琉球に蔡温の林政あり
2月は各地に出かけ続けたので、話題も各地に飛んだが、改めて沖縄にもどる。
私が沖縄を訪問したのは、大雪を察して逃げ出した……わけではなく、一足先に桜の花を見たかった……わけでもなく、当然、泡盛とゴーヤチャンプルと沖縄スバを食べたかったわけでも……いや、それも入っているかもしれない。が、私の目的は、地域起こしの話をしに行ったのである。が、隠れた目的として、蔡温についての資料収集があった。
この写真は、森のおもちゃ美術館にあったものだ。
大きな木をくり抜いて(あるいはウロがあった木かもしれない)作られたもので、中をくぐって遊べる趣向だが、この木はリュウキュウマツである。
そして蔡温松と呼ばれている。彼が音頭を取って植林したマツは、すでに樹齢300年を越えているが、2012年の台風で倒れたものを利用して作ったそうだ。
蔡温を知っているだろうか。18世紀の中頃に琉球王国の執政として活躍したことで有名だ。琉球でもっとも優秀だったとされる政治家である。内政外政、あるいは経済政策など数多くの業績がある。が、ここで私が気になっていたのは林政だ。
琉球の植林の歴史は、1501年に那覇の円覚寺総門に植えた1000株のリュウキュウマツに始まるという。これは直接林業につながる植林ではないが、本土と比べてもかなり早い部類に入るだろう。
そして蔡温は、王国全体に森林育成と保護策、そして林業技術の確立させている。それは後に林政八書としてまとめられたが、植え方、育て方といった技術書に始まり、森林立地鑑定法、役所の権限と制度、行政の職務規定、森林官の役割・森林犯罪に対する罰則……そして法令集まで作っている。
なかには、遠くから山を眺めて森の様子により、その林相と価値を見分ける方法まである。荒れた山、良木のある山、まだ若い山……などを遠目に区別する方法が記されてある。
なぜ、こんなに熱心だったのか。
那覇で買い求めた本によると、そもそも琉球は、木材不足だったこと。しかし、交易のために船が欠かせず木材が必要不可欠だったことがある。もちろん、燃料としての薪炭も重要だった。とくにリュウキュウマツとイヌマキを重要な木とした。そこで、森林育成を重要視したのだ。
そしてスギを随分植林していた。もともとスギは自生していないから、苗を取り寄せて増やしたという。その材は、首里城にも使ったらしい。
にもかかわらず、現在の沖縄には、ほぼスギは生えていない。どこの時点で琉球からスギが消えたのか気になるところだ。
もしかして、琉球は、狭い島国ゆえに、早く木材不足が起き、それゆえ林政が発達したのかもしれない。そういえば、同じ時期に岡山の熊沢蕃山とか土佐の野中兼山なども登場している。どちらも、たたら製鉄や薪輸出のため木材需要が強くて山が荒れていた土地の治世者である。
木材不足がよりよき林政を生む。。。。翻って木材余って怪しき林政になる。。。
ああ、現在の日本がどちらに位置するか。言わずもがな、である。
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スギについては花粉分析すれば年代は分かるでしょう
蔡温の業績は完全にオリジナルなんですかね?
中国から輸入された部分(全部?)はどうなんでしょうねえ
何しろ三国志は邪馬台国から数百年前ですから、中国でも林政が発達していた可能性はあると思うのですが
投稿: か | 2014/03/05 12:27
誰か、研究されている人はいませんかねえ。
蔡温の林政林学知識がどこから得たのかも研究していないのかなあ。日本の書物に似たような記述があるように思いませんが。中国の書物はわかりませんね。
投稿: 田中淳夫 | 2014/03/06 20:49
はじめまして。
いつもブログを楽しみに読ませていただいています。
私は、個人的に蔡温を調べているうちに、林業に興味を持ち、田中様のブログを拝読するようになった者です。
蔡温の話題が出てきてびっくりしました。
興奮して、すぐにコメントができなかったほどです(笑)
蔡温の林学知識がどこから得られたものなのか、管見のかぎりではダイレクトに答える研究はありません。
今のところの私見としては、
1.熊沢蕃山・野中兼山らの日本の林学知識を、
2.中国由来の風水(地理)学の知識で再解釈し、
3.琉球の風土に合うようアレンジしたもの
ととらえています。
割合としては、上記1・2・3の要素がちょうど1:1:1ぐらいで合わさっているように感じています。
中国にも林政・林学はきっとあったはずですが、少なくとも日本語で読める研究はほとんど見つかりません。
かろうじて、清代に宮殿の建材を確保するための“例木制度”という育林制度があったという研究(の概要)が、ネットで見つかる程度です。
なお、
沖縄の林業史については仲間勇栄氏、
中国・琉球の風水史については都築晶子氏の研究を追っていけば、
最新の研究動向がつかめると思います。
蔡温の入門書としては、手前味噌ですが、拙著『蔡温の言葉』が良いのではないかと…・…。
というより、蔡温についてのまとまった書籍は本当に少なく、ここ30年ほどの間に出版されたものが拙著ぐらいしかないのです。本当に。
もし送り先を教えていただけるなら、献本させていただければと思います。
