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2014/05/16

日本の森林美学はどこに行く

先日取材した中で、思わず出たのが森林美学の話題。

 
ごく簡単に紹介すると、19世紀後半にプロシア貴族のザーリッシュが森林経営する中で提唱した森づくりの経営論というか技術論だ。それは森の美しさは収益と比例するというもの。
そして森林美学を発展させた一人であるメーラーは、20世紀初頭に「もっとも美しき森は、またもっとも収益の上がる森である」という名言を残している。そして恒続林という概念もつくった。
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ザーリッシュ。
 

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メーラー。
 
 
 
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新島・村田の『森林美学』
 
 
 
 
 
この考え方は、ヨーロッパ林学で一世風靡して広がった。
ここで重要な点は、森林美学が対象としたのは人工林(原著も「人工林の美」というタイトル)であり、林業上の概念であること。つまり林業的に行う森づくりの指針として、「美しさ」を取り入れることを考えたのだ。何も天然林などの風景美を論じたのではない。
 
当時ヨーロッパに林学を学びに行った日本の留学生も、当然、この森林美学に触れている。そして日本に持ち込んだ。川瀬善太郎は、東京帝国大学で森林美学を初めて講義して、本多静六が彼の後を継いだ。「森林美学」という訳語は、本多の発明である。その後も本郷高徳らが講じている。
 
そして北海道大学(当時は、東北帝国大学農科大学)でも、林学を教えていた新島善直は、ドイツ留学時代にザーリッシュの薫陶を受けて、森林美学を講座に取り入れた。そして教え子である村田醸造とともに、1918年に『森林美学』を刊行した。そして北大は、今も世界で唯一「森林美学」の講座が残っている大学なのである。
 
 
もっとも、ここでややこしくなるのは、日本で出版された『森林美学』は、ザーリッシュの翻訳版ではなく、かなり日本向けに解釈し直した森林美学だった。同じ言葉を使っていても、別の本なのである。
 
 
ここで興味深いことを教わった。
日本の森林美学は、その後造園学に向かい、風致林などに応用され、国立公園の管理へと持ち込まれた……というのだ。そこでは林業は行われない。原始林や天然林の美になってしまったのだそうだ。
 
この話を聞いてうなってしまった。なんと、国立公園の森林に森林美学は紛れ込んで生き残ったのか。しかし、日本は森林美学を正確に継承せず、とくに林業現場に応用されなかったことに変わりはない。 
 
 
そういえば、川瀬、本多、本郷の3人は、後にいずれも「明治神宮」の森づくりに参画しているのは面白い。言い換えると、明治神宮の森こそ、日本的な恒続林なのかもしれない。ここで林業はやっていないけど……。
 
なぜこんなことにこだわっているのか。
私は、今こそ森林美学を現代林業に取り込むべきだと思っている。
 
なぜなら現在の日本の林業は、質より量、多様な美観より画一的で大規模な生産を目指しているからだ。
しかし、その結果として何が起きたか。材価は下がるし、景観は醜くなるし、生態系は破壊される。そして何より山主のやる気を削ぎ、市民の林業への嫌悪感を増す……という悪循環に陥っていると感じている。
 
だからこそ、今、人工林に美を持ち込むことの価値を改めて提唱してもらいたいのだ。
そのために森林美学を研究することは大切だと思う。何も古い滅びつつある学問を引っ張りだせというのではない。
 
ザーリッシュも含めて、森林美学で唱えられていることは、一種の経験則で明確な理論や定量的な事実を証明していない。
 
だが、私も経験的に感じるのは、美しい森は生態系も豊かで、そこから収穫する木材も質がよくて高く売れるということだ。また森の美しさは所有者や市民に誇りをもたらし、森を守る気概を生み出す。つまり、ザーリッシュやメーラーの唱えたことは正しいだろうと直感で思う。
 
……それを定量的に証明する研究を新たな森林美学で行ってもらえないだろうか。
材価や生態的な豊かさ・多様性は数値化できる。一方、美しさとかやる気、好き嫌いなど心の部分を定量化するのは難しいだろうが、ある種のアンケートと統計的な手法で描けるはずだ。
 
