昨夜、よみうりテレビで、ドラマ「お家さん」が放映されていた。
玉岡かおるの小説「お家さん」を原作にしたものだが、描かれたのは明治から大正にかけて燦然と日本のビジネス界に存在した鈴木商店を舞台にしている。
「鈴木商店」と聞くと、小さな町のお店のイメージだが、かつて三井三菱住友を凌駕した世界一の総合商社である。その勃興と消滅はいくら紙数があっても描ききれまい。ただ、神戸製鋼所や石川島播磨重工業、帝人、そして日商岩井(現・双日)……などを生み出した母体といった方がピンとするだろう。
神戸の小さな砂糖商からここまで成長したきっかけとして上げられるのは、クスノキから作り出す樟脳である。当時、樟脳はセルロイドの原料であり、非常に貴重な産物だった。
その生産のために台湾に進出したことで、大きく成長したのである……。
ここのところは小説やドラマの受け売りだが、進出したのが日清戦争直後、台湾を日本が領有したばかりの頃だというのがミソだ。まだ民間人は渡台できない時期に軍属にまぎれて渡ったという。
実は私が鈴木商店に興味を持ったのも、そこなのである。
……なぜならまったく同じ時期、台湾に渡ったのが土倉龍次郎だからだ。山林王・土倉庄三郎の次男である龍次郎は、自らの生きる道を台湾に求めて、軍属の資格で台湾に上陸した。そして、この島を探検縦断して新たな事業のネタを見つけたのだ。
台湾時代の土倉龍次郎。当時としては大男だったそうである。
新島襄に憧れ、世界雄飛を夢見て、25才で台湾に渡った頃ではないか。
取り組んだのはやはり林業だが、ほかに目をつけたのが樟脳だった。
1904年に「台湾採脳拓殖合資会社」を継承して、社名を「台湾製脳合名会社」に変更、大規模な生産に着手する。
やがて窯は450基にもなり、従業員数2000人を超えたという。
となると、鈴木商店と関わっていないはずがない。樟脳を求めて台湾に進出した鈴木商店と、樟脳を生産する龍次郎は、どこかで交わっているはずだ、と思って調べた。
……残念ながら、鈴木商店側の資料からは、龍次郎の事業は見つけられなかった。が、関係していないはずがない、仮にライバル関係であっても、ビジネス上は無視できないはずだと思う。
もっとも、龍次郎は着々と1万ヘクタールにもおよぶ借地に造林を進め、台湾初の発電会社「台北電気株式会社」も設立するなど次々と事業を展開した。樟脳事業は、徐々に縮小したようである。もっとも、その点は鈴木商店も同じなのだが。
そして土倉本家の破綻を契機に、龍次郎はすべての台湾事業を三井に売却して、帰国した。そして取り組んだのがカーネーションの栽培である。
龍次郎は「カーネーションの研究」を出版している。龍次郎は「カーネーションの父」と呼ばれているが 、「カーネーションの母」と呼ばれる犬塚宅一と記した共著だ。
今に至るまで、カーネーション栽培のバイブルになっている本である。
龍次郎がいなかったら、日本のカーネーション栽培はずっと遅れただろう。
さて、明日は「母の日」。街角にはカーネーションがあふれている。
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