ずっと気になっていた龍谷大学龍谷ミュージアムに足を延ばした。
「
チベットの仏教世界~もうひとつの大谷探検隊」展を見たかったのだ。
チベット仏教には結構興味を持っていた。仏教というより、その世界観を作り出した風土に興味があったと言えるだろうか。そして大谷光瑞の探検隊にも大いに興味を持っている。
この展覧会では、青木文教と多田等観の二人が入ったチベットに焦点を当てている。主に1910年代だから、ちょうど100年前の世界ということになる。
……この展覧会で私が気づいたこと。
青木文教と多田等観は、なんとなく大谷探検隊の一員かと思っていたが、そうではなかった(笑)。
三次に渡る大谷探検隊はウルムチや敦煌、カシュガルなどシルクロードを探検したのだが、私はてっきり青木や多田もその一環として派遣されたと思い込んでいたが、実はまったく別ルート・別目的であった。チベットのダライ・ラマ13世との交換留学生のような形でラサに滞在して仏教の勉強をしていたのであった(^^;)。
しかし、交換留学というのも凄い。
ともあれ、青木の撮ったあの時代のチベットの写真は、やはり圧巻だ。
個人的には、チベット仏教の仏像よりも、彼らの見てきたこと行ったこと持って帰った品が気になった。できれば、当時のチベットを巡る政治情勢や宗教界の事情も説明してほしかった。なぜ、チベットに世界が、そして西本願寺が注目したのか。
たとえば、彼らが入る前に河口や成田や寺本という日本人も仏教研究に入っている。そして青木や多田がラサが滞在中に、河口彗海も2度目のラサ入りをしていたし、さらに冒険家・矢島保治郎もいたのだ。
この矢島も興味ある男である。なんの後ろ楯もなく、宗教的情熱もなく、単に世界を無銭放浪する目的でチベットに潜入したのだから。それも2度も。こういう男は好きである(^o^)。そしてチベット軍の顧問としてダライ・ラマの警護隊長を勤めているのだ。
少し脱線するが、大谷探検隊には、土倉家も関わっている。
シルクロードに探検隊を派遣するために莫大な金を使った大谷光瑞はそのためもあって失脚するのだが、三次隊を派遣する頃には財源が底をついていたらしい。金に困って頼ったのが、土倉庄三郎だったのである。
三次隊の吉川小一郎は、幾度も土倉家に無心に行ったそうだ。その度にいくらでも出してくれた……らしい。時期的には、金を気前よく出したのは、庄三郎ではなく長男鶴松ではないかと私は睨んでいるが……。
まあ、そんなこともあって、土倉家は破産した(@_@)。笑えない話ではあるが、身代を傾けるほど流出した金の一部は、そんな文化事業にも使われたのだと思えば、多少はなぐさめにもなるのではなかろうか。
なお、展示とは別に上映されていた、龍谷大学が取り組んだベゼクリク石窟寺院の仏教壁画の復元や、西本願寺の障壁画の復元・修復の話も面白かった。
ここも、もっと詳しく知りたいなあ。
知らなかったっす
来週にでも行ってみますかねー
値段がちょっと・・・(笑)
河口彗海が泊まった村に私も去年泊まったし
LEDライト以外100年前と同じかも?
投稿: DT | 2014/05/27 23:20
6月8日までだから急がないとね。
ちなみに土倉家に関する記述はありません(笑)。
投稿: 田中淳夫 | 2014/05/27 23:27