いきなり長々とすみませんでした(これでも大分削ったのですが……)。
それでは、今後も楽しみに読ませていただきます。
投稿: 佐藤亮 | 2014/03/07 20:07
おや、蔡温から林業という私とは逆のルートの人がいたんですね。
たしかに時代的には、蕃山や兼山より少し後の人ですから、彼らの著書を読むことはできるはずですが、はたして琉球まで伝わったのか…。ただゼロから生み出せるものではないので、やはり基礎知識はどこからか得たのでしょう。
ところで、私が那覇で買い求めた文献の一冊が「蔡温の言葉」です\(^o^)/。その著者からコメントをいただけて光栄です(^o^)。
蔡温については、もっと調べる価値があると思います。琉球という一小国の政治家に留めるのではなく、その思想はもっと普遍的に応用できるものと見るべきでしょう。ぜひ、研究を進めて下さい。
投稿: 田中淳夫 | 2014/03/07 20:57
なんですって\(^o^)/
お買い上げありがとうございます\(^o^)/
琉球にはかなり日本の書物も入っていたようなので、蕃山らの著書もおそらく入っていたんじゃないかなあと個人的には思います。
著書が直接入っていなくても、彼らの林学思想が薩摩を通して琉球に入ることは十分にあり得たのではないかと。
じつは蕃山の著書を読んだとき、「おや、なんだか『新濬那覇江碑文(しんしゅんなはこうひぶん))』みたいだな」と思いました。
この碑文は蔡温が撰文したもので、当時行われた那覇港の浚渫工事を記念したものです。
碑文の中では、那覇港に泥土が堆積する原因が分析されていて、いわく、上流の山林を開墾して田畑にしたために川に泥土が流れ込み、それが河口まで流れて港に堆積している云々と。だから港の底をさらうだけでは駄目で、上流の田畑を山林に戻すところまでやったよ、ということが書かれていたと思います(いま原文が確認できないので、うろ覚えです)。
本腰を入れて検討したわけではありませんが、蕃山を一読したときの印象として、「ハハーン、これが蔡温のネタ元のひとつだな」と思ったものです。
ちなみに、私は研究者ではないので、蔡温に関しては「入門書」を書いた時点で自分の役割は終わったと思っています(汗
これ以上は本職の研究者に任せて、私はのんびり彼らの研究成果を享受したいですね。「入門書」に続く書籍が出てこないのが、なんとも歯がゆいですが……。
投稿: 佐藤亮 | 2014/03/09 02:45
熊沢蕃山は岡山藩の学者ですが、現在の大分県にあった岡藩に招かれて林政指南に訪れていますね。つまり蕃山の業績は、当時から広く日本中に知られていたことになります。もしかして琉球に伝わっていたかもしれません。
ただ、林相を見て森林の状況を読む記述は、日本本土の学者の文献にはなかったと思うなあ。蔡温の独自性かもしれません。
佐藤様は沖縄に住んでいるわけではないんですね? よくぞ蔡温に取り組まれました。仲間勇栄氏の著作は、今はネット書店でも手に入らないようだし、なかなか資料収集は大変です。
投稿: 田中淳夫 | 2014/03/09 12:00
おもしろいですね〜
伐採等の人為と自然環境の関連性では、明治まで処女地だった北海道に注目しています
問題は自然科学的手法での裏付けをどうとるかですが、例えば川底のコアを解析すると、土砂の粒度組成が開拓以降に変化する事が分かっています
倉茂ほか(2005)20世紀の大規模農業開墾に伴う砂質堆積物流出 : 北海道・当縁川流域の事例.
http://ci.nii.ac.jp/naid/40006769214/
私は、放射性元素による年代測定と、花粉組成や土砂粒度などを組み合わせる事で過去の環境復元が可能と思います
これまでは氷河期など数万年以上のスケールで使われて来た方法ですが、今後は人間の影響を復元するのに使われると思います
人文的な資料と組み合わせる事で、立体的に復元出来るんじゃないでしょうか
それと、西洋式の科学では、原典主義(つまり出典=オリジナルが誰orどこかを明らかにする)が徹底しているのに対して、東洋(っていうか中国)式ではこの辺が適当ですよね
日本は江戸時代までは東洋式だったわけで、今、コピー製品などで非難されている国もありますが、オリジナリティーに対する文化が違うんだな、とも思います
とはいえ現在の日本は西洋式なので、研究としては、蔡温や蕃山の関係性や、本当にオリジナルかを明らかにするのは大変ですね
それにしても、ブログの醍醐味ってこういうとこなんでしょうね
やってみようかな〜
投稿: か | 2014/03/09 21:31
環境歴史学は、点で調べてもあまり意味がないので、面になるまで根気よく調査を続けないといけません。研究者の地道な努力に期待します。
やってください\(^o^)/。
原典を探すのも大変ですね。
私は、以前幕末の学者・畔田翠山について調べていたのです。彼の著作には日本で独自に生まれた生態学的視点があったので。ところが、どれが本当の彼の著作か調べるのが結構大変。写本が多いんですよ。畔田翠山の署名があっても、それは誰かの著作を写した可能性がある。
伊豆諸島に関する著作があって、「海を渡ったのか!」と色めき立ったのですが、調べると同じ内容の本が別にあって、写本でした。。。
投稿: 田中淳夫 | 2014/03/09 23:01