、テレビドラマ「トリック」シリーズの映画第4弾である。これが、最後! と幾度も強調されていた。

私は、「トリック」のファンだったし、仲間由紀江のファンでもある。「トリック」は彼女の出世作かもしれないが、私はそれより前のデビュー直後くらいから注目していたのだよ。
が、映画をいち早く観たかったかといえば、必ずしもそうではない。実際、劇場版は、いずれもテレビ放映にて観ている。

今回劇場に足を運んだのは、単に講演出張で現地到着時間が2時間ほど遅くすることになり、その空いた時間に何をしようかと考えた結果である。ちょうど乗り継ぎの大阪駅前でやっている映画で時間も合うもの……と調べたら「トリック」だったという、安直な理由だ。

その意味では、さして期待せず、ただ「これが最後」という言葉にちょっと引かれた、という程度の時間潰し的映画鑑賞であった。笑えて終わればいい。

が、なんと感動してしまった。うるうるして、もう少しで泣きそうだった(笑)。
http://www.yamada-ueda.com/movie/04movie/index.html

ただし、ここで書きたいのは映画評ではない。

「トリック」は、霊能力などオカルトぽい事件事象のトリックを天才?物理学者と美人?マジシャンが暴く、というのがメインテーマながら、小ネタギャグ満載のチープなつくりが魅力。ただ背景には、横溝正史や江戸川乱歩などの伝奇小説的な土地の因習や旧家の歴史などが散りばめられている。しかも仲間演じるマジシャン山田奈緒子は南海の孤島・黒門島のかみぬ~り(島の方言で呪術師)の血筋という要素も見え隠れさせている。

いわば、非合理で非科学的な謎(因習)を暴くのが「トリック」の真骨頂なのに、肝心の非合理性は暴く側にも漂っているという矛盾……。

そしてテレビのシリーズも含めて、「トリック」の物語では、数多くの辺境地、山村や孤島を舞台にしているのが特徴の一つだ。いずれも奇妙な地名を冠しているが、そこにはさまざまな伝説と、過去の血塗られた歴史・事件があり、さらに怪しげな宗教とか土地の行事(祭)が登場する。

正直、「トリック」シリーズ全体に、山村とか田舎をおちょくっているイメージは当初からあった。古臭く、インチキ臭い因習や人々と謎の数々。舞台を都会にしたらしらけるが、田舎に設定するから妙に納得させてしまう雰囲気なのである。

もし、登場する村や因習、宗教団体のモデルが浮かぶようにリアルに描けば、テレビ局に抗議が殺到したかもしれない。が、あまりに荒唐無稽でお笑い的要素を強めた描き方だから、逆に「誰も信じない」ために放置してしまうのではないか?

しかし、視聴者(というより日本人)の大多数は、田舎・辺境には怪しげな祭や伝説、そして因習があってもおかしくないと思っているだろう。

たしかに、あるのだ。田舎には変な風習が。(今は廃れたかもしれないが。)
かみぬーりという呪術師も、沖縄にいるノロや、青森の恐山にいるイタコに相当するし、たしかに東北や南西諸島には妖怪的なものが登場する祭(秋田のなまはげなどもその一種だが、あまりに有名になり観光にも一役買うことでイメージをぬぐってしまった)もある。
また奄美などでは、死者を葬る際は風葬後に洗骨などの儀式を行っていた。ミイラ化白骨化した遺体を洗って骨を取り出すのである。
ほかにも老人を山に捨てる村、無人島に病人を捨てる歴史を持つところもあった。

そして、それらはトリック<インチキ>として暴かれる運命にある。田舎の非合理な習慣を払拭されようとする。

ただし、ここが肝心なのだが、トリックを暴いて意味を説明してしまうと、それらは合理的で科学的な存在に成り変わる。

怪しげで、無意味で、無駄ばかりの儀式は、実は何らかの必要性があって行われたものであり、かつて意味があったことを示す。今では必要なくなった儀式が、かつては村人の心を一つにして困難に立ち向かう役割を持っていたのかもしれないし、昔の歴史的事実を神話化して知恵を言い伝えたのかもしれない。病人や老人を捨てるのは、伝染病の蔓延を防ぐためだったり、口減らしで村の存続を願ったものだった。

もしかしたら、現代社会では無意味で無駄で非効率とされていることにも(少なくても以前は)意味があったのではないか。
同じくビジネスでも無駄をなくす運動が大はやりだが、一面で仕事に潤いをなくし、神経をすり減らし、見えないまま存在したリスク管理を奪っているのではないのか。
さらに言えば、市場主義社会に蔓延している効率とかスピード、あるいはすべての謎を払拭し、進歩、向上、前進……などを求める思想に一点のくもりもないのだろうか。

機械化を推進して、人の動きから無駄を排し、休み時間や無駄話も規律で縛り、さあ効率が上がりました、科学的経営ですよ……というのが長い目で見て正しいのだろうか。
それが短期の利益を求めるには最適でも、長期的スパンでは環境破壊を引き起こしたり、経営の持続を不可能にしまう可能性だってある。

最近は「無駄の効用」とか「働かない蟻にも役割がある」といった研究が登場しているが、「非効率の効用」とか「さぼって効率下げることが地球環境を守る」なんてテーゼを打ち立てられないか……。


私の妄想的思考は、映画「トリック」を見ながら、どんどん膨らんだのである……。




  

ちなみに「ラストステージ」では、舞台を海外に移した。スンガイ共和国とあるが、ロケ地はボルネオだ。実は、ロケを行ったマレーシアのサラワク州は、私が幾度も通ったなつかしい土地で、映画に描かれる景色も記憶がある。
それはともかく、海外の熱帯雨林の中の少数民族の村を舞台にしたために、その非現実性は少し薄らぎ、本当にありそうな世界観を漂わせていた。

そして、ここでも呪術師の行うオカルティックな予言やら治療・呪術などの裏側を暴く。ただ、ここで自問してしまうのだ。

呪術は、なぜ必要だったのか? 呪術師はなぜ存在するのか? 非合理に見えて、ちゃんと意味があったのではないか。。。

映画では、その解答の片鱗を示していた。呪術師の役割と儀式の意味を……。一つは、未知の動植物を扱う知恵の伝達者として。また一つは村の危険を察知するセンサーとして。そして……まだ上映中だからネタバレのことは書かないが、呪術のような非合理の中に真理があることも忘れるべきではない。

 
 

オマケの写真。 
 

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五島列島の黄島で行われる「観音祭」。

島にある洞窟奥深くで島民が集まって執り行う不思議な祭。私は何回も島に通って撮影させてもらった。

島外にはほとんど知られず、相当奇妙な儀式であった。見学というか、参加させてもらったことは貴重な体験であった。
これが開かれるのは、旧暦の○月○日。あっ、書いていて気がついた。来週だ!

なんのために洞窟の奥で法要を営むのか、今となってはわからないが、かつては意味があったのだろう。

宗派は真言宗だが、寺には2体のマリア観音?像が伝わる。

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