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2014/06/18

若い私の思考法

私は、こう見えても若く見えると言われる。

 
髪もまだまだ黒いし、顔に妙なシワもない。娘と歩けばカップルに間違えられるし(ただし後ろ姿)、肉をガツガツ食うし、酒も何でも呑む。夜更かしもする。体力だって、山で遭難するほど元気だ。腕立て伏せだってできる。今日も山で丸太を動かしてきた。街を歩けば女性に目移りするし、何より少女マンガを読むほど心が若い……。
 
何が言いたいかって? 
 
いや、昨日は自分がいかに老いぼれているか、老後が心配かと書きすぎたから。いや、あれは後半の「林業は人生の老後に似ている」という話を書くための前振りのネタ。ネタですよ。本気にしないでね。まだまだ元気な私が老後の心配しませんよ。だいたい老後の生活設計を、マジにこのブログに書くわけないじゃないか。ネタですよ、ネタ。断固ネタ(;^_^A。
 
 
ところで、若さの基準は、やはり頭の柔軟性だろう。肉体年齢はカバーできなくても、思考力を衰えさせてはならない。
 
その点で言えば、最近気になるのはコミュニティの意見のステロタイプ化だ。
 
先日の金沢では「里山は本当に必要か」というタイトルの講演をした。まあ、タイトル自体がネタなのだが、とりあえず疑問形にしたわけだ。
そして参加者の声を聞くと、圧倒的に「里山は必要」「だから……」という論理展開になっていた。つまり里山は必要なのは自明の理になっていたのだ。
 
もちろん参加者は里山に興味がある、すでに保全活動をしている(つまり里山保全コミュニティの一員である)から講座に参加したのだろうから当たり前の結果なのだが、あえて思考の中では「本当に必要か」と問い直す柔軟性を確保してほしかった。
 
同じことを最近は各所で感じる。
林業コミュニティでは、「林業は必要」「林業は不振」「林業を振興しなければならない」という論法で攻めてくる。
 
また山村コミュニティでは、「山村は疲弊している」「山村は過疎高齢化が問題」「山村を活性化しなければならない」「山村の人口を増やさなければならない」……と続く。
『里山資本主義』も、実はその論法に乗っかって人気を呼んでいるのではないか。
 
いったん原点に還って、なぜ自分は里山に興味があるのだろう、なぜ林業に肩入れするのだろう、なぜ山村がなくなってはいけないのか……と自問してみたい。
 
そして反対意見を考える。里山なんかより都会の方が快適に暮らせる。林業がなくたって輸入材で間に合うし、木材以外の素材もいっぱいある。そちらの方が安くて使い勝手もよい。山村をなくしてコンパクトシティを形成した方が効率的な国になるし、自然も守れる。
 
 
……そんな意見に真っ向から理論的に反論できるか。
いや、頭ごなしに否定してはいけない。「そんな意見もあるねえ。その考えもわかるよ」という理解あるおじさん風に捉えて、そこから新たな選択肢を探し出せないか。
 
ヘーゲルの弁証法のごとく、テーゼに対してはアンチテーゼを提起することでジンテーゼに止揚できるのだよ。
 
 
さて、そんな「原点からの林業論」を7月12日に大阪で展開してみるかなあ。(宣伝かい!)
 
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