ふと手にとった本。
『風景資本論』(廣瀬俊介著 朗文堂 2000円+税)
私もタイトルに惹かれて購入してしまったのだが、つい『里山資本主義』をもじったのか? と思ってしまう人もいるだろう。
しかし、本書の出版は2011年11月。つまり『里山資本主義』より前なのである。どちらかと言えば、里山……の方が真似たことになる。
それにしても、風景資本とは。
私も考えていたのだ。風景というか景観というか、そこにあるランドスケープを資本と見なすことができるか? ということを。だからこそ、たまたまネットで目にして、ついクリックしてしまったというわけ。
もっとも本書は、資本論というほどに思想的、あるいは哲学的な論考ではなく、ランドスケープデザイナーである著者が、これまでの仕事などで交わった地方を例に挙げつつ、一種のエッセイのように語った内容である。
しかも、カラー写真がたっぷり掲載されている。フランスのストラスブール、そして飛騨古川のものが多い。自然に街並に祭や日々の暮らしに……。だからフォトエッセイとも言えるだろう。
一方で執筆の最終段階で東日本大震災に遭遇。彼は東北芸術工科大学の准教授でもあるので、震災現場の多くに関わることになった。そこで感じたことを追記している。風景の修復と生業の復活という難しいテーマに活動しているらしい。
私は、風景が何を生み出すかを考えている。
風景を資本と見なすのはよいが、目に見える形で風景は金を生まないし、また資金のように転用もできない。風景は見る者を元気づける一方で傷つけることもあるかもしれない。また資源として常に活用するものではなく、寝かしておくこともあるだろう。その意味では、負債をも包含した「資産」と考えた方がよいのかもしれない。
もしかしたら、風景は環境の代名詞かもしれない。美しい風景は、豊かな自然を表し、不愉快な風景は人々に害を成す要素を含んでいると考えたらどうだろう。
いや、風景を生業に結びついた収穫物だと考えてみることもできる。心穏やかになったり、歓喜をもたらす風景は、何らかの収穫物を内包していないか。物理的な利益もあれば、心の喜びを表現しているのかもしれない。
……本書は、そうした思索そのものを描いたものではないが、こちらの思索を刺激する言葉が散らばっている。
「風景のデザインとは……人間のつくる社会と自然との関係の調整を必須条件として人間が生活する場をつくること」
版元からすると、これは全国の書店の店頭に並ぶ本ではない。自費出版に近いものかもしれない。そうした本と出会えるとは、なかなかの幸運だ。
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