そして、それらが人工林の美と正の相関関係にあることが証明されたら、森林美学的な施業法と森づくりの理念に未来の森を託せるかもしれない。
 
 
だが、最後の砦?のはずの北大の森林美学講座は風前の灯火とか。来年あたりに消えるという噂も聞いた。それでは残念である。森林美学が求められるのは、今でしょ! と訴えたいのである。

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コメント

国内でそれを実現出来ている所はありますか?速水林業さんの山みたいな事でしょうか?

美林づくりを行っている林家は点在しつつ、それなりにいます。速水林業さんも含めていいんじゃないですか。メーラーの言葉をいつも唱えているし(^o^)。

大きな林業地として見れば、吉野のような高級材の産地もそれに入れられるでしょう。
そして私が見たところ、そうした林家の森は、たいてい生物多様性は高いし、所有者も意欲的な人が多い。材価も、とりあえず高い(コストに引き合うかは別として)。

研究の場としては、同じ地域に比較地もほしいから、大きな林業地ではなく、個人の篤林家の森と周辺の森を対象に調査してほしいですね。適地はあるはず。

私は兵庫県西部の旧上月町にて優良桧を生産しています。何をもって美林と言うのか、人工林は人間が環境を無視し経済目的で植林したものです、そこで人間は健全な林を維持する責任があると思います。スギ・ヒノキは成長阻害がなければ上空に向かいまっすぐ育ち、また風雨に耐えられる丈夫な個体に成長します。
人工林の個々の木が健全な姿であれば、安定感・強靭感等の安らぎを与え美林と言えるのではないでしょうか。当然高級材の基本である通直で芯が中心にある丸太が生産される林と言えます。
美林は生物多様性の林と言えるか?管理不足の林に比べればそう言えますが、天然林に対しては言えないでしょう。私は幼いころ嫌な体験をしたのか蛇が嫌いです、人工林内は蛇が少ないようです。

美林の定義はめんどくさくて、本家・森林美学とか恒続林では細かな条件を出しているようですが、私はもっと大雑把に捉えています。吉野の美林は一斉林だから入らないとか言わない(^o^)。

ただ「人工林は人間が環境を無視して」とは思いません。環境に適応した人工林もあるでしょう。また個々の木々が健全なだけでは、「景観」としての美しさは達成できるかどうか……(これは研究対象ですね)。木々の配置や草や低木の存在なども重要だと思います。

なお、よく管理された人工林は、天然林より生物多様性が高いことは、速水林業などで証明されています。私の経験上からも、天然林はあまり多様性は高くない。

「よく管理された人工林は、天然林より生物多様性が高い」について、スギ・ヒノキにはカミキリ虫程度で、毛虫を見たことがありません。渓流釣りにおいて人工林の割合の高い流域ではアマゴ・イワナが釣れにくいと聞きましたが?
草や低木がなければ個々の木々が健全とは言えないでしょう。

だから「よく管理された人工林」は、草や低木も生えているし、昆虫も野生鳥獣も生息しています。水源涵養機能も、天然林より高いという実験データも出ています。
針広混交林など天然林そっくりの人工林もあれば、純林となったり林冠が閉塞して下生えのない天然林もある。
人工林は、管理の理念や技術によって、まったく変わるのです。

そして、そんな人工林をつくる技術の一つが森林美学として提唱されているわけです。

人工林と天然林における生物多様性については、目に見える地上部分だけでなくその下の土壌や土壌微生物(菌類等)まで含めて議論すべきでしょうね。

メーラーの言葉は割と好きだけど、まだヨーロッパでも変わらずに支持されてるんですかね?

ヨーロッパの森林美学は、ほぼ消えていますから、多分メーラー支持者もいないと思います。
ただ最近は復権の動きもあるし、また中欧で主流になっている近自然林業も、突き詰めれば森林美学と同じ発想ですね。

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