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森と林業の本

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2014/06/17

人生は長伐期の林業のごとし

疲れが取れない。

 
近頃、泊まり掛けで出かけたら、一晩寝ても疲れが抜け切らないことが増えた。回復力が劣化してきたような……。
 
パソコン向えば眼が辛くなるし、肩はガチガチに凝るし。肩だけでなく首も肩甲骨も。最近腕が背中に回らなくなってかゆいところに手が届かない。
そういや寝付きも悪くなったよう。一方で睡眠時間が足りないのに早朝に目が覚めたり。深夜にトイレに立つことも増えた。変な夢も見るし。
足の筋肉も落ちたなあ。朝起きた直後は真っ直ぐ立てないし、坂道を登ると息が切れるし、代わりに腹回りのお肉が増えた……。
 
 
いやでも年を自覚する。この年まで生きられた人の平均寿命は、だいたい80才すぎかねえ。その頃には、私は何をしているだろうか。何ができるだろうか。
 
それまで暮らせる蓄えも必要だなあ。フリーランスの私は、満足な年金ライフなど期待できない。最低限、住むところと日々暮らせる資金を今のうちに残さねば。
もっとも、80までの予定で蓄えた場合、その後長生きしたら干上がってしまう。いやいやその前に病気や事故で亡くなるか、死なないまでも身体が動かなくなる可能性だってあるよなあ。娘に介護をさせたくはないし、いかに過ごすか。身体のみならず頭が惚けたら、心配する能力さえ失うのだろうか。若者の人生を奪いたくないなあ。
 
 
まてよ。いくら蓄えても経済状況が激変する可能性がある。国債の底が抜けてハイパーインフレにでもなれば、蓄えなんぞ一瞬にして消えてしまうだろう。カラ景気の今から先は、その可能性の方が高いのではないか。
 
ならば、いかなる老後を想定するか。
 
想定できない、想定してはいけないのである。今、いくら考えても無駄だ。経済・社会。自らの健康。何がどうなるか予知することは不可能なのだから。
 
結局、その時が来るのを待ち、その場その場で最適の選択肢を選ぶ目と能力を鍛えておくしかないのではないか。自分の能力を最大限活かせる道を見つけること。それが生き延びるということだ。
 
……老後の生活設計は、長伐期の林業のごとし、である。いくら今植えた苗が80年後にどんな材質の木に育つか予想しても、その材質の木材が求められるかどうかわからない。
80年後、50年後、いや30年後の用途を設定することさえ、馬鹿げている。そもそも、生長途中に台風の風で折れるかもしれないし、雷に打たれるかもしれない。害虫に食い荒らされて枯れたり、材に傷がつくことだってある。
 
むしろその時が来て、その時そこにある木はどんな用途が向いているか可能性を探り、最適の利用法を選ぶことが大切なのではないか。仮に生長途上で折れたり枯れても、その木の可能な利用法を探したい。切り捨てはイヤだ。
 
長伐期の林業はリスクがいっぱい。
先日、吉野林業の某氏に200年もののスギは、植え付けた土地の3%くらいしか育たないと研究者が言った話を聞いた。この数字にどの程度の根拠があるか知らないが、200年とはそういう歳月だ。単に切らなかったら育つ、というものではない。
 
そして育ったら育ったで、その木を200年ものの価値を活かせる用途を見つけるのが大変だろう。しかし、それは植えたときに考えるのではなく、伐採収穫する時にその木を欲した人が考えるべきである。


 
高齢化社会のニッポン。老後は老いた後に考えるか。
 
 
※タイトルは間違いだ。「長伐期の林業は、人生のごとし」が正しい。

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