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森と林業の本

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2014/05/03

椿井城跡に登る

世の中、ゴールデンウィークなんだねえ。。。。

前半の休みは、それが連休入りだと気づかず、単なる土日終末、いや週末だと思っていた私だが、さすがに後半は気づいた(^^;)。
 
まあ、世間が休んでいる時ぐらいは仕事しないと、いつ働いているのかわからないと思われている(というより、本人も心配している)有り様だ。

 
そこでブログで小難しいことを書くのもナンだから、小ネタ、軽ネタ、日常雑記にしておこう。
世間の休日ぐらいは働く、としつつ、せっせと取り組んでいるのが、散歩。運動しなくては、という気持ちが半分だが、実は散歩こそが思索の時間でもある。だから、これも仕事(⌒ー⌒)。
そこで訪れたのが、隣町平群町の椿井城跡。れっきとした山城だ。
030
  
下から見上げたところ。
 
幟が幾本か立っているところが、頂上で城跡、とされている。
北と南の2つに廓があったようだ。ただ城としては、どんな建物があったのかわからない。おそらく砦みたいな簡素なものだろうが……。
 
  
実際に登ってみると、なかなか眺めがよろしい。
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山頂近くの南の廓跡、と思われる。
 
とくに何もない(笑)。
 
ただ、石垣の一部や堀切などの遺構が見つかっている。
また平坦な地形や周辺の形状が、いかにも人工的。
写真のように、いつも幟を立てている。
 
急ごしらえの道で傾斜もきついから、登るのはよい運動になる。北の廓は、道が崩れてきたので修復中とかで入れなかった。
 
ほとんど知る人はいないと思うが、戦国時代この地の領主だったのが、嶋家だった。そして有名なのが、嶋清興。世間には、嶋左近の名の方が知られているだろう。
 
石田三成に過ぎたるものとされた佐和山城と嶋左近、なのである。一説には、光成は自分の録の半分を与えたという……。事実、各所で軍師的働きをしつつ家康を狙撃するなど活躍するが、最後は関が原で大奮戦の後に討ち取られている。彼の故郷は、大和の国平群の椿井であった。
 
 
そこに侵入してきたのが、松永弾正久秀。戦国3大梟雄の一人とされる人物だ。一時は大和を制圧し、足利将軍を暗殺し、主君三好家3兄弟を撃ち、大仏殿を焼き払ってしまうなど大活躍? した。さらに織田信長にさえ反旗を翻したのだが……。
 
嶋左近は、長い戦いのうちに嶋家はこの地を追われて筒井家に身を寄せ、そこも去って浪人中に石田三成に士官を乞われるのたが、それはさておき大和の国を松永久秀から守るために戦った拠点が、椿井城であった。
  
……と言っても、そんなこと最近まで地元の人も知らなかった(笑)。
  
それを発掘して、城跡を整備したのは、地元のNPO法人うぶすな企画の面々だ。嶋左近で地域を盛り上げようとラジオドラマやアニメまで作ったのだが、次に取り組んだのが、この城跡だ。ほとんど道も自分たちで整備したらしい。
  
おかげで私のように登る人が増えて、道が崩れてきたというのだから、兵庫県朝来市の「天空の城・竹田城」と同じような状態だ。
 
地元の歴史資源をクローズアップすることも大切だねえ。
 

ちなみに私は、松永久秀が好き。だって、私の母方の先祖だもの。

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