無料ブログはココログ

本の紹介

« Y!ニュース「ソメイヨシノの一斉開花」記事の裏側 | トップページ | 原六郎と富子 »

2014/04/12

西太后と政子

先日、訪問した泉州の旧家で拝見した写真の一部を公開。

Photo




さて、誰でしょう?

中国人ぽい、というか、完全に中国人の服装だが、現代のものではないのはわかるだろう。

そう、清国の時代のものである。それも、清国の貴族の装いだ。
 


着ているのは、内田政子。もちろん日本人。正確には、当時の清国大使館に勤務した内田康哉公使の夫人である。

そして、土倉庄三郎の次女。当時、アメリカに長く留学して完璧な英語に加えてフランス語、ドイツ語もマスター。帰国後、内田に見初められて結婚するが、清国に赴任するや、北京語まで覚えてしまった。

そして、外交官夫人として各国の外交官の社交界に参加するが、そこで彼女を気に入ったのが、西太后だ。多少とも近代中国史をかじった人なら知っているだろうが、清王朝の末期に皇帝の后にして、母として皇帝を支配して、実質的に政権を掌握した。
その残虐さは映画にもなって描かれたが、同時に崩れ行く王朝の命運を左右した。洋務運動など改革指向もあるが、義和団事変に乗っかるなど国を滅ぼすきっかけをつくる。

政子夫人は、西太后の寝室まで入れるほど親しくしていた。これは、ほかの外交官の誰一人できないことだった。

そして日露戦争が勃発。苦戦した日本軍は、奉天会戦で乃木大将がロシア軍の後ろに回り込む大迂回作戦を展開する。が、その時のルートは、清国の中立地帯だった。

そこを通ってロシア軍の裏をかくことができたのは、政子夫人の西太后への口添えがあったからだ。おかげで清国は日本の国際法違反を黙認したのである。

(そのとき、内田公使は何をしていたのか? )

ともあれ日露戦争で日本は勝利し、内田は帰国後外務大臣にもなるが、あまりその後は評判よくない。ただ政子夫人の賢さばかりが目立った。

この写真は、そんな頃の政子夫人の姿。帰国時は、西太后から莫大なお土産をいただいたと伝わる。チャウチャウもいたという……。

 

« Y!ニュース「ソメイヨシノの一斉開花」記事の裏側 | トップページ | 原六郎と富子 »

土倉庄三郎」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/36391/59452222

この記事へのトラックバック一覧です: 西太后と政子:

« Y!ニュース「ソメイヨシノの一斉開花」記事の裏側 | トップページ | 原六郎と富子 »

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

森と林業と田舎